NPOグリーンズの合言葉でもある「いかしあうつながり」とは、関わっている存在すべてが幸せになり、幸せであり続ける関係性のこと。それをみんながデザインできるような考え方、やり方をつくり、実践し、広めるのが、NPOグリーンズの新しいミッションだ。
とはいえ、それってどんなこと? 発案者の鈴木菜央も「まだわからない(笑)」という。「わからないなら、聞きに行こう」というわけで、鈴木菜央が「いかしあうつながり」「関係性のデザイン」に近い分野で実践・研究しているさまざまな方々と対話する連載。第2回目はパーマカルチャーデザイナーでフォレストガーデンを実践する大村淳さんです。
ー 目次 ー
▼すべての生き物たちが食べられる森をつくる
▼森は畑よりも手がかからない!?
▼年々豊かになっていくものをつくる
▼生きとし生けるものの豊かなつながりを味わう
▼植物の時間軸を設計する フォレストガーデンのデザインプロセスとは
すべての生き物たちが食べられる森をつくる
鈴木菜央(以下、菜央) 淳君のベースはやっぱりエディブルフォレストかな?
大村淳(以下、淳) うん、そうだね。
菜央 エディブルフォレストって何? ってところから話を始めたいんだけど。
淳 エディブルフォレストっていうのは、生き物たちが豊富に集まっている若い森をモデルにしながら、人間の暮らしに必要な食べ物を与えてくれる様々な植物たちで森をつくるということ。人間が暮らすために必要な食べ物や、暮らしで必要な物を自給していくためのデザインの体系、とも言うことができるかな。そういったガーデニングや菜園のつくり方を総称してエディブルフォレストという風に呼んでいるんです。
で、僕は人間の食べられるものを自給自足させていくということもすごく大切にしているんだけど、もうちょっと解釈を広げて、すべての生き物たちが食べられる森をつくれたらいいなと思っていて。僕が手掛けている森の中には、人間が直接食べることができないけど、身近にいる鳥やいろんな虫たちが食べられるような木々や植物が育つ環境づくりもしていて。できるだけ人間を含めたいろんな生き物たちの食べられるものが、その森で満たされていくっていうようなことができたらいいなという思いでやっています。
菜央 人間以外にとっても、食べられる森。
淳 そう。だから「エディブルフォレスト」という呼び方も実は使っていなくて、「フォレストガーデン」っていう森のような菜園っていうところを僕は表現しているんですね。エディブルってなっちゃうと食べられるものだけの森っていう風になってしまう可能性もあるなと思っていて。
例えば、建材で使えたり、クラフトで使えたり、薬草になったりする植物も入れ込んだりしているし、そうやって食べられるものだけではないというところも大事にしたいなと思っています。なので、僕が必要なちょっとした支柱に、森から生まれている枝を使っていたりする一方、鳥たちが巣をつくれるような高い木もあえて、しっかり残しておいたりしていて。人間以外の、鳥やほかの生き物たちも家がつくれる森、みたいな、そういうニュアンスで意識はしています。
菜央 へー、なるほど。いま「どうぶつの森」が世の中で流行っているけど、リアル「どうぶつの森」だね(笑)
淳 そうそう、そこに人間もいるみたいな感じ。
菜央 人間のための森じゃない方が、結局人間にも居心地がいいみたいな感じなのかな。
淳 うん。そういうところも多分にあるような気がしていて。
自分たちがやっているフォレストガーデンの実験エリアのすぐ横に、放置されていた、元里山みたいな照葉樹のすごく大きな森があるんだけど、そこの森に来るいろんな生き物たちがいることによって受ける恩恵っていうのがたくさんあって。
例えば、その森から肥料分になるような資材が収穫できたり、鳥たちが集まることによって、鳥たちが落としていく糞が栄養になったり。
パーマカルチャーではよく鶏を飼って、その鶏糞の肥料分でガーデンの豊かさを高めていくっていう手法があるけど、鶏を飼わなくてもワイルドな野生生物たちで地質や栄養の補給をするみたいなことができている。
そう思うと、人間があくせく土地の改良をしていくということも大事なんだけど、周りの生態系に助けてもらえるという意味で、自然の環境を身の回りに置いておくというのは、人にとっても有益さがあるなと感じますね。
菜央 なるほど。その話をもっと聞きたいんだけど、その前にまず淳くんがどんな森をつくっているのか、リアルな部分を教えてもらえないかな。
淳 静岡県浜松市の市街地に近い住宅地に、「椎ノ木谷」という里山保全されている空間があって。その住宅地の中に、とっても小さい、一反に満たないまでの大きさの農地のエリアがあります。
菜央 一反ってどれぐらい?
