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人生はあらゆる自分を体験するためにある。意識の探検家・三好大助さんの「いかしあう働き方」とは? – いかしあう働き方研究室レポート –  

働くなかで、
「本当に自分がやりたいことと離れてしまってるな」
「人とのつながりを損ねてしまっているな」
「利益を重視するあまり、環境に負荷をかけてしまっているな」
という違和感を感じることはありませんか?

いかしあう働き方」とは、それらの逆。「自分・人と人・地球」という、いかしあうつながりを構成する3つの要素とつながる働き方です。こうした働き方は、これまでの成長や効率を重視した働き方がひきおこす弊害を乗り越える、持続可能な働き方として、今後必要になっていくはず。

では、どのようにしたら「自分・人と人・地球」それぞれといい関係を持つことができるのでしょうか?

「いかしあう働き方研究室」は、ゲストのトークとワークショップをもとに、少人数で「いかしあう働き方」を探究する場。まずは「自分とつながる編」と題し、2020年6月から7月にかけて、14人のメンバーが「自分とつながる働き方」について探求していきました。

今回は、4回のゲストトークのうち、意識の探検家として活動をする三好大助さんによる「自分とつながる働き方」についてのトークの一部をお届けします。

三好大助(みよし・だいすけ)
意識の探検家。1988年島根県生まれ。バングラデシュのNGO、Google などで、テクノロジーを通じた社会課題の解決に情熱を注ぐ。その経験から「この世界の在りようは、わたしたち一人ひとりの意識の在りようとつながっている」と気づき、内的世界の探究を開始。
現在はファシリテーターとして独立し、企業の組織開発や個人の内的変容の伴走を行っている。とにもかくにも、スパイスカレーが大好き。

意識の探検家としての活動

僕はいま「意識の探検家」と名乗って、最新の意識科学や、ネイティブアメリカンなど各国先住民に継承されてる精神文化を5年前くらいから探究しています。

「意識が現実をつくっている」ってよく言うと思うんですけど、それが具体的にどういうことなんだろうと思って。それで、探求した内容を一般の方向けの講座や企業向けの組織づくり、コーチングを通して分かち合っています。また作家活動としては、「私たちを生かしているものの正体とは」をという主題で詩・インスタレーションを制作し、参加者に体験を通じて感じてもらう取り組みです。

こう話すと色々やっているように思えるんですけど、やりたいことは一つだけで。一人ひとりの内側の深いところには、本当に美しい光がある。その光を一緒に思い出していきたいなと思ってやっています。それをやりたいがために、様々な表現方法を通して実践している、という感じですね。

「自愛あること」をいかに人生に持ち込むか

自分とつながる働き方をつくるためのキーワードを教えてほしい、ということなので、三つ考えてきました。

一つ目は「他愛なくても自愛あることを」というモットーです。

端から見たら「なにそれ」って言われるようなことを指して「他愛ないこと」って言い方をしますよね。そういう「他愛」がないことでも、「自愛」があること、つまり、自分が愛しているからやるっていうことを、いかに人生や仕事に持ち込めるのかが、いかしあう働き方において重要だと思っています。これは、「ご自愛ファースト」とも言えますね。

もちろん、会社の中で働いていたらきっと、他者から期待されることもあるし、適合しなきゃいけない枠組みもある。だけど、自分以外のだれかのためにする活動だけだと、自分とつながれなくなって、エネルギーが枯渇していっちゃうと思うんですよね。

なので、対人関係も含めて、どれだけ自分の仕事や暮らしそのものに、「他愛なくても自愛あること」を持ち込めるのかが大事だと思っています。

期待していないリアクションにも愛を感じる

もうひとつが、「愛の感受性」っていうキーワード。これは自分が期待していない反応が他者から返ってきたときでも、それをちゃんと受け取ってみるっていうことです。

さっき言ったみたいに、「他愛なくても自愛あること」を世に表現しようとすると、期待していないリアクションが返ってくることがあるんです。そういうときって、その瞬間に遮断しちゃうことってあると思うんですね。

