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“大切な人を失う怖れ”と、どう向き合うか。入江杏さんと「喪失のカレンダー」をつくることを通して気づいた、別れの光と影

この記事の中には、身近な人との死別を想起させる記述があります。そうした内容により精神的なストレスを感じる方は、ご無理のない範囲でお読みください。

多くの人があたりまえにやっているのに、自分にはむずかしいことがある。

レジ打ち、通勤、人の名前を覚えること、などなど。たくさんあるなかでも、ながらくコンプレックスだったのが、「他者と親密な関係になれないこと」だ。

10代後半から20代半ばまで、恋人ができなかった。

僕が大学生になる少し前、『オレンジデイズ』というドラマが流行った。大学生たちの、ザ・青春!というかんじのキャンパスライフを描いた作品である。

「あんなのドラマのなかだけだろう」と思っていたのだが、ところがどっこい、僕が大学に入ると、キャンパスのベンチではカップルがささやきあい、授業では「消しゴム落としましたよ」から恋が生まれる(友人の実話)、眩しすぎて直視できない光景がひろがっていたのだ。

そんなオレンジデイズをしりめに、僕はといえば、しなびたミカンみたいな日々を送っていた。

気になる人と、いい感じになることはある。しかしそのたびに、得体の知れない影が、耳元でささやく。「付き合うってことは、いつかは別れがくるんだぞ。その悲しみに、お前は耐えられるのか?」と。

いや、むりむり!という結論になって、けっきょく関係はうやむやになる。そんなことを繰り返していたのだった。

いまだに僕の中に、あの影がいる。「誰かと親密になることは、別れに身を投じることだぞ」と語りかけてくる、あの「喪失の影」が。

でも、別れの可能性に身を投じることができなければ、親密な関係には踏み出せないのだ。僕は、「ほしい家族をつくる」ためにも、喪失の影ときちんと向きあわなければいけない、と思っていた。

でも、どうやって?

話を聞いてみたいと思ったのが、入江杏(いりえ・あん)さんだ。

入江さんは、「グリーフ(喪失の悲しみ)」と向き合いつづけてきた人だ。上智大学グリーフケア研究所の非常勤講師やグリーフサポートに係る行政の委員などを務める一方、自身でもケアミーツアート研究所の代表として、グリーフケアの啓発や実践に取り組んでいる。

入江さんは、2000年の年末に発覚した世田谷事件の遺族のひとり。事件によって妹一家四人をうしない、その10年後、突然の病気で最愛の夫を、その翌年には母親を亡くしている。

そんな入江さんは、こう語っている。

「悲しみも、生きることの一部。悲しみさえ生きる力になることもあると思うんです」

悲しみが、生きる力になる。いったいどういうことなんだろう?そこに、僕が「喪失の影」と向き合うヒントがある気がした。

喪失の悲しみは、特別なものではない

寺に続く長い階段を上がると、たくさんのお墓が見えてくる。しかしふしぎと、いやな感じはしない。生者の世界と死者の世界のあわいにあるような、独特な雰囲気が、この街にはあるのだ。

東京、池上。街のシンボルでもある池上本門寺の、入り口の近くにあるカフェで、僕は入江さんにうちあけた。

「これまでの人生を振り返ると、家族みたいな親密な関係を築くことに、1歩踏み出せないんですよね。それは、たぶん『大切な人をうしなうこと』が怖いからなんです」

うん、うん、と頷きながら、入江さんはただひたすらに聞いている。

入江さんとは、彼女が毎年年末に開催している「ミシュカの森」というイベントで出逢った。もともとは世田谷事件で亡くなった妹さんたち一家を追悼する集いとしてはじまったが、今では、当事者に限らずさまざまな悲しみについて考え、共有・分有する場所へと広がっている。

「家族の連載、素敵ですね」と言ってくれた入江さん。オープンマインドな方と、感じた。

そして取材をお願いして、こうしてお話している、というわけである。

入江さん 喪失へのおそれは、誰にもある。私にだってありますよ。悲しみについて語ったり、本を書いたり、講演したりしていると、強い人なんだって勝手に思われちゃうこともあるけど…。人って、「悲しいとき」と「悲しくないとき」、「楽しいとき」と「楽しくないとき」っていうように、ひとつの感情だけに支えられているわけじゃない。そして、悲しみもまた、ひといろじゃない。山中さんにもそんな感覚があるんじゃないかしら。

これまで大きな喪失(喪失に大小や軽重はないのだが)を経験してきた入江さんの、その言葉は、少し意外だった。

「『グリーフ』は、決して特別なものではないんです」と入江さんはつづける。

入江さん 喪失を経たときに、悲しいとかくるしいとか、あるいは怖いとか感じるのは、誰にでもある日常の体験。ごく自然な反応なんです。恋人と別れたり、友だちと離れなければならなくなったときに、そんな感情を持った経験、山中さんにもありませんか?