淳 1反が約1000㎡くらい。てことは、50m×15m=750㎡くらいかな。
それぐらいの大きさの、フォレストガーデンっていう実験的なエリアがあって。元は耕作放棄地だったところを借り受けさせてもらって、地主の方の許可を得て実験をさせてもらっているのが、今の50m×15mの土地ですね。食べられるものとか、薬用になるものとか、人間の暮らしに近い要素を持った植物たちで森をつくっています。
その隣接している土地が森、というか耕作放置林っていうんですかね、要は荒れている、手が入れられていなかった山林があって、そこの広さが大体その3倍くらいなので、大体2500㎡くらいかな。そこでは動物や元々いた植物たちが旺盛に育つように、昔の里山のような空間の使い方をしていて。2つのパターンの中で実験をしています。
菜央 外から見ると、協同菜園の一角が急に森になっているみたいな感じだよね。
淳 そうですね。実験している耕作放棄地の畑の周りでは、普通におじいちゃんおばあちゃんたちが農業やっているというか。そこの一角だけいろんな果樹やら植物やらが入り乱れている空間になって、森が続いていくみたいな感じです。
森は畑よりも手がかからない!?
菜央 なるほどね。そもそもなんでフォレストガーデンやっているの? 何が楽しいの?
淳 最初はすごくありきたりなんだけど、自分自身の食べられるものや必要なものは、できるだけ自分自身でつくっていきたいという気持ちから始まりました。
家庭菜園もいろいろ手掛けてはみたんですけど、難しさや大変さを感じていたんです。それがフォレストガーデニングという考え方に触れた時、一度植えたら2〜5年育つ多年草や、何十年も育つ木みたいな植物を中心に自給的な暮らしをしていった方が、人間があまり働かなくてもいいガーデンや菜園の運営ができるってことに気が付いて。
生計を立てていくために働く傍らで自給自足をしていく大変さをどう両立させていくかみたいなことは自分にとってすごく大事なテーマだった。だからこそ、一回それを植えて、年々育っていったら後は収穫するだけ、のシステムがつくれるって聞いたら、いやこれしかないなと思って。手入れするのは手入れするんだけど、そこに行ったら食べ物がどんどんどんどん収穫できる、みたいな理想にわくわくしたのが始まりですね。
菜央 えー! 畑が難しいっていうのはやっぱり意外。というか、畑の方が絶対簡単で森なんてとてもじゃないけど大変だ、みたいに思うよね? その、畑が難しいっていうところをもうちょっと聞きたいな。
淳 僕のプロセスがすごく特殊なのかもしれないですけど、借り受ける畑って結構荒れていたり劣化している土地が多かったんですよね。その中で土地にテコ入れしながら、栽培をしていく大変さが、僕の場合はあって。毎回かけている労力の割にリターンが少ないなと感じてたんです。
でも多年草の植物っていうのは、弱ったりすることはあっても、確実に年々年々旺盛になっていく。収穫して終わりじゃなくて、収穫しても翌年また前年度よりも量が増えていく、みたいな。そこに手応えとやりやすさを感じました。あとは丈夫なんですよね、多年草植物の方が。
菜央 多年草、知らない人もいると思うんだけど、植物には1年ごとに枯れていく一年草の植物と、毎年花を咲かせる多年草があるという話ね。
淳 そうです。ニラや山菜は枯れずにずっとそこに残って増え続けてくれている。土地改良をしたり、半シーズンくらいで植えて育てて、みたいなサイクルを年々繰り返したりしていくよりも、そこにずっと育ってくれていて、季節になったら取れるみたいなことの方が、自分にとってはあんまり負荷がなかったんですよね。
