「今住んでいる地域以外で、移住したいと思った地域はある?」
久々に会った友人が、ふと私に尋ねました。その友人は東京在住の30代。これからの地方暮らしを考えるなかで参考にさせてほしいと。職業柄これまで日本各地を訪れてきましたが、そのとき一番に思い浮かんだ地域が、和歌山県有田郡にある有田川町でした。
「どうして?」と質問を続ける友人に、エコなまちづくりと絵本のまちという町の特徴について説明したものの「それだけが理由じゃないような…?」と内心ぐるぐると自問していました。
家族との兼ね合いで私は隣町に移住しましたが、暮らしの拠点探しは、人生の大きなテーマですよね。移住したい側の頭を悩ませると同時に、移住してほしい側の頭もうんと悩ませます。
少子高齢化が進む過疎地であれば、なおさら。なかでも繁忙期の一次産業の人手不足は喫緊の課題ですが、短期間でも遠方から人を迎え入れるとなると、食と住がネックになりがちです。
「移住したい」と「移住してほしい」、さらに言えば、その一歩手前の「地域に関わりたい」と「地域に関わってほしい」。両者の思いが揃っているのにうまくマッチングできていない現状をすっきり解決する施設が、有田川町にオープンしたと聞きつけ、現地に伺いました。
ぶどう山椒の発祥地で、一次産業が豊か
エコで絵本のまち・有田川町
有田と聞いて、おそらく最初にピンと来るのは、みかんではないでしょうか。有田川町は、全国的に名高いブランド「有田みかん」の主要産地のひとつです。また、“和のスパイス”として近年は海外の需要も高い「ぶどう山椒」の発祥地でもあり、その生産量は日本一を誇ります。
その名の通り、高野山に端を発する有田川が町の中央を横断するように流れ、西側の下流付近に中心街があり、東側の上流付近になるほど豊かな緑に覆われています。町面積351.84㎢のうち約77%が山林で、良質な「紀州材」の産地としても評判です。
人口約25,500人の小さな町ですが、ソーシャルグッド先進地域と言っても過言ではないほど、約30年前にはじめた取り組みが今実を結び、他の地域が見習いたくなる好事例となっています。
その代表的な取り組みのひとつが、エコなまちづくりです。住民一体となったゴミの資源化や、ダムの放流水を活用した小水力発電を行い、年間4000万円以上の財源を生み出しています。社会的な課題や余りものをエコロジーでエコノミーな価値に変えるだなんてすごいですよね。
もうひとつが、絵本のまち。有田川町は、児童書業界では絵本の聖地として有名です。子どもだけでなく親も楽しめる子育て環境を大切にし、児童書やキッズスペースが充実した図書施設を町内4カ所に設置。読み聞かせ会や絵本にちなんだイベントも頻繁に開催されています。
移動中の車内から、分別の徹底された綺麗なゴミステーションを見かけるたびに「ああ、有田川町に来たんだな」とほっこり。町の人たちにとってはこれが当たり前の日常なんですよね。
他にも、全米一住みたい街とうたわれたポートランドの市開発局職員を招いた官民一体のまちづくり企画「有田川という未来」を過去に実施。また最近では、旧保育園をリノベーションして誕生したビール醸造所「NOMCRAFT Brewing」のクラフトビールが、2024年2月に開催された「JAPAN BREWERS CUP 2024」のIPA部門で1位に輝くなど、見どころや話題の多い町です。
旧小学校を改装した民間施設「しろにし」
お試し移住就業をしたい人のワンストップ
「有田川町って面白そう。移住するかどうかまだわからないけど、もっと知りたい」と考える人に向けて、有田川町では2020年から「農林業体験インターンシップ」を行っています。地元農家のもとを訪れ、夏はぶどう山椒と林業、冬はみかんの収穫に携わる一泊二日の企画です。
しかし「開催日に都合がつかない…。他に募集はないの?」という方もいるはず。そこでおすすめしたいのが、2023年6月にオープンした移住就業支援拠点施設「しろにし」。宿と食の機能を備えたワンストップかつ幅広い移住就業体験の総合窓口で、一般社団法人しろにしが運営にあたっています。
