募集の詳細については記事末をご覧ください。
今回の求人は、歴史と自然が育んできた地域資源を素材に、観光・教育プログラムの開発・推進に取り組む「一般社団法人 対馬里山繋営塾」のメンバー募集です。
この記事に関連するイベントを開催します! 興味ある方はぜひご参加ください。
自然とともにある人々の営みが今もなお息づく対馬
対馬の魅力は、何といってもコバルトブルーの海と里山が織りなす自然環境の素晴らしさ。森林が面積の89%を占める島内の人口は2万8000人ほど、産業は漁業を中心とする第一次産業がメインです。アナゴの漁獲量が全国一であるほか、マグロ、ヒオウギ貝の養殖、原木椎茸の産地でもあります。
見渡す限り、海・山・里がダイナミックに広がる島は、観光業も盛ん。アクティビティやリトリートを求め、韓国や欧米など海外からも観光客が訪れ、インバウンドの増加に伴って観光関連のサービス業が急成長してきました。
シーカヤックやトレッキングなどのアクティビティ、ツシマヤマネコを観察するネイチャーツアーと保全活動、ニホンミツバチが生息する島での採蜜体験など、対馬ならではの体験ができる観光が人気です。
自然とともにある人々の営みが残る島は、その地理的背景から独特の歴史・文化を築き上げてきました。そんな対馬を舞台に、対馬里山繋営塾がめざすビジョン、求める人材について見ていきましょう。
「営み」を「繋ぐ」活動に情熱を注いで
グリーンズジョブ取材班は今回、福岡から対馬を訪ねました。福岡空港からは飛行機で35分、フェリーでは約4時間、高速船を利用すれば2時間半で到着。思っていたより、ずっとアクセスしやすいというのが第一印象です。
対馬空港は「やまねこ空港」の愛称で知られ、到着すると、さっそくツシマヤマネコの生息情報があちこちに。島は空港や漁港に近い中心地・厳原(いづはら)を境に、南北に分かれ、ツシマヤマネコの生息地は北部に集中しています。
対馬里山繋営塾が拠点にする志多留(したる)地区も北西部にあり、稲作伝来の地として三千年以上の歴史をもつ集落なのだそう。
ヤマネコマップに目を奪われていると、代表の川口幹子(かわぐち・もとこ)さんが朗らかな笑顔で迎えてくれました。
まず、川口さんが説明してくれたのは、対馬里山繋営塾のミッションについて。
川口さん 第一次産業を主とした対馬に今も息づくのは、豊かな自然の仕組みを熟知し、恵みをいただいてきた人々の営みです。そして、地域でつくってきた「里山」という環境を守ってきました。
私たちの使命は、その関係性を後世に伝え、残していくということ。つまり、長い歴史の中で培われてきた、自然と共にある人々の「営み」を、後世へと「繋ぐ」ことにあります。
そのミッションのもと、取り組む業務は多岐にわたります。メインは、学べる観光事業「対馬グリーン・ブルーツーリズム協会」事務局の運営。民間の旅行会社として、ツアー・研修プログラムの企画開発、添乗・ガイド、農林漁業体験民宿(農泊)や体験の窓口などを行っています。
川口さん 私たちは、観光地を巡るだけでなく、この地域でしか味わえないような多様な体験ができる着地型コンテンツを整え、提供しています。ガイドでは広く浅いところから一歩踏み込んで、テーマ性のあるディープな内容を参加者の心に落とし込んでいけるよう働きかけていきます。現在特に力を入れているのは、高校生向けの教育旅行なんです。
川口さんが提案する「着地型コンテンツ」とは、一体どんなものなのでしょう。「対馬の歴史探究」のコンテンツのひとつという「万松院(ばんしょういん)」へ、日頃のガイドと同じように案内してもらいました。
万松院は、対馬藩主・宗家の菩提寺で、一般の旅行客も多く足を運ぶ観光スポット。テーマとして、宗家は朝鮮とどう外交していたかなど、歴史を紐解き、探究していく内容だといいます。
ここからは、川口さんのガイドに耳を傾けてみてください。
川口さん 「万松院」は宗家19代、対馬藩としては初代の藩主・宗義智(よしとし)が亡くなった時に息子の義成が弔いのためにつくったお墓で、以降、宗家歴代の藩主が祀られています。
川口さん 石段は132段。10月には夜、ライトアップして参拝ができる幻想的なお祭りもあるんですよ。石段の途中にあるこの大杉は、樹齢500年以上ともいわれています。万松院が創建された1615年には文献ですでに大杉があったそうですから、私が思うに800年は経っているんじゃないでしょうか。
川口さん 宗家は鎌倉時代から約600年間、対馬を治めていました。初代藩主・義智は何をした人物なのか。1615年没ということは、その頃に国を治めていた武将は誰でしょう?