菜央 ということは、自然の力を活かすみたいな感じかな? さっき鳥が勝手に飛んでくるから鶏飼わなくても良くないかみたいな話があったけど、それと同じように多年草の性質を上手に活かしている、っていうことなのかな。
淳 そうですね、そういうところもあります。
仕事がいきなり詰まっちゃって菜園に行けないことがあると、その間に植物が弱っていってしまって。収穫があまりできなかったり、病気や虫に負けちゃったり、ケアが行き届かない大変さというのも一年草の畑にはあって。
菜央 わかるわかる。ピークすぎるといきなり味も落ちるしね。
淳 そうそうそう。そして収穫していったら、収穫時期終わっているとか早すぎるとか。特に目の前に畑がある人たちだったらいいかもしれないけど、ちょっと離れた所に畑があったりするとなかなか仕事をしながら菜園をして、自給的な暮らしをするっていうのは難しかったですね。
菜央 僕もその難しさに直面しているかも。でも森の方が簡単というのはちょっと目から鱗だね。
淳 何となく僕はそう思うのだけど。
菜央 そうなんだね。働かなくていいというのはものすごく魅力的だね。もちろんやることはいっぱいあるけど。
年々豊かになっていくものをつくる
菜央 パーマカルチャーでいうと観察して流れを活かすとか、植物の性質を活かすとか、そういうデザインにちょっとずつ手を入れていくみたいな。その、働かなくていいというのをもう少し聞きたいな。なんでそうなるの?
淳 くれぐれも言っておきたいのは、畑を否定したいわけではなくて。僕も畑を、フォレストガーデンを持ちながらやっているんですけど。それでも自分のライフスタイルに合わせていたら、ガーデンをやっていったという前提のもとに話をしていきたいんです。
一年草の菜園をやっていくと、必要作業というのが必ずあって、例えば種を撒くとか、人によっては耕したり堆肥をつくって肥料をあげたり。あとは植物たちが負けないように草の管理をしたり。一年草の畑を成り立たせるためには年がら年中作業がある感じが自分はするんです。
でも多年草野菜とか多年草の野草、山菜みたいなものって、季節になったら、葉っぱが食べられたり実が食べられたり。春になったらみんながタケノコ取りに行くという感覚が自分としては近いんだけど、そういうものが春夏秋冬あるみたいな感じなんですよね。多年草も最初は一年草みたいに小さいときはお世話がやっぱり必要なんですけど、2年3年4年って経ってくると、草とかそういったものに負けないようになってくるんですよ。そうすると、草刈りに追われたり、土壌改良する度にまた耕したり、堆肥をあげたりする必要がなくなる。あとは輪作というんですかね?
菜央 これをやって次これをやって、次これをやって、みたいな?
淳 そうそう。同じものを育てていると、調子が悪くなるみたいなこともあんまりない。そこに置いたら後はあまり考えずに収穫ができる。草に負けそうになったときは手も入れるんですけど、普通の畑よりも頻度はかなり低いので、あんまり手がかからないという感覚は、年々高まっている気がしますね。最初の1〜3年はやっぱり大変だったんだけど、今はだいぶ労力が減ってきている感じが、手応えとしてあるかな。
1年サイクルの畑をつくっていくというのは、毎年同じ必要な作業とか必要な働き方や手間暇というものがある。フォレストガーデンやエディブルフォレストは、一年草の野菜みたいにすぐに収穫ができないというのはデメリットとしてあるけど、2年3年経ってきた時の収穫量は、通常の畑の栽培面積に対して大きく変わってきて。僕の手ごたえでいうと、3・4年すると、同じ面積に対して食べられるものや収穫できる量というのが、大幅に超えてくる感じがしますね。
菜央 畑よりも?
