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農的な暮らしを守りたい。農泊ツアーを通じて、地域の文化と都会の人の関わり方を模索する弥栄(やさか)町の挑戦

旅の一番の「思い出」は、美味しいご飯や楽しい遊びだけではありません。たとえば、知らない土地で道を教えてくれた子どものことや、食堂の女将さんが話すご当地の言い回しなど、後で思い出すいい記憶になることも。

特に、都会から里山地域へ旅するときは、地域の人にとっては毎日当たり前にしていることが、普段都会で暮らす人にとっての印象深い思い出になることもあるかもしれません。

以前こちらの記事では、人口約1300人の農村地帯である島根県浜田市の弥栄(やさか)町で取り組んでいる、なりわいづくりをご紹介しました。今回は、実際に弥栄の農泊ツアー、そして、ツアーを企画した浜田市役所弥栄支所前原健一さんと、プランをつくった株式会社oiseau(以下オアゾ)代表松田龍太郎さんへのインタビューから、弥栄で一番の「思い出」になり得るものは何かを探ってみました。

原風景を守るために新しいなりわいを

合併により旧役場から弥栄支所となった、地元の”役場”にお勤めの前原さんは、農業自体の担い手が減少し、美しい田園を守ることに対する危機感を持っていると話します。

前原さん 農業のある暮らしを守っていくためには、経済的にも損をしない、自立した形で農業が続けていけるようにすること。そして、農地だけではなく、人の手で管理された田園風景が守られたなかで生活できるという状況をつくりたいな、と考えていました。

ツアーを企画した思いを語りながらも、専業農家にこだわるのではなく農業ともうひとつ別の事業軸を持つことが大事だと提案します。

前原さん このツアーを通して体験交流を受け入れましょう、と地域の皆さんに呼びかけました。農業と地場商品、農業と地域文化など、どういうものを提供するのがいいか、どんな人がどう関われる可能性があるか、ということを考える場にすることが重要だと思ったからです。地域の方々が、弥栄を訪れる人のニーズはこれだね!と再認識したり、伝えていくべき伝統はこれだね、と話し合ったりしてもらう機会にしてほしくて。

前原さんは行政の企画者、そしてひとりの地域住人としてツアーに同行。

前原さん 島根の他の地域も人口減少が進んでいますから、小さい規模ならではのモデルケースも必要ですし、弥栄がやろうとしていることはまさにそういう役割です。

地元ブランド「秘境 奥島根 弥栄米」の立ち上げ時期からPRや販売にも関わってきた、松田さん(右)

松田さん 僕らは弥栄に継続できる仕組みをつくりたいんです。農泊は弥栄と関わる人口を増やし、さらに、魅力を知ってもらった上で地元産の商品を食べてもらったり、何かを一緒につくってもらったりという体験を通してファンになってくれる人を増やす。

同時に地域の方々も、たとえば「これまで豆腐をつくったことはないけれど、地元の大豆でつくったらまた新しい商品が生まれるね」というような自発的なアイディアが生まれます。ちょっとしたきっかけで60代や70代のベテラン農家たちがアクションを起こすなんて、頼もしいし、とても興味深くて面白い事例になるはずです。

弥栄を歩いてみると意外にも、八百屋やお肉屋さんが並ぶ商店街はなく、車で30分くらい離れたスーパーに行かないと食材が買えません。もちろんまだ自給自足的な暮らしの地域も残ってはいますが、高齢化にともないその暮らし方も持続できるかどうかの境目にさしかかっている、と松田さんは考えています。

松田さん 農業もこのまま効率化していくと、自分たちが食べる分までもまずは農協さんに全て出して、後から食べるためのお米を改めて買い戻さなければいけない。そうやってでも農家は農業を守って暮らさなければいけなら、今ある農資源を活かした別の取り組みで新たな商売を始めることもできるのではないか、それもまた農業を守るひとつの可能性なのではないかと考えています。

おふたりのお話を聞きながら、弥栄が真剣に地域の未来を見つめていると感じました。それも行政・企業・地域住人が協力しあった前向きな試行錯誤の時を過ごしているようです。

では、気になる農泊ツアーはどんな様子だったのでしょうか。

奥島根「弥栄」の暮らしを知る農泊ツアー1日目

野坂集落の集会所にて、吹雪のなかでかき餅づくり

弥栄は雪深くなる地域。白くチラつく吹雪に翌日の銀世界を心配しつつも、やっぱり見事な雪景色が見たいという期待のなかで餅つき。

山陰地方ならではの大雪かと思わせる吹雪もなんのその。ぺったん、ぺったんと、かき餅用の餅をつく音が弥栄の里に響き、いよいよ冬の奥島根ツアーが始まりました。

かき餅づくりはどの家でも昔から行われていたもので、弥栄で育てられた餅米や黒豆を使ってつくります。なかでも驚いたのは、みかんを丸ごと蒸籠(せいろ)に入れて蒸すつくりかた。なんとも大胆! ほんのり橙色に色づいた餅米に果実の部分を加え、さらに杵でつき始めると甘酸っぱい香りが広がりみんなの顔がほころんでいくのがわかりました。

