NPOグリーンズの合言葉でもある「いかしあうつながり」とは、関わっている存在すべてが幸せになり、幸せであり続ける関係性のこと。それをみんながデザインできるような考え方、やり方をつくり、実践し、広めるのが、NPOグリーンズのミッションだ。
鈴木菜央が「いかしあうつながり」「関係性のデザイン」に近い分野で実践・研究しているさまざまな方々と対話する連載。今回のゲストは、NPO法人トランジション・ジャパン共同創設者でトランジション藤野の発起人、榎本英剛(えのもと・ひでたけ)さんです。
榎本さんは、書籍『僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる〜トランジション・タウンという試み』(※)を2021年に出版されました。本の内容を参考にしながら、榎本さんと持続可能な地域のつくりかたについて探究していきます。
(※)2008年に旧藤野町(現在は相模原市)でスタートした「トランジション藤野」の活動を「トランジション・タウン」という世界的な地域活動の概念の一つの具体的な実践例としてまとめられた本。
トランジション・タウンを通して見えてくる、地域の資源
鈴木菜央(以下、菜央) 僕は自分が住んでいるいすみ市というまちでいろいろなまちづくり活動をやっているんですが、それはトランジション藤野や、トランジション葉山などに影響を受けたところが多分にあるんですね。後になってから榎本さんが日本にトランジション・タウン(※)を紹介したというのを知って、「なんてありがたいんだろう」と感謝しています。
今日は、日本にトランジション・タウンを紹介し、その広がっていくところをずっと見てきた榎本さんが“デザインをする”ということをどう捉えているのか、聞いてみたいんです。
(※)同じ地域に暮らす市民同士が、地域の資源・文化を活用し、地域の底力を高めることで社会を持続可能なものへと「移行(トランジション)」させていく、実践的な活動。
榎本英剛(以下、榎本)さん なるほど。“関係性のデザイン”という観点からですかね。
菜央 そうですね。例えば、榎本さんが立ち上げたトランジション藤野の活動方針でね、「やりたい人が、やりたいことを、やりたい時に、やりたいだけやる」というのがある。
榎本さん はい、あります。
菜央 “それぞれのやりたいという気持ちを生かしてデザインをする”、ということですよね。
榎本さん うん、うん。
菜央 そういうふうに、この本に書いてあることで、「いかしあうつながり」を考えるうえでとても参考になることがいっぱいあるなと思って。トランジションでどんなことが起きたかという話は、グリーンズの他の記事に譲りつつ、今日は、どちらかというと、“デザインの裏にある考え方”とか“みんなのあり方”みたいな話を聞けたら、おもしろいかなと思ってるんです。
榎本さん なるほど。
菜央 前置きが長くなりましたけど、今回出版された『僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる』って、どんな本なんですか? そこから始めていきたいと思います。
榎本さん この本はね、必ずしもトランジション・タウンに興味がある人を対象にしているわけではないんです。この世界に生きていて、気候変動もしかり、コロナもしかり。「何かおかしい。このおかしな状況に対して、何かしたい。けど何をしていいかわからない」そう感じている人たちに向けた本です。
自分にもできることがあるんだ。地域から始めればいいんだということを感じていただけたらいいなって。まずは、あなたの足元からできることがあるんですよって、何かを始めたい人を勇気づける本なんですよ。こう言うと、ちょっとおこがましいですけど。
菜央 まさに、僕もいすみで活動していて思ったのは、地域のおもしろみって“全体性”があることだなということなんです。例えば、何かやろうとした時、多様な年齢の方々が自動的に関わることができたり、みんなが土と近い生活をしていると、自然という要素が活動自体に入ってきたり。
この“全体性”をいっぱい楽しめるのがトランジションならではのおもしろさだなと思ったりするんですよね。
榎本さん そうですね。普通、“町の資源”と言うとね、大概の人は“自然資源”しか思いつかないんですよ。特に都会の人にこのトランジションの話をすると、「いやいや、藤野には自然がたくさんあっていいけど、都会には自然がなくて。そんなトランジションみたいな活動は難しいです」ってよく言われます。