1600年に起こったのが関ヶ原の戦いですから…そう、豊臣秀吉です。天下統一を果たした秀吉ですが、実は対馬にとって超迷惑な政策をしたんです。さて、何だかわかりますか? 国内でなく外に目を向けたんですね。
(…あ!朝鮮出兵ですか?)
川口さん そう、朝鮮出兵です。当時、対馬はお米もわずかしかとれず、貿易を行っていた朝鮮国は友好国でした。そんななか、足掛け7年の出兵に駆り出された後、秀吉が没することで引き上げることになります。
が、次の徳川幕府の時代には家康が朝鮮国との和平交渉を望みます。秀吉の時代に国交断絶しておいて、カンカンに怒っている朝鮮国との交渉に、また白羽の矢が立ったわけです。どう思います?
(むちゃぶりすぎます!)
川口さん そうですよね。その無茶苦茶な和平交渉をやってのけたのが、義智なんですよ。
義智の外交努力により和平の象徴として朝鮮通信使(文化・学問の交流を深めた外交使節団)が来日するようになり、対馬では今でも朝鮮通信使を再現するお祭りが受け継がれています(平成28年、世界記憶遺産に登録されました)。
対馬の地理的重要性、今の日本に影響を及ぼしたといっても過言ではない外交能力に驚かされますが、川口さんが伝えたいメッセージは、実はここからが本番。外交の立役者としての手腕を発揮した義智ですが、もしも自分が義智だったらどう考え、どうふるまうか? を問いかけていきます。
学生に対しては、現地を訪れる前に事前学習としてワークショップを開催します。宗家、徳川家、朝鮮王朝のグループに分かれ、当事者の立場や気持ちになってディスカッションを行うと、好奇心が芽生え、いろんな意見、結末が出てくるそう。きっと記憶に残る修学旅行になるのではないでしょうか。
自分なりに考えることで、今の外国との関係、国際交流を考えるヒントとしていかしてもらいたい。これが川口さんたちの目的であり、こうしたテーマを自由に見つけ、それに沿ってプログラムを考え、ゴールへと導いていく役割が今回募集する観光・教育コーディネーターなのです。
対馬里山繋営塾では、2018年からこうしたきめ細やかなコンテンツ開発とツアーガイドを続けてきました。その成果が認められ、2年前からは対馬市から教育旅行誘致事業を受託しています。
川口さん ようやくプロモーションやコンテンツ開発に集中して取り組めるようになりました。各地の学校へ案内を出したりして、去年は初めて大阪から150名規模の学生に来てもらったんです。対馬初の大型修学旅行のコーディネートが叶いました。
今年はすでに7、8件の受託がある状況で「一気に花開いたって感じです」と、安堵の表情を見せる川口さん。努力が実を結んでいくタイミングで、やりがいを持って仕事ができるチャンスでもあります。
人と触れ合い、第一次産業の尊さ、営みを繋ぐこと
川口さんが対馬里山繋営塾を立ち上げて2023年で6年目。2011年に地域おこし協力隊として対馬へ着任し、移住して12年目を迎えます。
青森の出身で、移住前は仙台の大学院で環境科学博士として研究に専心していた川口さんですが、移住を決めたのはどういう理由からだったのでしょうか。活動の拠点である志多留地区の事務局で話を伺いました。
川口さん 地域おこし協力隊に生物多様性保全担当という枠があったんです。募集要項にツシマヤマネコの保全のための地域づくりができる専門家と書かれてあって。その頃、「研究だけしていても世の中は変わらないかもしれない、現場を持ちたい」という気持ちが強くあったんですね。
そんなとき、「ヤマネコを保全するために地域をどうにかしなきゃいけない」と考える自治体って、なんだか素敵だなって思ったんです。正直、離島だし、東北から九州って…とは思ったんですが、一か八かで来てみたら、対馬の自然環境や人の温かさにすっかりハマってしまいました。
地域おこし協力隊の時代には、地域づくりのコンサルティングに取り組む「一般社団法人MIT」を立ち上げますが、徐々に川口さんの関心は学びの交流事業や地域再生の活動など、現場で人と人をつなぐ方向へとシフトしていきます。
川口さん そのうちにコンサルとして計画するだけでなく、実行に移してコンテンツを提供していくことがしたいと思うようになったんです。
耕作放棄地や古民家の再生活動をしたり、地元のおばあちゃんたちが大量につくる家庭菜園の野菜を集めて、地域にお弁当屋さんをつくったり、仕事とは別に地域再生の取り組みをしていたので、しばらくして独立の道を進みました。この時の活動名だった対馬里山繋営塾をそのまま社名にしたんです。
自然の恵みや地域の人たちとの触れ合いの中で、対馬を深く知れば知るほど、観光資源以上の価値を感じていった川口さん。屋号である「営みの歴史を後世へ繋ぐ」というミッションが活動の根底に形成されていったのです。