廃校になった旧城山西小学校を活用し、有田川町に移住や就業・就農したい人や関わりたい人を受け入れ、“地域の人事部”として有田川町の企業や農家の人材確保をサポートしています。
施設内には、ゲストハウスのような短期滞在用の相部屋とシェアハウスのような中長期滞在用の個室から成る「ふたがわ寮」を設け、希望者には地元の食材を取り入れた食事やお弁当を提供しています。また、ランドリーカフェやコワーキングスペースとしても利用可能な「井戸端カフェしろにし」を併設。地域の人々と滞在者がくつろぎ、交流を深められる場所となっています。
迎えてくれるのは、U・Iターン移住者と
立ち上げに5年間伴走した元役場課長
「いらっしゃーい!どうぞどうぞ!」と明るい声で出迎えてくれたのは、「しろにし」代表理事の楠部睦美(くすべ・むつみ)さんと理事の白川晶也(しらかわ・まさや)さん、そして下村祐輝(しもむら・ゆうき)さんです。
「むっちゃん」の愛称で親しまれる楠部さんは、有田川町のみかん農家生まれのUターン移住者。2016年から有田川町で「ゲストハウスもらいもん」を運営しています。一方、父親が林業に携わっていたという白川さん。有田川町役場の人事担当として12年間勤め、産業課のち商工観光課の課長として「しろにし」の立ち上げに5年間伴走し、ついには早期退職して現場入りしています。
夫婦漫才のような軽快な会話が楽しいお二人の間で、ときにはWEBディレクターやカメラマンとして活躍しながら、ともに現場の顔となっているのが、大阪からのIターン移住者である有田川町地域おこし協力隊の下村さんです。
「井戸端カフェしろにし」で、下村さんに淹れていただいた美味しいアイスコーヒーを飲みながら、楠部さんと白川さんに発足の経緯や活動の近況などを伺いました。
地元企業の「共同社員寮がほしい」から
運営は民間で!を前提に、支援拠点づくりへ
「しろにし」は、どういったアイデアから誕生したのでしょうか? はじまりは2018年、地元企業の「地域の事業者が共同で使える社員寮がほしい」という声だったといいます。
約70年の林業の歴史を誇る竹上木材株式会社の代表取締役・竹上光明さんと、アルミやステンレス溶接のトップランナーである株式会社 坂口製作所の和歌山工場長・下垣彰伸さん。偶然にもときを同じくして、それぞれから町に対して同様の要望があがってきました。
白川さん 竹上さんによると、朝から山仕事をして、昼はみんな現場で自前の弁当を食べるらしいんですけど、親元を離れた18〜19歳の若い社員さんの弁当は、いつも白ごはんと缶詰一個だけ。帰宅後に慣れない自炊までする気力はないし、かといって周辺にコンビニもない。そんな姿を見るたび、まかない付きの社員寮をつくってあげたいと考えていたそうなんです。
過疎地の一次産業の現場では、人材確保の難しさはもちろんですが、その後の住まいや食事の手配も課題となりがちです。だけど、市町村が箱物をつくって自ら運営しても、なかなか軌道に乗らない。そんな事例が全国的に数多く見られます。将来にわたって取り組みを持続的なものにするために、運営は民間で! を前提に話が動き出すことになりました。
発起人である竹上さんと下垣さんは、行政に依存しない運営体制をつくろうと、民間でチームをつくり奔走。地域の事業者たちへ地道な呼びかけを続けました。その熱意を受け、2020年に町側は地域再生の実績を持つ2名のアドバイザーを県外から招き、民間の動きをサポートすることに。
アドバイザーの提案により、企業課題にとどめず地域課題として根本から解決しようと、「まかない付きの共同社員寮」という最初のアイデアは、宿と食の機能を備えた「有田川町への移住や就業・就農につながる支援拠点づくり」に発展していきました。
エリアリサーチの結果、町の真ん中に位置し、中心街で就業することも山間部で就農することもでき、集落に囲まれて地域との交流も期待できることから、二川地区の旧城山西小学校を拠点とすることが決定。ここは以前から「しろにし」の愛称で地域の人々に親しまれていたそうです。
8年間の宿運営の経験を活かしつつ
人の魅力に惹かれチームに仲間入り
場所は決まりましたが、さて、楠部さんはどのようにチームに合流したのでしょうか?
