パタゴニアができる限り使わないようにしている言葉、それは「持続可能性(sustainability)」だそうです。アウトドアに起源を置き、2025年までのカーボンニュートラル達成目標など、高い環境意識を牽引する企業がなぜ、「持続可能」と言わないのでしょうか。同社の創業者で元オーナーであるイヴォン・シュイナード氏の本にはこうあります。
「持続可能」と言わないのは、「現状を維持しているだけでは間に合わない」という危機感ゆえと理解しました。では、自然が再生する力を阻害せずに行う事業とは何なのでしょう。
パタゴニアはアパレル事業に並び、食から地球環境を改善するべく、2012年に食品事業「パタゴニア プロビジョンズ」を始動させました。加工食品の販売にとどまらず、食料生産の現場である土壌を「リジェネラティブ・オーガニック農法」に転換することを推進しています。
パタゴニア日本支社でパタゴニア プロビジョンズのディレクターを務める近藤勝宏(こんどう・かつひろ)さんを訪ね、食品事業がはじまった背景からお聞きしました。
原料生産から店頭まで。
全ての人の健康を守る責任ある意識
近藤さん プロビジョンズはアメリカ本社で2012年にはじまり、日本支社で立ち上がったのは、2016年です。当時私はマーケティングのマネージャーをしていたのですが、個人的にも食に関心を寄せていたので、自分から担当を希望して手を挙げました。
創設者であるイヴォン・シュイナードもよく言っているのですが、パタゴニアのウェア類は長持ちするので、リペアも含めて5年、10年は買い替えずにすみます。しかし食事は誰でも毎日食べるものですから、環境に及ぼす影響はウェアよりも早く、大きいはずです。本気で気候危機を回避するために、食の問題に取り組むことは自然なことでした。パタゴニアがこれまでの事業で育んできた「よりベターな選択」と「透明性の実現」を、食品にもいかすべきだと考えて始まったのがプロビジョンズです。
1973年の創業から50余年。パタゴニアは絶えず挑戦を続け、たくさんの変革を実現させてきました。特に原材料の生産から出荷にいたるまでのサプライチェーンを徹底的に見直し、はたらく人の労働条件と環境負荷を改善させています。2018年には新たな企業理念として「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」と掲げました。
ファッション業界は、生産現場における劣悪な労働環境や児童労働など、長い歴史の中で構造化された問題を抱えてきました。近年少しずつ明るみに出ているものの、原材料の生産から店頭に並ぶまでの過程がブラックボックスに包まれていることは少なくありません。
グローバルにビジネスを営むパタゴニアは問題を自分ごとに捉えて対峙し、意思を持って、より良い選択を重ねてきました。例えば、製品のコットンに使用されていた化学薬品の危険性が発覚したときも、すぐに環境負荷が少ないオーガニックコットンの採用を決め、わずか2年で全製品をオーガニックコットンへ完全移行しています。
近藤さん 衣料品と同じように「食」の生産現場でも、つくり手への過剰な負担や、気候危機を引き起こす原因をつくりだしているんです。まず私たちが問題解決に向けて注目したのは、土壌の存在でした。
土は、二酸化炭素を固定する役割をしています。専門家の研究から、土の健全性が土壌環境、そして水域の健全性にも影響することが分かりました。地球の面積の30%が陸地ですが、そのうち人間が居住可能な場所は約70%。私たちはその半分を農地として使っています。農地の扱い方を変えることは、地球全体に影響すると考えています。
現代の工業型農業が引き起こす「砂漠化」も、気候危機につながる問題のひとつです。特定の野菜だけを大量に収穫するために、化学薬品を使用して他の植物を殺した結果、土中の微生物や養分が絶え、砂漠のように乾燥した何も育たない土地をつくり出してしまいます。特にアメリカなど大陸では、砂漠化すると他の場所へ移動し、同じことを繰り返してきた歴史があります。