川口さん 島での暮らしって、今食べているものをどこで誰が生産しているかわかるんです。私たちの命は誰が支えてくれているのか考えた時に、農家さんや漁師さんの存在の尊さを知ってほしいと思いました。
地域資源が生み出す産業の礎は、一次産業の農林水産業だし、それが成り立つことが営みの基本ですよね。私たちが斡旋する農家民宿も、生産者と交流できる場を提供して、農林水産業や自然の豊かさに気づく人を増やしたいという思いがあって。対馬グリーン・ブルーツーリズムの運営もその一環なんです。
島外出身の川口さんだから気づくこともありました。川口さんは、対馬は物事の本質、原点に触れるために必要な宝ものをたくさん持っているといいます。
川口さん 動植物の保全、漂着ゴミの問題といった社会的課題や環境問題、国境の島ゆえの日韓の国際問題など、平和学習にしても、足元にある対馬でいろんな時代にいろんなことが起こっている。「この時代はこういうことがあったけど、この時代の対馬はこういうふるまい方をして、こうなった」とか、戦争と平和を繰り返してきた島をさまざまな視点から学べるから歴史学の探究がやりやすいんです。
「対馬を知ってほしい」というより、対馬を通して、持続可能な社会づくりを考える機会をつくったり、そうした意識を持つ人を育てたい。そのための多様な活動を行うのが対馬里山繋営塾です。
「観光・教育コーディネーター」の仕事とは?
対馬里山繋営塾の理念や川口さんの思い、どのように感じましたか? 次は、観光・教育コーディネーターの仕事について、具体的にどんな業務になるのか見ていきましょう。
現在、対馬里山繋営塾のスタッフは5名。観光・教育コーディネーターは川口さんを含めて2名、そのほか宿泊業務の窓口スタッフと、韓国語の通訳業務を主とするスタッフがコアメンバーで、経理や労務等を担う会社の土台を支えているスタッフも1名います。少数精鋭で、それぞれがマルチタスクをこなしながら、サポートしあっているそうです。
観光・教育コーディネーターが企画開発してきたコンテンツは多岐にわたります。自然と観光スポットをめぐるもの、アクティビティを組み合わせたもの、ヤマネコやホタルといった動植物の観察と保全、歴史的建造物から見る平和学習、ニホンミツバチやアコヤ真珠といった特産物の現場見学や漁師体験、対馬ソバの蕎麦打ち体験、ものづくり体験など。
川口さん 学校の修学旅行、国内外から訪れる農泊の個人客、企業の視察など、個人・団体・企業問わず受け入れています。オファーがあれば、大手観光会社のバスガイドを務めたり、韓国の環境NGOのガイド役も過去にあります。
コーディネーターとして私たちが求めるのは、「農林水産業の尊さを理解できる人」「周囲の自然の豊かさに感謝できる人」「問題を自分ごととしてとらえ、自ら考えて行動する人」。対馬里山繋営塾の理念を共有しながら、物怖じせず、自分から動いていける人です。
観光・教育コーディネーターは単にガイドとしてだけでなく、テーマを理解した上で細かな要望に応じたコンテンツとスケジュールを組み立て、それに応じて生じる調整役もトータルで行う、コンシェルジュに近い仕事です。
採用後の働き方がイメージできるよう、入社して3年間をイメージしてみましょう。
川口さん 1年目は、業務内容について理解し、商品の内容や関連する人とのつながりを知り、そして、とにかく対馬を知ることから。先輩に付いてガイド補佐的な経験も少しずつこなしてもらえたらと思います。2年目はツアーガイドとして本格勤務。3年目はオリジナルのプログラムを企画開発して積極的に実行してもらいたいです。
また、地域に学童がないため、会社として自然学校の設立も喫緊に取り組んでいきたいプロジェクトだといいます。川口さんがその立ち上げに専念するためにも、現在川口さんが行っているコーディネーターの業務をバトンタッチして任せられる人が理想です。
川口さん そういう意味では、指示待ちで自分から動けない人には向いていません。もちろん不安や疑問に感じることがあれば、何でも聞いてもらった上で進めていってほしいです。空家紹介や生活面のサポートももちろんできます。
島での生活は、都会と同じようにはいかない不便さや地域の人との距離の近さなど、時に戸惑うこともあるかもしれません。だけど、自然や人とのコミュニケーションが好きな人、好奇心や積極性のある人であれば、自然にとけ込んでいけるんじゃないかなと思います。
伝えることの喜び。先輩コーディネーターの声
ここで、先輩の声も聞いてみましょう。対馬里山繋営塾がスタートして2年目に、観光・教育コーディネーターとして加わった藤川あも(ふじかわ・あも)さんに実際の業務について伺いました。
