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エコバッグや紙ストローよりも“本質的な一歩”を実践してほしい。都会から美山に移住した若者が「田歌舎」から発信する、リジェネラティブな暮らしの術

お盆明け、まだまだうだるような暑さの続く大阪市内から車を走らせること約2時間。福井県との県境に位置する京都府美山町の「田歌(たうた)」と呼ばれる集落に着きました。

「あれ…?なんだか涼しい?」

車を降りると、そこにはすでに秋の気配を感じる爽やかな風が吹いていました。

四方八方、見渡す限りの山々に、キラキラと輝く川。古き良き日本の原風景が色濃く残るこの場所に、田歌舎はあります。

田歌舎が目指すのは、「自然を守り活かしながら暮らす」こと。農業・狩猟・採集・牧畜・建築などの自給的な暮らしを営みながら、この地を訪れる人に向けて、宿泊・レストラン・アウトドアガイド・自然体験・ジビエ獣肉販売を行っています。持続可能かつ再生的(リジェネラティブ)な暮らしの術を学ぶため、これまで多くの若者がここに集まり、学び、そして旅立ち、全国各所で新たな実践者として活躍しているといいます。

今回お話を伺ったのは「自分の暮らしを自分でつくりたい」そんな志を持って田歌舎の門を叩いた若者の一人、現在31歳の高橋大介(たかはし・だいすけ)さん。

冒頭の写真のように、道端にいた蛇をヒョイっと捕まえて笑う姿からは想像もできませんが、高橋さんは埼玉県さいたま市で生まれ育ち、田歌舎にやってくる2016年までは、東京のスタートアップ企業でバリバリ仕事をこなしていたそう。

そんな彼が24歳で都会を離れ、美山という場所で自給自足の生活を始めた理由、そして今、都会に住む人々に伝えたい「リジェネラティブ」について、田歌舎を案内してもらいながら、じっくり伺いました。 

高橋 大介(たかはし・だいすけ)
1991年埼玉県生まれ。2015年までIT企業「READYFOR」に所属し、国内のクラウドファンディングの流布に貢献。「自分の暮らしを自分でつくる」を叶えるため、2016年より京都・美山に移住し、自給自足の生活を送りながら「田歌舎」のスタッフとして働く。

自分が食べるものを自分でとるには?都会暮らしで生まれた疑問

高橋さん 仕事はめちゃくちゃ楽しかったんですよ。今思い返しても嫌だったことってほとんどないくらい。当時はクラウドファンディングなんて誰も知らなかったと思います。まだ世の中にないものを広めていく仕事はすごくわくわくしますよね。

日本で初めてクラウドファンディングサイトをつくった「READYFOR」の初期メンバーとして、東京で忙しなく過ごしていた高橋さん。大学時代に国際協力系のNPO法人「かものはしプロジェクト」でインターンをしていた際、NPOやソーシャルセクターの資金調達の難しさを実感したため、新たな資金調達の方法を広めようと、入社したそうです。

大学時代はインターンで、世界から児童買春を無くそうと活動する団体「かものはしプロジェクト」で日本国内の広報PRや資金調達面を担当していました

高橋さんは仕事に没頭し、日曜日に出勤して土曜日に帰宅する生活を2年間続けたと言います。

高橋さん ずっと会社にいましたね(笑)強制されたわけではなく、自分で望んでやっていたことです。経験も知識もなかったけど、バイタリティーだけは人一倍あって、クライアントがやりたいと思うことに対して、どのようなことをすれば目標金額が集まるか、必死に考える時間が好きでした。

やりたいことを仕事にし、充実した日々を送っていた彼が、都会を離れることを決めたのは、少しずつ感じはじめた、ある違和感を放置できなかったからだといいます。

高橋さん 楽しく働いていたし、そこに嘘はないけど、やっぱりだんだんと身体がガタガタになってきたんです。朝から晩まで長時間座りっぱなしでパソコンと向かい合って、食事もただ燃料を補給するようなイメージになっていました。睡眠も全然足りていなかったですね。

