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禿山に植樹を続け、象の群れが帰ってくるまで豊かな森に。 フェリシモが生活者とともに続けてきた森づくり

[sponsored by 株式会社フェリシモ]

昨今、持続可能な社会の実現に向け、個人だけではなく企業としても、積極的に社会貢献活動に取り組むCSR(Corporate Social Responsibility)の必要性がますます叫ばれています。しかし、利益目的ではないCSRの取り組みを、重要な経営戦略として定着させていくことは簡単ではありません。

そんななか、兵庫県神戸市に拠点を置く大手通信販売会社「株式会社フェリシモ」では、今ほど社会貢献活動に対して人々の意識が向けられていなかった時代から、生活者に最上級のしあわせを届ける一つの方法として、数多くの社会貢献活動をお客さまとともに行ってきました。

今回はその活動の発端となった「フェリシモの森基金」について、フェリシモ基金事務局の湯本京子(ゆもと・きょうこ)さんに詳しくお話を伺いました。

1990年、一人の社員の願いから始まった森基金

増村 まずはじめに「フェリシモの森基金」とはどういった活動なのか、教えていただけますか?

湯本さん フェリシモはこれまで、数多くの基金活動を行ってきましたが、1990年に先陣を切って発足したのが「フェリシモの森基金」です。次世代の子どもたちに緑豊かな地球を残すため、世界各地の森づくりを応援したい。その想いにご賛同いただいたお客さまから、毎月のお買いものにプラスして森づくりのために100円を寄付していただくといった内容です。たった100円から参加できる基金ですが、これまでにお預かりした基金の累計は4.6億円、植樹された木は2866万本を超え、国内外あわせて43の「フェリシモの森」が誕生しています(2023年3月時点)。

増村 1990年というと、地球サミットの2年前、さらには京都議定書の7年前。まだ「環境問題」や「環境保全」といった言葉が一般の人々のなかには浸透していなかったような気がします。

湯本さん はい。ちょうど砂漠化や気候変動の問題が取り上げられ始めた頃だと記憶しています。「フェリシモの森基金」の発足人である星正(ほし・ただし)は以前からフェリシモとお客さまの関係性の深さを感じていました。あるときお客さまからの「地球環境のために私たちにできることはないか」というお声を受けて、地球や将来世代のために、お客さまと一緒に取り組めるアクションがあるのではないかと考え、「ウォールデンクラブ」という、緑と暮らすライフスタイルを提案するブランドを立ち上げました。苗や鉢植えを販売し、商品価格の一部を「緑と水の森林基金」に寄付するというフェリシモで初めての社会貢献型のブランドでした。その延長線上で、もっと主体的に自分たちで森づくりを応援していきたいという熱い想いから始まったのが、一口100円で参加できる「フェリシモの森基金」だったんです。

最上級のしあわせは、しあわせの贈り手になること

増村 より良い未来のために社会に対して自分もなにかしたいけれど、問題が大きすぎて何から手をつけていいのか分からないという人にとっても、一口100円で社会貢献ができるというのは、一歩目としてとても魅力的ですね。

湯本 実は、私もフェリシモを知ったきっかけが「フェリシモの森基金(以下、森基金)」だったんです。当時学生で、たまたま友人が見せてくれたフェリシモのカタログ『はいせんす絵本』の中に「森基金」の案内を見つけました。最初の植樹先にフランス、ブルゴーニュ地方のマルスネー村が選ばれました! といった内容でさらなる参加者を募っていたと思います。毎月100円で地球を緑でいっぱいにすることに自分が役立てるなんて、とても素敵だなと思いました。すぐに友人と一緒に「森基金」に参加し、それをきっかけにフェリシモで雑貨や服も購入するようになったんです。

基金をスタートしたころは、それほど大々的な告知を行っていなかったにもかかわらず、瞬く間に2万口を超えるお客さまからのお申し込みがあったそうです。その後も順調に参加者が増えていきました。今思うと「基金に参加してもらって終わり」ではなく、みなさまからお預かりさせていただいた基金が、どのように役立てられたかまでを、ていねいに伝え続けるコミュニケーションができていたからかもしれません。

増村 どのような方法でお客さまにお伝えしていたのでしょうか?

湯本さん 年に2回ほど「ウォールデンクラブ」のレポートを全てのお客さまに届けていました。フェリシモの森の生育状況から次回の植樹先のお知らせ、さらにはその土地にはどういった課題があって、植樹することによって何を解決できたのかなど、こと細かに森づくりについてお客さまに報告し、お客さまのお声も載せているものでした。

当時お客さまにお届けしていた『ウォールデンクラブ』

増村 それはまさにフェリシモらしいですね。フェリシモの掲げる「ともにしあわせになるしあわせ」は、誰もがしあわせの創り手となり、贈り手になれるということを含んでいますよね。そのカタログによって、自分がしあわせの贈り手になれたという実感を多くのお客さまが持たれたのではないでしょうか。

