旅の前提がガラッと変わったこの2年。
外国からの旅行者はほぼ来なくなり、日本国内からの旅行者も気軽には出歩けない日々も多々ありました。
旅行や観光業を営む人たちは、どんな風にこの苦境を乗り越えようとしてきたのでしょうか?
連載「旅とゲストハウスのこれから」では、まちとつながり出会いを生む「ゲストハウス」を中心に、苦境でもチャレンジし続ける人と彼らのネクストアクションをご紹介しています。
神奈川県小田原市でゲストハウスを運営しているTipy records Inn(ティピーレコーズイン、以下、ティピー)のコアゼユウスケさんは、さまざまな試行錯誤を経て、旅人のためだけでなく、移住を希望する人や、コロナ禍で対面コミュニケーションの手段が限定されてしまった大学生を対象に、新たな活動をはじめています。
ティピーは小田原駅前に残る下町にある個室型4棟のゲストハウス
神奈川県小田原市は東京から新幹線を使えば32分。有名観光地・箱根のお膝元に位置する歴史ある城下町です。
小田原駅からは徒歩5分。駅前の飲食店街を少し抜け、小さな路地を入った中に「Tipy records inn」はあります。小さなアパートの一室を民泊施設として貸し出したのを契機に、周辺の空き家を次々と改修し、現在は、最初につくったinnのほか、House、Room、受付と共有リビングがあるLoungeの4棟から成るゲストハウスとして運営しています。
オーナーは隣町で生まれ育ち、小田原でバンドを組んで青春時代を過ごしたコアゼユウスケさんです。小田原にレコード店がなくなったことをきっかけに、「もっと音楽に親しめる場所をつくりたい!」とさまざまな可能性を模索。2017年、グリーンズの学校「ゲストハウスプロデュースクラス」の参加を契機に、ゲストハウスの立ち上げを考えはじめます。
その後、小田原市が運営する創業塾にも参加し、「音楽好きが集まるゲストハウス」のコンセプトをもとに、綿密な事業計画を立て、開業にこぎつけました。
Tipy records innオーナー 神奈川県二宮町出身。2018年、レコードやCD持参で宿泊代を優待するレコードディスカウントがある個室分散型のゲストハウス Tipy records innを開業し、現在は4棟8部屋を運営中。2020年地元ゲストハウスオーナーとともに「オダワラブレイク」を発足。ユニークなローカルツアーを企画するなど、旅人にまちの魅力を伝える努力を続けている。(※2022年より本名の内田佑介から表記変更して活動とのこと)
ティピー開業以前、コアゼさんはバス運転手として箱根の山々を走り回っていました。
バス運転手は時間も不規則、仕事もハードで、家族もいるので副業や起業などの道を探っていました。その一環でアパート1部屋で民泊運営をはじめたんですが、今まで仕事で出会ったことのない人と親しくお話ができて、自分が当たり前だと思っていた情報を提供すると、ものすごく喜んでくれたりすることがすごくおもしろかったんです。そこから、宿業を本気出してやろうと考えはじめました。
新たに宿にするための物件探しをしている最中に、覚悟を決めてバス会社を退職することを会社に宣言。その後、理想としていた駅に近い一軒家を借りることができて、生業として本格的にゲストハウス運営を始めることになったのです。
折しもインバウンドの波が訪れ、外国人観光客が倍々ゲームで増えていった時期でした。外国人観光客に特に人気だったのが、小田原から箱根に行くコース。バスの運転手だった経験を活かした箱根情報を英語で発信が好評でした。
宿泊客がCDやレコードを持ち込んで宿に寄贈すると代金が割引となるレコードディスカウントというユニークな制度も評判が良く、世界中から音楽好きの宿泊客が集まる大人気の宿となりました。
また、1軒目を開業してすぐ「隣の空き家も借りないか?」と契約した不動産屋から申し出があり、融資も得られたことで、その後4軒の空き家を再生するまでとんとん拍子に事業が拡大していきます。
事業がコロナ禍で急ブレーキ。取った対策はまわりとつながり、関係性を広げること
ところが、2019年の年末頃から、世界規模で新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめます。その影響を真っ先に受けたのが、外国人旅行者が多く利用するゲストハウスなどの宿泊業界でした。海外からの旅行者がまったく来なくなり、続いて国内からの旅行者も来られない状況になっていきます。
