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なりゆき? それとも運命? 飲食業界の経験はほとんどなかった菊池さんご夫婦が、町の顔だったパン屋を継ぎ、家族で楽しく暮らせるようになるまで

奥久慈シャモパンに奥久慈リンゴのアップルパイ、大子町産のお米を使った米粉パンやベトナムのサンドイッチ「バインミー」。JR常陸大子駅前にある「パン工房 サンローラン」には、ちょっと目を引く美味しそうなパンが並んでいます。

この店を経営するのは、5年前に転勤先のベトナムから帰国し、東京の会社を辞めてUターンしてきた菊池大貴(きくち・ひろき)さんと、奥さんのDo Thi Thuy(ドォ ティ トゥイ)さん。パン屋を開くのはふたりの夢だった……というわけではなく、実は「なりゆき」だったそうで……?

夫婦で移住・起業するヒントを探求する「あきない夫婦のローカルライフwith茨城県北大子町」、第二回は菊池さんご夫婦に、パン屋を始めたきっかけや現在の暮らしについて伺いました。

今度こそ家族孝行をしたい

菊池大貴さん。サンローランの代表。自らもパンをつくっています。

菊池さんは昭和62年大子町生まれ。専門学校進学を機に上京し、東京のデザイン系の会社に就職しました。転勤先のベトナムで奥さまとなるThuyさんに出会い、平成24年に結婚。大貴さんの祖母が病気を患ったことをきっかけに、会社を辞めて帰国し、大子町に戻ることを決心したといいます。

大貴さん 中学1年生だった13歳のときに祖父をガンで亡くしているんですけど、当時は人が亡くなるっていうことがあんまりよくわからなかったんですよ。若かったから、顔を見せるのとか面倒臭がったりしていて、ちゃんと話ができなかったという心残りがありました。またそうなる前に今回は家族孝行しようと思って、「ちょっと迷惑かけるかもしれないけど一緒に来て」って奥さんに言ったんです。

奥さまのThuyさん。昭和63年、ベトナムブンタウ生まれ。サンローランでは、パンの製造、ベトナムの商品開発・製造を行っています。

日本の文化や言葉があまりわからないこと、ベトナム時代にしていたデザイナーの仕事が大子町にはないこと。Thuyさんは不安でいっぱいになりながらも、夫についていくことを決めました。最初は友達づくりにも苦労しましたが、勇気を出して地域に飛び込んでいったといいます。

Thuyさん やっぱり自分で頑張らないと友達はできないなって思って。子育て支援センターの集まりに参加して、言葉はまだ上手じゃないんですけど、頑張ってみんなに挨拶して、話しながらいい友達になりました。今は順番に家でランチ会とかもやっていて、ストレスも晴らせるし、幸せです。

今では、蕎麦や味噌のつくり方を日本人のお友達に教えてもらい、Thuyさんがベトナム料理教えるなど、異文化交流も楽しんでいるそうです。

ひょんなことから、大子町の顔であるお店を引き継ぐことに

再オープンに際しては、壁と床を直した程度で、棚などはほとんど元々あったものをそのまま使用しているそうです。

大子町に戻ってからしばらくの間は、町の臨時職員の仕事や、コーヒーチェーンの新規店舗を立ち上げる仕事をしていた大貴さん。パン屋をやることになったのは、思わぬきっかけからでした。

大子町では年に4回、商店街の参加各店に100円で買えるお得な商品が並ぶ「100円商店街」というイベントが開かれます。従兄弟が主催していたこともあり、大貴さんはイベントのボランティアスタッフをしていました。その打ち合わせの席で、「パン工房 サンローラン」が閉店するという話が出たのです。

サンローランは昭和51年に始まったパン屋で、駅の目の前ということもあり町の顔として親しまれていたんです。当時のオーナーさんが病気を患い続けられなくなったということだったんですけど、そこにいた全員が「閉まっちゃったらもったいない」って言っていたんですよね。それでみんなが私に「継いだら?」って。

当時私は趣味でお菓子やパンをつくるのが好きで、お菓子教室に通っていたりはしましたが、飲食の経験は数ヶ月だけ新規開店に携わったことがある程度でした。それでも「やっちゃえば!」なんて背中を押されて。すごい軽い感じですけど(笑)

周りの軽い後押しに多少困惑しながらも、当時働いていたスタッフが継続して勤務してくれることや、機材も揃っていることから、ランニングコストもかからないという負担の軽さも相まって、大貴さんはオーナーを引き継ぐことを決めました。

前のオーナーから引き継がれた機材。ここからお店に並ぶ美味しいパンが生み出されます。

周りの人が大子町の顔になっている店がなくなるのはかなり惜しいって言っていたのと、私自身もサンローランが閉まったら商店街がさびれてしまうじゃないかなっていう思いがあったので引き受けることにしました。

