NPOグリーンズの合言葉でもある「いかしあうつながり」とは、関わっている存在すべてが幸せになり、幸せであり続ける関係性のこと。それをみんながデザインできるような考え方、やり方をつくり、実践し、広めるのが、NPOグリーンズの新しいミッションだ。
とはいえ、それってどんなこと? 発案者の鈴木菜央も「まだわからない(笑)」という。「わからないなら、聞きに行こう」というわけで、これから、鈴木菜央が「いかしあうつながり」「関係性のデザイン」に近い分野で実践・研究しているさまざまな方々と対話していきます。第1回目はサステナビリティ・ダイアログ代表の牧原ゆりえさんです。
「幸せを説明するための共通言語」について紹介いただいた前編に続き、後編では、そうして手に入れた言語をどう社会に生かしていけるか考えていきます。
ー 目次 ー
▼これからの社会にニーズはどう生かせるか
▼ニーズ論の活用方法
▼測ることで幸せになる、幸せの指標
▼NVCとマックス=ニーフの違いとは
▼「自分で考える、自分で決める」スウェーデンの教育
▼幸せを問い合うこと、心から話を聞くこと
これからの社会にニーズはどう生かせるか
牧原ゆりえさん(以下、ゆり) 留学している大学生の友人が言ってたんですが、普段だったらきっと、おしゃれな服とか彼氏のこととか、なんてことない話に割かれるはずの会話が、どの国の誰と会ってもコロナの話をしていて、この後の世界どうしようかって話をしているみたいで。
鈴木菜央(以下、菜央) そうだね。全体像がまだ見えない渦中にみんないるわけだけど。ちょっとコロナの背景について話をしたい。
ここ200年くらい、いや、大航海時代から含めたら500年進んできているのが、グローバリゼーション。グローバリゼーションって、人と人の関係性、自然との関係性を断ち切り、水、食べ物、あらゆる命、文化を商業化して、売り買いできるようにすることなんだよね。それぞれの地域でそれぞれの文化があってそれぞれの色々なもののやり取りとか困りごとの解決とかをしてたのが、みんなそのそれぞれの文化から切り離されて、孤立化して、どんどんグローバル社会の中の一員として加わっていったことで世界の経済が大きくなっていったんだよね。
その中で、森林伐採とか、農地や漁場の開発もそうだし、鉱山の開発もそうだし、あらゆる資源の開発とか、人間の力が及んでない領域ってのがほとんどない状態になってきて。その中に、やっぱり、まだ特定されていないけど、今回のコロナの原因になったと言われているコウモリもいる。原因1つとっても、背景にはグローバリゼーションがあると思うのね。
感染症の蔓延の結果起きている経済危機を見ていても、世界中の人がそれぞれ孤立して経済システムに組み込まれた状態、つまり一人ひとりが働いて稼いだ「お金」という資源を通じてしか、たとえば水、食べ物や住まい、安全と安心みたいな、人間の生存に必要なものごとを手に入れられないことが、悲劇を生んでいる。
自然と、人と切り離されているっていうことと、すべてをお金に依存しているってことのセットが、本当に大きな不安を生み出してる。
コミュニティがあったり、自然の恵みをうけられる地域や、先進国はコロナ前から蓄積された余裕があるからまだ何とかなると思うけど、国内で経済格差が大きい国や、歴史的に先進国から搾取されてきた発展途上国に住む人々には、本当につらい状況になっている。今みんなが過度にお金に依存する暮らしをしているからこんなに恐怖が広がっている、と思うの。
田舎の可能性が浮き彫りになったなって思うんだけど、たとえばうちの近所は土地も安いし、そのへんの人達みんな自分で家建てて住んでたり、海もあるし、庭に果樹なってるし、畑もみんなやっていて、食べ物はとれる。天然ガスも掘ったら出てくるからガスを自給している人も多い。鶏飼うのも割と普通。だから、あまり危機感がない。
思考実験として、もし世界中の人々が、雨や井戸から水が手に入り、畑や田んぼから食べ物が手に入り、足りない分は近隣の人々で融通しあえる文化が広がっていたら? ここまでのひどい蔓延は起きないと思うんだよね。
そういう世界をつくることを、真剣に考えるべきだと思う。その時にね、コロナ蔓延の本当の原因はなにか? とかどうして僕らの暮らしはこんなに脆弱なのか? とか、なんでこんなに忙しくて不安で孤独なの? とか、どうやったら一人ひとりが幸せで、動物や植物を殺したり痛みつけずに、地球と僕らが存続できる社会をつくれるの? なんてことを考えるときに、「ニーズ」ってのが、すごく使えるんじゃないかと思った。ゆりさんが学んできたことが、みんなにいかされるんじゃないかなと。
ゆり それはすぐにはい! と言い切れない、難しくて複雑な話だと思います。
菜央 いかしたいとは思う?