淳 畑よりもしますね。畑ってどうしても平面利用になので、平面の面積でどれくらい収穫できるかっていう感じになってくると思うんですけど、フォレストガーデンはいろんな高さの植物を立体的に使って面積、土地を利用していくので、要は面と立体とだと、収穫できる総量というか、トータルの収穫物の量が結構大きく違ってくるんですよね。
そういう風に考えていくと、最初の1・2年で収穫できないものを育てていくという大変さはあるんですけど、収穫が始まるようになった時は、多様な恵みを与えてくれる。だから年々豊かになっていくものをつくろうとすることがフォレストガーデンかなと自分は思っていて。最初にいろんな労力を投資するんだけど、でも返ってくるものが年々溢れていく、というようなものをイメージしています。
畑は一年分の収穫は常々常々取れていくんですけど、フォレストガーデンはそこの土地に対して実りというのがどんどん増えていく感じになっていくんじゃないかなと思ってやっています。
生きとし生けるものの豊かなつながりを味わう
菜央 フォレストガーデンの楽しさって、きっと食べ物だけじゃなくて物理的な物だけでもない、と思うのね。どんな収穫なの? どんな日常なの? 何が楽しいと思うの?
淳 なんだろうな。もうね、楽しいんすよね(笑)
その楽しさも、本当にいろんなものを育てているから、いろんな味が楽しめるというのもそうだし、例えばハーブも入っているから、いろんな香りも楽しめるし、季節折々の花を見て癒されて、そこに虫が来てくれているのもなんか嬉しい、みたいな。
益虫っていって、いわゆる僕らが害虫と呼ぶものを食べに来てくれる虫が寄ってくれるような花を植えたりするんだよね。そうすると、その花を見て楽しいし、さらにその花があることで手伝いに来てくれる虫がいる、みたいな感じなんですよ。
自分たちが植物たちをケアするということをフォレストガーデンでやっていくんですけど、人間が一生懸命手を加えているというだけでなくて、そこにやってくるいろんな虫が受粉を手伝ってくれたり、蜂が芋虫食べに手伝いに来てくれたりする。そういう風に、いろんな昆虫とか動物たちと一緒にガーデンをやっている感覚があるのが自分はめちゃくちゃ楽しいし、毎年その仲間たちが増えている感じがあります。
菜央 「あつまれどうぶつの森」のアップデートみたいだ(笑)
淳 「あつまれどうぶつの森」がリアルに(笑) 「あれ、この鳥去年来なかったよね」みたいな感じのことがあったり。それがね、めちゃくちゃ楽しいですね。
菜央 昆虫好きも楽しいし、鳥好きも楽しいし、そうやって種を超えて共同作業している楽しさもある、みたいな感じ?
淳 そうそうそう、そうなんですよ。
菜央 虫が増えると鳥も増えて、みたいな。
淳 そういう連鎖をすごく生々しく感じられるところもあるんですよね。
それを実感することを熱望していた自分がいて。概念とか思想とかでは、「生きとし生けるものがつながりあって豊かに」という言葉はあるんだけど、それって現実にどんな世界なんだろうっていうところを味わっていない自分がいた。エコロジーの概念や持続可能性の概念を体現して味わうものとして、フォレストガーデンをやってみたいというのがあったんです。今は何となく言っていたことって本当にあるんだな、みたいな実感がふつふつと生まれてきている感じなんですよね。
菜央 それは、感じてみたいね……!
淳 直接的な関係性で結ばれていく心地よさみたいなのがフォレストガーデンやっているとあるんですよ。虫のこととか動物たちのことを思いやるというのもあるんですけど、自分の暮らしに、虫が直接的または間接的に関わっていて。で、恵みをもたらしてくれたり、間接的に助けてくれたり、そうしたやり取りが生々しく行われているっていうところかな。
菜央 具体的な例ってなんだろう。
淳 1つは、虫たちの居場所を先につくっているんですよ。例えばブドウ棚をつくっていて、それはブドウをはわせて人間がブドウを収穫する為に必要な仕立て方なんですけど、そのブドウ棚の竹に5mmくらいの穴をドリルで開けていくんですね。
そうすると、狩りバチっていう芋虫を食べてくれるちょっと大型の蜂がそこに入って巣をつくるんですよ。その蜂がガーデンの、虫がつきやすい野菜や果樹のところに行って、虫を捕まえて食べてくれるという行いを見た時に、ありがとうっていう思いと同時に、彼らの巣を守りたくなる自分も出てきて。もっと深く狩りバチという蜂とつながったような感じ?