楠部さん アドバイザーのおふたりが有田川町に来るときは、よく「ゲストハウスもらいもん」に泊まってくれていました。毎回一緒に飲みながらプロジェクトの進捗を聞いていたのですが「宿のアドバイスもらえない?」と言ってもらって、ミーティングに参加することになったんです。面白そうな企画だし、自由に口だけ出せるのが楽しくて、思う存分に提案しました(笑)
実は当時、「しろにし」の立ち上げに向けて、実働メンバーをどうするか? が課題だったそう。発起人は本業で多忙で、地域おこし協力隊が加わる案も出ていたものの、できれば、地元のことをよく知る地元の人間もチームにほしいところだったのです。
楠部さん 後日、アドバイザーのおふたりから「むっちゃん、やってみない?」と誘っていただいて。大きなプロジェクトだから私に務まるだろうかって最初は迷ったんですけど、ひとりで宿をやってきたからチームで活動することに憧れがあったし、プロジェクトに関わっている人たちの魅力的な人柄に惹かれて、この人たちとならやってみたいと引き受けることにしました。
2021年に楠部さんが仲間入りし、2022年に法人を設立。同年に、下村さんが地域おこし協力隊として着任。プロジェクトの素案の段階から伴走してきた白川さんは、2023年に行政から民間の立場へ。こうして現在の実働メンバー3名が揃いました。
繁忙期の人手不足が課題の農家と
産地に触れたい人をつなぐ
「しろにし」開業後、一次産業のお試し体験として最初に行われたのが「ぶどう山椒収穫レスキュー」。過疎化・高齢化から収穫期の人手不足に悩むぶどう山椒農家と、一次産業や地方に触れたい県外の人をつなぐ企画です。昨年夏、ぶどう山椒が予想以上の豊作だという農家の知らせを受けて、急遽企画を立ち上げたといいます。
参加者は、季節労働としてお金をもらうのではなく、収穫体験はボランティア、かつ旅費は自らで負担する必要があるため、農家から「本当に人が集まるの…?」という不安の声もあったそう。しかし、短い告知期間にかかわらず、全国各地から延べ30名が参加しました。
その受け入れ農家のひとつが、ぶどう山椒の発祥地である清水地区の遠井(とい)区にある白藤農園の代表・白藤勝俊(しらふじ・かつとし)さんです。遠井区は、弘法大師・空海の伝説や民話が色濃く残る歴史の地。白藤さんは農業のかたわら、地域の語り部となり、遠井の物語をなぞり歩きながら伝承する体験イベント「TOI STORY」を主宰しています。
白藤さんに「ぶどう山椒収穫レスキュー」の当日の様子を教えていただきました。
白藤さん 参加者の皆さん、農園に入った途端「良い香り!」と口々に言ってくれていました。ぶどう山椒の実をひと房ずつ丁寧に摘む地道な作業なんですけど、「没頭できて楽しかった」とか「時間を忘れるくらい夢中になった」と喜んでくれて。地元で生まれ育った僕らにとっては当たり前の出来事に価値を感じてくれて、そんな姿を見た僕のほうまで感動しましたね。
現在は下流が有田川町の中心街となっていますが、江戸時代は遠井区が龍神街道から高野街道に向かう交通の要所であり町の中心だったといいます。「湯治や祈りの地を目指して、この道を殿様から旅人までいろんな人が通ってね」と、まるでその時代を生きていたかのようにありありと話す白藤さんの会話に、思わず引き込まれる参加者が少なくなかったようです。
白藤さん だけど今は風前の灯火。過疎化と高齢化が進んで、遠井のなかでもこの山手番集落で農業をやっているのはうちだけになって、収穫期の助け合いもできなくなりました。ただでさえ忙しい収穫期に自分たちで人手まで集めるなんて大変。それに、遠くから来ていただいたら宿や食事のことまで考えなくちゃならない。それを「しろにし」さんがまるっと対応してくれて、本当にありがたいです。
地域の後継者不足は大きな課題だから、産地の歴史や現状を直接知ってもらって、移住や就農をする人が現れたら嬉しいな。これからも、そのきっかけを一緒につくっていけたらいいですね。
日本の一次産業が抱える課題に向き合い
産地を知り、産地ともっと関わろう
参加者はどのような思いで参加し、どういった視点で産地を捉えているのでしょうか。白川さんから「当施設一番のヘビーユーザーです!」とご紹介いただき、サントリーホールディングス株式会社で長年にわたり商品開発に携わる渡部徳富(わたなべ・とくとみ)さんにお話を伺いました。
なぜ渡部さんは「ぶどう山椒収穫レスキュー」に参加しようと思ったのでしょうか?
