突然ですが、演劇を見ることはありますか?あなたが最後に劇場に出かけたのはいつでしょう?日本には能や歌舞伎といった古典芸能から大衆性のある演劇まで、実に多様な劇場文化があります。しかし、劇場に通う人は意外と少ないのではないでしょうか。
昨年9月、readyforであるクラウドファンディングがたちあがりました。「京都に100年続く小劇場をつくりたい」と、プロジェクトを立ち上げたのは劇作家・演出家のあごうさとしさん。
京都といえば日本が世界に誇る文化都市。文化的な街で劇場を新しくつくる。一聞すると周囲からの理解も得やすく、何ら問題なくクリアできそうな気がしました。ところが深く話をひもとけば、演劇を取り巻く困難さは思ったよりも根深く、かかる費用も膨大。
演劇にまつわる数々の困難は、何も演劇界だけの話には止まりません。“表現”という観点から見つめてみると、ブログやSNSを通して日々自分を表現している私たちみんなの課題でもありました。今日はあごうさんの苦悩をシェアすることで、みなさんと一緒にあらためて“表現”についても考えてみたいと思います。
あごうさとし
劇作家、演出家。一般社団法人アーツシード京都 代表理事。大学卒業後、広告会社でコピーライターとして勤務。退職して劇団の旗揚げに参加して以降、数々の演劇作品を制作する。2014年9月〜2017年8月アトリエ劇研ディレクター。
2014-2015年、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、パリに3ヶ月滞在し演出・芸術監督研修を受ける。2010年度、京都市芸術文化特別制度奨励者。2013〜2014年度、公益財団セゾン文化財団のジュニアフェロー対象者。平成29年度京都市芸術新人賞受賞。
誰もが表現者であるのに、芸術は敬遠されがち
まずは京都の小劇場を取り巻く現状について見てみましょう。小劇場の明確な定義はありませんが、ざっと300席未満の小さな劇場とします。また文化芸術、とりわけ演劇の世界を目指す人々が低料金で利用できる場として、劇場文化を支えてきた大切な存在です。ところが2015年から2017年にかけて、京都では5つの主要な小劇場が閉鎖されました。理由は建物の老朽化と持ち主の高齢化です。
あごうさんは、劇作家・演出家として一般社団法人「アーツシード京都」の代表を務めていますが、2017年8月まで京都の小劇場の老舗である「アトリエ劇研」のディレクターとして小劇場の運営に関わっていました。
京都はもともと小劇場や舞台芸術がさかんで、大学もたくさんあって、若い人がいろんな芸術活動にいそしむ風土がありました。中でも「アトリエ劇研」は1984年から1995年まで「アートスペース無門館」という名前ではじまった小劇場です。その後1996年に閉館の危機を迎えたのですが、NPO法人が運営主体となり昨年まで営業を続けていました。京都で舞台芸術に携わる人にとっては、登竜門的な存在でした。
「アトリエ劇研」はメディアアートの先駆的かつ伝説的存在「ダムタイプ」や、演劇界の芥川賞と称される「岸田國士戯曲賞」を受賞した松田正隆さんなど多くのアーティストを輩出してきました。
「アトリエ劇研」だけでも年間約50本の芝居やダンスが上演されていました。そのほか昨年までに閉館された劇場で演じられていた演目を合わせると、年間にして150本ほどの舞台芸術が京都から生まれるチャンスを失ったと想定されます。それは、つまり若手の演劇への間口が狭くなることを意味しています。
このままでは京都から舞台芸術を志す人が少なくなるだろうな、と考えられます。私たちもこの世界の先輩が築いてくれた果実を受けているわけですから、このまま見ているだけではあまりにも寂しい。「少しあがいてみようかな」、というのが劇場新設に向けての最初の動機でした。
そんなある日、あごうさんは新幹線の中でアーティストのやなぎみわさんと偶然出会いました。あごうさんとやなぎさんは、かつて共に舞台を手がけたこともある仲。あごうさんが「アトリエ劇研がなくなるので、新たな劇場を立ち上げたい」と話したところ、やなぎさんも「一緒にやりましょう」と約束してくれました。
実は「アトリエ劇研」閉館の波紋は京都の演劇界に広まっていました。今は「アーツシード京都」で理事を務める蔭山陽太さんもそのひとり。
「アトリエ劇研」を買い取る案も出ましたが膨大な金額がかかると判明して、断念。他によい場所を訪ね歩く日がはじまりました。劇場として使うとなると、天井高が最低でも3.5メートルほど必要になります。また劇場となると音漏れも気になるところ。そして何といっても物件の価格。さまざまな条件に適した物件は簡単には見つかりません。あごうさんは「手近な物件の室内を黒塗りにして、小さな芝居小屋をつくろうかな」とも思ったそうです。
そこで蔭山さんとやなぎさんと話あったところ、蔭山さんから「小さな芝居小屋ではダメ。もっときちんとした劇場をつくらないと」と叱咤激励を受けました。
そして蔭山さんから株式会社「八清」の倉庫を紹介してもらったところ、天井高が確保でき、住宅街の中にありながらも騒音の懸念が少ない鉄骨2階建ての好物件が見つかりました。
ところが、ここからがまたひと仕事です。土地には用途地域といって、土地ごとに利用目的が定められているのを、読者のみなさんはご存じでしょうか?