もう数ヶ月先の予約まで全部キャンセルで、資金繰りがいきなり厳しくなって。最初は補助金などの公的支援も一切なく体制が整ってなかったから、商工会や公庫に相談しつつ「来月はなんとか払えるか……」というギリギリの状況でしたね。
コアゼさんは、急な状況の変化に戸惑いながらも、なんとか事態を打開しようと、できることはなんでもやる精神でさまざまなことにトライしていきます。例えば下記のようなこと。
1. SNSで「ヘルプ!」現状を発信
2020年2月、外国人旅行客がピタリと止まる。現状をすべてさらけだそう!とTwitterやFacebookなど、個人や宿のアカウントを使って「来てください!助けてください」とお願いのメールや投稿を行った。投稿のリツイートも160を超え、心配して連絡をくれた友人知人に精神的にも助けられた。
2. 日帰り「お昼寝プラン」の誕生
2020年春、宿にある広いウッドデッキで布団干し中「そのまま寝たら気持ちいいよね」と、SNSに投稿。すると反響があり、遊び半分で「ティピーのお昼寝プラン」をはじめてみることに。インフルエンサーがTwitterで話題にしてくれたことをきっかけに、お笑い芸人の博多大吉さんまでつながりラジオ番組で紹介され、宿泊以外の利用者が増えた。
3. オリジナル出前サービス「ティピーのおつかい」
2020年5月〜6月、ヘルプを発信した際に応援してくれた地元の飲食店が、緊急事態宣言以降になって同じく苦境に陥る。恩返しの意味も込めて、ウーバーイーツのような出前サービスの小田原版をスタッフ2名体制で行った。
4. ティピやきいも
2020年10月〜宿の軒先で焼き芋屋台をはじめる。庭にアウトドアチェアを置いて、ちょっとしたアウトドアカフェのようになり、宿泊者以外の会話も弾む場所ができた。(冬期間限定)
5. 定額制宿泊サービスとの提携
2020年冬〜2021年、会員制定額宿泊サービスのAddressやHafH(ハフ)と契約し、旅行者だけでなく、長期滞在する日本人や、貸し切り利用する家族連れなども利用しやすいよう体制を整えた。
6. 地元の宿仲間で「オダワラブレイク」発足
2020年春頃、小田原のゲストハウス仲間3人でチーム「オダワラブレイク」を結成。「これからどうする?」の作戦会議をZOOMで公開すると、視聴者はのべ200人以上に。課題の共有だけでなくチームの結束も高まった。
その後、若者をターゲットにした小田原のPR動画をつくったり、サイクリングツアーや地元旅行会社とコラボしたお散歩ツアーも開催した。
苦境でも内にこもるのではなく、現況を率直に公開することで、つながりができ、次にやるべき道筋が見えていきました。宿として雇用や資金繰りなどの経営基盤を整えつつ、常に「次につながるものはないか?」を模索し、絶えずアクションを続けていったのです。
立ち止まったからこそ見えた宿の大きな目標
2022年現在、新型コロナウイルスの影響は、何度も訪れる大きな波とともに、引き続き大きく立ちはだかっています。ただこの2年、いったん立ち止まり、思考を整理するなかで、より本質的な課題や目標が見えてきた、といいます。コアゼさんが一番やりたいこと。それは「もっとワクワクする小田原にしたい、その仲間を増やす」ことでした。
コロナ前は忙し過ぎて、日々の業務をどう回すかに精一杯で余裕がなかったんですよね。宿をつくるときに最初の目標のひとつに挙げていた「小田原のまちの魅力を伝える」ことに関しては、手が回らないことも多かった。
けれど、この機会に地域の事業者仲間と話す機会も増えて、抱えてる課題はみんな一緒だということにも気づきました。「遊びに来てくれる人が増えたら、ちゃんと商売としてうまくいくよね」って。だから、小田原を盛り上げる仲間を増やしていけばいい、と思うようになっていったんです。
視野を広げてスタートした移住支援が宿の経営改善に
2020年からは、地元に目を向けた活動も本格的にはじめました。
現在の活動として主だったものは2つ、ひとつは小田原市と協業している「お試し移住プラン」と「ティピーのローカルキャンパス」です。
「お試し移住プラン」は、宿泊プログラムのひとつで、移住を検討している方にティピーに2泊3日で滞在してもらい、期間中に2時間程度コアゼさんと一緒に小田原のまち歩きをするというものです。
このプログラムは、東京から近い関東圏への移住希望者が増えている状況をふまえ、小田原市とも提携。市に問い合わせのあった移住検討者に紹介してもらったことで、プランの情報がピンポイントで伝わり、移住希望者の多くがお試し移住に参加しました。