菜央 関係ない「狩りバチ」という情報じゃなくて、「狩りバチ、つながっているんだな」みたいな?
淳 そうそう。情報じゃない感じ。今狩りバチを代表して話したんですけど、そういう虫や鳥がちょこちょこいるんですよね。
菜央 ブドウ棚に穴を開けてみたことで、結果自分にリターンが返ってきた。
淳 そう、そうなんですよね。ついつい、やっぱりブドウのことだけ、考えてしまうんですけど、他の生き物たちにとってはそこが家にもなり得るとか、逆にそこに住まってもらった方が、ブドウを育てる以上の恩恵を得ることができるというか。パーマカルチャーの「機能を重ね合わせる(Stacking Function)」ですかね。一つの物がいろんな効果を与えてくれるみたいな考え方にもつながるかもしれないですけど。フォレストガーデンはそのいろんな作用と関係性が入れ子構造に交じって、その場所を豊かにつくり続けてくれるっていう感じがあるかな。
菜央 それも、常に人間が管理しなくちゃいけない環境じゃなくて、生き物同士がお互いにちょっとよろめいても元に戻ったりしていくような。それを活かしてつくっていくということなのかな。
淳 そう、そうですね。
自分が実験をしている土地が2つあるという話を最初にしたんですけど、食べ物を人間優先でつくっていっているところと、自然界中心に動いているようなところの2つのやり取りが今すごく楽しくて。
人間の思惑でつくりたいものの中に、自然界からのいろんなアクセスがあるんですよ。鳥が入れば当然、いろんな木の種が入っているから、植えてもいない木がぽこぽこ出始めてきたりとか。逆に自分がガーデニングして育てていた植物が森側に入っていって、本当に自然の山菜になっちゃった、みたいなのとか。
菜央 へー! 面白いね。
淳 やり取りっていうか、確実に自分のふるまったことが向こう側にも影響を与えていて、向こう側でやっていることが、こっちにも影響を与えているということがわかると、普通に考えたら「雑草はどんどん抜いちゃおう」となるところを、1回立ち止まる感じが出てくるんですよね。いや、これこんな風に使えないかな、みたいな。
それこそ、最近アカメガシワというよく生えてくる木があるんですよね。やっぱり鳥たちが運んでくるんですけど。その葉っぱが結構大きいから、コンポストトイレのトイレットペーパーに使えるじゃん、みたいな。アカメガシワが邪魔だから切る、というよりは、僕たちが育てたいものを圧迫しない範囲で、そこにいてもらう方がいいよな、みたいな考え方に変わっていく。そこにある植物と、どうやったら良い関係性をつくれるんだろうということを考えるようになります。
植物の時間軸を設計する
フォレストガーデンのデザインプロセスとは
菜央 うーん。なるほど。これってどういうデザインプロセスなのかな。
淳 僕はパーマカルチャーデザインラボって、フォレストガーデンや今話したことを、誰かの家の庭につくっていくという仕事もしていて。そこで依頼してくれる人とのやり取りが、デザインプロセスの説明になるのかなと思うのでその話をしますね。
まず、植物といってもものすごく膨大な数があるから、それを選んで調整してデザインして、というのは最初すごく大変だと思うんです。だから始まりは、自分自身の暮らしの中で、大切にしたいことを満たしてくれる植物から、設計デザインを進めていくのがいいかなと思っていて。いろんな植物がいるけれど、あんまり興味関心がない植物から始めても、なかなか大変だと思うんですよね。
例えば、スモモが大好き! とか、このハーブの香りがたまらない! とかこのお花がいい! みたいなのってあると思うんです。そうやって暮らしていく人が、どういう植物や食べ物があったらハッピーなんだろうみたいなところから始めていくんですね。
そこで大方、入れたい植物が決まってきて、あとはどうやっていれていくか、の話にプロセスが進んでいくんです。基本は一番大きくなる植物から、家にしろ畑にしろ入れていく。光がうまくいろんな植物たちに当たるように設計していくんですよね。だから、大きい木があるとしたら、その下の植物たちはできればちょっと離してあげて、光が適度に入るような状況をつくってあげる。すると、その大きな木の傘の下で、それよりも小さい植物をいっぱい入れることができる。
菜央 それは設計士とかじゃなくてもみんな同じ考え方でやっている?