近藤さん 砂漠化すると二酸化炭素を固定することもできず、悪循環を生むだけです。人間が口にするものの約95%は直接的あるいは間接的に土に由来していますので、私たちは土を健全に保ち、安全な食べ物を育てることが、地球にも人の健康にも大変重要なことだと捉えています。
ただのオーガニックにあらず。
さらなる高みを定める
パタゴニアが推進するのは、生態系を壊さずに、回復する力を持つ土壌で農業を営むことです。それは、有機農業(オーガニック)の圃場を、さらに土壌の健全性を高めた農地に転換すること。具体的には、土壌微生物や水分量を保つためになるべく耕さない「不耕起」であることや、多様な植物を育てて特定の養分が欠乏しない「輪作」であること、または、畝間や表土を緑肥植物で「カバークロップ」することなどです。
これらを「リジェネラティブ・オーガニック農法」と呼び、2017年、他の団体とともにボードメンバーとして「リジェネラティブ・オーガニック認証」を立ち上げました。
なぜ有機農業(オーガニック)ではこと足りず、認証制度までつくる必要があったのでしょうか。
近藤さん 2010年頃から、環境課題解決において農業が重要な役割を果たす可能性があるとして、世界的なレポートなどで注目される一方、その多くは概念的なものでした。
オーガニック、リジェネラティブ、カーボンファーミングなど、新しい言葉はたくさん生まれましたが、定義がなく概念だけが先行してしまうと、どんな栽培なのかが不透明なままになりかねません。管理法が定義されていないために、オーガニックではあるけど水耕栽培であったり、リジェネラティブと名乗って不耕起ではあるけど農薬や遺伝子組み換え作物も使っている、といった事態を引き起こしています。どんな目的で、何をどうすれば土壌の健全性が担保できるのか、しっかり定義していく必要性があったのです。
近藤さん パタゴニアは、約30年前にオーガニックコットンに切り替えた時から、信頼と透明性を保つために第三者機関に認証されたオーガニックコットンを使っています。またフェアトレード認証の衣類も同様です。当然、農法にも定義と裏付けが必要だと考えました。
まずは、リジェネラティブ・オーガニックと言える農地とは、どういう状態を指すのかを明確にする必要がありました。試験的な実証プログラムを進めながら、現場の農家さんたちの声を集め、時間を掛けて定めた上で、リジェネラティブ・オーガニック認証をつくったんです。
長年オーガニック農業を推進するアメリカの研究所、ロデール・インスティテュートと、オーガニック石鹸のメーカー、ドクター・ブロナーとともに、2017年、ROアライアンスを設立。同アライアンスからの世界認証として「リジェネラティブ・オーガニック認証」を立ち上げます。
略して、RO(アールオー)認証、またはROC(ロック)と呼ぶ人もいるという同認証は現在、10以上の団体がアライアンスに参画。厳格な基準を満たした認証農家も増えました。しかしパタゴニアの立場はあくまでも、ボードメンバーの1企業であり、認証はパタゴニアのものでもなく、日本における窓口業務をしているわけでもありません。役割はボードメンバーとして意思決定に参加すること。さらに、認証の内容をより幅広く対応するよう更新する役割としても動き出していました。
日本での認証を実現するための
2つの課題
近藤さん 認証制度はできたものの、日本の私たちにとってチャレンジなことは、日本国内にリジェネラティブ・オーガニック認証を監査できる団体がないということです。現時点では、日本の農家さんが認証を受けたいと思っても、全て英語で申請する必要があったり、海外から監査団体を連れてくることになり、それはコスト面からも困難なことです。
近藤さん もうひとつ、欧米諸国における農地管理と、日本を含むアジアモンスーン地域の農地管理では、あまりにも環境条件が異なることも課題です。日本は北から南まで、年間平均で40度以上の寒暖差があり、雨量も大陸の2倍。グローバル認証とはいえ、全てをそのまま適用できるとは言い難いと思っています。
しかし同時に、日本でもリジェネラティブ・オーガニック認証を受けた実例をつくることはとても大切だと考えています。実際に認証された農地がないと、リジェネラティブ・オーガニックの概念だけが進んでしまいかねないからです。現状の要件内容に対して、日本の環境下ではどんなチャレンジがあるのかを実際に経験して見極めていくために、今は国内のパートナー農家さんと一緒に取り組んでいるところです。