でもそうじゃない。人だって資源。もっと言えば、その人の中にあるものも資源。知識だったりスキルだったり経験だったり、それこそ、夢だったり情熱だったり。そういうのもぜんぶ“資源”だというふうにとらえたら、都会はすごいじゃないですか。「都会にはそれだけ人がいるんだから、その人たちの中に埋まっている資源を考えたら、とてつもない資源の塊ですよ」って僕はよく言っています。
ただ、都会ではその資源が有機的につながっていない。たとえ仮に、自然資源以外のものも見えてきたとしても、それが個別に存在していたら力が発揮できない。まさに“いかしあうつながり”じゃないけど、それが有機的につながってはじめて、地域が持っている潜在能力が開花するイメージなんですよね。
僕は都会暮らしが長かったから藤野に来た時、自然だけじゃない田舎の文化とか、人とのつながりとか、そういうものも全て“素晴らしい”って感じたんですよ。それを長く住んでいる人に言うと、「どこが?」って返されるんですけどね。慣れてしまうと見えなくなってしまう部分があるようで。
地域を変えるのは、“よそ者・馬鹿者・若者”と言いますけど、異質な人間が入ってきて「あれが素晴らしい。これが素晴らしい」と言うことによって、中にいた人も「ここも捨てたもんじゃないな」と感じるようになる。それも、地域の活動のおもしろい一面です。
榎本さん そして藤野でトランジション・タウンの活動をしてると、常に意識が地域の資源に向いてるので、いろんな人と出会う。すると、僕の中で地域との心理的・精神的つながりが増えていきました。“おらがまち”じゃないですけど、50数年生きてきてはじめて自分の故郷が見つかったみたいな、そういう感覚があって。
僕は昔、休みごとに故郷に帰る人を見てうらやましいと思っていたんですよ。それで、「僕も故郷をつくりたい。自分の娘にも故郷をつくってあげたい」って強く思うようになりました。
あの本の中では書いてないんですけど、トランジションで得られる“ふるさと感”は、副次効果の一つじゃないかなっていう気はしています。特に僕みたいな故郷のない人間にとっては。
菜央 よくわかります、僕もそうですから。
「一人ひとりの可能性を最大限に引き出す」
菜央 じゃあ次は、榎本さんがトランジションに出会う前のことについて聞こうかな。本に書いてあったんですが、榎本さんが20代の後半に「一人ひとりの可能性を最大限引き出すってどういうことなんだろう」という問いが生まれて、さらにそれが、「人の可能性を最大限に引き出す社会ってどんな社会なんだろう」という問いに発展し、ついにはスコットランドのフィンドホーンに移住をしたって。ちょっとそのあたりのストーリーを聞きたいです。
どうして、「一人ひとりの可能性を最大限引き出す」という問いに至ったのでしょうか?
榎本さん もともと自分の中にあった問題意識は、「何で仕事って楽しくないんだろう?」というところから出発してるんですよ。自分が子どもの時、サラリーマンをやってた父親はいつも不機嫌で、会社の愚痴ばっかり言ってる印象しか残ってなくてですね。「なんでこの人は自分がやりたくないことを毎日やってんだろう」って、思っていたんです。
お父さんに一回聞いたことがあって。「お父さん、なんで毎日仕事やってるの?」って。そしたら父親がきれて「うるさい!」って僕を怒鳴りつけたんですよ。
で、子どもって好奇心があるから、今度はちょっと母親に聞いてみた。そしたら、母親の反応はもっと恐ろしくてですね(笑) 「それは、あなた、大きくなったら分かるわよ。だってあなたも大人になったら仕事をするんだから」って。もう“血の気が引いた”というのはああいう感覚なんだろうな、と思いました。
それまで自分事じゃなかったんですね、仕事をするっていうのが。「え、僕もやるの、仕事?」って。「あんなお父さんみたいになっちゃうわけ?」って、恐ろしくてですね。それから“仕事”っていうのが自分の最大の関心事になってしまいました。
大学卒業後はリクルートに勤めてたんですけど、留学したいって気持ちがあったので6年で辞めて、アメリカに留学しました。その時に、ずっと子どもの頃から抱えていた「どうしたら人は仕事を心から楽しくできるんだろう?」っていう問いについて研究してみることにしたんです。
で、その経験をもとに「天職創造セミナー」っていうのを始めたのですが、「こういう仕事をしたい」っていう人をサポートする方法が当時分からなくて。どうやったら実現できるか、いろんな人に聞いていった時に3人ぐらいの知人から別々に“コーチング”ってキーワードを教えてもらった。
最初はピンと来てなかったんだけど、「そんなに言うならちょっと覗いてみよう」って、コーチングのワークショップを受けてみたら、「もう、これだ!」っていう感じで。
菜央 コーチングがまさに、一人一人の可能性を最大限に引き出すっていうことを目的としたコミュニケーションの手法ですもんね。