2020年夏前から2021年12月までの間に52組が利用し、なんと利用者の約4割にあたる21組が、移住を決めたそう。このプランが定着することで、宿の経営状況も少しずつ改善していきました。
25歳以下の若者限定。小田原の課外ゼミ「ティピーのローカルキャンパス」開講
「ティピーのローカルキャンパス」は、お試し移住プランから波及したプロジェクト。都内在住の大学生が申し込んできたことからはじまりました。3〜40代の家族の利用が多い移住プログラムに、大学生が単身でなぜ?と不思議に思い、コアゼさんが尋ねてみたのです。
すると、彼は「オンライン授業の増加で大学構内に行くのはゼミ活動程度。このまま来年就職活動が始まり、社会に出て行くのは怖い。都内から近い小田原移住も視野に入れて、「何か自分が社会と関わるきっかけはないか? と思った」と、話してくれたそう。
それを聞き、「もしかして同じように感じている若者が、他にもいるのでは?」そう考え、25歳以下の若者限定で参加できる企画を立ち上げることにしたのです。
名付けて「ティピーのローカルキャンパス」。小田原のローカルコミュニティーに溶け込みながら新しいことに挑戦する実践型プロジェクトです。
小田原というまちを舞台にして、自分が出会った地元のおもしろい大人と出会って視野を広げてもらいたい、という想いではじめました。
プログラムは半年間。メンバーは毎月1回以上小田原に足を運んで、宿に滞在することができます。また、小田原で事業を行う現地サポーターの通称「ご近所さん」に、彼らの仕事や地元での活動を教えてもらう講義や交流会も開催。その上で、自主的な活動を通じて、メンバー内のチームでまちと関わるプロジェクトを作り、何らかの行動を起こし、最後にリアルな場で発表するというものです。
まるで課外ゼミのような、まさにローカルなキャンパスを模したその企画は、2021年春に募集を行うと、おもに首都圏在住の学生が参加。地元小田原からも3人の若者が加わり、初夏に総勢10名のメンバーでスタートしました。
講師は、小田原の干物屋五代目となる早瀬広海さん、29歳のきこりで山を買って林業を営むイシタカさんなど、20〜40代で小田原で事業を営む人にお願いしました。
学生時代、バンド組んでライブに出てた時、いつも出演するライブハウスにちょっと上の先輩のような地元のヒーローがいるんですよね。例えばTVに出るような知名度のあるアーティストに自分がなれるとは思わないけど、地元のヒーローなら……。彼らがこのライブハウスをいっぱいにしてるんだったら、俺もやれるかも、なんて思ったことを思い出して。
だから今回の講師陣の「ご近所さん」も、すごく有名な人というよりは、街に行けば会える、凄いけど身近に思える人たちが講師になることで、「自分もなにかやれるかもって思ってもらえたらいいな」という意図がありました。
基本的には半年間、コアゼさんは学長のような立場で活動内容のアドバイスや人の紹介をするものの、決まった講義以外はメンバーが自由に動き回っていたそう。期間中に新たな部活動を始めたり、月1回以上小田原に訪れる子もいるなど、活動は盛り上がりを見せました。
2021年12月には、活動の成果を発表する最終プレゼン大会が行われました。「小田原でもっと私たちがワクワクするには?」というテーマで、活動当初から共に動いてきた2つのチームが今後進めたいプロジェクト内容を発表。
1つは小田原で活躍する人を紹介する「オトナリ」と称したメディアを新たに作ってWEBやSNSで発信するプロジェクト。もう1チームは小田原の住民と訪れる若者が「七輪を囲んで集うプログラム」を提案。
どちらのチームの参加者も、彼らにとって縁遠かった「地方で生業を持って楽しく生きる大人」と出会って感銘を受けたと口々に感想を述べていたのが印象的でした。
各チームの活動は引き続き継続し、地元メディアとのコラボ企画が生まれるかも?とコアゼさんはその後の近況を教えてくれました。このプロジェクトは来年以降も継続予定で、まちにまた新たなつながりと広がりが生まれそうです。
「さあ、やっちゃおう」との合言葉でスタートしたローカルキャンパスプロジェクト。コアゼさん自身も、この企画を進めることに勇気が必要だったといいます。
「いろんな人の後押しもあって、実現できました。学生を鼓舞しながら、自分がそれを糧に実践していた気もする。」
と笑顔でそう語ってくれました。
夢を共有するバンド仲間を増やすように、小田原を愛する仲間を増やしたい
現在も、コロナ禍は続いています。旅行業界全体が落ち込み、大変な苦境のなか、心境はどう変化していったのでしょうか?
