みなさんは最近、どのように感謝をしましたか?
口頭で「ありがとう」と直接伝えるのはもちろん、SNSのメッセージや、Eメール、直筆の手紙で感謝の意を表した方もいらっしゃるかもしれません。
そんな私たちが暮らしの中で誰かに伝える「ありがとう」という気持ちは、日々の潤滑油であることはもちろん、時に人々をつなげ、やがて豊かなコミュニティをつくっていくことがあります。
今回は、まさにそんな人々の感謝の気持ちを可視化し、縁をつむいでいくプロジェクト「ジャパニーズ・チップ」を展開する辰巳雄基さんにお話を聞きました。
1990年奈良県生まれ。京都造形芸術大学卒業後、島根県の北に浮かぶ隠岐諸島海士町に移り住む。現在は京都の福祉施設で働くかたわら蒐集家/調査員として活動。過去の展示に「たつみの海でひろってきたもの店(展)」「ジャパニーズチップ展―テーブルの上で見つけた日本人のカタチ」などがある。
何気なく折られた箸袋を目にしたことから始まった
みなさんは飲食店で食事をしたときに、箸袋で何気なく、何かを折ったりしたことがありませんか?
もしも、その箸袋で折ったカタチがお客さんからお店へ「ごちそうさま、おいしかったよ、ありがとう」を伝える合図になったとしたら…。「ジャパニーズ・チップ」は「箸袋で折られた何かのカタチ」を、お客さんからお店への感謝のしるしとして見てみよう、という試みです。
きっかけは2012年、辰巳さんが京都の飲食店でアルバイトをしていた学生時代のこと。毎日食べ残しを片付けるのが辛かった辰巳さんはある時テーブルの上に残された「箸袋で折られた造作物」に気づきます。もしかしたらこれはお客さんからのごちそうさま、の合図なんじゃないか。そう思うと苦痛だった片付けは楽しくなり、辰巳さんはこれを「ジャパニーズ・チップ」と名付けて集め始めました。
もっと色々な形を見てみたい。そう考えた辰巳さんは、クラウドファンディングで資金を集め、2016年4月、軽自動車で全国一周しながら協力してくれるお店を探す旅へと出発します。
愛車のトッポの後部座席一杯に、「箸袋でなにかつくってね。それがごちそうさま。ありがとうのサイン。」と書き、お店に置いてもらう吉野杉製のポップと生活道具を積み、座ったまま車中泊を続けて店を訪ねて周ったという辰巳さん。いったいどのように協力してくれるお店を探していったのでしょう。
当時住んでいた島根県海士町からまずは東北へと向かったのですが、初めはグルメサイトやお店のホームページを検索して写真の端っこに箸袋が写ってるかを探したり。地域のグルメ雑誌や本を見たりガラス扉の店を外から見て、あそこは箸を使ってるなあとか。完全にあらかじめ自分で店を選んで行ってたんですよ。見つけるのに、ものすごく苦労したし、店と自分とのつながりしかできなくて。
変化があったのは、たまたまカフェに入ったときでした。
「ジャパニーズ・チップ」の話をしたときに、「俺の知り合いの店が箸袋使ってるよ」と言ってもらえて。箸袋って探せそうで探せないから、みんな必死になって探してくれるんですよ。そうして、つないでつないでという輪が広がっていって。探してくれる人たちが、こう、私をサッカーボールのようにね、ぽんぽんぽんと蹴ってくれる人たちが現れて。いろんな人が助けてくれました。
こうして1年をかけて訪ねた協力店から集まったチップの数はおよそ1万3千点。うち8千点のチップを壁じゅうに張り巡らせた3331 Arts Chiyodaでの展示はTwitterやInstagramで話題となります。
海外メディアからも大きな注目を集め、今年9月には初の海外展示を韓国(韓中日の箸の遺物や作品展示学術会議)で行いました。
韓国も中国も箸文化圏なのですが、向こうには箸袋を使う店がほとんどないこともあり、とても面白がってくれました。初めはみんな、箸袋というもので全部僕がつくった作品だと思って会場に入ってくるんです。
そこでキャプションを読んだり通訳の説明を聞いて、飲食店でお客さんが折ったものを集めたと知ってさらに驚いていました。形のレパートリーの多様さもそうですし、折っている人がこんなにいるんだということにも、カラフルな箸袋自体にも驚いていましたね。
私もよくこれつくっている。と共感する人や、展示を見て自分も折りたい、という人もたくさんいたそうです。
自分ひとりでこの作品を全部つくっても、展示をしても、きっと全然面白くないと思うんですよね。同じ形をつくったとしても。みんなとつくったことで、「ジャパニーズ・チップ」たちの一つ一つの形の奥が見えるような気がする。この人たちは何をおもって、どんな時間を過ごしたんだろうって。
私は3331 Arts Chiyodaでの展示に足を運びましたが、壁一面のチップはどれもユニークで、見ていると思わずクスッと笑えたり感心してしまうものばかり。お客さんの誰もが自由な発想でつくる「ありがとう」のしるしは、ひとつとして同じものがありませんでした。作品をみた私は、「ありがとう」って、面白い存在だな。そう感じました。
意図せず生まれた、人がつながる物語
「ジャパニーズ・チップ」を始めたお店では、お客さんと店員さんとの会話が増えたり、机を綺麗にして帰ったり、食べ残しが減ったりといったことが起き始めました。ただそれらは、狙った取り組みではなかったと辰巳さんは言います。
「あ、そうなるんや」という驚きの方が大きかったです。
旅をしている間に、「ジャパニーズ・チップ」に協力してくれたお店同士がSNS上でつながったり、京都の協力店に違う場所の協力店が食べに行ったよ〜と連絡をくれたり。お客さんがここでもポップあったよ、ここにもポップあったよって店員さんと話をして、自分に写真を送ってくれたり。「物ができていくだけじゃない物語」ができていました。