藤川さんは「ツシマヤマネコツアーにおいては右に出る人はいない」と川口さんが絶賛するコーディネーターです。
幼い頃から大の動物好き。とくに猫が好きで、高校生の時の夢は動物園の飼育員でした。大学ではアニマルサイエンスを学び、卒業後は飼育員の経験を経て、野生動物保全の道に進みたいと考えていたそうです。
大学在学中、2年生の夏休みを利用して、2週間ほど飼育実習を体験する中で気づいたのが、動物の飼育よりお客さんと話すことの楽しさでした。
対馬を訪れるきっかけになったのは、野生動物保全の勉強ができる機会を探すなかで見つけた環境省の施設「野生生物保護センター」(通称ヤマネコセンター)。
藤川さん 大学3年の夏休み、大学生の実習生として、初めて対馬に来たんです。里山の景観がきれいで、ヤマネコの保全活動を地域の人たちが一緒になって行っていることを知って「素敵だな」って。
会う人みんなすごく優しくて、移住してバリバリ活躍されている20代の同世代の人たちに刺激を受けました。感動しっぱなしで、帰りの新幹線の中はずっと号泣でした。
翌年、大学4年生になって再び対馬へ。その時に出会ったのが川口さんでした。対馬市が主催する「島おこし実践塾」の合宿で、内容は地域の課題解決のために活動している人と一緒に取り組みを実践していくというもの。その塾長が川口さんだったのです。
藤川さん 対馬にはいろんな資源があって、それはすごく学びのあるもの。だから、その学びを商品として提供していくツーリズム、スタディツアーなどをやっていきたいという話に共感して。「ぜひやりたい」と思って声をかけさせてもらって、卒業後、就職しました。
対馬里山繋営塾自体が立ち上げから2年目だったので、研修システムもない状態で当たり前のように初めから業務を任されたんですが、それがあったから早く成長できたのかもしれません。
「プライベートと仕事の境目がなく、定時に仕事がきっちり終わるものでもないけれど、5年経った今もコーディネートやアテンドは変わらず楽しい」と、屈託のない笑顔を見せる藤川さん。当時、環境教育や「インタープリテーション」を専門に学んでいた藤川さんに、川口さんもまた影響を受けたといいます。
「インタープリテーション」とは、わかりやすく情報の伝達を行うだけでなく、相手にその裏側にあるメッセージを届けること。興味を刺激し、気づきを得てもらうようにナビゲートしていく作業です。
藤川さん プログラムの開発では、テーマ設定とプログラムを通して、参加者にこうなってほしいというゴールを決めます。そのゴールを達成するためには、どういうステップを踏んだらいいんだろうと探りながら、自分なりのストーリーをつくっていくんです。
藤川さん ツシマヤマネコツアーだと、ヤマネコって人間が活動する近くにいる存在で、里山は重要な生息環境になるんですね。人の暮らしがヤマネコにもダイレクトに影響してきてしまう。
ですから、ヤマネコを見る前に、「そもそもどういう生き物なのか、対馬の人たちがどうヤマネコや自然と関わっていて、ヤマネコを守るためにどんなことしているのか」という話をします。
単に会いに行って終わりでなく、ヤマネコが生息する環境がどのように形成されてきたかを知って、日々の生活の中で環境に配慮するよう自分の行動を考えていくためのきっかけをつくることがツアーの目的なのです。
フィールドを広げ、持続可能な社会づくりの種まきを
川口さんと藤川さん、それぞれの観光・教育コーディネーターとしての思い、いかがでしたか? お二人の自然体の笑顔から、好きなことを仕事にできていることにやりがいを感じていることが伝わってきます。
観光やアクティビティに加え、そこから一歩踏み込んで、本当に届けたい本質の部分を体験者の心に落とし込んでいく働きかけ。この記事を目にして、その思いと行動に共感したなら、きっとあなたは同じ目的に目を向け、ゴールに向かって一緒に歩んでいくことができる人です。
藤川さんのように目標に向かって突き進める柔軟なタイプでなくとも、自然が好き、教員免許をいかしたい、自分で考えた企画を実現したいなど、得意なフィールドが何かしらあれば、必要なのはその世界を広げ、つながっていく行動力だけ。
対馬にある素材の魅力を引き出しながら、自由な発想でアイデアをかたちにし、そこから持続可能な社会づくりの種をまき、そして、あなた自身のストーリーを始めてみませんか?
(撮影:重松美佐)
(編集:山中散歩)
– INFORMATION –
6/22(木)、オンライントークイベント兼説明会
「里山の自然・文化をいかし、学びの機会をつくる。
『地域の観光・教育コーディネーター』の仕事とは」を開催します。
(イベント後には、任意参加の簡単な採用説明会も予定しています。)