渡部さん 商品の原料として使うなかで「今のままでは必要量が収穫できなくなる」と聞いて、実態調査がしたいと思ったのがきっかけでした。貴重な国産ボタニカル素材があってこそ、国産クラフト商品が開発できるので、その現場の声が知りたかったんです。
産地とつながるすべを探っていた際に「しろにし」の活動を知り、自ら体験することが一番! と収穫体験に応募。白藤さんの伝承活動「TOI STORY」にも参加し、ものづくりの原点をもっと世の中に伝えるべきだと痛感したそうです。それ以来、会社の仲間や取引先を誘って「ふたがわ寮」に6回ほど泊まり、他産地の収穫体験にも積極的に訪れるようになったといいます。
渡部さん 消費する側は、お金を出せばいつでもほしいものが手に入ると勘違いしやすいですけど、そうじゃない。ぶどう山椒に限らず、日本全国の農作物の現場はどこも、高齢化による担い手不足と後継者不足、地域のインフラ整備の問題を抱え、厳しい状況に置かれています。
そういう深刻な課題に直面しつつも、産地の現状や歴史を伝えようと前向きに励む人たちがいる。私たちは、ただ「美味しい」で終わらず、産地のことをもっと知る必要があります。そして、メーカーなら農作物の用途を広げるといった具合に、産官学のさまざまな立場とリンクさせながら、ひとりの人間として産地に関わって、一緒に未来を考えていきたいですね。
地域愛と主体性のある“本音の推奨”で
「みかんジュースのかきまぜ役」を目指す
開業からまだ約1年の「しろにし」ですが、「ぶどう山椒収穫レスキュー」のほか、ぶどう園での花切りボランティア体験や、みかんの季節労働者の交流会なども主催しています。さらに、「ふたがわ寮」には地域の事業者のもとで働く居住者がすでに3名、パートナー契約をしている地元企業は個人会員を含めると18社もあるそうです。
“地域の人事部”として、一次産業の体験にとどまらず、将来的にはオンラインを駆使した求人募集やインターンシップのカリキュラムづくりといった人材確保の総合窓口も目指しているといいます。平均年齢の高い過疎地の中小企業にとって、これはありがたいですね。
この順調な走り出しについて、楠部さんと白川さんは口を揃えて「発起人の存在が大きい」と話します。身をもって地域課題を理解している地元企業が率先して施設の重要性を説き、地域の未来をともにつくろうと周囲に呼びかけてきたことが、今の協力体制に結びついているのだと。
また、取材を通じて、楠部さんと白川さんがこれまで町内外で個人的に築いてきた信頼関係が、外から人を呼び込む強力な結び目になっていることも伝わってきました。
地域の中の関わりを醸成する発起人と、地域の外との関わりを育む楠部さん・白川さん、どちらにも共通しているのは、まるで大切な友だちに心からいいと思えるものを教えるときのような“本音の推奨”があること。地域愛と主体性を持ち、必要なものを必要な人へ届けようとしている姿が垣間見えるからこそ、心に響くものがあるのではないでしょうか。
白川さん 果汁100%のみかんジュースって、そのまま放っておくと果肉が沈殿するでしょう? 過疎地もそれと同じかなって。価値はすでに地域の中にある。だけど、それが奥底に潜んでいるから魅力が伝わりづらい。僕らみたいな「かきまぜ役」がいれば、その価値を知って味わって、美味しさにどっぷりハマる人がきっと出てくる。そういう役割を果たしたいと思います。
取材を終えて、おすすめの移住先として私が一番に有田川町を思い浮かべた理由は、「エコなまちづくりを行う絵本のまち」だけではなかったと気づかされました。有田川町を訪れるたびに出会う人々が個性豊かで、だけどバックグラウンドの異なる者同士が分け隔てなく和気あいあいとしている。そういう姿を目の当たりにし、思わずその輪に入りたくなっていたのです。
もし、あなたも有田川町に関わってみたくなったら、まず「しろにし」を訪れてみてはいかがでしょうか。2024年6月15日(土)には、「しろにし」メンバーをはじめ、白藤さんや渡部さんなど、移住就業体験の関係者が会場にやってくるイベントが大阪で開催されるそうです。
うかうかしているうちに、有田川町のほうから、とびきりの笑顔で会いに来るかも?
– INFORMATION –
(撮影:前田有佳利)
(編集:廣畑七絵)