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スタッフもお客さんもありのまま受け入れる影山知明さん。 クルミドコーヒーや胡桃堂喫茶店から国分寺のまちへと広がる関係性づくりとは?

これまでgreenz.jpで何度かご紹介してきた影山知明さんは、東京・国分寺市で「クルミドコーヒー」と「胡桃堂喫茶店」の2軒のカフェを営んでいます。

地域通貨「ぶんじ」や出版事業「クルミド出版」をはじめたり、クラウドファンディングにも取り組んできていたりと、カフェという枠組みから大きく飛躍して、さまざまな活動に枝葉を伸ばしている影山さん。そのなかでも今回は、国分寺のまちへと広がるコミュニティの育み方について伺いました。

影山知明(かげやま・ともあき)
1973年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、マッキンゼー&カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスのマージュ西国分寺を建設し、その1階に「クルミドコーヒー」を、2017年には国分寺に「胡桃堂喫茶店」をオープン。

お客さんと一緒にお店をつくる

国分寺駅から徒歩5分ほどのところにある、胡桃堂喫茶店にてお話を伺いました。

インタビュー中に終始、「自然な流れを大事にしている」と話していた影山さん。2店舗目となる胡桃堂喫茶店をはじめた経緯についても、「自然とそうなった」という答えが返ってきました。

もとをたどると、スタッフが増えてきた頃で、ありがたいことにお客さんもたくさん足を運んでいただいて、「クルミドコーヒーはいつも混んでいるよね」と言われてしまうことが度々ありました。

また、少しずつ僕らにとってのまちの半径が広がっていったことも大きいですね。ちょうどクルミドコーヒーからここ(胡桃堂喫茶店)まで直線で2キロくらいあるんですけど、このくらいまでが僕らの生活圏だと自然と思えるようになって。そんなときに不動産屋さんの関係で今の場所を紹介してもらって、出店の話がトントン拍子で進んだという感じです。

2つの店舗は内装の雰囲気が異なりますが、メニューにもちがいがありました。
クルミドコーヒーではドイツやフランス、デンマークといったヨーロッパ的なものや考え方から多くのものを取り入れているのに対して、胡桃堂喫茶店ではコーヒー、紅茶に加えて日本茶や台湾茶などもそろえ、「自分たちにより根ざしたものを形にしている」のだそう。

また、より本質的なところでは、お店の主導権をお店とお客さんのどちらが持つか、というちがいがあるようです。

クルミドコーヒーはどちらかというとお店側が主導権を持っている感覚があります。お店としての世界観みたいなものをつくりこんでいて、お客さんはそこに身を寄せるように参加してもらう。

それと比べると、胡桃堂喫茶店は世界観が未完成で、余白がある状態です。そこにお客さんが来て、一緒につくっていってくれる感じになっていったらいいなと思い浮かべています。

お客さんとの日々の関わりからは、イベントが開かれたり、本を出版したりと、さまざまな出来事が生まれています。

この日は「レンタルなんもしない人」が書店員を務め、夜にはトークイベントが開かれていました。

対話を重ねて、種を育てる「土」という役割

その背景には、お客さんとスタッフの自然な関わりがありました。

スタッフができるだけお客さんや地域の人と自然と関われるようになるといいとは思っていますが、得意不得意があるので、基本的にスタッフへ指示や命令をすることは一切ないです。最低限の約束事はあるけど、その先どう働くか、どう接客するかは委ねています。

かと言ってバラバラになるわけではなく、お店として何を大事にしていくかなど、みんなでの話し合いを積み重ねているので、それぞれのらしさとお店らしさとが重なっていくのだと思います。

具体的には、定休日である毎週木曜日に社員だけで定例会議が行われ、短くて2時間、長いときには3〜4時間も話し合うことがあるそう。月に1回はアルバイトのメンバーも集まって全体定例、年に1回は全店舗の全スタッフが集まって活動報告会を実施。