本来人間は明るくなったら起き、身体を動かし、美味しいものを食べ、暗くなったら寝るという、当たり前でシンプルな生活を送るべきなのではないか? と思いはじめた高橋さん。自らの生活を見直そうとするなかで、もうひとつの違和感を持ったと話します。

高橋さん 自分の食べるものを自分でとれないのって、もはや人間とそのペットくらいじゃないですか。人間以外のほぼ全ての生き物は自分の食べるものを自分でとって生活しています。僕は普段食べているものをどうやってとったらいいか分からないし、つくり方も知らない。人間は役割分担の生き物ですから、ほかの生き物と比較するのはお門違いかもしれませんが、少なくとも僕自身は地球で生きる一個体として、そこに不自然さを感じました。だったら自分でやってみるかと。

自分の暮らしを自分でつくる。田歌舎以上にしっくりくる場所はなかった

思い立ったらすぐ行動に移す高橋さんは、それから1年もたたないうちに美山への移住を決意。では、たくさんの移住先がある中で、なぜ美山、そして「田歌舎」だったのでしょうか。

高橋さん 僕、お肉を食べるのが好きで、まずはお肉を自分でとるところから始めようと思ったんです。でもなにせ都会育ちですから、現代の日本において狩猟なんてものがまだ存在しているとも思っていなくて(笑) 牛や豚を自分で飼って捌いて食べることをイメージしていたのですが、調べてみると個人でそれをするのは法律で禁止されていて、ほかの方法を探すなかで狩猟にたどり着きました。

そこから狩猟のできる移住先を探し始めた高橋さんですが、田歌舎との出会いは偶然だったといいます。

高橋さん ある日、出張で地方へ行く機会があったんです。そこで夜にみんなで飲んでいるとき、ふと狩猟に興味があることを話すと、その場にいた人が京都で開催される狩猟関係のイベント情報を教えてくれました。

そのイベントで田歌舎の人と出会い、人員募集中ということを知りました。「一回来てみたら?」と言われ、その2ヶ月後に初めて田歌舎に行き、3日間滞在しました。狩猟はもちろん、お肉以外の食べ物を採集したりつくったり、さらに建築の技術まで学べる。ほかの移住先も検討していましたが、「自分の暮らしを自分でつくる」にフォーカスしたとき、田歌舎以上にしっくりくる場所はありませんでした。

田歌舎のレストラン。もちろんセルフビルド。冬には真ん中の暖炉で薪を燃やして暖をとります

合鴨農法のための鴨たち。最後は美味しくいただくそうです

人間都合ではなく自然都合で変化していく田歌舎でのライフスタイル

高橋さんの移住から約8年。田歌舎での暮らしは、季節と天気に応じて変化していくといいます。

田歌舎の全体図。敷地内に宿泊施設やレストラン、解体所、食糧庫など10棟以上のセルフビルドの建物が並びます。田畑はもちろん、水道システムも整っているため水の自給率も100%

高橋さん 春は雪解けした山に山菜をとりに出かけ、それと同時にお米の種まきや野菜の種まきなど、農繁期に向けての畑作業。そして、5月初旬に田植え、山菜採りのピークを迎えます。6月はセルフビルドのために伐採して乾燥させていた材木を製材、建築する作業を中心に行います。

夏は宿泊の繁忙期、加えてラフティングや沢登りなどのアウトドアガイドをしていることが多いです。9月には稲刈りが始まり、それが落ち着くと暖房用の薪をつくるなど、冬に向けた準備をしていきます。

そして冬になればほぼ毎日狩猟です。メインは鹿、ときどきイノシシ、極稀に熊もとれます。天気の悪い日には、田歌舎のWEBサイトを整える事務仕事もしていますね。同じことをしている日はほとんどありません。実は飽き性なのでこういう生活があっているのかもしれません(笑)