ゆり はい、もちろん。「考えるため」じゃなくて「やるため」に私が学んできたことをいかせる地域を探しています。
「私こういうことやりたいんです」っていうこちらからの説明を今あんまりしなくなっちゃったんですけど。していた頃は「そういうの面白くない」とか「それだとも儲からない」とか言われることが多かったんですよね。
でも最近、子どもたちとワークショップをやらせていただく機会が増えたんですけど、子どもたちに気候変動とか社会問題とっては「面白い」とか「面白くない」じゃなくて、自分の幸せに直結してる、「マジ」なことなんですね。あと、いい意味で社会に出てないから、「儲からないんじゃない?」 とは言ってこないんですよ。
菜央 ははは。そうですね。
ゆり 動かないシステムの中にいる人に今から10年訴え続けるよりは、子どもたちが暇なうちに、暮らして行くためにどうも考えておいた方が良さそうなことをやたら投げかけてくるおばさんとして活動する方が、働きかけとして結局はインパクトが大きいんじゃないかなと。
それから、何も子どもに限らず、本気で目の前の状況や、これからの暮らしをなんとかしたいっていう地域の人も答えがなくても、話したからって急に何もかもよくなったりしないってわかっているけれど、とにかく話し出さないと! と思っている人たちも同じです。
ていねいな発展も、ナチュラル・ステップも、アート・オブ・ホスティングも、話しているから別のものに感じますが、「やる」を通じて深められると全然違う感覚だと思います。その知恵は、実際行動する人には、「これは役に立つ!」ってすぐわかってもらえるんですよね。
いつか役に立つかもしれないから教えてくださいっていう人じゃなくて、何とかしたいんですっていう人に出会ったときに、最初にもしかしたら学ぶのがマックス=ニーフが良い時もあるし、とりあえず対話してみようかって言いたくなる時もあるし。そのなんとかしたいっていう人に出会えることを今一生懸命している感じです。
やっぱり私は多くの部分が「消費者」であり、今暮らしたいと思っている札幌という街は「大消費地」なので、生産者の方々が生き生きと働いてくださる形で持続する地域が無くなったら、本当に「食っていけない」と思うんです。だから、生産人口がどんどん減って、自分もどんどん高齢化する、今から20年でどれだけ何をできるかが勝負と思っています。
ニーズ論の活用方法
菜央 僕はマックスニーフとは別のニーズ論、NVC(非暴力コミュニケーション)のニーズ論を学んで、日々活用しています。例えば会議をやるときも、「この会議でどんなニーズを満たしたい?」ということをそれぞれが感じて表明して、そのニーズに応じた会議にする。
Aさんが「今日はお腹が痛いから休息のニーズを満たしたい」と言ったら、「そしたら最初にAさんのアジェンダを話して、終わったら抜けたらいいんじゃない?」ということにしたり、「今日は明確さのニーズを満たしたい」というなら、明確じゃないところを聞いて、それが明確になるために話しあう。それだけでなく、グリーンズの新しい仕組みを考える時に、「これによって満たせる僕のニーズってなんだろう」「誰のどんなニーズを満たせるんだろう」というふうに考えたりと、デザインのプロセスに結構活用しているんですね。
ニーズは、自分とつながるときにも使える。「僕が今満たせているニーズはなにかな」「僕が満たせていないニーズはなんだろう」という風に。自分とつながると余裕がうまれるし、自分とつながることをメンバーみんながやると、他の人のニーズに気に掛ける余裕ができて、お互いのニーズを気に掛けるっていう文化が育まれていくっていうことを実践をしているのね。
ゆりさんが翻訳してくれた『”ていねいな発展”のために私たちが今できること』で紹介されている「ニーズとサティスファイヤーから自分たちの可能性を知るワークショップ」に参加すると、個人個人がニーズに基づいた行動をしたり、コミュニティへの意識が高まるのはもちろん、ニーズという共通言語ができて、コミュニティやまちとして、みんなのニーズを満たさない施策や仕組みが減り、よりみんなのニーズを満たす施策や仕組みが増えていくんじゃないかと思ったんですね。