湯本さん そのとおりです。お客さまからいただいたたくさんのメッセージを読んでいても、その様子がよくわかります。「1本の木から広がり、大きな森になる喜びを一緒に味わえることがとてもうれしい」や「10年間こつこつと続けてこれたことをうれしく思います」、「地球のため、自然のために何ができるのかわからなかったけれど、たくさんの人が集まるとできることはたくさんあるんですね」といった喜びに満ちた声ばかりで、紙面を通して生き生きとした熱いやりとりが交わされていました。だれもがしあわせの贈り手になれる、そのきっかけをフェリシモがつくったり、想いをつなぐことができると実感できたかけがえのない経験だったと思います。30年前からそんな関係性をお客さまと創ることができていたなんてすごいですよね。フェリシモを信頼してくださるお客さまの期待にしっかりお応えしたいとあらためて思います。

「象の恩返しプロジェクト」で本当に象が森へ帰ってきた

増村 これまでに43の「フェリシモの森」が誕生したとのことですが、そのなかでも特に印象に残っている森はありますか?

湯本さん 1999年から基金でも応援させていただいている「インドの森プロジェクト」は、「森基金」を象徴する活動だと思います。当時インドでは砂漠化が深刻な問題になっていました。木を切って薪を作り燃料にしたり、家畜の放牧のために木を伐採したり。生きていくためには木を伐採せざるをえないけれど、それを続けることで森は減少し、土地が荒廃して人々の生活も貧しくなっていくという悪循環が生まれていたんです。フェリシモは自然農法の提唱者や現地で農村開発を行っている「タゴール協会」の方たちとタッグを組み、その悪循環に終止符をうって森を取り戻そうと動きはじめました。

植樹を始める前、禿山だった頃のインドの森

湯本さん 土地に合った木や、いずれ収入を得られるようにと、マンゴーの木やカシューナッツなど、実のなる木を植えたり、木を燃料にする場合は枝を切って使うよう指導したりと、なんとか良い循環を生み出そうと試行錯誤していたのですが、やはりはじめは上手くいきませんでした。ここでなによりも重要だったことは、木を大切に育てていくことが将来的に自分たちの生計を安定させ、子や孫の世代に豊かな暮らしを贈ることができるんだ、という意識をどれほど現地の人々が持てるかということだったんです。

森に成長するまでには時間がかかりますから、活動の意味を理解してもらうことが難しく、せっかく苗木を植えたのに目先の仕事が欲しいからとその苗木を抜いてしまう、なんてこともあったそうです。

増村 それはとても悔しいですね。そこから一体どのようにして人々の意識が変わっていったのでしょうか?

湯本さん 意識変革の大きな影響となったのは、現地の女性たちでした。というのも、当時インドでは男性が外に働きに出かけ、家事全般をこなすのは女性という体制が根強くありました。砂漠化による影響で近隣の水場がなくなり、生活に必要な水を調達するために女性たちは毎日遠くへと出かけていたそうです。それが、植樹が進むにつれてわざわざ何時間もかけなくても近くで水が汲めるようになり、落ち葉や枝が燃料として使える。森ができることによるメリットに女性たちが気づき始めました。女性が森を大事にし始めると、だんだんと男性たちの意識も変わっていったそうです。

増村 ただ植樹をするだけではなく、現地の人々の意識改革から生活基盤までをつくっていく。とても時間のかかることの一歩目を踏み出すその早さと勇気、そして継続して支援し続ける強さは本当に素晴らしいと思います。その後、インドの森はどうなったのでしょうか?

湯本さん 木を大切に育てていくという意識が人々のなかに定着し、禿山だった場所が時間をかけて緑豊かな森へと変化していきました。果実は収穫できるまでになり、次々と水のなかったところに水が生まれ、畑までできるようになったそうです。そしてなんと2006年11月には18頭の象の親子が森に帰ってきたと現地から写真つきで報告が入りました。

象の親子が森に帰ってきた様子(画像拝借先:https://www.felissimo.co.jp/company/contents/sustainability/makeaforest/forestfelissimo/

2006年8月ごろのインドの森。樹高は7〜8mに生長し、動物や鳥などが住むようになっています

湯本さん 実は「インドの森プロジェクト」は、インドの方々と想いを共有するため、「象の恩返しプロジェクト」と名づけられていたんです。戦後、日本の街が焼け野原になったとき、東京の上野動物園にインドから象が寄贈され、子どもたちの希望の光となって日本中が元気を取り戻したというエピソードがあり、日本からインドへそのときの恩返しをしたいとの想いが込められているのです。本物の象が帰ってきた! とインドでもこちらでも大騒ぎになりました。

人の手を適度に加えることで豊かな森を国内に増やしたい

増村 今後の「森基金」の方向性について、湯本さん自身の想いはありますか?

