みなさん、こんにちは。杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)と申します。「ないなら、つくる」をコンセプトに、あったらいいなと思う働き方をつくる「株式会社meguri」という会社を経営している一児の母です。
新型コロナウイルス流行にともなう自粛中、みなさんは何を考えて過ごしていましたか?
それぞれに大変なことがあったことと思いますが、SNSでは「自分の生き方(働き方・暮らし方)を見直す機会」になっていると多くの方々が投稿されている様子でした。
私自身、東京で事業をしつつも、「土を触る、自然と共に生きる暮らし」を始めたいなと考えて福岡に滞在していました。そんな最中に、新型コロナウイルスの流行が本格的になり、そのまま九州に長期滞在することに。今回からはじまる連載では、東京生まれ東京育ちの私が地方に行き、過ごす中で感じたこと。そして、旅で出会う九州の素敵な人たちが、今どんなことを考えながら生きているのかをお届けしていきたいと思います。
杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)
1984年東京生まれ。幼少期より母が鬱病になり、生活保護を受けて暮らす。 16歳より働きはじめ、高校に通いながら小売業の採用・新店立上げ・店舗マネジメントを行う。その後、百貨店のテナントでチーフとなり、予算・前年比割れが一度もなく、次々と売上不振店を立直す。10年の販売職を経てIT業界に転職。物販審査管理部門の立上げ、地域に焦点を当てたマーケティング・プロモーションなどに従事。店舗の業務改善コンサルティングを中心とした事業展開で2014年独立。株式会社meguriを2015年創業。自分自身の病、出産などを経て「うまれた環境やライフイベントに問わず、誰もが働くことができる選択肢をつくる」ことがミッション。
ここから旅のはじまりです!
娘と一緒に生活拠点の候補として最初に訪れたのは、福岡県北九州市の門司港です。
関門海峡をのぞむと本州が見える門司港は、貿易港として栄え、全国から労働者が集まって多様な文化を育んできたまち。歩けばおじいちゃんおばあちゃんに話しかけられ、まるで島のようなのんびりとした空気が流れています。
緊急事態宣言が出されたころに訪れた門司港で、知り合い伝手に紹介されたのが、「ゲストハウスPORTO」を営む菊池勇太さんでした。
就職を機に一度は地元を離れて東京や福岡市で働いたこともあったけれど、生まれ育った門司港が好きで、「まちのために何かできないか」とずっと考えてきたという菊池さん。
「自分たちの世代が必要な役割を担っていかなければ、いずれ大好きなまちの景色や門司港らしい風土が失われていくんじゃないか」という想いから、築70年の元旅館を改装し、港町・門司港らしく人や文化がまじわる「ゲストハウスPORTO」をオープンしました。
他にも、まっすぐな好奇心で出会いを楽しむ学び場「S&C」や門司港レモネード「SICILUA」など、門司港らしくユニークな事業で人と文化の交流をつくり出し、まちの人々に愛されている人気者です。
PORTOにおじゃまして、菊池さんに門司港の魅力や大事にしていることを伺いました。
菊池さんが手掛ける他の事業
・CHUCHU ICE FACTORY
・名前で遊ぶ!「OH! NAMAEYA!」
誰に対しても「来れば?」と受け入れ、身体性を取り戻させてくれる場所
杉本 緊急事態宣言が出された今年の春、娘を連れて義理の母がいる福岡にいたんですが、だんだん新型コロナウイルスの流行が本格的になってしまって。
高齢の義母の家に行くのはリスクだなと、どこにも行けなかった頃に、菊池さんが「福岡にいるなら門司港に来れば?」と迎えに来てくださって。そのとき「困っている人を見逃せないタイプなので」とおっしゃっていたことがとても印象的でした。菊池さんの性格なのでしょうか。それとも門司港の人たちの気質だったりするのでしょうか。
菊池さん 両方あるんでしょうね。自分は22歳まで門司港で育ちました。門司港の土地柄は「万一のリスクより、困った人がいたらとりあえず助けようよ」というもの。車にひかれそうな人がいたらぱっと助ける。そのように、自分をかえりみず反射的に動くのが門司港の人びとの気質です。だから、別の人でも同じようにしたと思いますよ。
杉本 門司港は海と山が近くて、東京にいるときよりも一日の疲れを回復する時間が早いんです。
菊池さん 肌で自然を感じることは大事ですね。ハードなスケジュールをこなしてもメンタルがやられないで済む。いつも意識しているわけではないけれど、ふと「山がきれいだな」「空が青いな」と思うだけでもちがいますもんね。1週間くらい門司港に腰をすえていると、失っていた身体性や肌感覚をとりもどす感覚があります。
都会にいると金額や条件でロジカルに判断するけれども、ここではもっと野性的な勘が働きやすくなります。「こっちの選択肢のほうが死なない気がする」みたいな。でも、そもそも本能で決めて、あとで理屈づけするほうが自然なのかもしれません。
杉本 資本主義社会でビジネスをしているとロジックが優位になりますが、門司港では仕事にしても「ピンときたから」とか、直感的なものを大事にしている人が多い気がして、そのなかにいると自分が楽です。
菊池さん 理屈ではなく直感で判断するのは「人」に対してもそうです。「この会社の人だから信頼できる」ではなくて、その人の人間性で判断するところがあります。
杉本 たしかに、「その人らしさ」をまるっと受け入れてくれるような懐の深さがありますね。東京にいると、人を判断する基準までが「ビジネスできるか・できないか」だけになりがち。でも、菊池さんを見ていると、それが両立できるのが門司港なのかな、と。
