ハロー! ソーヤー海だよ。
今日は、「パトリアルキー」の話の続きをしようと思う。
パトリアルキーって、前も話したけど、日本語だと「家父長制」と訳される。でもポイントは、支配構造と、そこからどう自由になるかという話。だから家庭のことだけじゃなくて、会社や社会全体にも深く染みついている、システムのようなものなんだ。
例えば、こんなところにパトリアルキーが現れていると僕は思う。
「そんなの当たり前じゃない?」って思う人もいるだろうし、こういう状況を変えたいと活動している人も多いかもしれない。
例えば、この間、こんなことがあったんだ。僕がラジオ番組に出演するために六本木ヒルズに行ったとき、駅の改札を出たところで警察が立ってて、「怪しい人探し」をやってたんだよね。職質ってやつ。で、そこにはいろいろな人がたくさんいたのに「君、ちょっと来なさい」って僕が選ばれちゃったんだ。
そして僕は指示されるままに警官のそばに行っていた。「荷物を見せなさい」「名前を教えなさい」っていろいろな指示をされて萎縮したし、心拍数が上がって自分に選択肢もパワーもないことを感じた。やがて「なんで僕はあんな不愉快な状況に協力してしまったんだろう」と不本意な体験を引きずってしまったんだ。
こんなふうに、普段はそんなことないのに、自分より年上の人や自分より立場の強い人――親や先生、上司とか――が、強く指示をしたり怒ったりすると、こういう状態になってしまうことが多いんだよね。自分は本当はやりたくないのに、「言われたからやる」とか。
みんなもそういう体験あるんじゃない?
でもさ、なんで僕は、つい従ってしまうんだろう?
なんで自分の本音と違うことをやってしまうんだろう?
嘆くことで、支配構造から解放されよう
これを探求していくうちに、「Parenting without Obedience(従順さのない子育て)」という記事に出合った。これは、僕のNVC(非暴力コミュニケーション)の先生の、ミキ・カシュタン(Miki Kashtan)と妹のアーニナが、『Tikkun』という雑誌(2019年Vol.34, No 1に掲載)に書いたもの。
パトリアルキーと子育てが、どうして関係あるのか?
これって実は、とても興味深い話なんだ。
この記事は僕の謎をすごく解き明かしてくたものだったから、今日はみんなにシェアしたい。子育てをしている人だけでなく、子どもがいなくても人間関係に苦労していたり、自分に自信を持てなかったりする人にも、ぜひ読んでほしい。もちろん、平和な社会をつくっていきたい人にもね!
……だけど話を進める前に、「○○のせいだ!」みたいに、誰かを責めるつもりはないってことは、初めに言っておきたいんだ。
子育てや教育だって、僕たちは誰ひとりとして自分の親を選ぶことはできなかったし、自分の親の教育方針についても選択できなかったし、どんな人が自分にどんな教育をするかということも、特に幼い頃はほぼ選択肢がなかった。これは僕たちの親も同じだよね。
僕たちはみんな、ほぼ何も選択肢が与えられていない状況で、パトリアルキーの支配構造のなかに生まれ、その文化を躾けられてしまったんだ。僕たちは、たとえ悲劇的な結末になったとしても、そのとき知っている一番いい方法で、人生のいろいろな状況を乗り越えて、生きようとしてきた。
だから、これから話を聞いて、もし自分に当てはまったとしても、ぜひとも自分を責めないでほしいし、誰も責めないでほしいんだ。なぜなら誰かを責めることで何かを変えようとすることは、パトリアルキーの連鎖に加担してしまうことになってしまうから。
その代わり、自分のなかにある「とても大切にしたかったこと」を、大事にできなかったことを純粋に悲しんでほしい。僕の先生のミキやアーニナはこのことを「嘆く(mourn)」と呼んでいて、パトリアルキーから自分たちを解放する重要なスキルとして位置付けているんだよね。そしてそれは、マインドフルネスとともに僕が実践している、自分に思いやりを持つための具体的な方法でもあるんだけど……これについては、次回にまた少し触れたいと思う。