自分の幸せ、仲間たちの幸せ、もっと言えば未来世代の幸せを、どういう風に少ない資源でつくりだせるか。そのためにはみんなで話し合う必要があるし、みんなで決められるっていうことがとても重要。だれか一人が決めるより、みんなが安心して話せる環境でそれを決める方が、ずっといい結果になるはず。そのやり方の基本がすごくシンプルでいい。皆が自分に聞けばいいわけだから。僕の幸せって何? って。
いつも自分に聞いて、幸せが明確になれば、それに向かって行動できるから、自分で自分を幸せにできる。家族もね。
他の人が、こういうニーズを満たしたいって言ったら、自分のニーズとも重なっていれば、一緒にできる。重なっていなくても、共感して応援できる。他の人がニーズを満たすことが、自分のニーズを阻害する場合は、争わずに、共通言語をつかって、冷静に話し合うことできる。
たとえば公共工事とか、自然エネルギー開発なんかがそうだよね。市民にびくつきながら黙って工事をしようとする行政・企業と、ひたすら怒る市民みたいな関係から、「どうやったら少ない資源をつかってみんなのニーズを満たせるか?」ということを明確な中で話し合えれば、それは本当にハッピーな社会につながるって思ったんです。
ゆり うん。まったくそう思います。公共施設に関わる人たちにみんな学んでほしいなと思いました。施設はどんどん減っていくけど、ニーズの充足は減らない、減らさないやり方を生み出しつつ統廃合できないか、とか。
測ることで幸せになる、幸せの指標
菜央 僕ら日本が直面している人口減少社会では、それしかないもんね。文化施設が無くなったから文化が無くなるわけじゃない。でも、具体的にはどういうことなんだろう?
ゆり 直接お答えできているか分かりませんが、話してみますね。
greenz.jpでも記事を書いてるブータンなどで幸福の調査に関わった高野翔さんの受け売りですけど、日本の例えば文化財の指標って、人口一人あたり文化的施設にいくらお金がかかってるか、みたいな。聞いたからって俺にどうしろっていうんだよ、みたいな指標が多いんだそうです。
菜央 なるほど。
ゆり でもブータンの指標だと、例えば近くの神社に今月は3回お参りを行った、みたいなことが指標だから、例えば今回は満たさないっていうチェックになっちゃったとしても、あ、神社に3回いくのねという。じゃあやってみようかなっていうことができる。自分たちが自分たちのできるやり方を指標にしていく。
ちなみにこれから、高野さんがやっている幸福の調査をベースに、マックス=ニーフの考え方を組み合わせて、指標づくりをしようかって話していて。実際に測れるところまでかたちを整えてしまって、その指標を上げるためにはどんなアクションがいい? っていう対話をして、で実際実行してみて、また来年測る、というような。ブータンみたいに測るのが幸せになるような指標。
菜央 うんうん。測ることで幸せになる、幸せの指標。ある意味、民主的な指標なのかな。
ゆり はい。測るものも自分で決められる。
菜央 なるほどね。誰かが決めた指標を「はーそうですか」って他人事で受け取るお客さんじゃなくて、暮らしとか、社会のつくり手として指標を自分でつくって、自分で図る、と。ある意味「幸福のDIY」なのかも。
ゆり 菜央さんが住んでいるいすみで、何が幸せか? を問うて、指標にして、皆でやってみる。
なお おお、やりたい! 次のステップとして学びたいっていう時に、どんな方法がありますか?
ゆり マックス=ニーフの関連のワークショップはオンラインでもできるし、指標の方は、指標をつくるコーチもできるし、指標の骨組みの話とかは一緒にやらせてもらっている先生にZoomで一緒に入ってもらってもいいし。
菜央 それはとてもいいね! その高野さんとね、幸せの指標づくりをシンプルなかたちに落とし込むのと、ローカル経済の可視化、彼の言葉でいうと「まちの家計簿」とローカル経済をつくる提言を、誰にでもつくれるスターターキットみたいなのをつくろうって話しているんです。
今、地方創生第2ステージって言われるけど、まちの未来ビジョンを、ちゃんと市民が参加するかたちでつくれてる自治体はほとんどない。だから、ちゃんとした案を市民主導で提案して、行政ともちゃんと協働するっていう動きをつくれたらいいねって。そういうマニュアルづくりもやろう、なんて言ってて。そういう企画ともつながるかもしれない。
ゆり できたら使います。つくってください(笑)
菜央 もちろん。未来ビジョンのプロジェクトにも参加してほしいな。読者のみなさんも興味があったら参加できる機会はありますか?