「グリーフ」は、日本語で言えば「喪失に伴う悲嘆」。それまで僕は、死別に伴う悲しみのことだけをあらわすのだと思っていた。だけど、それだけではないらしい。入江さんは著書で次のように書いている。

グリーフとは喪失にともなう悲嘆のこと。所有していたもの、大切にしていたもの、愛着を抱いていたものを奪われる、手放す喪失は、人間関係、学校、仕事、環境、所有物、病、身体の一部、目標、計画などをめぐって生じる、さまざまな日常の体験です。

それは、日常、特別でないと感じている場面や風景の中にも、悲しみに苦悩する人がたくさんいることを意味しています。
(『わたしからはじまる』18頁)

そういえば僕も最近、お気に入りのマフラーをなくして、落ち込んでいた。安物だし、マフラーなんて、他のを買えばいいじゃん!と思われるかもしれない。だけど僕にとっては唯一無二で、首元を鏡で見るたび、「あぁ、ほんとにないのか…」と、さびしくなるのだった。

僕らは大なり小なり、グリーフを日々抱えて生きているのかもしれない。

取材を快く受けてくださった入江さん

悲しみは、生きる力になる

喪失の悲しみは、特別なものじゃない。いや、それ以上に、「悲しみは生きる力になるのだ」。入江さんの語りに触れた人たちは、そう感じるのかもしれない。

入江さんは著書『わたしからはじまる』で、批評家の若松英輔さんが教えてくれた「かなしみ」のさまざまな表現を紹介している。

「悲しみ」は、宮沢賢治が詩に用いた「悲傷」が示すように、身が砕かれそうになる思い。
「哀しみ」は、他者のかなしみを自分のそれのように感じる働き。
「愛しみ」は、愛するものの喪失による愛の発見。
「美しみ」は、かなしみの底にひそむ美。
「愁しみ」は、中原中也がよく用いたもので、自己のかなしみを超え、歴史の、あるいは人類のかなしみに触れたときの心持ち。
(『わたしからはじまる』123頁)

この5つのかなしみが、異なるものとして存在するのではなく、折り重なるように存在している。そして、若松さんは「悲しみは、全く忌むべきものではありません」と、入江さんが著書『悲しみを生きる力に』(岩波書店)に書いた一節を引いて、そう語ったという。

人生には悲しみの扉を通じてしか見えないものがある。悲しみは、確かに耐えがたい。ですが、悲しんでいるときほど、悲しみの原因と深くつながるときはない。だからわれわれの魂は、悲しみのときほど、その失ったものと最も深く結びついているとも言えます。
(『わたしからはじまる』124頁)

「人生には悲しみの扉を通じてしか見えないものがある」。その言葉に触れたとき、はっとした。なにしろ僕は、悲しみを避けてきた。悲しみは、すこやかに生きることをはばむ、落とし穴のようなものだと思っていたのだ。

悲しみは落とし穴じゃなく、扉なのか。だとしたら、その扉をひらいてみれば、これまで知らなかった景色が広がっているのかもしれない。

あとで、僕がグリーフケアを勉強する中で知った考え方だが、ニーマイヤーという心理学者は、「構成主義」の視点からグリーフを捉えている。ざっくりといえば、「グリーフのプロセスで大事なのは、意味の世界の再構成である」という。

つまり、喪失の悲しみを通して、その人はそれまでの世界のとらえ方をあたらしくしていくことができるのだ。

悲しみだと思っていたことが愛しみに、別れだと思っていたことが出逢いに、欠点だと思っていたことが美点になる。悲しみの扉のむこうには、そんな世界のとらえ直しがあるのかもしれない。

喪失体験を振り返る「ロスライン(喪失のカレンダー)」

どうしたら、これまでに経験した悲しみの扉をひらくことができるのだろう。

「いろいろな方法がありますけど、ロスラインという作業は、ひとつのきっかけになるかもしれません」と、入江さんが教えてくれた。

「ロスライン」は、別名「喪失のカレンダー」。これまで経験した悲しみを受け止め、手放すためのワークのひとつだそうだ。

入江さんによると、ロスラインはこれまでの人生の喪失体験を書き出すもの。喪失体験とは、死別だけではなく、何か大切なものをうしなったと感じた体験のこと。そして、書き出した「喪失」の出来事に加えて、「人生の実り」「授けられた・与えられたもの」と思われる体験もあわせて書き出してみる。そうすると、「生きていくなかで何かをうしなうと同時に何かしらを得る」ということが、目の前に立ち現れてくるようだ。