つきたての餅は縦半分に割った竹に詰めて成形します。蒲鉾のような扇型に仕上がるこの案は、地域のおかあさんたちが考え出したとっておきの技。もちろん竹は近くの山から切り出した竹です。

黒豆、みかん、よもぎ、きび入りという4種類の餅を成形した参加者たち。竹のなかで固まったら少し厚手に餅をスライスし、炭火の火鉢でゆっくりとあぶります。ここで大切なのは「待つ」こと。かき餅が焼けるまでの待ち時間が、隣の人とお話を楽しむ時間なのです。

「初めてきんさったん?」
「はい、東京から初めてきました」
といった交流から始まり、

「このお茶おいしいですね、どこのお茶ですか?」
「どこのやったかいね。ちょっと見てくるから待っとってね」
なんて質問が出たり、

「もうよもぎ餅は食べよった?まだあるけんね。」
とやさしい気配りもあたたかさがあります。

赤っぽいのは、きび入り。「そろそろ、焼けとるんじゃない」「わたし先に杵と臼返してくるわ」といったおかあさんたちの日常会話にもほっこり。

続いて、移住者が起ち上げたゲストハウス「seolleim(それいむ)」へ

お土産としてたっぷりとかき餅をいただいた後は、できたばかりで参加者の宿泊先でもあるゲストハウス「seolleim(それいむ)」へ移動です。ツアー中の運転は弥栄の道を知り尽くした地元在住、佐々木さん。まるで田んぼの畦道のような細い道も「任せてください」とスイスイと抜けたり、狭い坂道をバックのまま登ったりと、見事な運転テクニックで参加者をサポートしてくれました。

弥栄には信号がひとつもありませんが、獣道のように入り組んだ道路はたくさん。古民家を改修したseolleim(それいむ)も、そんな道を登った先にありました。

seolleim(それいむ)を営む新川信一さんは関東からの移住者。もともと三味線のプロを目指しつつも夢半ばでピアノの調律師に転向された後、アパレルの仕事に就いて韓国と中国に10数年在住。後に奥さんとなる女性と出会い、二人で弥栄に移住されました。

弥栄では韓国料理のお店を開店された新川さんご夫婦ですが、弥栄には食事の後ではしごをする二次会向きのお店がないと気づきます。それなら自分たちでつくろう!とオープンしたのがseolleim(それいむ)でした。周辺に民家がないので音楽スタジオにもできることから、地域住民でバンドを結成する話もでているのだとか。1階のバースペースには、新川さんのキャリアを活かし、三味線やピアノも置いてあります。

新川さん ここは以前に植えられた栗、柿、梅の樹があって、どれも庭から十分に自給できる量が採れます。農機具も全部ゆずり受けたので、やろうと思えば田んぼだってできる。私は55歳で移住したのですが、“若い人がきてくれた”と喜んでもらえました(笑)

晩ご飯は「陽気な狩人」(店名)でにぎやかに

ツアー参加者一行のこの日の夕食はイノシシ懐石。食べさせてくれるお店はその名も「陽気な狩人」。店舗に併設した獣肉加工処理施設のスタッフの方が作業中でしたが、この方の解説がまたとても面白いのです。

ツアーの予定に組んでいたわけではなく、たまたま居合わせたタイミングでさばくところを見学させてくれました。

一行が到着した際、ちょうど施設の中でいのししをさばいていた浜村亮治さん。以前は魚を扱っていたそうで、魚を美味しくする技術をしし肉にも応用していると話してくれました。こだわりの熟成技術により、とても柔らかく、くさみのないしし肉に仕上げるのだそうです。

実際にいただいたしし鍋は信じられないほどの柔らかさ。地元の山菜や「角寿司(かくずし)」と一緒にいただきました。角寿司とは、弥栄の郷土料理のひとつ。お祝い事があるときにつくられるお寿司で、その日行われていた地域の催しでつくられた角寿司が「陽気な狩人」にもおすそわけされていたのでした。

そして食事のおともには「どぶろく」。実は、弥栄は全国でも初めて「どぶろく特区」に認定された地区です。地域の恵みでつくられた、しっかりと飲み応えのあるどぶろくが食卓をにぎやかにしてくれました。

エンターテイメントに、石見神楽を見学

ほどよくお酒が入ったところで神楽の見学へ。「石見神楽」と呼ばれ、石見地方では毎週どこかで上演されていると言っても過言ではないほど身近な民衆芸能です。参加者一行は、毎週土曜日に石見神楽の舞が開催されている三宮(さんくう)神社へ。地元住人と観光客で超満員でした。

もともとは神事だった石見神楽ですが、明治以降に神職が舞うことを禁じられたのを機に民衆のものとなり、火薬で演出したり、蛇胴(じゃどう)と呼ばれる大蛇が登場するなど、娯楽性が増したそう。八調子のリズムはロックビートのような軽快さで、ツアー参加者も最前列ですっかり魅せられていました。