さらに年1回、影山さんは社員一人ずつと「ちょっと不思議な面談」を行っています。

社員はいま14人いるんですけど、一人あたり2〜3時間くらいでけっこう長くて、基本的に僕がずっと話を聞いています。お店のことを話す人もいるし、自分のことを話す人もいる。これからやりたいことを話す人、そもそも働くってどういうことかについて話す人など、内容はバラバラです。それぞれの中で自然と湧いてくる言葉を、僕が壁打ちの壁となって受け止めながら聞いていきます。

そんな自身を「土のような存在になれたらと思っている」と影山さん。

スタッフやお店を訪ねてくれる人、さらには一つ一つの好奇心やアイデアは「種」で、僕はそれを受け止める「土」であれたらと思っています。

土自体が何かをするわけではないんですけど、土がないと種は芽を出すことができない。僕はそこに何か干渉して無理に芽を引っ張っていこうとは考えないけど、それぞれがどういうタイプの種か感じられるところはあるので、きっかけを与えたり、「こういうことをやったら向いているんじゃないの?」と提案したりはします。

自分を「土」だと思ったきっかけは、意外にも占いだったとか。

覚えているのは、クルミドコーヒーをはじめる前か、はじめた頃に、東京タワーに行ったんですよ。そのときに機械の占いがあって、誕生日とかを入力すると結果が出てくる簡単なものだったんですけど。

それに書いてあったのが「高齢者向けではなく子ども向けの仕事をしなさい」ということ。どんな占いだったかもよく覚えてないんですけど(笑) でも、「子どもと関わることにあなたの可能性が開ける」というようなことが書いてあって、実はそれまで高齢者住宅の企画・開発をするような仕事をしていたので、そっちじゃないんだなと思いましたね。ちょうどクルミドコーヒーは子どもたちのためにはじめていて。

あと、それに「あなたは土タイプです」とも書いてあって。ほかに「木」とか「火」とか5つの要素があるなかで、僕は「土」だったんです。そのときは「なんだ、土か」とちょっと憮然とするような気持ちもあったことを覚えていますが、だんだん納得していきましたね。

お店の前には、オープン時に植えたというクルミの種が育っていました。

一人ひとりの関係性が、コミュニティになっていく

可能性を蓄えた種を、受け止め、育んでいく土壌。
影山さんの「土」では、どんな植物が育ちやすいのでしょうか。

自己中心的で利己的な植物は育ちにくいと思います。そういう要素は誰しもありますけど、人付き合いが上手とかそういうことではなく、他者との関わり、目の前の人に力を尽くすことを前向きに考えられる人は相性よく育つと思いますね。

僕は「コミュニティ」という言葉が嫌いで、「コミュニティ」とか「みんな」っていう主語で物事を考えたくないんです。一人ひとりがいて、その関わりのなかで何かが生まれたり、生まれなかったりする。「私とあなた」、すべてはそこからで、コミュニティとかみんなとか、集団を主語にした途端、関わるメンバーがその手段となるような変な逆転現象が起こります。

私とあなた、一人ひとりの関係性の集積がコミュニティとなっていく。スタッフとの面談は、まさに関係性を築く大きな柱となっているように感じました。

あるスタッフからは、面談で「お米をつくりたい」という相談があったそう。その提案を受けて、農業初心者ながらも昨年から米づくりをはじめました。

一年目は500平米の畑を借りて、80キロを収穫。農薬も肥料も使わない自然農法で栽培しています。さらに、二年目となる今年は耕作面積が3倍の1500平米に広がりました。ただ一人ではとても手が足りません。そこで月に2、3回~と、定期的に農作業を手伝ってくれる人を募ったところ、約20人が参加してくれることになりました。その分のお給料は払えませんが、収穫したお米を分け合うそうです。