この日は、もうすぐ完成するという堆肥舎を見せてくれました。

案内してくれた建築中の堆肥舎。あとは壁と床ができれば完成だそうです

高橋さん 僕たちは年間200頭ほどの鹿を捌くのですが、使いきれない鹿の骨や皮がどうしても出てきてしまうんです。今は穴を掘って埋めることで堆肥化させていますが、分解するまでにはかなりの時間がかかります。

でも、一定の日当たりと、赤土や葉っぱを混ぜることによって微生物が増えて発酵し、数ヶ月で分解して堆肥にできるということを教えてもらったので、堆肥舎をつくることにしました。これが完成したら田歌舎で出るほぼ全ての有機物が堆肥化できるんですよ。

まさに「自分の暮らしを自分でつくる」を実践する暮らしを送っている高橋さん。その追究には終着点がないようです。

暖房用の薪。木を山に取りに行くところから全て自分たちで行います

美味しい・楽しいの延長線上に人びとのアクションのきっかけをつくる

高橋さん 僕が美山に来て約8年、何よりも実感していることはどんどん山の状況が悪化しているということです。

山が悪化している…? 私は美山に来て山の美しさに感動していたため、高橋さんのその言葉に驚きを隠せませんでした。

豊かな植生の美しい山に見えますが…

高橋さん ぱっと見は美しく見えても、狩猟のために一歩山の中へ入るとボロボロなんです。それは鹿が根こそぎ草を食べてしまっているから。

種が落ちて新しい芽が出てきても、次から次へと食べられて何も育たない。山に植物がないと、大雨が降ったときに土砂が流れ込み川は濁流になります。そうすると、川の淵に土や石が埋まって魚が住むスペースも減っていく。

最終的には山が荒れているのでミネラルなどの栄養が海に届かず、プランクトンも減って漁獲量も減るという悪循環が生まれてしまう。今ある自然を放置するのではなく、適度に人間の手を加えて自然を保持しながら、再生させていくことが重要なんです。

それこそが「リジェネラティブ」の考え方。田歌舎の敷地では、山の環境を守るために鹿の個体数を減らすことはもちろん、敷地をぐるっとネットで囲い、鹿が入れないスペースをつくっています。そうすることで、これまでとれなかったミョウガや葉わさびなど山菜の採集数が少しずつ増えているそう。昔ながらの知恵を使った少しの工夫で、自然環境は再生していけるのです。

奥に小さく見えるのは、鹿の侵入を防ぐネット

しかし、田歌舎を訪れる観光客に向けては、そういった現状を理屈で伝えるより先に、まず「野菜って美味しい」や「自然で遊ぶのって楽しい」という実感を持ってもらうことを優先的に考えているといいます。

高橋さん 僕もそうでしたが、都会に住みながら自然を実感するのって難しいじゃないですか。最近はSDGsがうたわれていますが、自然の中で遊んだ記憶や自分で野菜をとった経験のない人に、自然環境の課題を自分ごとにしてもらうのは無理があります。だからこそ、自然を守りたい、もっと知りたいと思ってもらえるような原体験を田歌舎でつくってあげたいんです。

畑でとった美味しい野菜をそのまま食べたり、川に入ってたくさんの魚を見てもらったり、存分に自然を満喫してもらったあと、アウトドアツアーをしながら山の現状を伝えるスパイスをところどころに入れる。さらに興味を持った人には鶏や鹿の解体体験まで行っています。

鶏の解体体験には子どもが参加することも

高橋さん 特に子どもたちは興味を持つとすぐに「なんで?」ってなりますよね。なんでこの野菜はこんなに美味しいの? とか、なんで川はこんなに綺麗に見えるのに自然は悪化してるの? とか。そういった興味が知りたいと思う意欲につながり、なにかアクションを起こすきっかけになればいいなと思っています。