畑作と水田で、国内4軒の生産者とともに、リジェネラティブ・オーガニック認証のフレームワーク(枠組み)を検証し、新たな要件の追加や定義の補足などが改善されるよう、パタゴニアも生産者をサポートしています。
日本においては過渡期とも言える今、認証を目指す段階にあるパートナー農地で栽培された作物をいかして、すでにプロビジョンズから販売されている製品もあります。
採れた作物をいかし、ROプロダクトが誕生
近藤さん アメリカ本社から、プロビジョンズのビールやワインに続いて「天然発酵のコレクションを増やしたい」という意向を聞いた時、個人的には密かに「それなら日本酒がいいんじゃないか」と考えていたら、アメリカ側のリサーチで千葉県の蔵元である寺田本家の名前が挙がり、日本酒をつくることになったんです。
リジェネラティブ・オーガニック認証を目指す兵庫県豊岡市の「コウノトリ育む農法」のお米をもろみに加える「掛け米」としてもらい、2022年からプロビジョンズオリジナル自然酒「繁土(ハンド)」として販売しています。また福島県で300年続く蔵元、仁井田本家さんでは、自社田でのリジェネラティブ・オーガニック認証を目指していることから、その田んぼで採れたお米をいかして仕込んでくれました。こちらはオリジナル自然酒「しぜんしゅーやまもり」として販売しています。
近藤さん どんな製品をつくりたいかというよりも、まずリジェネラティブ・オーガニック認証を目指す農地があって、そこで採れた作物が先にあるんです。その原材料をいかすストーリーとして、僕らが伝えたいことは何かと考える。それをつくり手の方々に相談した製品が、お客様に届けられています。
そして2024年春、新たに発売になった製品は、お味噌でした。
近藤さん 千葉県匝瑳市に、ソーラーシェアリングで有機農業をしているThree Little Birds合同会社というパートナー農家さんがいて、彼らの大豆をいかすことを考えました。そこでは2021年から、私たちと一緒にリジェネラティブ・オーガニック認証を目指し、大豆栽培を始めていたんです。3年目となった圃場では、大豆の収量は全国平均の同等以上まで増えました。
大豆をお味噌にしてくれたのは、福井県越前市のマルカワみそさんです。以前からマルカワさんのお味噌のおいしさは知っていたのですが、実際にお邪魔してお話を聞くと、お味噌をつくるだけじゃなく、日本の農地を守ることにも熱い思いをもっていました。このお味噌は、マルカワさんで自家採取された蔵つき麹菌を使い、玄米麹と白米麹を使っています。20ヶ月間の長期熟成で、しっかりとした味わいの合わせ味噌になりました。
小さくも強い存在として
旗を振る
今後のことを尋ねると、近藤さんは「波紋を拡げる石でありたい」と教えてくれました。
近藤さん 世界全体の市場規模から考えたら、パタゴニアの事業規模はまだ小さいものです。しかし環境意識から行動を起こし、社会的インパクトを出しながら利益を出してきました。その成果を見て、市場を占める巨大企業が数パーセントでも変化することがあれば、地球環境への効果は絶大なものになります。小さな石かもしれませんが、小さくても強く、たくさんの波紋を拡げるような存在でありたいです。
近藤さん 服をつくってきたパタゴニアが食品事業に挑戦していることは、業界を問わずに全ての企業が取り組めることでもあり、もっと言えば、食事をする全ての人がこのアクティビズムに関わることができると思うんです。そうやって、本当の変化を起こしていきたいです。
リジェネラティブ・オーガニックの活動を始めて以来、思いを同じにする農家さんや料理人とのご縁が増えたという近藤さんは、「同じ気持ちの仲間がいることが心強い」と言います。
気候危機を回避する手段が、日本の土壌からもはじまっています。いつか歴史を振り返った時、この認証が革命のはじまりだった、となるのかもしれません。
(撮影:ベン・マツナガ)
(編集:村崎恭子、増村江利子)