海も山も街もある神戸市兵庫区の山手側に位置する梅元町(うめもとちょう)は、傾斜地区にたくさんの家が建つ、古くからの住宅地です。車が入れないほどの細い路地もあり、高層ビルや商業施設が立ち並ぶ海側から少し離れただけなのに、エンジン音のかわりに鳥の鳴き声が耳に届くようになります。
車1台がギリギリ通れる細い登り坂を進んでいき、さらに小道に入ると、木の板に「バイソン」と大きく書かれた看板が見えてきました。
「バイソン」は、9軒の廃屋を改修して誕生した村です。柱が腐ったり、屋根が落ちたり、外壁を蔦が覆ったりと、放っておけば朽ちていくような物件を、人が住める状態に“再生”しているのは「西村組」のみなさん。3〜4年前まで廃墟が並び、地域住民の間で立ち入ってはいけない場所とされていた一帯が今、年齢・国籍いろいろな人が訪れたり、住んだり、働いたりする場になっています。
廃屋群をまとめて改修し「村」をつくるまでには、どのような経緯があったのでしょう。また、バイソンでは今、どんなことが起きているのでしょう。「西村組」の“組長”西村周治(にしむら・しゅうじ)さんと“組員”の上野天陽(うえの・たかはる)さん、バイソンで過ごすみなさんにお話を伺いました。
合同会社廃屋組長。一級建築士・宅建建物取引士。大学の建築学科卒業後、家賃1万5千円の倉庫を廃材で改修して住み始める。その後、不動産会社で働きながら、ボロボロの廃屋を改修して移り住み、人に貸したり売ったりして、新たな廃屋を改修するという、ヤドカリのようなくらしが始まる。2020年に有機的な建築集団「西村組」を結成。神戸市丸山地区にある8軒のバラックからなる「バラックリン」や、梅元町の9軒の廃屋を改装した「バイソン」など、廃屋群にまとめて手を入れ、人が集まる場を開いている。
合同会社廃屋の申請・まちづくり担当。神戸市長田区丸山地区で生まれ育つ。高等専門学校卒業後、神戸市長田区の建築設計事務所に勤務し、まちづくりコンサルタントとして活動。休日に「バラックリン」での村づくりに参加するようになったのがきっかけで、西村組の組員となる。現在はフリーランスで活動しながら、合同会社廃屋の助成金申請等を担う。2024年3月に、自身が生まれ育ったまち・丸山地区を紹介するZ I N E「まるやまじん」を発行。
“あるもの”を主体に、廃屋を再生する集団
西村さんを中心とした建築家集団「西村組」では、不動産会社も断るような廃屋を買い取って改修し、居住スペースやシェアハウスなどに再生しています。西村組のはじまりは2020年のこと。当時不動産会社に勤めていた西村さんは、旅人の外国人、大工仕事ができる人と一緒に「素人集団で家を直す」ことを小さくはじめました。
西村さん その頃から古いものをわざわざ使って、素人のメンバーでつくるということをしています。大学の建築科を卒業後、ぼくはお金がなくて。一番安く借りられた1万5千円の倉庫を3人でシェアしながら、廃材で直して住んでいた経験が染み付いているんです。そうなると設計ではなく、“あるもの”が主体になるんです。そっちの方が即興的な要素もあって面白いと感じました。
西村組が手掛けてきたのは、10年以上空き家で室内まで蔦が生えている家や、構造躯体がシロアリに侵食された元診療所など、一筋縄ではいかない物件ばかり。家全体が雑草に覆われ、すでに自然の一部になっているような外観の廃屋もありますが、草を刈り取り、ひとつずつ内装をはがし、屋根を張り替え、構造工事で補強する、というふうに手間と時間をかけて改修します。
改修資材には解体現場やモデルルームで出た廃材を使い、いわゆる「快適できれいな空間」というよりは、「人間にとって無理なく最適な空間」を目指しているといいます。リノベーションやリフォームという言葉とは一味違う、西村組の“再生”とは、どういうことなのでしょう。
西村さん 自然にとっての再生は、家が朽ち果て、土に還ること。ぼくたちは都市型の循環再生を考えているので、必ず土に還るわけではないけれど、捨てられるはずだった素材をそのエリア内で回すという形で循環させています。
上野さん この部屋の壁は、解体現場で壊した土壁をふるい、練り直し、漆喰と混ぜてもう一度塗り直していて、壊したら土になるものをめちゃくちゃ丁寧に使っている。シェアハウスのカウンターには雨樋だった銅板が使われているし、持ち主が処分に困ったピアノもある。バイクや自転車も資材として譲り受けています。
放っておけば自然に還るものも、そうでないものも含め「捨てられる予定」だった素材。アイデアややり方によって、まだまだ使えるそれらの素材を扱い、空間をつくっています。
廃屋単体から面的な動きへ