例えば僕であれば、クラウドファンディングをやっていたときに、アドバイスをしてくる人がいたわけですよ。そういう人に対して、「別にこういうリアクションはほしくないんだけどな」って思ったんですね。それでそういう意見を遮断しちゃいたくなった。

だけど、その人はなにかしら僕にエネルギーを傾けたり、熱量を持っているから関わってくれるわけです。自分としてはどんなに残念に感じるリアクションだったとしても、そのなかには、なにかその人から渡されているものがあると思うんですよ。

なので、そうやって渡されたものから、ちゃんと愛を感じ取ってみることが大事なのかなって思います。日常で関わる人たち一人ひとりから、もしかしたらすでに愛は渡されているかもしれない。そこの感受性をどれだけ育んでいけるかで、豊かさの体感って変わるんじゃないかなって思うんですよね。

命は色々な自分を体験できるように導いている

最後は、「いのちは私をあきらめない」っていうキーワードです。自分につながって、自愛から表現をして、その結果いろんなかたちのフィードバックがくる。それで、それを受け取って、エネルギーにして自愛からまた表現する。この「与える、受け取る」を繰り返していくなかで、どう考えたって不本意なこととか残念なことが起こると思うんです。

そういうことって、顕在意識では非常に残念なこととして捉えられます。だけど、どんな深い悲しみ、どんな痛みを伴うような体験も、自分の魂、いのちが、自分をそこに導いているんじゃないかなって僕は捉えているんです。

「いのちは私をあらきめない」っていったときに、いのちが何をあきらめていないかっていうと、「統合すること」なんです。僕は、人間は常に自分のその全体性に帰ろうとしている、つまり知らず識らずの内に分離してしまった自分を統合しようとしてる、と思っています。

それはどういうことかっていうと、僕たちには色々な「自分」がいるじゃないですか。短気な自分もいれば、だらしない自分もいたり、いい悪い含めて色々な自分がいる。その自分のキャラクター全てを自由に体験できるっていう状態を、潜在意識は求めていると僕は思っています。

なので、なにか不本意なこと、残念なことが起きたときに、「新しい自分が開かれようとしている」と僕は捉えるようにしていて。あらゆる体験は、抑圧していたり、押し殺している自分を教えてくれるメッセンジャーなんじゃないかって考えてるんですよね。

なので、僕はどんなことが起きたとしても、「自分のいのちっていうのは、いろんな自分を体験することを諦めていないし、そこに常に誘い続けてくれている」って思ってます。そう考えて生きていると、自分とつながれるんじゃないかなと。

痛みの扱い方を知り、自己抑圧から解放する

どれだけその体験を慈しんで受け取れるかっていうことが、やっぱり大事だなって最近思っているんですよね。

特に、「痛み」の扱い方が大事です。「僕らは幸せになるために生まれてきている」ってよく言うじゃないですか。僕ね、それは違うと思っていて。幸せになるために生まれてきたんだっていうスタンスだと、不幸とか痛みとか不快なことって拒絶したくなるわけです。

でも、不快な体験とか不運な体験とかって選べないでしょう。人間は肉体を持っている以上、痛みからは逃れられなくて、その痛みをなくすんだと思って生きている限りは、「痛み」はより襲ってくるんですね。

だから、人生はなんのためにあるかっていうと、幸せになるためだけではなくて、「いろんな自分を体験するため」にあるのかなと思っていて。どのくらいの幅で自分自身を体験できるのかが、そのまま人生の豊かさなんじゃないかと。

例えば、「自由勝手に振舞うと、人から受け入れてもらえない」とか、「仲間外れにされてしまう」とか、そういう「痛み」があると「自由な自分」を抑圧・分離することにつながりますよね。こんな風に分離した自分は、でも本当は内にまだ生きていて、「受け入れてもらえない」という思い込みを突破して「自由な自分」を体験したいと声を上げだします。

なので、その「痛み」があっても大丈夫っていう風に、「痛み」に対する安心感をいかに育むかがカギで。そうすると、僕らはありのままの多様な自分自身を体験できて、結果として幸福を感じる深さも増していくのかな、と思っています。

(構成: みやまともき)
(イラスト作成: ニッタシンジ