ここでは「畑を耕すのが早い」「めちゃくちゃ体力がある」といった、経済合理性では測れないその人のよさが輝きやすい。「PORTO」のスタッフも当番が決まっているわけではなく、得意な人が得意なことをやるというスタイルでやっていて、「その人らしくあること」が大切にされている感じがします。
菊池さん 杉本さんも門司港に来てから、少しずつ変わってきた気がしますよ。変化を受け入れて楽しんでいるというか。
杉本 あ、そうですか? もともと右脳型で感性の人だったんですが、このままではまずいぞと思い、論理的思考をメチャクチャ勉強したんです。ロジックと感性の切り分けをしていたのが都会だと大変だったんでしょうね。ここでは完全に野生モードです(笑)
菊池さん 無理していない感じがして、よかったなと。
杉本 人のあったかさも感じます。最近、「循環型経済」と言いますが、ここにいるとそれが体感できるのがいいんです。
菊池さん ぼくは「顔が見える経済」と呼んでいて、お金を使う人の顔が見えるんですよね。例えば、ある農家の野菜を買う、その農家もぼくたちのゲストハウスに遊びに来てくれる。そんなふうに循環していく。半径2キロ以内に小商いがたくさんある門司港だからこそそれができると思っていて、豊かだなと思っています。
杉本 そんな風景を見ていると、都会では「超働かないと生きていけない」と思っていたのに、「住む家と畑があって、物々交換がある。あくせく働かなくても生きていけるんじゃない?」という感覚になりました。
門司港には、自分の位置を確かめる「鏡」がたくさんある
菊池さん 門司港にいると、よく「きっくんは、何したいん?」と聞かれるんです。そういう風に聞かれると、「あ、これは稼ごうとしてやっている仕事だな」「ぼくらしくないからこの仕事はやめよう」と考えやすい。
あとは、困ったときは定食屋「みちしお」のお母さんのごはんを食べに行きます。あの人にうそはつけないな、と思える人なんです。いつも変わらない人がいるから、自分の変化がわかりやすいというのはあります。
杉本さん 門司港には「不変」が多いですね。人もですが、一番は自然。もちろん季節によって変化はしているけど、海や山自体は不変で、流されていく自分との対比ができます。都会はすべてがすごい勢いで変わるし、自然もあまりないから、「お金」が指標になりがちになる。人間として戻る場所を見失いやすいんだと思います。
菊池さん たしかに、都会には自分と対話させてくれる対象物が少なくて、自分を見失いやすい。鏡のない部屋で生活しているような感じがします。地方は「鏡」がたくさんあって、自分の状態をチェックしている。「自分の位置はどこだったっけ」と…。とはいえ、都会と比べて難しさを感じることもあります。
杉本さん 昔からのルールが強いところがありますね。例えば契約書をつくらずに口約束で済ませるとか。
菊池さん そうですね。実際に店舗を借りてお店を始めるときに、「契約」という概念があまりなくて口約束がすべてというところがあって、それはデメリットだなとは思います。
住宅も不動産屋をはさまずに直接家主から借りることも結構あって。都会のようにルールで縛れないから、いちいち人間を信頼しなくちゃいけないところはあります。一方で顔の見える関係性ができるので安心感があるというメリットも。家賃の支払いを待ってもらうとか、人間味がある取引きができます。
まちに多様な受け皿をつくっていきたい
杉本さん 最後に質問です。5年後である2025年に、何をしていたいですか?
今の社会は、経済合理性がここまで発達してきたからこそ、マインドフルネスや自然に立ち返っている感じがしていて。私は2025年までに食やエネルギーを地域でまわしていけるように、まず農業をしたいと思っているんです。これまでのキャリアとは全く異なるものですが、直感的な判断でそう考えています。
菊池さん 自分自身は2025年に何をしているかわかりませんが、2年前に「門司港で受け皿を広げていこう」と決めたので、その道を粛々と歩いているんじゃないかな。門司港は仕事と暮らしが密接なので、仕事をつくればそこに居場所ができる。まちに多様な受け皿をつくっていきたい。
門司港は港町で、いろんな舟が来ては停泊する場所なので、どんな人が来ても、その人が過ごしやすいようなまちであってほしいと思っています。そういう意味では、自分は個として突出するのではなく水や空気のような存在でありたいと思います。
緊急事態宣言もあり、約2か月半ほど暮らしていた門司港。
「ゲストハウスPORTO」での暮らしで一番印象的だったのは、「1日1差入れ」でした。ゲストハウスの営業を自粛していたので、近所の人たちが「つくりすぎたから」「いただきものだけど」と、1日ひとつは差し入れをしてくださっていました。そのかわりに、PORTOスタッフが差し入れをくださる方のお店の名刺をつくることも。その様子を見ながら、ああ、近所の人たちと、いろいろな形で価値の交換をしているなと感じました。
時として、門司港の人たちは関門海峡の海らしい荒々しさもありますが、心あたたかにそのままのアナタを受け入れてくれるはず。次の旅は、南阿蘇編です! どうぞお楽しみに。
(Text: 渡邊めぐみ)
(写真: 株式会社 meguri)
– INFORMATION –
この旅を通し、それぞれの土地ならではの生活の魅力に強く惹かれるなかで感じたのは、「多拠点」という生き方をもっと身近にしたい!ということ。ひょんなご縁もつながり、《多拠点な生き方な人たちための、ワクワクをうみだす場》をコンセプトに、期間限定のスタンドバーを開くことになりました。
場所は北九州の小倉、いまも賑わう旦過市場のすぐそば。すでに多拠点な生き方をしている方も、興味があるという方も、お店をきっかけに繋がり、「こんな暮らし方、働き方があるのか!」「自分の新しい一面を表現してみよう!」「地方でビジネスをうみだそう!」とワクワクの輪が広がればうれしいです。
お店についてのインフォメーションはこちらにアップしています。ぜひチェックしてみてください!