ゆり はい。コロナでお休みしてたんですけどオンラインで学べる場をつくっています。
NVCとマックス=ニーフの違いとは
ゆり NVCをはじめたマーシャル・ローゼンバーグって、マックス=ニーフに影響を受けてニーズのことを考え始めたと言われていて。でも、ニーズの話をきちんと分かりやすく考えて体系的にまとめたのはマーシャル・ローゼンバーグなんですよね。
NVCを実践している人も私の講座に来てくれますが、なにか学ぶことあるかしら? っていつも思っちゃう。だって同じことを、より体系化したものを学んでいるのに、新たに学んでくれることがあるのかしら? って。でも、来てくれた方は「面白い」って言ってくれるんですよね。なんでなんだろう。
菜央 めちゃめちゃ面白いと思いますよ。
ゆり こっちから行くと同じに見えるんですけど向こうから見ると、違うってことですね。
菜央 うん、全然違うと思うな。あくまで専門家ではない僕から見てだけど、NVCの枠組みは、基本的には個人個人の、言動や行動があって、感情があって、ニーズがあり、まずそれらを観察しましょうというもの。自分自身のニーズを感じるのも、練習が必要だけど、できるようになってくる。
相手については、もちろん感情やニーズは目に見えないので、相手の行動しか見えないんだけど、行動の裏にある感情とかその根っこにあるニーズは何だろうっていう風に考えていく。それらを明らかにして、お互いのニーズを満たす解決策を探していく。力を使わずに、いい解決策、いい関係性をつくり出そうとしていく。だから、非暴力コミュニケーションと呼ばれている。
つまり、どっちかっていうと「本物の自分と出会う」ことや、少人数の人間関係にフォーカスをしていると思うんだけど、マックス=ニーフが発展させたニーズの話っていうのは、一人ひとりの幸せを考えることを通じて、コミュニティの幸せを浮かび上がらせていく。よりこう、多人数の集合的な幸福を扱ってるんだよね。それが社会的な意思決定のシステムにまで広がっていくことで社会全体が持続可能に変わっていくチャンスがある、みたいなことなのかなと。
ゆり はい。ナチュラル・ステップ、アート・オブ・ホスティング、マックス=ニーフのニーズ論は全部、今言っていただいた「コレクティブ(集合的)」っていうことが大事にされています。
1+1+1を全部合わせていけばその集団のことを表現できるわけじゃないですよね。最初から、システムとしての集団で起きていることをコレクティブに扱えないと、SDして行くのに時間的に間に合わない? という気持ちもあって。あちこちから、時間については警鐘が鳴らされていますよね。でも、そう、ちょっとね、NVCより半端な時もあるなー、と思うこともたくさんあるんです。NVCは丁寧にしますもんね。
菜央 うん、丁寧だけど、自分のニーズに忠実に生きるっていうのは、逆説的だけど暴力的になってしまう瞬間もある気がする。
これは実際に僕が目撃した話なんだけど、NVCのワークショップが開催されて、みんなが楽しみにして日本全国から集まった。ところが、講師の人が「僕は今、とてもみんなを教えられる状態じゃない」って言いだす、みたいな。
フォローすると、結局それでみんなで話し合って、かえって素晴らしい会になったと聞いたけど。それから、自分のニーズを感じる感受性が極限まで高まると、逆に生きづらくなったりとか、本当の自分に気づいちゃって、表面的に保たれていた平和が終わって争いごとが夫婦間で起きたりとか、もしくは別れちゃったりとか。ほんとにNVCを通じてみる世界は、あーなんか、すごく美しくて残酷な世界(笑)
ゆり 今聞こえてる感じからは、NVCではニーズ自体が目的になるんですね、手段じゃなくて。そんな風に感じます。
菜央 そうだね、真面目に突き詰めてしまうと、ニーズが目的になってしまうこともある、という感じではないかな。でもNVCも道具だ、いう感じで僕はいたいなあって思う。一応フォローすると、これはNVC初心者の「あるある」らしくて、NVCとしてはその向こう側、「正しい・正しくないを超えた世界」にたどり着くのが一つの目標なのね。
で、話を戻すと、僕が本当に興味があるのは、まさにどうやってサステナブルな社会をつくれるか、なんですね。どうやったら一人ひとりが輝いて、抑圧が無くて、みんながみんなの可能性を引き出しあって、少ない資源を分かち合ってハッピーな状態をつくれるか? と。