榎本さん そう。コーチングを通じて、いろんな人が自分の持ってる可能性に気づいて、それを発揮していくっていう場面に何度も立ち会うことができました。コーチングってすごいなーっていうのはいまだに思ってます。
そして、次の新しい疑問が出てきたんです。コーチングを通じて、一人一人が本領発揮するのをサポートしていったとしても、世の中全体の仕組みがその人の可能性を引き出すという仕組みになっていない限り、いずれ壁にぶつかるんじゃないかっていう。
政治もしかり、経済の仕組みもしかり、教育もしかり。いろんな仕組みを見ていると、必ずしも人の可能性を引き出す仕組みになってないんじゃないかなっていう認識があって。
では、「人の可能性を引き出す社会ってどういう社会なんだ」と。“個人”から“社会”っていう方向に自分の問いの焦点がシフトしていった感じなんですね。それで、コーチングの仕事から一旦身を引いて、家族を連れてフィンドホーンに移住しました。
“持続可能性”とかそういうことにも関心があったので、なんとなく直感的にフィンドホーンにヒントがあるんじゃないかっていう気がして、結局2年半住んでたんですけど。
菜央 フィンドホーンはイギリス北部のスコットランドにあるエコビレッジで、世界的にも有名ですよね。
榎本さん そうですね。なので、最初はやっぱり僕も「北海道あたりにちょっと広めの土地を見つけて、コツコツとエコビレッジをつくっていくのがいいかな」とも思った。でも、何か道のり長いなーって言うか、それこそハードルが高いっていうかね。
仮にフィンドホーンみたいな場所ができたとしても、どれくらいの人がそこに訪れたり住んでくれて、世の中にどれくらいのインパクトのある変化を生めるかな、と思うと、あまりイメージが湧かなかったんです。
会社辞めてエコビレッジに行っちゃうみたいなことができる人ってそうそういないじゃないですか。一般の人が等身大のレベルでできることじゃないと、多くを巻き込めないって僕は思っていたので。
で、どうしたらもっと現実的に、より多くの人がより持続可能な未来に向かってシフトしていけるのかなって思ってた時に出会ったのが「トランジション・タウン」でした。
これが一番現実的でハードルが低そうだなって思ったんです。今住んでる町で、今までの生活を続けながら、同じような問題意識を持った人たちとつながって、一緒にできるところから変えていく、という考え方が。
簡単にできる、なんて思っているわけではないんですけど、エコビレッジをつくるよりはより多くの人たちが、無理をせずにできるところから始められる。そのようなイメージが湧いたので、「これだ!」と思いました。
菜央 世の中全体が一人ひとりの可能性を引き出す仕組みになっていないっていうのが、ほんとにそうですよね。何か悲しいぐらい。
榎本さん そうですね。
菜央 一人ひとりが孤立しているほうがGNP(国民総生産)が増大する、そんな社会になってしまっているな、と。地域では当たり前にあったいろんな冠婚葬祭やお祭り、助け合い、育て合いのネットワークが、どんどん解体されていって、お金を払って受けるサービスに入れ替わっていく感じ。そういう社会でもう一度、一人ひとりの可能性を引き出す社会をつくろうという思いが、榎本さんにとってのきっかけ、つまりトランジションなんだなと感じました。
榎本さん そうですね。そこが原点という感じですかね。
菜央 僕もそれはずっと考えているテーマです。何でこんなにみんな、社会の中で無力感を感じるんだろうって。大学時代に親友が自殺したんです。彼は、たぶん、本当にいろいろ重なってそうなってしまったんですけど、そういうことが起きる大きな背景には、お金のために長時間働くことでの孤立や孤独、自然や人とつながることが難しいあり方があって。
それぞれが、個別に、さまざまな企業が提供するサービスを受けながら生きていく。生きていくのに必要なさまざまなものごとを手に入れるために、お金がとても大事。自己表現も含めて、ニーズを満たすためにすべてにおいてお金が必要になってくるんですよね。ちょっと前に聞いた話ですが、最近若い子たちは、友人の結婚式やお葬式はお金がかかるから行かない、という人が多いらしいというのを聞いて、何か、いよいよだなと。
榎本さん そこが趣旨じゃないだろうって感じですよね。
菜央 そうですね。「お祝いしよう」ということが趣旨なんだけど、こういう状況になってしまってる。そういう意味では、トランジション・タウンみたいな活動は本当に希望です。
15年足らずで1200以上! トランジション・タウンの広がり
菜央 じゃあ、トランジション・タウンのことをざっくり教えてもらってもいいですか?