方法はいろいろあるらしい。たとえば無地の紙に直線を描いて、0歳から現在まで、あるいは、中学から高校までなど、その間の体験を書いていくのもひとつ。可能であれば、その時に生じた気持ちと、現在への影響も書き入れてみる。言葉で表現することがむずかしければ、絵でもいい。

悲しみに折り合いをつけるために、自分の気持ちに蓋をしたりしないことや、感じた痛みを見過ごしたり、なかったものにするのではなく、そのときの気持ちをそのまま受け止めることが大切なのだそうだ。つらかった気持ちを無理やり何かに変換せず、つらかったと認めることが大切ということなのだろう。

だからこそ、このワークに取り組んでいるときに、怖さを感じたり、「続けたくないな」と感じたりしたときには、無理する必要はない。たしかに、自分の気持ちに背いて続けていくと、余計にしんどくなってしまいそうだ。

入江さんが、はじめてロスラインをつくったときは、紙の真んなかに線を引き、線の上に「ロス(うしなったもの)」、下に「ゲイン(与えられたもの)」を書いていったらしい。喪失を意味する英語の「ロス(loss)」に対する「ゲイン(gain)」。ゲインの「手に入れたり獲得したりする」という日本語には馴染みづらいが、これは、得られたもの・授けられたものという意味。これらの両方を書き込んでいった。

取材に同席していた、ケアミーツアート研究所の神谷祐紀子(かみや・ゆきこ)さんが補足してくれた。

神谷さん 生きていくうちには、何かをうしなう経験と何かを得られたと感じる経験のいずれもがあります。また、同じ出来事のなかに、うしなったものと得られたもの・与えられたものがあることに、気づかされることも。

そして、その出来事を経験したときに、同時に両方の感情を覚えるということだけではなく、ずっとあとになって、「あれは喪失体験だったけれど、得られたものもあった」と感じることもあると思うんです。もしかしたら、山中さんにも思い当たること、あるのでは?

たしかに、喪失体験を通してうしなったものだけじゃなく、恵まれたものについて書いていくと、あたらしい気づきがありそうだ。

神谷さん ロスラインの作業って、「自分自身をもう一度受け取ること」じゃないかなって思うんです。この作業をすることで、自分にとってかけがえがない存在がなにか、気づかされる瞬間があるんじゃないかって。

なるほど。悲しみを恐れるあまり、喪失体験から目を背けると、その喪失体験で生じたさまざまな感情や、発見までも見落としてしまう。

だから、喪失体験を振り返ることで、見落としたものをもう一度受け取って、自分に統合する…それがロスラインの作業なのかもしれない。

悲しみを通じて与えられるものもある

僕もロスラインを書くことにした。

無地の紙に線を引き、0歳から現在まで、思いつく喪失体験を書き出す。そして、線の上に「ロス(うしなったもの)」、下に「ゲイン(与えられたもの)」を書いていく……。(取り組む際、ロスラインについて書かれている井手敏郎さんの書籍『大切な人を亡くしたあなたに 知っておいてほしい5つのこと』も参考にした)

一部を抜粋すると、こんな感じになった。

3歳ごろ 
失ったもの:叔父と叔母、祖母の家に預けられ、両親と離れて暮らす。
気持ち:見守ってくれる存在がいない孤独感。
与えられたもの:「ふつうの家族像」への違和感。頼れる人がいないぶん、自分という対話相手ができた。
15歳
失ったもの:初めてできた彼女との別れ。
気持ち:「また独りになってしまう」という絶望感(過呼吸になってやばかった)。
与えられたもの:「親密になったら、別れがやってくる」という気づき。
23歳
失ったもの:友だちと、突然連絡がとれなくなる。
気持ち:「なんで?」という困惑。
与えられたもの:「別れは突然やってくる」という気づき。
34歳
失ったもの:パートナーとの別れ。
気持ち:寄りかかれる存在がなくなってしまった絶望感。
与えられたもの:つらいときにたくさんの人に支えられることで得た、「見守ってくれる存在がいる」という気づき。

入江さんは、僕が書いたロスラインをじーっと見つめていた。そして、こう口を開いた。

入江さん あのね、さっき、別れが怖いっておっしゃってたでしょう。でも、その怖さはなくさなくていいのかな、と思うんですよ。

喪失への恐れは、なくさなくていい?