西村組としてチームで活動するようになって約1年後。神戸市長田区丸山地区のバラック廃屋群8軒をまとめて改修し「バラックリン」という村をつくりはじめます。廃屋単体を再生する動きから、複数軒をまとめて再生する面的な動きへ。地域で交流のあったアーティスト、学生、居酒屋店主など、数名に声をかけました。上野さんは、その頃に西村組に参加し、以後一緒に活動しているそうです。
上野さん 丸山地区は生まれ育った土地なんです。会社勤めをしながら地元で何かしたくて、畑や空き家をさわっていたときに、西村さんに誘われて週1回一緒に活動しはじめたのがきっかけです。今は、西村組の“申請担当”として、助成金申請などの仕事をしています。
さらに1年後、バラックリンに続いて「バイソン」での村づくりがスタート。組員の数は50〜60人に増え、年齢層は10代から70代と幅広く、国籍もいろいろ。半数以上は職人ではない人だそう。メンバーは、現場作業やイベント時にゆるやかに集います。
バイソンには、アーティストや建築集団の居住空間、シェアハウス、アーティストインレジデンスなどがあります。ここに村をつくろうと思ったきっかけは、なんだったのでしょう。
西村さん 意図は、実はそんなにないんです。1軒直したら、周りの持ち主さんからも相談があったので、買い取っていろんな用途を分散させて。各家を囲んでいたブロック塀をワークショップで解体し、境界線をなくしたことで村っぽくなりました。
上野さん 今でこそ空き家が多い神戸の山手側ですが、昔は高台からまちを一望できる立地が魅力的で富裕層の人たちが住んでいたエリアです。立派な建物が残っていて、持ち主の方も思い出がある。けれど、道が細くて車が入らないから建て替えもできず、放置しているうちに廃屋になっていく。そんななかで、西村さんに相談が寄せられました。
重機が入らないので基本的には人力、何十トンものブロック塀解体はワークショップ形式をとり参加者全員で撤去。途方もない作業ですが、想像するとなんだか面白そう。バイソンって一体どんな場所なのだろう、これから何がはじまるんだろう。そんな風に、場や村づくりの過程に惹かれた人がバイソンを訪れ、参加しています。
住居+αの用途で再生された各建物
バイソンがあるエリアは法律的に店舗だけでの営業ができないため、どの家も「住居+α」の用途でつくられています。村づくりから3年の年月を経て、村は今どのようになっているのでしょうか。
村を入って左側には、予約制レストラン「神戸ハイツ」、「バイソンギャラリー」、シェアアトリエが並びます。
道を挟んで向かい側に2軒並ぶシェアハウス「北極点」と「南極点」には現在6名が入居。対価労働で泊まれる「0円シェアハウス」という取り組みもしていて、組員や旅人、アーティストなど、毎日いろいろな人が出入りします。
さらに村を奥へ進むと、蔵だった場所に防音設備を施した「バイソンアジト」があります。DJブースは台所の吊り戸棚を逆さに置いたもの。窓枠や扉の中にはめた畳は、意外と音を吸収するそう。
アーティスト・櫻井類(さくらい・るい)さんのアトリエや、建築集団・々(ノマ)が使う住宅を横目に、村の突き当たりまで行くと、神戸のまちを一望できる「共同茶室」があります。土台となる基礎が落ち、建具もガタガタだったため、建物ごと持ち上げて改修したという廃屋は、今ではすっかり洗練されたお茶室に。子ども向けのお茶室体験などのイベントが開かれています。
9軒のうちまだ手をつけていない廃屋が1軒。工事中の箇所も多く、村にはまだまだ、変化していく空気が流れています。
みんなが旗をあげられるように
昨年の冬をバイソンのシェアハウスの居候部屋で過ごしていたアーティスト・マブチさんは、バイソンのことを「昨日と今日で全然違う場所」「ずっと変わり続けている」と話します。
マブチさんがバイソンを初めて訪れたのは、廃屋の再生がほぼ完成して正式に村開きした頃。廃屋を再生して場所をつくるパワーに反応し、たくさんの人が集まっていたことを想像させる香りが残っていたと振り返ります。
マブチさんは約2ヶ月間「バイソン越冬自由祭り」を開催。立地的に閉じやすい傾向があるバイソンを外の人に開き、訪れた人が村の使い方を自由に実験するイベントです。アーティストによる建物のペインティング、旅人によるテコンドー体験会、美術とダンスの実験企画など、それぞれがバイソンの使い方を自由に試しました。イベントを経て、国籍問わずいろいろな人がやってくるシェアハウスの状況がより濃くなったそうです。
マブチさん 私は失敗することを止めない、チャレンジする権利を奪わないことが「自由」だと思っていて。イベントでは、村を開いて居候の私が居候を増やすけれど、別にお世話はしない。やりたいことは自分の手でやってもらう、でもチャレンジする権利も奪わない、というマインドでやっていました。