榎本さん トランジション・タウンというのは、イギリスで2006年に立ち上がって、そこからわずか15年足らずで、一気に世界に広がった運動です。実は今どれくらい世界に広がってるのかっていうのは正式に把握できてないというか、取りまとめをしている組織は把握する気もないみたいなんですけど。
ようは、オープンソース。自分たちがやってきたことをどんどん公開していって、それがいいなと思った人は、どんどん勝手に使っていいよっていう感じでやってるので。勝手にやってる人たちも含めると、ほんとに把握しきれない。
ただまあ、一応オフィシャル・トランジション・タウンというのがあってですね、正式に登録をすると、「トランジション・ネットワーク」っていうイギリスの組織に加入することができるんです。今そこに登録してるのが世界40ヶ国1,200以上と言われています。
日本では、2008年の6月に僕がフィンドホーンから帰ってきて仲間と一緒に立ち上げて14年目に入ります。今はですね、全国でいすみも含めて70近くトランジション・タウンがあるという状況になってます。
菜央 すごいですね。藤野はその一つということですね。
榎本さん そうですね。日本の第一号です。藤野と葉山と小金井が、ほぼ同時にスタートしたんです。
菜央 藤野のトランジションは、僕にとっても縁が深い。取材に何回も行きましたし、トランジションの学校にも参加しましたし、休みなのに遊びにいくくらい大好きなまちです。
藤野では、以前にこの連載でも登場してもらった地域通貨の「よろづ屋」さんはもちろんのこと、その地域通貨を苗床にして他の活動もどんどん生まれていました。いろんな人がつながっていっている様子とか、信頼が醸成されて「この町に住んでて良かった」っていう人たちがたくさん出てきてたりしているのを見て、これはいすみでもまねしようということで、もう丸パクリでまねをさせてもらって。
榎本さん 僕らも丸パクリしてますから(笑)
菜央 藤野の地域通貨「よろづ屋」の親にあたるのが、千葉県鴨川で活動している地域通貨「あわマネー」だと聞いていますが、最近、いすみの地域通貨チームも「あわマネー」とあらためてつながり直して。いすみ(の地域通貨)は藤野(の地域通貨)の子どもなんですけど……つまり僕らはおじいちゃんとつながったという。
榎本さん おじいちゃんとつながった(笑)おもしろいね。
菜央 そう、おじいちゃんとつながって、それぞれの仕組みを比べたりしてね。「こんな違いがあるのがおもしろいね」なんて言いながらやってたりしてたんです。
関わるメンバーの自信へもつながった
コミュニティによる被災地支援活動
菜央 藤野で、本当にたくさんのことが起きてますけど、榎本さんが印象に残っている出来事や活動はなんですか?
榎本さん 僕の中で一番印象に残ってるのは、本にも書いたのですが、東日本大震災の被災地支援の活動かな。
藤野は福島から250キロぐらい離れてるんですけど、放射能の地図を見ると結構近くまで放射能がきていて、当初パニックみたいになってたんです。「西の方や海外に引っ越さなきゃ」って考える家族もいて。
そんな中、当時山梨県の都留でトランジションをやっていて今は藤野に住んでいる加藤大吾さんが、つながりのある東北に救援物資を届けたいと声をあげて。都留だけだとなかなか集まらないから、藤野の力も借りたいって。よろづ屋のネットワークで呼びかけたら、ものすごい数の救援物資が集まった。それをみんなで仕分けして梱包して、東北に送り届けたんです。
そのときに僕がすごく感じたのは、体感覚的にしか表現できないんですけど、エネルギーの向きが変わった瞬間。ワーッてパニックになっていた人たちが、縁もゆかりもない東北の人に救援物資を送るという活動を通して統合していくというか、団結していくというか。
自分はこれからどうしていったらいいのか、放射能は大丈夫なのかってバタバタしていた人たちが、外側に意識を向けたときに、逆に落ち着いた。自分ばっかりに意識を向けてると、人間って何か落ち着かないんだけど、他者のために、しかも自分1人じゃなくてみんなと協力してってなったときに、人間本来の良い部分が表に出るんだなって。僕はあとにそれを“思いやりの力”って表現しました。
榎本さん もう一つ。これも震災の流れですが、東日本大震災の直前に、東北から藤野に引っ越してきた人がいて、その人がかつて住んでたところが津波で大きな被害にあったんですね。仙台の南にある閖上(ゆりあげ)地区っていうところなんですけど。
家を失って避難している知り合いの人たちがたくさんいて。「彼らをサポートしたいんだけど、私1人の力じゃたいしたことができないので、藤野のみなさんの力をお借りしたい」と彼女が言い出したんです。