淳 そこは基本的に同じ考え方ですね。
フォレストガーデンのデザインのパターンがあって、9つのレイヤーと言われている、植物たちは9つの階層、高さや層があるという風に言われていて。1つのレイヤー層はものすごく巨木になる植物がいて、次にサブキャノピーとか亜高木とか中高木って言われたりする木がある。その下に灌木っていう人の背丈よりちょっと大きいくらいの植物があって、次に僕たちがよく畑とかで育てているような、野菜とか山菜とか草の植物になってくる。その次に、地面を這う、平たくソーラーパネルみたいに広がって太陽光線を受けようとするようなタイプの植物がいる。地面の中にも、植物の生態系があって、後は行く隙間がないから、他の植物たちの間を借りて上に上がっていくツル性の植物たちがある。その他に水生植物や菌類もいるんだけど。
この9つのタイプの植物たちが、うまく収まるように、高い木の横に、次に低い木を入れて、その隙間に更に低くして、その隙間に隙間に隙間に、という感じでやっていくというのが、フォレストガーデンの基本で、そういうやり方でデザインしています。
菜央 大きな木っていきなり大きくならないじゃない? この木は大きくなる種類だな、さあどこに置こうかなって考えるんだね。完成した時には、自分がそこから何を取り出したいのかから逆算して。例えばハーブティが大好きだとか、自分に合ったところからスタートしたらいいんじゃない? みたいな感じかな。
淳 そうですね。やっぱり時間をかけるものなんですよね、フォレストガーデニングって。だから、いきなり大きくならないということは、まだね、その下でいろいろできるんですよね。野菜も育てられるし、ハーブも育てられる。今まで通りの畑から始めつつ、フォレストガーデンのセッティングをしていくみたいな。
菜央 ああ、そういうことか。
淳 で、だんだん森になるに従って、ちょっとずつ畑のエリアを少なくしていくみたいな感じだったら、収穫まで5年・10年待たなくても、木が森になろうとする間で畑をやっていって、だんだん木が大きくなり始めていったら、畑になる場所をちょっとずつ減らしていく。最終的に自分たちがこんな暮らしの環境、場になったらいいなというところに収まっていく、みたいな。時間軸のデザインというか、設計みたいなのも、フォレストガーデンのデザインプロセスの中で、ひょっとしたら一番重要なのかもしれない。
菜央 そっか。時間軸のデザインという視点は面白いなぁ。ちなみに、最小サイズってどのくらいなんだろうね。フォレストガーデンって。
淳 僕は木が3本あったらフォレストガーデンって思っている。木が3つで森じゃないですか(笑)
菜央 確かに(笑)
淳 高木、中木、低木、後は隙間にいろんな植物を入れたら多分7つの階層つくれると思うんですよね。
菜央 じゃあ広さ的には・・・
淳 1坪あったら頑張れる。
菜央 1坪でいけるんだ! すごい、それは希望だな。
淳 自然の森に行ったらものすごい狭いピッチで、巨木になるような子たちがひしめきあっているんですよね。1つの区画にどれくらいの個数の植物があるんだろうとみていくと、かなりの数あるんです。そうした自然がやっていること、森になるようなことを真似ていくというのが、フォレストガーデン。だからかなり狭いところでもいろんなことがやれるというのはあると思う。
菜央 それはいいね。ベランダでもやろうと思えばできるってことだよね?