湯本さん これからは日本国内の森の保全や活用にも焦点を当てたいです。これは星の跡を継いだ前任者の願いでもあります。そして日本の森の循環の仕組みづくりを応援したいという想いもあります。いま日本の森林面積は国土の約7割を維持していて、森は減っていないんです。日本の抱える課題は木を植えてから、いかにそれらの森林を良い状態で維持していくか、ということだと分かってきたんです。

高度経済成長期に植えられたスギやヒノキなどの人工林はさまざまな事情で十分な管理ができていない状態の場所が増えてきています。

人工林に生えている針葉樹は、根が浅いので木が大きくなると地盤が緩みやすく、大雨が降った時の土砂災害の原因にもなります。手を入れられていない人工林を適切に管理することで、天然林のような状態に戻していくことや、さらに日本国内で木材を活用できる循環をしっかりとつくっていくために、これから「森基金」を通してお手伝いできることを考えています。

増村 針葉樹もあるけれど広葉樹もある、針広混合林のような森も含めて、本来そこにあった豊かな植生を戻していく、そんなビジョンを描かれているということですね?

湯本さん おっしゃる通りです。今年私も「森活部」の活動の一貫で、お客さまとともに神奈川県・三浦半島の「小網代の森プロジェクト」で実際に生態系の保全活動を続けていらっしゃる方々を訪問したのですが、自然のままに放置するのではなく、適度に人が手を加えることで豊かで美しい生態系が維持されていくということを、改めて強く実感しました。そういった活動をされている方々へのご支援も「森基金」ができたらと考えています。

増村 基金に参加するだけでなくお客さまも実際に現地にいって、活動に参加をすることは、かけがえのない体験になりそうですね。

湯本さん はい、とにかく空気が違うんですよ。一見するとありのままの自然かな、と思うのですが、本来の美しい森というのは実はそっと寄り添うように人の手が入っているものなんだと初めて知りました。山から海までつながっている生態系を一気に見ることができて、自然の豊かさを感じられる場所が都会からこんなに近くにあるなんて驚きです。今年も秋に「小網代の森」に希望者を募ってお伺いする予定です。春夏秋冬、美しいお花を見ることができますし、昨年は蛍の観賞会をセットにしました。「保全活動」と聞くと、どこか堅苦しくて限られた人たちが参加するイメージがついてしまいそうですが、そうではなくて、森へ行くことがわくわくするような、楽しいことだと実感していただける機会にしたいですね。

長い目で見ると、まずは森で遊んだり楽しむことから始まって、関心を持つ人が増え、そこから自分でも何か関わっていこうと思ってもらえたら。私たちがお客さまに教えていただくことも本当に多いので、お預かりした基金での成果をお伝えするというより、できるだけお客さまやパートナーの方々と一緒に考えて実践しながら、より良い未来を一緒につくっていきたいと思っています。

「小網代の森」で保全活動に参加するお客さまとの様子

増村 フェリシモさんは、お客さまを身近な存在として意識していて、ただの「売り手」と「買い手」の関係性を越えようとする工夫を常に考えていることが、今のお話からもひしひしと伝わってきました。

「森基金」から広がった、たくさんの100円基金

増村 「森基金」から始まった、その他の100円基金についてもお話を伺いたいと思います。毎月のお買いものと一緒にワンコインから参加できる基金の仕組みをつくられてから、その後、本当に数多くの「基金」が誕生していますよね。

湯本さん そうですね。「森基金」のすぐあとに始まった世界中の全ての人が自立して生きていけるよう、就労支援や教育支援を行う「地球村の基金」は代表的なものとなっています。

その他にも、お客さまのお声がきっかけで生まれた基金もあるんです。例えば、1995年の阪神淡路大震災当時、「なにか自分にもできることはないか?」といったお声や、応援のお声が数多く寄せられたことから義援金活動が始まりました。そのときの復興への取り組みの経験を生かして、「東日本大震災義援金基金」は発災後すぐに立ち上がり、たくさんのお客さまのご参加をいただきました。この基金は10年間続いたあと「もっとずっときっと基金」に改称し、今は全国の防災・減災などの取り組みを支援しています。

また、現在最も多くのご参加をいただいている「わんにゃん基金」も、「東日本大震災で被災地に取り残されてしまった動物たちを助けることができないか?」というお客さまのお声からスタートしたんです。この活動はその後の基金活動がさらに広がっていくきっかけになったと思います。

増村 なにか困りごとがあったとき、一企業に助けを求める人はあまりいないと思うんです。でもフェリシモさんでは、実際にそういったことが日常的に起きているんですね。それはつまり、それだけたくさんの人たちの気持ちに応え続けてきたという証なのではないでしょうか。常にお客さまの最上級のしあわせを考え、行動し続けるフェリシモさんが今後どういった社会を創造していくのか、ますます楽しみです。

(対談ここまで)

自分一人だけでは願いや祈りにしかならないことでも、一緒に歩むパートナーを見つけることで、それは現実味を帯びた夢へと変わっていきます。フェリシモではその一番のパートナーがお客さまであり、お客さまにとってもフェリシモは「企業」ではなくパートナーという表現が一番しっくりくるのかもしれません。いざというときには助けてくれる、親戚のような存在。

誰かにしあわせを届けることが自分のしあわせにも繋がっていく。その機会をつくり続けるフェリシモの姿勢から、企業の持つ力とその力の使い道について改めて深く考えました。

みなさんも、最上級のしあわせを受け取るために「森基金」はもちろん、ご紹介したフェリシモの基金をワンコインで始めてみませんか?

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(撮影:山下雄登)
(編集:増村江利子)

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