そこでも、またよろづ屋のネットワークが活きました。仙台の仮設住宅に住む方々にヒアリングをかけたところ、扇風機がなくて困ってるっていう声が出ていて。加藤大吾さんたちと一緒に東北の被災地支援にいったとき、仮設住宅の中に入ったことがあるんですけど、壁も天井もペラペラなんで、断熱もへったくれもなくてですね、確かにすごく暑いんですよ。なのに、エアコンはもちろんのこと扇風機もないのか、と。じゃあ、扇風機を送ろうか、となりました。
でも、ただ扇風機を送るってのも簡単なことではなくて。その仮設住宅はだいたい100戸あったんですが、仮設住宅は自治体の管理下に入っているから、“公平性の問題”で、物資を送るんだったら同時に全戸に送らないと駄目というルールがあって。
そしてさらにことを難しくしたのが、当時節電ブームで、扇風機が飛ぶように売れていて、どこの家電量販店でも1人1台しか買えない、みたいな制限がついていたんですよ。だから、ただでさえ家電量販店がない藤野で、「どうやって100個扇風機を集めるのか?」という問題がでてきました。
そこで、よろづ屋のあるメンバーがひとつの電気屋さんに行って扇風機の在庫を聞く。で、「どこどこの電気店に5台ある」ってSNSに在庫状況を投稿をする。そしたら、行ける人が5人行って5台買い占める。もう、涙ぐましい人海戦術ですよね。
で、結局2週間ぐらいで102台の扇風機を集めることができたんです。それを仮設住宅に送ってすごく喜ばれました。そして、冬になったら今度は「こたつがない」ってなって、同じことやったんですけど(笑)
榎本さん あのときは、コミュニティが力を合わせると、1人じゃできないこともできちゃうんだっていうのをすごく実感しました。まさに“Power of Community”。
その女性はその後もずっと仮設住宅の支援をしつづけたんです。例えば、仮設住宅のおばあさんたちが経済的に困っているっていうことで、おばあさんたちに布地蔵をつくってもらって、それを藤野のお店で売るっていう、生活を支援するすごい活動を立ち上げたり。
榎本さん “Power of One”って本で書きましたけど、彼女から一人一人の持っている力もすごいものがあるなって教わりました。そして、そういう人たちが連なったときの“Power of Community”って、ものすごい力がある。ある地域コミュニティが別の地域コミュニティを支援するっていうのって結構珍しい事例で、NHKで取り上げられたんです。その気になればこういうこともできるんだって誰しもが感じたと思いますし、僕は、被災地支援の活動が、関わってるメンバーに自信を持たせたんだと思ってるんですよ。
菜央 なるほどね。
榎本さん まさにエンパワーされたというか。
菜央 困っている人をエンパワーして、自分がエンパワーされた。
榎本さん まさしくその通り。今までは「あんなことやろう、こんなことやろう」って大風呂敷を広げても「それはさすがに無理じゃない」って言うメンバーもいたのですが、その人たちも大風呂敷広げるようになって。人の意識ってこんなにも変わるもんだなって思いました。
そして、その意識のトランジションが、実際のアクションを通して裏打ちされたことで、揺るぎない自信みたいなものを生みだしたんです。“一過性の意識”っていうんじゃなくて。トランジション藤野の活動において、この変化はすごく大きかったんじゃないかと、個人的には思っています。
菜央 思い返すとあの時期って、「一体この先どうなるんだろう」みたいな不安があったり、恐ろしいほど無力感を感じた時期だったと思うんですよね。
大きな電力供給システムが起こした事故に対して、事前に僕らが止められなかった無力感。それに恩恵を受ける暮らしをしてきてしまった罪悪感。地震や津波という自然の大きな力に対する無力感。
実際、プレートが物理的に揺れたわけですけど、社会そのもののあり方も、自分たちの人生も「これでいいんだろうか」ってみんな大きく揺さぶられたわけで。
そんなときに、みんなで何かをやってみた。そして、できた。無力感というところから、揺るぎない自信がうまれて、あり方自体が変わった。この経験は非常におもしろいなと思いました。
あと、まさに本のテーマでもありますけど、レジリエンス(※)が現れたと思ったのは、何かを失ってしまったという誰かの経験が、他の人の成長の入り口にきっかけになっているということ。
(※)精神的回復力、しなやかさ
みんな、「良いこと」が良いことを生むって思いがちだけど、そうじゃなくて、「良くないこと」が今まで起きえなかった関係性を生んだり、今まではとらえられなかった自分を発見させてくれたりする。震災という出来事が、彼らのつながりの中に眠ってた可能性を引き出していくきっかけになったんだなって思ったんですよね。
榎本さん なるほど。その通りですね。
(編集: 福井尚子)
(編集協力: あいだきみこ)