今回、数時間だけの滞在でも小さな気づきがありました。例えばお昼にいただいたランチにつけあわせとしてのっていたサラダ。玉ねぎやじゃがいもなど、普段家で料理するときには廃棄しがちな部分まで存分に使われているのです。食べてみるとどれも本当に美味しい。「これ、美味しいんだ」という気づきを得られたところから、普段の料理の仕方が変わってきます。

ランチでいただいた「鹿カバブプレート」。玉ねぎは白い部分が見えてくるまでの皮を廃棄しがちですが、ここでは茶色の部分以外は全て使われています。じゃがいもももちろん皮付き。美味しく食べられるのに過剰に廃棄してしまっていたことに気づきます

たくさんの実験をしながら発信していく“再生ラボ”になりたい

最近「自然と共生する」という言葉をよく耳にしますが、その真のあり方を知っている人はどれほどいるのでしょうか。実はとてもシンプルなことで、自然の都合に合わせて人間の生活を変えていくことなのだと、田歌舎は教えてくれます。私たちは、昔の人が当たり前にやっていたことから長く離れすぎて、考えることすらやめてしまっているような気がします。

高橋さんは、都市に住む人びとが持続可能な社会を目指して行っているアクションには少し違和感があるといいます。

高橋さん マイボトルを持つとかエコバックを使うとか、ストローをやめるとか、もちろんやらないよりはやったほうがいいんですけど、本質的じゃないなと思ってしまいます。

乱暴な言い方をすると、地球に与える悪影響をスローダウンさせているだけで悪影響は与え続けているじゃないですか。明らかに自然がダメージを負っていくスピードの方が早くて改善にはつながっていない。もっと環境を再生(リジェネラティブ)させるためにはどうしたらいいか? という視点で行動を変えていく必要があると思います。

とはいえ、いくらリジェネラティブに向けたたくさんのティップスが詰まった田歌舎であっても、できることには限界があるといいます。

高橋さん やっぱりどれだけ田歌舎が頑張っても、それは小さな力すぎてリジェネラティブの実現には到底たどり着きません。だから、環境を再生させるためのたくさんの実験をしながら、成功事例を世の中に発信する、そんな再生ラボのような存在になれたら嬉しいです。

それは「自給自足」という極端な方法だけではなく、色々な角度から実践できる事例を生み出して、そのなかから一人ひとりが自分にできることを真似してくれたらなと思います。自分で鹿は獲れなくても、まちで鹿肉を買うだけでも一つのリジェネラティブへの応援のかたちじゃないですか。それぞれができることをする、その起爆剤に僕はなり続けたいです。

田歌舎に入るとまず3匹の犬が元気よく出迎えてくれます。「かわいい!」と言っていると、すかさず「犬はみんな猟犬なんですよ」と高橋さん。そう言われるとたくましく見えます

今回、高橋さんの話を聞きながら、どこかほっとしている自分がいました。
というのも、最近、あらゆる社会課題に対して私自身がライターとしてできることの少なさを実感してしまっていたからです。

よく「小さなことでもみんなでやれば大きな力になる」というニュアンスの言葉を記事の締めに書いてしまうのですが、膨らんでしまった課題に対して、その小さな一歩のあまりの無力さに「なんの意味があるのだろう」と自問を繰り返していました。だからといって、小さな一歩以外の術を私は知らないのです。きっと、このジレンマを抱えているのは私だけではないでしょう。

そんななか、高橋さんが「小さな一歩だけど、もっと本質的な一歩を教えてあげるよ」と言ってくれているようで、なんとも言えない安堵感に包まれ、私はとても晴れやかな気持ちで都市部へと帰って来たのでした。

高橋さんと同じ暮らしをすることは簡単ではありません。でもその暮らしのティップスを自分の生活に落とし込むことはできます。

これまでとはちょっと違った自然へのアプローチ、高橋さんが教えてくれるようなリジェネラティブな実践を、あなたも試してみませんか?

(撮影:小黒 恵太朗)
(編集:村崎 恭子)