そういう社会を目の前につくれる人が、たくさんいる。家庭内でも、仕事場でも、教育でも、建築の世界でも。そういういろんな分野の中でそれができる人がたくさんいるっていう状況をどうやってつくれるんだろうっていうことに興味があるのね。
「自分で考える、自分で決める」スウェーデンの教育
ゆり マックス=ニーフを学んで一個良かったことは、「おせっかいをしなくなること」かも。幸せの満たし方は、ほんとうにひとそれぞれ、さまざまだから。「こうやったら君幸せでしょ? 喜ぶはずだ」みたいなこととか、まして、「せっかくあなたのためにやってあげたんだからありがたがってね」みたいな構造をやめていくだけでも、勝手にみんな幸せになる力があると思っています。
多分この考え方は、スウェーデンのナチュラル・ステップの科学者が前提としている考え方とも共通するところだと思っています。なんていうか、スウェーデンの暮らしの中に感じられたそういうところ、私は好きでしたね。本人に力がある前提で世の中の仕組みがつくられているから。
邪魔さえなくなれば、ネガティブなものさえ取り払われれば、あとはその人が自由に生きていく力あるっていう目で人をみてるのは好きでした。だから適当にほっとかれた。すごく快適でした。日本で同じ姿勢でいると冷たいって言われることもあるんですけど。
菜央 すごく分かりますよ。うん、なんか人を信じるってすごいことだよね。全部の基礎だなと思う。自分で、それはやっぱり決められるように子どもの頃からちゃんとしていかなきゃいけないし、自分で決めるっていうことは結構困難が伴う場合が多いし、だから自立するのとセットだと思うけど。自分の人生に主体的に生きることは、地域のことや、未来のことを主体的に考えることにもつながる。
ゆり 私、スウェーデン人が家庭内にいなかったから、全部自分の解釈だったり知ってる人に聞いたり、というレベルで本当のことはわからないんですけど。自由でしたね。ほっといてもらえるとか。
それから息子が現地の小学校に行ったんですけど、自分で考えるとか自分で決めるっていうのが、教育のプロセスに入ってるなあと思って。学校という集団だから、先生が決めた約束を守ってよかったっていうことも勿論あると思うんです。でも、学校が決めたことをよくできたってことを褒めるんじゃなくて自分が決めた通りにやったということを褒めるっていうのがすごいな、と。あなたが決めた通りにあなたがやったっていう言い方をする。意図的にそういう言葉が使われてる時に何回か立ち会ってるので、これは相当筋金入りっていうか。低学年のうちからそんなこと言われて育ったら、だいぶ違うだろうねーとは思いました。
菜央 うーん。一定の水準を皆に求めるんじゃなくて、あなたがまず自分で何をするか決めてそれを頑張りなさいっていうことなのかな?
ゆり はい。三者面談の前に「学校に不満はありますか?」 という事前のアンケートがあって、息子が「ランチの時間が短い」って書いたんですね。
私は「息子がおしゃべりしすぎなんじゃない?」 って思ったんですけど、先生はそういうこと言わなくて、ずっと聞いてくれているんですよね。「足りないんだ。大変だね」みたいに。その時息子が「あ、〇〇君としゃべってる時だけランチ短い気がする」って気が付いて、「〇〇君とランチを食べるのを週1回にします」って言ったんですよ。先生はそれをノートに書いた。「おしゃべりしすぎなので早く食べなさい」ペシッみたいなことを誰も言わないということなんです。私には、これは結構衝撃でした。
菜央 なるほど。日本ではバシっとやるよね。あんま比べて悪いって言いたくないけど。
ゆり そう、次の半年後の三者面談の時に先生が「自分で克服したよね」って言うんです。自分が見つけたソリューションを自分でやれた、それでその問題が解決された、すごいよね、みたいな。なんかもう、頭下がりました。なるほどねーと思って。
菜央 自分で考えて自分で決める。それは、決められるんだ、決めていいんだ、って知る。自分で決められるんだなって思うと、他の人をコントロールする必要もないし、コントロールされることに対して、拒否できる。そういう文化をつくっていっているのかも。それって、自分の幸せを自分で見つけられる人を育てるってことなのかも。
マックス=ニーフのニーズのワークショップって、君の幸せは何? って聞かれてるようなもんだよね、で、それはなんだろうなー、と考える。でも、そんなこと聞かれたことがなかった。「君の幸せはなに?」って聞かれるのって、すごく楽しいことなんだろうね。