地域の農家さんとも農業器具を借りたり、ノウハウを教えてもらったりと、米づくりを通して地域とのつながりがより深まっています。

国分寺市内など5ヶ所の畑を借りて、「赤米」という古代米を栽培。写真は種まきの様子。

まちのなかに、ゆるやかな重なりをつくる

最近では、国分寺市内のイチゴ農家さんのお手伝いをする機会もあったそう。

知り合いのイチゴ農家さんが自転車で転んで両手首を骨折してしまって。ちょうど収穫で忙しい時期なのに両手が使えなくて困っていると聞いたんです。それで午前中の2時間半、収穫などの手伝いをしようと呼びかけたところ、のべ42人が応援に参加してくれました。

あと、西国分寺駅を出たところに八百屋さんがあって、朝採れの地元の野菜を売っているんですけど、そこも夕方のピークタイムに人手が足りないことがあると聞いて、クルミドコーヒーのスタッフが夕方の2時間、応援に行くことになりました。その間ほとんど時給は発生しませんけど、代わりに野菜のことを勉強できたり、野菜を割引で買えたりします。

イチゴ農園で収穫の手伝いをした人は、イチゴと地域通貨「ぶんじ」を受け取ります。

この2つの事例を通じて思ったのが、いかに重なりをつくるかが大事だな、ということ。私とあなた、僕とスタッフ、お店とお客さん、お店とお店、それぞれがそれなりに自立してありながらも、でもそこに自然な重なりをつくることで一人ではできなかったことができるようになる。

重なりをつくると、自由を奪い合うとか軋轢や衝突が生まれるというイメージもあるかもしれませんが、「相手のために」というところから重なりをつくると、それは相手にとって、そして自分にとってだってうれしいですよね。そうした、ギブし合うような重なりはとても前向きな力を生んでくれると思います。

八百屋さんへはチームのスタッフのうち6人が自発的に手伝いに行っている一方で、八百屋さん側のメンバーも、いつかクルミドコーヒーのシフトに入ってくれることだってあるかもしれない、と言います。

困ったときはお互いさまだし、そうやってお店や会社の境界みたいなものがちょっとずつ溶けていくといいなと思っています。境界を曖昧にすることで、「私」の範囲がじんわり広がっていきます。自分事と思える社会の範囲が広がっていく。

木に例えるなら、木と木が並んでいたとして、どこまでが自分の世界なのかっていう境界線ははっきりしないわけですよね。土壌を共有していて、根っこだって絡まり合っていて、微生物や動物がたくさんいて…。人間やお店も境界線をそんなに意識せず、もうちょっとゆるやかに重なっていけばいいなと思っています。

傷ついたいのちを受け止める場所としてのカフェ

さまざまな形で地域に貢献している影山さんですが、自らは「地域に貢献しよう」という感覚はない、とのこと。代わりに、これは生き残り戦略なんだという感覚さえあるようです。

僕たちのような小さなお店が生き残っていくためには、究極まで効率化を追求するグローバル資本主義とは違うやり方をしないといけないと思うんです。自分の利益だけを最大化するためにふるまうのではなく、利他性を発揮し、他者に貢献することで互いをいかしあう経済をつくっていかないといけない。

八百屋さんのケースでも、シフトに入る分については、僕らからの持ち出しというところもあります。でもその分、たとえば廃棄直前の野菜を安く引き取らせてもらって野菜ジュースとしてカフェで提供するなどできたら、誰かを助けているつもりが、僕らが助けられることになることだってあります。

西国分寺駅にある八百屋「にしこくマルシェ しゅんかしゅんか」で“応援シフト”に入る影山さんたち。何も知らない人からは「なんで影山さんが八百屋にいるの?」と驚かれるようですが、「今年は”神出鬼没”をテーマにしている」のだそう。

また、「地域」という漠然としたものではなく「個人」として見ていると強調します。

一つひとつの取り組みは、「○○さんが困っているなら助けないと」という自然な気持ちからはじまっています。関わりのある人たちの悩みを聞くことがあって、力になってあげたいと考え、行動していたら、結果的に地域を育てていくことにつながっている。ここでもやっぱり、集団で物事を考えているわけではありません。