西村さん ワンマンな村長に自分の意志が弱い人がついていくような構図の村にはしたくないんです。一人の旗振りにみんながついていくのではなく、みんながとりあえず旗を上げられる状況になったらいいなと思っています。その方が生存戦略としても村が生き残りやすい。いろいろな人がいて、衣食住があって、なんとなく死なないで生きていける世界が理想だと思っています。マブちゃんがやってくれたようなのは、理想なんじゃないかという気はしていますね。
マブチさん 似たような思想の人しか集まらないような場所も多いと思うんですが、バイソンには、手に負えないぐらいいろいろな人がいて。すごく面白いです。
空き家問題に対する選択肢はたくさんある、と示したい
空き家問題が全国的な課題となって久しく、各自治体は対策を講じており、神戸市においても、特に山側の空き家問題は深刻な状況です。廃屋再生にとどまらず、アーティストインレジデンスをはじめ地方創生の側面も持つ西村組の活動は、複数の文脈で行政とも連携しています。
上野さん 神戸市からは、空き家対策や資源循環の取り組み、アーティストの活動支援に関する文化系事業など、地域の盛り上がりに寄与するものであればと補助金などを通じて支援してもらっています。
西村さん こちらも社会還元できるものをつくろうと思っていて、基本的にスペースは独占しないし、営利的な活動はほぼしていません。空き家問題に対する選択肢はたくさんあることを提示し、使い方・見せ方を発見してもらおうと思っています。
バイソンがある梅元町は、西村さん曰く「すごく懐が深い」まち。地域の人は、バイソンを批判するわけでもなく、応援をするわけでもなく、“ただ横にいる存在”として見てくれます。
西村さんは、地域に貢献したりいい影響を与えたりしている自覚はないとハッキリと言います。そこには、空き家や廃屋をそもそも問題だと捉えていない姿勢があるようです。
西村さん 建物が傷んで朽ちていくのを見ると、一般的にはなんとかしないといけないと思いがちですが、僕個人としてはそんなに問題ではないと思っているんです。日本では世帯数が減少する反面、住宅が増えているので、今後も空き家や廃屋は増えていく。まちに廃屋が存在することは「しょうがない」と受け入れられたらいいのでは、と。それで、アーティストインレジデンスでは、人が廃屋を使わなくてもいいけれど、愛でられるようにしようと作品をインストールしたりしています。
上野さん 廃墟のまま残している場所がバラックリンで、室内に自生した竹をそのまま残した空間でお茶会をする、みたいなことをしています。バイソンでも、ベトナムのアーティストを招き「巣的建築」をテーマに、鳥の巣や虫が作る巣みたいな自然発生的な建物について考えました。
西村さん 屋根に穴が開いて、陽が落ちて、生き物が蠢き出すみたいなのは、面白いです。全然不気味じゃないよって。そんな価値観をつくりたいです。
みんなの活動が積み重なって、村や場所が生まれる
西村さんのもとには廃屋情報がたくさん寄せられ、なんと今50軒ほどの廃屋を所有しているそう。数字上「家は余っている」状況ですが、物価高も続き若者が住宅を所有するハードルはどんどん高くなっています。西村さんは、手元にある物件の中で、遠方のものや、使いたいという声があれば、若者に所有権を渡しています。上野さんも最近物件を譲り受けたそう。
西村さん 若い人に所有権・決定権がないのが今の社会問題の構図だと思っていて。若者が所有権を持ち、自分が主体になるとより楽しんで家を直せるだろうし、何か見えてくるものがあると思うので、少しずつですが手渡しています。みんな、ZINEをつくったり、イベントを企画したり、個人でいろいろ活動しています。西村組は建物を直すのがメインだけど、みんなのしている活動が積み重なって村や場所が生まれていっている。そんな感じです。
そんなふうに若者のことを話すみなさんの表情は、とても嬉しそう。その笑顔から、バイソンが何かのため・誰かのためにつくられた場所ではないことを感じます。何かしたかったらしたらいいし、しなくてもいい。やりたいことがあれば、やってみたらいい。村を訪れる人にとって、そう思える場所になっているように見えました。
いろいろな廃材が集まってできた空間は、窓枠一つとっても、形はさまざま。新しいもの・古いものも、いろいろなものが混ざり合っていますが、互いにけんかすることなく、居心地のよい場をつくっています。
なんとなく、その空気感は、バイソンで起きている日常と重なる気がします。年齢・国籍・背景の異なる人が集い、ルールがなくてもお互いに折り合いをつけて、人が行き交うことでできていく場所。いろいろな人が混ざり合い、それぞれの人のあり方で変わり続けているバイソンに、あなたも足を運んでみませんか。
(撮影:藤田温)
(編集:村崎恭子)