あごうさんたちがようやく見つけた理想の地は、元は準工業地域でしたが、都市計画法が変更されて、現在は第1種住居地域となっていたのです。
住居地域に劇場という不特定多数の人が訪れる施設をつくるためには、建築物の用途許可を申請するために京都市の建築審査会にかけて特例措置を受ける必要があります。
「数ある審査会の中でも最も厳しい審査会のひとつですが、受けてください」と建築指導課に言われたんです。最初は「書類何枚か書いたらいいんですか?」みたいな感じでしたよね。でも、そんなふうに問屋はおろさない。建築審査会に通すためには現況の建物を科学的・建築的に調査して、現在の建築基準法の耐震や防音の基準を満たすように改修工事の設計図面を出す必要がありました。
耐震性や建物の構造計算など特殊な専門的な知識が必要であるため、建築家を交えたチームを編成する必要がありました。まずは現存する建物の図面と実際の建物の検証からスタートしました。図面通りに建っていない部分は実際に地震があった場合どの程度ダメージが出るかを計算するという綿密な調査をし、リノベーション後の設計図も作成するとなると、要する費用はかなりのものでした。
あごうさんらはこの新しい劇場を「Theatre E9 Kyoto」と名付け、まずは建築審査会を通過するのに必要な図面や書類作成の費用を捻出するため、クラウドファンディングを立ち上げることにしました。
2017年9月22日、あごうさんらが計画する劇場「Theatre E9 Kyoto」建設のための調査費用をまかなうクラウドファンディングは、10代から70代までの616人の支援を得て、目標金額の1400万を凌ぐ19,282,000円を見事にファンドレイズし、終了しました。
このほかにも直接ご支援いただいていますが、昨今のオリンピック・ホテル建設などの建築費の高騰と、当該建築物の詳細な調査による補修工事の必要が明確になり、工事費が当初予定よりも高くなることがわかりました。当初8550万円の予定をしておりましたが、現時点では、工事費、設備費、調査費、運営費などを含めた総事業費を約1億円と見直して、設計及びスケジュールを組み直しています。
100年続く劇場を
実に膨大な費用がかかる一大プロジェクト。そのクラウドファンディングであごうさんらは「100年続く小劇場を」と呼びかけました。そこにはいったいどんな思いを込めていたのでしょう?
1924年に現代舞台芸術の専門館「築地小劇場」(東京都中央区)ができたんですね。関東大震災の翌年のことです。この劇場も私財でつくられました。個人の力ではなかなか続かないですよね。お金とか、人間関係とか、方向性とか。色んなことですぐにいきづまる。
舞台芸術は長い間、民間の力で発展してきた歴史的な経緯があります。
民間で建物を維持する場合、運営と継続のための資金力が問われます。しかも、先述のように、しかるべき許可を得て劇場を建設する場合、莫大な資金がかかるのです。
万事最初が肝心です。違法に劇場をつくってしまうと行政から指導を受けたら活動を続けることが困難になります。最初からグレーな状況では長く続けていくのは困難です。
「アトリエ劇研」は京都の中では老舗の小劇場ですが、33年で老舗といわれる世界なんです。中には5年や6年で閉鎖になる劇場もある。
長い時間をかけて育まれるものが文化。しかし、多くの小劇場が続かない事実を見ても、その経営は順風満帆とは言えません。だからこそ「劇場を100年続けるためにはどうしたらいいのかを考えたい」とあごうさんは話します。
文化・芸術は誰のもの?