幸せを問い合うこと、心から話を聞くこと
ゆり そうなんです。ワークショップは参加してくれたほとんどの人が「すごく楽しかった」って言ってくれてます。
菜央 あーなんか、いいですね。僕が数年前、なんでNVCの勉強しようと思ったかっていうと、当時、妻との関係がめっちゃ悪くて、何年もすごい喧嘩をしていて、もうこれダメかなみたいなところまで何回かいって。
でまあ泣きつく感じでNVCの講座を受けて、アドバイスされたのは、「『あなたの満たされてないニーズは○○?』って聞いてみて」ってことだったの。相手の言動に注目して同じような言葉の暴力で返すんじゃなくて、とにかく聞いてみな、って。それってあなたの幸せはなんですか? って聞いているのに近いんじゃないかな。相手の幸せを気にかけて、幸せをつくるために動く。それこそが幸せのつくり方だね。
ゆり そう、そう思います。でその時に、うん、とかううん、とか言える関係性とか。
菜央 なにかを言わなきゃいけない、じゃなくてね。
ゆり そう。昨日まで2日間にわたって大事なチームのミーティングがあって、最後のチェックアウトで、私「あーなんか今回の話はなんかエキサイティングじゃなかったね」って言ったんです。
「つまらなかった」っていう風に聞こえると思うけど、伝えたい言葉がちゃんと出てこなかったんです。でも時間がもらえて、「なんかひだまりにいたみたいな感じ」っていう言葉を私は出会えて、それを言えた。私は多分、顔は楽しそうにしていたんだけど、出てきた言葉が「エキサイティングじゃなかった」だった。でもメンバーが私を見たときに、この人って今何を考えてるんだろう? とかどんな気持ちなんだろう? とか、問いかけられたり、待ってもらう時間かがあるかないかはだいぶ違う。
菜央 うん、わかる。
ゆり アップテンポじゃなくて、なんかこう、のんびり話せてよかったみたいねっていう風に最終的にはなんとなく収まる。あ、そうそうそうって。お互いに気持ちが良かったとか、どうしたい? とかを受け取れる関係。パッて出てくる言葉は、用意された言葉だったりすることが多いと思うから。そこを、そうじゃなくて、こう・・・で、相手が、そうかって・・・。
菜央 隙間。「気の利いたなにかをパッと言う」ことじゃなくて、自分が本当に心に湧いてきた言葉を使うとか、それが正しくないか、カッコ良くなくてなくてもいいから、心から話すし、心から聞く。それだけで価値がある。
7〜8年くらい前に、政治について気軽に話す機会をつくろうって思って、「選挙CAMP」という名前のイベントというか、ムーブメントを仕掛けたんだよね。そしたらありとあらゆる人が来てとても面白かったんだけど、その時にね、そのルールが、「心から話す」と「心から聞く」っていう。
ゆり あ、そうなんだ。私たちアート・オブ・ホスティングでやってる、とりあえず3つやってみようのうちの2つです、それ。
菜央 僕がその時につくったルールは、アート・オブ・ホスティングが元ネタだったかもしれない(笑) それでね、渋谷でやってたときには、イベント終わって、駅までの帰り道、「今日は人生が変わりました」って言って涙を流した人がいたのね。何が人生変わったんですか? って聞いたら、「僕は自分の話を誰かに聞いてもらったことがなかった」って。本当にそれが印象的だった。
政治のことを話す気満々だったのに、癒し、っていったら言葉は安っぽいんだけど、本当に癒されて力が出たんだなって思ったのね。そのことに、僕もすごく癒された。だから、話を本当に話を聞くとか、本当の心から話せるっていう場ってだけでとんでもない価値があるんだなって思ったんだよね。だから、みんなで、あなたの幸せは何? っていうのを集まって話し合うっていうのはきっと素晴らしい体験なんだろうなって思いました。
ゆりさんに、今度僕の住むいすみ市でワークショップをしてもらえたら嬉しいな。
ゆり うん、ぜひやりたいです。バラバラの人がやるのだと「ふーん」で終わるんですけど、同じまちの人でやるとその後の関係性もきっと違うから、機会があったらぜひコラボさせてください。
菜央 おお、やりましょう、嬉しい。是非やりたい!
(編集: 福井尚子)
– INFORMATION –
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アート・オブ・ハーベスティング(アート・オブ・ホスティングのバックボーンとなるコンセプト)