淳 そうそう。鉢植えでも僕できると思っているんですよね。
大きい鉢のフルーツがなる木は、鉢で制限されているから、逆に言えば大きくなりすぎないから管理はしやすくなるかもしれない。その鉢植えの隣に、例えばハーブや野菜の鉢植えだったり、プランターだったりを置いたら、小さな森をベランダにつくることもできる。
菜央 いいね。ベランダだと、南に向いているという利点があったりもするだろうし。南側にコンクリートの壁が立っているんだったら、その陰を使って、それもまた活かせるだろうし。エアコンの排水とかも活かせるのかな。
淳 使えるね。ベランダが南向きだったら太陽が大好きな植物を育てればいいし、乾いているんだったら、ものすごく乾燥に強いような植物を集めればいい。要は砂漠でも育つような植物がいるわけだから、乾いているのが大好きな植物を育てればいいと思う。逆に日陰になるようだったら、本当に森の鬱蒼とした木の下で育つような山菜とかを育てられるだろうし。エアコンの水が毎回ぽたぽたぽたぽた湿っているようなところだったら、三つ葉とか。そういうところも観察しながら、その場所だけのガーデンができるんじゃないかな。
例えばご近所のことを考えたら、ツル性はやめといた方がいいかな。それか隣の人とめっちゃ仲良くなって、ブドウをシェアするとか。
菜央 ああ。恵みをシェアする、それはいいね。
淳 植物ってそもそもボーダレスだし、人間だけが、多分いろんなボーダーを引いていると思う。限られたエリアで他の人たちに不快感を与えないようなやり方っていうところだと、やっぱり植物の属性を知ってあげるということがフォレストガーデンで大切な部分かなって思っているんだよね。
だからあんまり大暴れするような植物じゃないかなっていうのをまず調べて植える。それから最近僕実験しているんですけど、インドアフォレストガーデンっていうやり方もあるんです。家の中でフォレストガーデンするっていうことも可能じゃないかなって思っていて、今、こんな感じで。
菜央 あらー! かわいい!
淳 浜松が温かいというのもあるんだけど、室温が5度以下に下がらなければ、熱帯系の植物を家の中で育てることもできる。
亜熱帯や熱帯の気候風土って植物たちがひしめきあっているジャングルと呼ばれる状態に自然はなっていくんだけど、もうあまりにも植物が密すぎて、真っ暗なところでしか生きていくことができない、そこで生きていこうみたいに決めている植物もいて。日当たりが悪いところで温かかったら熱帯系の植物の可能性があるんじゃないのかなと思っています。
このアロエは薬効もあるんだよね。特に都市部や環境が悪いところって空気が悪いじゃないですか。NASAが空気浄化をさせるために実験的に選んだ環境浄化植物リストが本で発売されているように、実は空気清浄、つまり有害物質を浄化してくれる植物もいて。
僕がポトちゃんって呼んでいるポトス、あと、あそこの奥にいるアレカヤシちゃんとか、そこらへんの植物は空気をきれいにしてくれるので、都市に住む人たちにもおすすめです。あとは熱帯系の沖縄で育っているようなハーブも家の中の南向きで日が入るところのあたりにおすすめです。
菜央 なるほど、室内でも育てられる! 何があればフォレストガーデンって言えるのかな。
淳 植物の多様性かな。さっきも言ったように基本は7つのレイヤー、大きくなるものから小さい植物までが、うまく隙間を分け合って、その中で生育しているというところなのかなと思っています。なので、家の中でも草もあれば、木もいるし、ツルで這い上がっていくような植物もいたり、広がっていくようなタイプの植物もいたりするので、そういう7つのタイプの植物がうまく共存共栄できるような配置がされているかどうかみたいなところが、僕はフォレストガーデンの定義かなと思いますね。
菜央 そっかそっか。都会でも室内でも、できることは結構あるということだね。
(編集: 福井尚子)
– INFORMATION –
大村淳さんの活動についてもっと詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください。
・Permaculture Design Lab. (パーマカルチャーデザインラボ)
WEB https://www.permaculturedesignlab.com/
FB https://www.facebook.com/pctdesignlab
・The Art Of ForestGarden (フォレストガーデン・プロジェクト)
https://www.theartofforestgarden.com/