うちの父親も前のオーナーさんと知り合いだったので、私がやるって言ったら、トントン拍子で話が進んでいったんです。それに、町で開かれるイベントのお手伝いをしていて周囲の人に顔が知られていたから、受け入れてもらいやすかったのかもしれません。

話が出てから1か月ほどの引き継ぎや準備期間を経て、2015年6月に「パン工房サンローラン」は新たなスタートを切りました。

まずはやってみて、助けてもらいながら進む

サンローランがあるのは、常陸大子駅から徒歩1分と、大子町に住んでいれば誰もが一度は通ったことがある馴染みの場所。店頭にはいつも30種類以上の商品が並んでいます。シルクのような手触りのパン「シルクタッチ」は、TBS「バナナマンのせっかくグルメ」で絶賛されました。また、パン屋なのに大子産米を使ったおにぎりやお弁当も販売していて、こちらもおいしいと評判です。

水、牛乳の他に、生クリームを加えたシルクのような手触りの食パン。通常の食パンよりもしっとりなめらかな食感が楽しめます。

日本一にも選ばれたことのある大子町産のお米を使用したおにぎりも販売しています。しょうゆ・おかか・わかめ・こんぶ・しゃけ・五目・梅・焼きおにぎり・ねぎ味噌・みそ南蛮など様々な味を用意しています。

パン屋の経験がないことを逆手にとって、ほかの店がやらないようなことをやるようにしています。チョコデニッシュやチーズフランスといった定番のパンは職人さんがつくってくれるから、私は町の人が食べたことないようなものをつくる。それが私なりのこだわりです。痒いところに手が届くようなパン屋さんになれたらいいなと思っています。

珍しいパンで若い人を商店街に呼びよせたいっていう心構えでやっていたりもします。

大子町の特産品をパンに取り入れたり、ベトナムのパンやコーヒーを出していたり、夏にはかき氷が登場したりするので、町の人からは「おもしろいパン屋さん」と思われている様子。奥久慈しゃもを使ったパンが登場したときはたくさんの人がSNSに投稿し、住民の間で話題となりました。

ベトナムのサンドイッチを始めた理由は、本場の味を知っているうちの奥さんが商品開発や製造で関われるようにということと、単純にとても美味しかったから。

相場からいえば、他のサンドイッチよりも高くはなっちゃうんですけど、美味しいものを出したいという思いがあるからやってみる。その際、本場の味をなるべく守るようにしています。うちには本物の味を知っている人がいるし、何よりその美味しさを信じているので、大子町の人にも食べてほしい。

海外の商品を日本で販売する場合、日本人に合うようにアレンジされたりすることが多いですが、サンローランではなるべくベトナムの味を再現するために、大貴さんがわざわざベトナムのパン屋さんまで行って作り方を学んだとか。

米粉の入った軽い食感のフランスパンにさまざまな具を挟む「バインミー」。ベトナムの庶民に愛されているサンドイッチです。サンローランでは自家製のベトナムハムを使用しています。

まずはやってみることを大事にしてるかな。それで良かったこともあるし、なかなか結果が見えないこともあります。新しいものには手を出しにくい場合もあるけど、あんまり後出しにしても、お客さんは離れていっちゃうから、とりあえずどんどん出してみるかっていう。ダメならやめる(笑)

また、自身にパン屋の経験がないことから、ベテランの職人さんたちとのコミュニケーションの取り方には気を使っているそう。

前のオーナーの時代から勤めてくれている職人さん。

新しいことをやりたかったら、まずは自分でやってみるとかね。でもどうしても無理なんだったら、技術的に足りない部分を頼るとか、お伺いをたてるようにして。自分が頑張りすぎて壊れちゃってもいけないのでね。

自分ができる範囲で挑戦をしつつ、技術的な部分や、経験年数でどうしても敵わないところは自ら声を出して助けを求めていく。新しく地域に加わる身として、挑戦をしながらも、弱さを周りに共有して、助けてもらいながら進んでいく姿はとても学びになります。

尊敬しているから、行動にする

仕事と家庭のバランスに関しては、大貴さんがたまに家で仕事の愚痴をこぼす程度で、あまりプライベートに仕事の話は持ち込まないようにしているそうです。「仕事の話は職場で」と線を引くのは、夫婦で働く上で暮らしにメリハリをつける方法の一つかもしれません。

3歳の息子さん、0歳の娘さん、大貴さんのご両親と6人で暮らしています。

また、夫婦で一緒に働くことで、得られるものもあるようです。

大貴さん 経済的なことを考えると、奥さんは別の会社で働いた方が別の収入源があって安定するんでしょうけど、ある程度、奥さんが近くにいた方が和らぐというか、ストレスもないというか。