それぞれのお店が独自のやり方で「ジャパニーズ・チップ」をアップデートしているそうで、「チップをつくってくれたら5円返している」といったことを始めたお店も出てきたそうです。箸袋を折って何かつくってね、それがごちそうさま・ありがとうの合図、と見なしたことをきっかけに、お店とお客さんとのやりとりが形を変え、ずっと生まれ続けているようです。
店員さんとお客さんとのやりとりの間に箸袋を折るという行為が一つ入る。それを感謝のしるしと見立てると、食事を提供する側と、いただく側と、お互いがひとつの「ジャパニーズ・チップ」を通して相手の気持ちを想像することができる。自分の世界に相手が、確かな誰かとして存在するようになるのかもしれません。
「ジャパニーズ・チップ」は、直接渡してくれるお客さんもいるようだけれど、たいていは、そっと、でも気づいてもらえるような形で置いてあることが多い。店員さんによってはわざわざシェフにまで持っていって伝えるらしいです。こんなのあったで! って。
飲食店でお客さんのテーブルと接点があるのはホールスタッフですよね。でもそれがシェフまでつながっていると思うと、コミュニケーションの輪が広がっているんだなって。店員さんによって見立てるものが違うのも面白い。バラに見える人もいればカエルに見える人もいて。
「サービスは当たり前じゃない」という認識を広げるために
箸袋で折られた「ジャパニーズ・チップ」には、チップをお金でわたすのでは想像できない世界を思い描ける楽しみがあることが、人を巻き込んでいったのかもしれません。ただ辰巳さんは、海外のチップについてこんな風にも続けています。
海外のチップも今はパーセントで決められている店も多くなっていますが、初めの起源はもうちょっと、人と人とのやりとりでお金が発生していたと思うんです。チップは言葉の代わりだったという説もあって。移民がすごく多い場所では、感謝を示す共通言語になっていたとか。
ファストフードのように食を提供する形が変わったり、中食が増えたり、あるいは24時間スーパーが開いている現代の暮らしの中で、私たちはテーブルの上の食事が届けられるまでの様々な景色を想像しづらくなっているのかもしれません。
例えばこの先、人が足りなくなって店員さんがロボットになっていくとすると、「ジャパニーズ・チップ」は起こらないだろうなと思うんですよ。これは、人と人との間のコミュニケーションだなと思っていて。
日本における箸袋も、入れる手間やプラスチック製の箸の導入など、利便性を追求していくうちに使われなくなり、だいぶ数も減ってきたそうです。箸袋を包んで、テーブルに置いていくというその光景は、昔からの日本のもてなしとしての風景でした。それが削減されていっていることを思うと、店員さんとお客さんとの距離も最近では変わってきていることが多いのかもしれません。
自分は箸袋向上委員会をしているわけじゃないし、「ジャパニーズ・チップ」で、箸袋を折って、みんな感謝を示しましょうということがやりたいわけでもありません。
相手を想う時間をつくれたり、サービスは当たり前じゃないんだよということが、「ジャパニーズ・チップ」を通して体感するきっかけになったらいい。そう思っているんです。
と辰巳さんは言います。
最後に辰巳さんはこれから、世の中や暮らしが、どんなふうになったらいいと思うか、質問を投げてみました。
自分は、つくる側になりたいわけではないなと思います。なぜなら、今は物が溢れているじゃないですか。だから自分は新しいものをつくりたいとは全然思わないし、すでに豊かに物がある。それを、見方を変えるだけで毎日が面白くなるようなエピソードをつくったり、そういうものを収集できたら発表していきたいなとずっと思ってます。
今回をきっかけに全国を旅できたり、韓国に行ったこともそうですけれど、めっちゃ友達が増えているんですよ。友達がどんどん、何かを軸に増えているということが一番大事だなと思います。大人になってもどんどんいろんな価値観の人としゃべるきっかけができるわけですから。
こういう制作物がつくりたいという夢じゃなくて、新たなものを特につくるということじゃなくて、今ある場所で共有できるようにしたいという未来を思っています。
箸袋を折って何かをつくれば、口下手でも、はじめての場所でも気持ちを伝えあえる。なんて心が軽やかで楽しいことなんだろう。それが辰巳さんの「ジャパニーズ・チップ」を知ったときに抱いた私の印象でした。
そして思ったのは「ありがとう」という言葉は、誰かのながめる景色の隣に自分が生きていると気づけたとき、初めて発せられる日本語なのかもしれないということ。感謝の気持ちを示し合うことは、あなたが・わたしがここにいるよと認め合うことと等しいのだなと、辰巳さんは教えてくれたように思います。
一人として同じ声の人がいないように、ひとつとして同じ形のものがない「ジャパニーズ・チップ」がそれぞれにどんな物語を語りかけてくるか、あなたもぜひ展示の前で、思いをめぐらせてみませんか。
(Text: 吉村千晶)
– INFORMATION –
ジャパニーズ・チップ展
開催日時: 2018年10月4日(木)- 2018年10月21日(日)
会場: Title (〒167-0034 東京都杉並区桃井1-5-2)
ウェブサイト: http://www.title-books.com/event/5063
開催日時: 2018年10月2日(火)- 16日(火)
会場: ジュンク堂書店池袋本店9Fギャラリー(〒171-0022 東京都豊島区南池袋2-15-5)
ウェブサイト: https://honto.jp/store/detail_1570019_14HB320.html
開催日時: 2018年10月1日(月)- 28日(日)
会場: ホホホ座浄土寺センター(〒606-8412 京都市左京区浄土寺馬場町2-7)
ウェブサイト: http://hohohoza.com/news/3427