芸術と聞くと、縁遠いものと感じる人も中にはいるかもしれません。しかし、人類の歴史を振り返ると、例えば絵画は旧石器時代の壁画にルーツを持ち、演劇や彫刻も古代宗教儀式に端を発すると言われています。つまり、古代から人間はずっと表現をしてきたのです。人類をほかの動物ではなく人類たらしめているのは、この“心を表現する”という行為ではないでしょうか。
「なんで小劇場が必要ですか?」とか「なんで芸術が必要ですか?」という質問を受けることもあります。それは、「市場原理に合わない力学で動いているものは必要ですか?」という問いかけにも聞こえてきます。
いや、必要に決まっていますよね(笑) 僕にしたら病院や学校と同じぐらいあたりまえに人間に必要なものです。だって、表現しない人間がどこにいるんですか? 芸術は資本主義原理だけでは動かない。でも人間の存在の中にプログラムされているものですから。
しかし小劇場が閉館したことも真摯に受け止めないといけない事実。地域の住民のためにつくられた図書館などの公共施設と違い、現状では小劇場に通う人は「演劇が好きな一部の人」に限られてしまっています。劇場に足しげく通い、支える人たちだけでは建物を維持することは難しいということです。
だからこそ、これからは演劇ファンに向けた芝居だけをつくるのではなく、演劇好きの層そのものを厚くしていきたい、とあごうさんは考えています。つまり「月に1回でもいいから芝居を観にいこうか」という層を増やすのです。
地域に開かれた小劇場を目指して、「Theatre E9 Kyoto」は劇場、ギャラリー、カフェなどを備えた複合文化施設を目指しています。
劇場の場合、騒音の問題などで下手するとご近所と対立してしまうこともあります。ですから今回は、同じ轍を踏みたくない。だって芸術で分断を起こしてどうするんだって話ですよね。周囲の方に受け入れていただきたいし、できればここに集ってほしい。
そのためにも劇場・カフェ・ギャラリーという複合施設を目指しているんです。しかし現在建築費が高騰していまして、予算の関係ですぐには手が回らないかもしれないですが、あきらめてはいません。
そしてもうひとつあごうさんが目指すのは、舞台芸術を鑑賞(消費)するだけでなく、この場から作品が生まれるような創造発信型の劇場です。
日本では稽古する場と本番の劇場が別のことがほとんどです。稽古場では本番会場である劇場と環境が違いますから、「想定」で稽古を行います。本番前に劇場に入って2日とか3日で仕上げをたたみかけるようにやるっていうのが一般的なんです。以前文化庁の研修制度でパリにある「国立演劇センター」で研修させていただいたんですが、ここでは本番会場で1ヶ月前から全員が集まって、舞台もできていて、本番を演じる舞台で稽古をするんです。
徹底的にクオリティをあげきったところでそのまま上演できるというとても素晴らしい環境です。そして国内とか国外に作品が巡る。そこまでするには公的な支援があるからできるんですが、そういう豊かなクリエーションする時間、哲学する時間をこの劇場で可能な限りつくっていきたいですね。
「赤ん坊だって、お腹を蹴って自分の存在を表現している。こうしてお話しをしていても、聞いているほうだって黙っていてもうなづいたりして、自分を表現しているんです。とにかく表現していない人間なんて、いないんです」とあごうさんは言います。確かに、私たちはいつも小さく表現したくてたまらない存在。そしてその最たるものは芸術です。
人間を人間たらしめている芸術が前に進まなければ私たちの“人間らしさ”も停滞してしまうのではないでしょうか? だとすれば、これは人間である私やあなたの問題です。もしも共感していただけるなら、新しい劇場の建設に寄付というかたちで参加しませんか? 芸術はじわじわと、あなたの人生に寄り添ってくれるはずです。
「アーツシード京都」では引き続き劇場建設のための寄付を呼びかけています。詳しくはホームページをご覧ください。