Thuyさん 一緒に働くと心が近くなるし、家族もあったかくなりますね。

仲睦まじいおふたりですが、気になる生活のリズムを伺うために、「暮らしの時間割」を書いていただきました。

さすがパン屋さん。朝はとっても早いようですが、朝食と昼休みでは職場を抜けて、家族との時間をつくっているそう。休日も起きる時間以外はほとんどふたりとも一緒のリズム。全体的に見てもお仕事以外の時間は家族や子どものことが占めています。

大貴さん 仕事の日に関しては、本当だったら店長なんだからもっと働けって言われるだろうけど(笑) 自分は土日も働いていて子どもと遊んであげることができないので、昼休みを長くとってその時間に子どもと過ごすようにしています。休日も家族の時間を大事にしたいから、一人だけで出かけることはあまりないですね。というか、子どもが可愛いから一緒にいたいんです。

お店を引き継いてからまだ3年ほどと聞きましたが、家庭と仕事の両立がなされているように思えました。以前から働いてくれているベテランの職人さんや大貴さんのご両親のご協力もあって可能になっているようです。夫婦の間で家事などの役割分担もなく、子どもの機嫌などによって自然な流れで役割が決まっているそう。

大貴さん 奥さんが家事をしている間は、自分が子どもの面倒をみるとかね。うちの奧さんは、料理もうまいし勉強家で、子どものこともちゃんと見てくれる。しかも、冗談も上手で場を和ませてくれる。総じて奥さんにはありがたいなって思ってます。

Thuyさん パパの顔を見て疲れてそうな時は、家事や育児を私がやるよって言ってあげたりしてます。

でも、そうやって子どもの面倒を見てくれて、休みの日も家族のために時間を使ってくれるところがいいなって思ってます。たまに頑張りすぎなところもあるけど。

本当に優しい人だから嬉しいですね。友達も私たちの関係を羨ましいって言ってくれる。

インタビュー中も、難しい言葉を大貴さんがThuyさんに丁寧に説明していて、寄り添いながら日々暮らしていることが伝わってきました。

ご夫婦が本当に仲良しで、溢れんばかりの家族愛を持っていることが言葉の節々から伺えます。いつもお互いに対する尊敬が根底にあって、それを日々行動に表していることが、夫婦円満の秘訣なのかなと思いました。

この町にはまだまだチャンスが溢れている

一度大子町を出て戻って来た大貴さんや、海外から移住したThuyさんにとって、大子町の魅力はどういうところにあるのでしょうか。

Thuyさん 一番いいのは山。あとは人が優しい。怖い人はあまりいないですね。
泥棒も聞かないし、安全な町です。

大貴さん 奥久慈りんごや奥久慈シャモなど、特産品がたくさんある。茨城県はPRがすごい下手くそって言われるけど、それは活かせてないだけで、大子町はそれを発信できる場なんじゃないかなと。カフェなども増えましたが、それでもまだ発信できるものはたくさんある。そういうチャンスが大子町には溢れていると思います。

今後については、引き継いだサンローランをしっかり育てつつ、いつか二人で子どもも連れて行けるようなベトナムのお店もやってみたいという夢も語ってくれました。

大貴さん 大子町は子育てしやすいまちを掲げていますが、子どもが育ったら外行っちゃいましたとか本末転倒って感じがするので、働ける場所を少しでも増やしたいっていう思いはあります。新しいお店ができれば、そこで人を雇えるかもしれないし。難しいかもしれないけど、やっていきたいことですね。

では、今後大子町に移住したい! 夫婦で仕事をしてみたい! という方へアドバイスするとしたら?

大貴さん 考えすぎて答えが出なければ、移住してみたいところへ実際に行くのがいいんじゃないかな。行ってみれば多少時間を割いて話をしてくれる人たちはいるはずです。そういう人たちの言葉って後押しになるし、大子には夫婦で仕事をしている人も多いから。

あと俺は大まかな人間だからだけど、まずやってみちゃえっていう。

悩んだら、実際に行って、会って、考えればと背中を押す大貴さん。

そうやって突き進んで来たようにも見えるお二人の軌跡を参考に、電車で向かえば、サンローランは駅の目の前。パンとコーヒーを片手に町を歩いて、出会った人と話してみたら、大子町での運命が動き出すかもしれません。

– INFORMATION –

11/17(土)開催! green drinks tokyo 「地域で暮らす・夫婦で仕事をつくる」
with 茨城県北大子町

11月17日、パートナーシップと仕事・暮らしについてを話す green drinks tokyo が清澄白河のリトルトーキョーで開催されます! 詳しくはこちら→ https://greenz.jp/event/gddaigo1117/

(text:宮田晴香)
(photo:山野井咲里)