奥島根「弥栄」の暮らしを知る農泊ツアー2日目

稲代集落の集会所で味噌づくりと、冬の郷土料理づくり

一夜明けると、外はうっすらと雪が積もっていたものの心地よい快晴。すでに集会所では稲代集落のみなさんが味噌づくりの仕込みを始めてくれていました。ツアー2日目は味噌づくりと、そのままみんなでお昼ご飯づくりです。

弥栄では、蒸した大豆を杵と臼でつぶし、糠と塩を袋に詰めた重石でフタをして仕込みます。大豆を杵でつぶすのは想像以上に力仕事で、この日は地域にお住まいの男性6名も手伝ってくださいました。ふたり一組になって杵を当て合いながら大豆を潰し、ほどよいところで麹を投入したら一段落です。

弥栄では「寒味噌」と呼ばれる味噌づくり。

その間、子どもたちは「どじょう汁」と呼ばれる汁物づくりのお手伝い。そば粉をひねってつくる具の形がまるで「どじょう」のように見えます。

子どもたちは集会所にあった神楽用の太鼓を鳴らしながら遊び続けていたのですが、それを特に気にすることもなくほのぼのと見守っている大人たちの姿から、ここでも神楽が当たり前に日常に存在していることが垣間見れました。

鯨ごはんで冬を越す

もうひとつの郷土料理は「鯨(くじら)ごはん」。山間部の弥栄ですが、節分には刻んだ鯨の身を混ぜて炊いた鯨ごはんが風習なんだそう。漁港に行くにも車で40分以上は掛かる弥栄が一体なぜ鯨なのか?参加者たちの脳裏にも疑問が浮かびました。

弥栄のみなさんの解説では、「大歳(節分)に大きなものを食べて大きく歳をとるように」と縁起をかつぐ意味があるそうです。また、油分の多い鯨の肉を食べることで体を温め、厳しい冬の寒さにそなえるという意味もあるんだとか。地域の伝統とは一つひとつ興味深いものですね。

献立は他にも、漬物の混ぜごはん、こんにゃくの白和え、マグカップには「甘がゆ」とよばれるドロリと濃い甘酒にすり下ろした生姜を足していただきました。甘がゆも冬の弥栄に欠かせない郷土料理のひとつで「10時間ぐらい寝かしたものが一番おいしい」なんて地元の方の声も。

食事が揃い、みんなでちゃぶ台を出してゴザを引き、大家族のように「いただきます!」

食事を終えてから帰りの飛行機に移動する時間まで、「これはどうつくるのですか?」「昔はどんな暮らしでしたか?」など、参加者と地元のみなさんとの話は尽きませんでした。

そのままを楽しむ、そのままを知る旅

2日間の奥島根をめぐるツアーはあっという間に過ぎていきました。奥まった里山に暮らす人たちの日常をそのまま体験するツアーは、過剰なおもてなしもなければ観光化されたサービスもありません。食事をつくっているときも地元のみなさんたちがとても楽しそうにされていて、ツアー参加者にとっても「きっといつもこんな風に暮らしを楽しんでいるんだろうな」と感じる心地のよいものでした。知らない土地に何かを求める旅もいいですが、その土地にすっぽり入ってしまう旅もまた面白いものです。

ツアー参加者のひとり、東京から参加した佐野さんもこんな感想を聞かせてくれました。

佐野さん 弥栄のみなさん、全然背伸びしていないですよね(笑) ザ・田舎みたいなものを押し出すわけではなく本当にありのまま、等身大で暮らしているし。みなさんがとてもお元気なので、移住者の若者が盛り上げているというより地元のおじさん、おばさん方がイキイキとしてらっしゃる。とても良いなと思っていました。

佐野さんに、このツアーに何を求めて参加したのかうかがうと、「特別な体験ではなく、普段の会話からわかる暮らしぶり」という答えが返ってきました。

佐野さん 地域の人が都会に来てくれるイベントで話を聞くよりも、その土地に自分が行って、感じて、時間を共有しながら話を聞くという方が好きです。魅かれるのはそういう旅かもしれないですね。

確かに、ありのままの日々から伝わってくる土地の言葉や息づかい。弥栄で感じられる魅力は、日々の暮らしの「おすそわけ」なのかもしれません。

空港に向かう途中、ちょうど15時に差し掛かると、車窓から漏れ聞こえてくる町の音楽に聞き覚えがありました。「あれ?これ、ラジオ体操?ですよね!」 弥栄では朝ではなく、毎日15時にラジオ体操が放送されていたんです。ツアーの最後まで弥栄の日常をおすそわけしてもらって、参加者一同ほほ笑みあえる最後となりました。

弥栄が秘めた可能性は、まだまだたくさんの笑顔を迎え入れ、新たな価値を創造していきそうです。

(写真: Ayako Hiragi)

[sponsored by きんさいむら弥栄協議会]