そうしたときに大事なのは「自己決定」だと思っています。僕自身もそうだし、応援の手を挙げてくださる人も、「誰かに言われたから」やっているわけではないのです。その人の中に応援の気持ちの実体がなければ、それは本当の応援にはなりません。受け取る側も、助かったとは思うかもしれないけれど、そこに感謝の気持ちは芽生えないでしょう。

僕らのチームの中の仕事も、たとえば農業とか出版とか、「関心のある人はぜひ」と呼びかけています。人事異動としてそうさせるというようなことは決してしません。一人ひとりが前向きな自己決定に基づいて集まるからこそ、取り組みに前向きな推進力が生まれるのだと思います。

そういった関係性の育まれたまちに必要な要素として、影山さんはやはりカフェを挙げていました。

いいカフェがあればいいまちになるとは思わないです。でも、いいまちには、必ずいいカフェがある。そのくらいの影響力はあると思いますね。

いろいろな問題をたどっていくと、一人ひとりの自己不在のようなものにその原因があるように感じています。自己不在とは自尊心のなさと言ってもいいかもしれませんが、自分で自分のことを意味のない、必要のない存在と考えてしまうこと。そしてそれがなぜそうなってしまうかというと、その機能性ではなく、存在そのものについての他者からの承認やリスペクトが不足しているからなんだろうと思うんです。

家庭や職場など、取り巻く人間関係の中で承認とリスペクトが不足すると、「自分なんていなくていい」と思うようになってしまう。そうやって自己不在が進むほど、人は時間と空間を失うと思うんですね。時間を失うというのは、未来に向けて希望をもつなんてことはできなくなるし。空間も、最初はごく身近な人の範囲に関係が閉じはじめ、そのうち引きこもるという状況にだってなる。いろんなことがどうでもよくなるわけです。

そこまでいかなかったとしても、自分との付き合い方で苦しんでいる人っていますね。僕だってそういう時期があります。そういう一人ひとりの弱さのようなものを、「あなたはあなたのままでいいんだ」と受け止めていく、それもお店の役割の一つだと思っています。

生きていると、「試される」質問にさらされ続けるようなところがあります。あなたは仕事ができますか? あなたはかっこいいですか? あなたの話は面白いですか? って。であるなら、カフェこそ「試されない場所」でありたい。

一人ひとりを受け止めることから、カフェは始まるということですね。

はい。そして別に特別な空間がなくたって、究極的には人そのものが「場」になれるだろうと思います。もちろんそうした余裕がないときもありますけどね(笑)

目の前の人を評価したり、利用したり、試したりするんではなく、ありのままのその人として受け止めてあげる。あなたがもしそういう存在であれたなら、あなたのまわりには自然といい表情をした人が増えていくだろうと思います。

どんな人にも関心を向けて、そのまま受け止める。その思いには、グリーンズが合言葉を「ほしい未来をつくる」から「いかしあうつながり」に変えた背景にも通ずるものがありました。

それは、課題解決ではなく、そもそも課題が生まれない社会をつくるには、一人ひとりの関係性を紡ぎ直すことなのではないか、という仮説です。一人ひとりの関係がもっとよくなれば、いかしあえる関係になれる。そう信じて、私たちは発信しています。

「ほしい未来をつくる」ってリザルト・パラダイム(過去の活動の結果)ですよね。一方の「いかしあうつながり」はプロセス・パラダイム(現在の活動そのもの)で、何を生むかは一切定義していない。まわりに対しての説明力とかキャッチーさでは劣るだろうし、結局何が生まれるの? って聞かれることもあるだろうと思いますけど、「そこに本質があるんだ」ってあえて言うのはすごく共感しています。

インタビューは「コミュニティの教室」を運営する、グリーンズの植原正太郎(右)と佐藤大智(中央)と伺いました。

コミュニティという漠然としたものではなく、1対1の関係にこそ次の社会をつくるヒントがあるのかもしれません。そんな可能性を胸に、コミュニティについて探求する「コミュニティの教室」では、影山さんも講師にお招きします。

お申込みは6月23日(日)まで。詳しくはこちらをご覧ください!