入江さん 山中さんが書くものの中に、もしかしたら実りとしてあらわれてるのかもしれない。それは、山中さんが意識していなくても…。たとえば、この連載を書いてらっしゃるのも、喪失への恐れでもあるかもしれないけれど、大切の人のかけがえのなさ、愛おしさとどこかつながっているんじゃないのかしら。

……ああ、そうか。

僕は小さい頃から、見守ってくれる存在を求めていた。ほんとうに、切実に。

誰かと親密になると、いっとき見守ってくれる存在がいる安心感を得ることができる。けれど、それが失われたときの絶望感は、とてつもない。こたつでぬくぬくしていたら、いきなり床が抜けて滝つぼに真っ逆さまに落ちる、みたいな感じなのだ。

10代の頃、そのショックを経験してから、「二度とあんな思いはしたくない!」と、誰かと親密になることを必死に避けた。「お前は別れに耐えられるのか?」とささやく「喪失の影」は、そうして生まれた。自分を、ショックから守ってくれていたのだ。

が、30歳を超えて、ひとりでは生きていけない、と痛感した。どうしたら、他者と生きることの喜びも、悲しみも引き受けて、生きていけるか。その試みが、「ほしい家族をつくる」の実践であり、この連載だったのだ。

入江さん その悲しみや、悲しみへのおそれが、ときに輝いたり、他人といろんなひびき合いをするから。とても大切な感覚ですよね。

喪失の経験がなければ、この連載を始めることもなかった。これまで取材させてくれた方々と出逢うことも、入江さんと話すことも、こうして文章をたくさんの方に読んでもらうことも。

これまで、ただおそろしいものとして目を背けてきた、「喪失」というもの。そのイメージが、すこしずつ変わってきていた。

喪失は、ただ自分から大切なものを奪うだけのものではない。

喪失は、大切な存在のかけがえのなさへの気づきや、それまでとはちがう考え方、あたらしい出逢い、なにかを美しいと思える感性…そうしたたくさんのものを与えてくれるものでもあったのだ。

そんなこといったって、別れは怖い。だけど、「喪失は落とし穴ではなく、扉なんだ」と知れたことは、これからの「ほしい家族をつくる」実践に前向きな影響をもたらしてくれる気がする。

出逢いと、そのあとにやってくる別れ。その扉のさきに、どんな景色がひろがっているのか、見てみたい。そう思いはじめている自分がいた。

悲しみに共感しあうコミュニティ

ふぅ、と一息ついた。窓の外ではすっかり陽が傾いていた。

ロスラインのワークを終えて、あらためて思ったのは、「喪失の悲しみ」とひとりで向き合うことはむずかしい、ということだ。

入江さんのひとことで喪失の意味がみえてきたように、自分だけでは気づけないこともある。蓋をし続けてきた過去の体験にもう一度ふれることで、痛みを感じることもある。だから、「喪失の悲しみ」とひとりで向き合うとつらさを抱えきれなくなってしまうこともあるそうだ。

かつての日本だったら、多世代が同居する家族や地域社会のつながりがグリーフケアの場になっていた。けれど、今では世帯規模の縮小や地域コミュニティの衰退によって、そうした悲しみを受け止める場がうしなわれてきている。

「だからこそ、他者の悲しみに触れ、共有・分有することができる場をつくっていきたいと思っているんです」と、入江さんが教えてくれた。

入江さん 個人が悲しみと向き合うことは大事。だけど同時に、社会や地域の側が「悲しみを、抱え込まなくていいんだよ」と個人を支えることもすごく大切だと思うんです。そういう地域や社会をつくっていければな、と思います。

入江さんは今、場づくりに向けて準備中らしい。気軽に訪れることができる場所、困りごとを抱えているときに、互いに手を差し伸べる、そんなかかわりが生まれ、育まれる場所。

入江さん そういう居場所があったら、悲しみの前ではあわあわしいかもしれないけど、一筋の光になるかもしれないと思っているんです。

悲しみを語れる場所がある。そう思えたら、喪失へのおそれもすこしやわらぐ。そのことは、今回の取材を通して実感した。そういえば今日は、入江さんに僕の悲しみを語れた時間だったな。

取材を終えて、「せっかくなので」ということで、池上本門寺の境内に行くことにした。

まわりにはたくさんのお墓がある。この場所には、数しれない別れの記憶がつみかさなっている。でも、不思議といやな感じはしない。それは、このまちにいる人々は、悲しみをわかちあっているからかもしれないーー今なら、そう思える。

「素敵な場所ですね」と入江さんが言う。「そうですね」と僕もこたえる。

僕らは境内からまちへと続く階段を、ゆっくりと下りていった。

参考文献

井手敏郎『大切な人を亡くしたあなたに 知っておいてほしい5つのこと』自由国民社,2020
入江杏 著『わたしからはじまる 悲しみを物語るということ』小学館,2022
同 著『悲しみを生きる力に 被害者遺族からあなたへ』岩波書店,2013
同 編著『悲しみとともにどう生きるか』集英社,2020
Neimeyer R.A「Lessons of Loss: A Guide to Coping」2002(ニーマイヤー,R.A著 鈴木剛子訳『「大切なもの」を失ったあなたに―喪失をのりこえるガイド』春秋社,2006)

(編集:佐藤伶)

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