まだ収支はマイナスではあるけれども大丈夫……というか、とりあえず来月潰れることはないかな、と。慣れというか、度胸もついてきました。自分のやりたいことが小田原のまちの中にあり、まちや地域の事業者のみなさんと一緒に寄りそって進めている。
「もっとワクワクする小田原に」という目標は、忙しかった以前よりも今の方が目指せていけてるな、という感覚はありますね。
外国人旅行者が多く訪れていた頃、小田原のまちを気に入って長期間宿泊するゲストもいました。「ただ、どの部分が魅力か? という部分は今ほどわかってなかったと思う」といいます。
彼らが東京ではなく、小田原を選んだ理由は、日本のローカルではどんな生活が営まれているかをもっと見てみたかったんだな。箱根や富士山の観光情報も大切だけど、もしかしたら、今、僕らが地元でやってるような住民や店の人との触れ合いや、今も小田原に残る伝統的な干物屋やかまぼこ屋さん、居酒屋や酒屋さんのような小さな個人商店なんかを本当はもっと見たかったのでは?という気がするんです。
この2年、小田原の仲間たちとさまざまなプロジェクトや試みを繰り広げてきました。今後、外国人ゲストが戻ってきたときには「小田原だけで2週間過ごせるよ」と自信を持って言える気がする、と語ってくれました。
外国人観光客は、地元の住民にとっては一番遠いヨソモノの視線でもあります。彼らが発見した小田原の魅力を、宿というフィルターを通して、地元住民や学生、日本中にいる小田原を知らない、発掘しきれてない人にも伝えていく。
コアゼさんは、音楽好きが集まる宿としてのコンセプトはこれからも大切にしつつも、より地元密着型のゲストハウスとして、地道に営業努力を重ねながら、お互いの夢を追い、応援しあえるバンド仲間が増えていくように、小田原を愛する人の輪が広がればいい。自分はその手助けをしていきたい、と意気込んでいます。
旅はもっと暮らしに近い存在になっていく
最後に、コロナ禍を経て、これからの旅はどのように変化していく?宿の担い手としてどうありたいか? という質問を投げかけてみました。
今までの旅って、ちょっとご褒美的な特別なものとしてとらえられることが多かったように思います。でもこの2年でリモート化が進んでどこでも学べる、働ける人も増えてきて、日常と旅との間にあった境界線が曖昧になりつつあるのかも。
日々の暮らしの延長線として、気軽な気持ちで旅をする人が増えてきた。そうしたときに、きっかけは偶然でも小田原にやってきて、次は目的地としてこのまちやティピーが選ばれる存在になっていければ最高ですね。
人は苦境に陥ったとき、弱みを見せまいとして誰にも言わずにじっとひとりで耐えてしまいがちです。コアゼさんは、宿の経営が通常運転できなくなったコロナ禍のごく初期に、勇気を出して「助けて!」と声を挙げたことで、たくさんの手助けとともに苦境を切り抜ける仲間を得ることができ、そこから現状打破の突破口を開いていきました。
すぐに解決策が見えなくても、思いついたことはなんでもやってみる。そんながむしゃらな行動力は、きっと周りの人にも勇気を与えることでしょう。あなたも苦境に陥ったなら、一歩前へ、とにかく進んでみる。そこからきっと動いていくことがあるはずです。
– INFORMATION –
– コアゼさんの小田原イチオシスポット –
ぜひお城の周辺にある東海道の城下町ならではの「かまぼこ通り」や「ひものスタンド」などにも行ってみてほしいです!まちにはネコがたくさんいます。ネコのいるまちはいいまち、そう思いませんか?(笑)