で、カシュタン姉妹の記事では、人間関係のトラブルや鬱のような個人の苦しみも、環境破壊みたいなグローバルな問題も、どれもパトリアルキーから引き起こされていると訴えている。
さまざまな社会問題の根源を追求している活動家としては、この意見には僕もめちゃくちゃ感銘を受けている。シンプルに言うと、抑圧と従順さ、弱肉強食、正しさと過ち、良い悪いが前提となっている、流行りの世界観。
そして問題を解決し、健全な社会をつくるには、パトリアルキーを再生産している子育てや教育をガラッとつくり直すことが欠かせないとも言っているんだ。なぜなら、子育てや教育こそが、パトリアルキーを「再生産」しているから。
パトリアルキーを支える「従順さ」
だけど、どうしてこの世の中では、児童虐待やDVとか、本当は愛で結びついている関係性の間でも、そんな暴力や悲劇が起こるんだろう? その結果、鬱になったり、自分を愛せなくなったり、家族関係やパートナーシップがつながりにくくなったり、社会の分断や戦争が起きたり、自然を破壊・搾取したり……。
こういう悲劇や暴力にはパトリアルキーが潜んでいるんだけど、具体的にどういうふうに現れるのか。例えば育児の現場なら、歯磨きの話がわかりやすい。
大人は子どもの未来や健康を思って歯を磨かせる。それは親として間違ったことではないのだけど、だいたいの場合、子どもは「いま遊んでるから歯磨きしたくない!」って最初は言うよね。
親は怒って、子どもの「間違った」反応を「正す」ために大声を出したり、「虫歯になるぞ」と言って怯えさせたり、「明日のおやつはナシ!」と脅迫したり、子どもに愛情を与えなかったり、力ずくでやらせたり。あらゆる手を使って歯を磨くことを強制してしまうよね。
ここで子どもが学ぶのは、「歯磨き=歯にいいこと」より、「親の言うことを聞かないと怖い目に遭うから、歯磨きをせざるを得ない」ということ。つまり「遊びたい」「怖い」という自分の本音を犠牲にして、その場で力を持っている権力者(だいたいの場合は年上の人)に従わないと、自分の身の安全が確保できないんだ。
「じゃあ、どうやったら子どもに歯磨きの大切さをわかってもらえるの?」って思うよね。そりゃ、子どもが虫歯になったらイヤだもんね……(笑)。どうしたらいいか、具体的な方法は後編で紹介するね!
で、この、権力者に「従う」、つまり「従順さ」が、パトリアルキーを支えている、ひとつ目の大きな要素なんだ。
しかもパトリアルキーではこの従順さが「美徳」とされていて、「従うまで力を使う」とか、「自分を押し殺してまで権力者に従う」のは「当たり前」という、ものすごく歪んだ世界観がある。
実は司法システムも戦争もこれと同じ話。会社のなかでも学校のなかでも、「悪い人」を罰する(権力を使って苦しませる)ことが常識になっているよね。先生が「悪い子」を「正す」みたいに。だから社会から「悪い」とされた人たちを、たとえ国家の方の判断とはいえ人を殺すべきじゃないのに、「死刑にして当然」みたいになる。あらゆる場面でこの世界観がベースにあるんだよね。
パトリアルキーを支えるもうひとつの要素は、「恥」のメカニズム。例えば僕の娘が2~3才の頃に素っ裸で外を走り回ったことがあったんだけど、まわりの大人たちが「恥ずかしいから止めなさい」って険しい顔で言ってきたんだよね。つまりこの場合は、権力構造の「正しさ」に合わないと、「恥ずかしいから」という理屈で正させられて、自然体であることやみんなと違うことをやることが、抑えつけられる。
まとめると、
で、少し前に「子育てや教育こそが、パトリアルキーを『再生産』している」って言ったよね。それってどういうことかというと、簡単に言えば、パトリアルキーの抑圧で苦しんだ子どもが、大人になって、自分の子どもに同じ抑圧を与えてしまう、ということ。つまり、幼少期のつらい体験が、大人になっても自分の本音を抑え続けるトラウマになったりするんだけど……
どういうことか、ちょっとピンと来ないかもしれないから(笑)、これは次回、掘り下げて紹介するね!
(中編につづく)
(編集:岡澤浩太郎)
(編集協力:スズキコウタ、greenz challengers community)
(協力:高野優海、山崎久美子、安納献)