インターネットで世界中の情報が瞬時に手に入る現代でも、未知の世界を体感できる海外留学は特別な体験です。イタリアからガザへ留学した医学生を描いたドキュメンタリー映画『医学生 ガザへ行く』でも、留学生だからこその感情や体験が生き生きと映し出されます。
イスラエルによるミサイル攻撃による恐怖や混乱も生々しく伝わってくる本作。昨年10月から激しい空爆が連日続く今こそ、映画館で観ていただきたい作品です。
厳しい現実を前に、成長を遂げていく医学生
医学生であるリッカルドは、イタリアから留学先であるガザへと旅立ちます。ヨーロッパからの留学生は彼が初めてでしたが、彼は明確な理由のもとに留学先を選びました。救急外科医をめざす彼にとって、ガザは外傷治療の学びの場にふさわしい一面を持っています。イスラエルによる攻撃のために外傷患者が数多くいるという不幸で悲惨な現実が、彼にとってより経験を積める機会を生んでいるのです。
ガザは2007年からイスラエルによって封鎖され、人はもちろん物資の出入りも厳しく制限されており、「天井のない監獄」と呼ばれています。ガザへ到着するやいなや足止めをくらう彼の姿からは、ガザが直面している特殊な状況と、そこで始まる生活への不安が伝わってきます。
けれども、ガザでの大学生活で最初に待っていたのは、留学生の多くが世界中で経験するようなかけがえのない時間。新しい出会いや友情、厳しくも充実した学び、初めて経験する文化や習慣などに触れる様子が映し出されます。
初めてのことばかりの日々にストレスを感じ、疲労困憊するリッカルドの姿を見ると、自然と応援したくなります。そして、親切な友人の優しさに心がじんわりと温かくなるとともに、感謝さえ伝えたくなります。医師になるという現実の厳しさや重さに思い悩んだり、クラスメートたちと他愛ない冗談を交わしたり、夜遊びに繰り出したりする姿は、まさに青春そのもの。
ただ残念なことに、イスラエルによって封鎖され、厳しい状況に置かれているガザでは、楽しく充実した留学生活の物語だけで終わることはありません。ガザとイスラエルとの境界近くでは、パレスチナ人たちがイスラエルによる空爆に対しデモを行ったり、投石をしたりしています。そんな武器を持たない若者らにイスラエル軍が銃を向けることは珍しくなく、負傷者は後を絶ちません。
深刻な外傷患者が次々と運ばれてくる救急救命室での治療に加わったリッカルドは、最初こそ動揺する様子も見せますが、だんだんと覚悟を決めていくように、厳しくも真剣な表情で治療にあたるようになります。一人の医学生が、医師という厳しい職業人に成長していく過程が感じられるシーンでした。
さらに、リアルに映し出される治療シーンからは、ニュースなどで触れるガザの被害の様子とは大きく異なる印象を受けるでしょう。治療中だからこそ、くっきりと目に映る生々しいケガの様子に、遠景で目にする銃撃や爆撃の映像からは想像できない痛みや恐怖が生々しく伝わってきます。これこそがガザの人々がずっと直面し続けてきている現実なのです。
2024年5月現在、さらに悲惨な状況に追い込まれているガザ
ストーリーを追いかけながら常に心にあったのは、この街並が2024年現在、どんな光景になっているのだろうか、ということでした。昨年10月にイスラエルの攻撃が始まって以来、ガザではすでに3万人以上の人が亡くなっています。映画に映し出される街並も、瓦礫の山と化しているところが少なくないでしょう。
1958年のイスラエル建国により、もともと住んでいたパレスチナの人びとは故郷を追われ、限られた土地に住むことを余儀なくされました。その追いやられた狭い土地にさえイスラエルは占領を拡げており、2007年からガザ地区を封鎖しています。その結果、ガザでは食べものや清潔な水、電気といった生活必需品にさえ事欠き、高い失業率にあえいでいます。
そんなガザで、リッカルドはイスラエルによるミサイル攻撃に遭遇します。戦争から遠ざかっているイタリアで生まれ育った彼にとって、ミサイルがすぐそばに飛んでくることは想像を絶する事態です。戸惑い、焦り、恐怖におびえ、逃げ惑うリッカルド。限定的なミサイル攻撃でさえ、それだけの混乱をもたらすのです。そんな時間が7か月以上続き、平穏な時間も場所もない現在のガザで、人びとはどんな思いで日々生きているのでしょうか。
この映画の上映イベントで、リッカルド本人のインタビュー映像を観ることができました。彼は、ガザへの攻撃を止めるためにも、イスラエルへの武器供与をやめてほしいと話していました。アメリカなどイスラエルを支持する国から、大量の武器がイスラエルに供与されています。その結果、イスラエルは女性や子どもをはじめとする民間人を無差別に殺害し、ジェノサイドが起きているのです。
ガザのニュースを目にしても、遠い中東で起きている、何だか複雑そうな問題として見過ごしていないでしょうか。けれども、日本で生きている私たちにとって無縁の問題ではありません。イスラエルの軍事企業と取引をしている企業は日本にもありますし、日本と関係の深いアメリカが強くイスラエルを支持していることから、日本政府もまたイスラエルに対して抗議や経済制裁といった強い措置を取っていません。
当然のことながら、ガザにも日本に生きる私たちと同じように一人ひとりの生活があり、人生があります。スクリーンに映るリッカルドの留学生活を目にすることで、ガザの厳しい現実やそこで暮らす人々の営みをより身近にリアルに感じることができるでしょう。この映画が、現在のガザに思いを馳せるきっかけになることを願ってやみません。
(編集:丸原孝紀)
– INFORMATION –
<劇場上映情報>
東京 シネマ・チュプキ・タバタ 5月16日(木)~5月28日(火)
東京 シネマネコ 5月17日(金)~5月30日(木)
愛知 シネマスコーレ 7月予定
岡山 シネマ・クレール 6月14日(金)~6月20日(木)
監督:チアラ・アヴェザニ、マッテオ・デルボ
脚本:チアラ・アヴェザニ
プロデューサー:エヴァ・フォンタナルス
撮影監督:マッテオ・デルボ 編集:アントニオ・ラッブロ・フランチャ
音楽:ミケーレ・ストッコ、ミルコ・カルチェン、 アレッサンドロ・グロッソ
出演:リッカルド・コッラディ-ニ、サアディ・イェヒア・ナクハラ
制作:アルパ・フィルムズ・プロダクション
原題:Erasmus in Gaza 配給:ユナイテッドピープル