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コンプレックスが個性に変わる。障がいのあるアーティストたちと作品づくりに励む「工房はんど」が設立1年で躍進したのは、”心の安定”を第一に考えたから。

みなさんは、「エイブルアート」を知っていますか? 障がいや生きづらさを抱える人たちによるアートのことで、独特な感性でつくられた作品は、企業の広告や商品デザイン、クリエイターの作品素材などに積極的に採用されています。現在はこうした取り組みや価値の認識が全国に広まり、多くの福祉の現場がアートに取り組んでいます。

大阪府・富田林市の合同会社「工房はんど」も、アートを通じた障がい者就労支援を行う団体。障がいのある人の“アーティスト”としての魅力を引き出し、すばらしい作品をたくさん生み出しています。

設立からわずか1年にもかかわらず、大手企業やクリエイターへの作品提供なども行っている「工房はんど」では、障がいのある人たちとどのように向き合い、作品づくりを行っているのでしょうか。代表の安野壽さんにお話をうかがいました。

安野壽(あんの・ひさし)
大阪府富田林市の障がい者就労継続支援B型団体「工房はんど」代表。会社員として働いたのち、30歳で知的障がい者支援を行う団体に転職。約16年間、大阪府富田林市エリアでの障がいのある人や家族のサポートを行う相談業務に従事し、障がい者の家族に寄り添う。その経験を活かし、2016年12月に「工房はんど」を設立。

自信がつくほどに作品がよくなり、
設立から1年でオファー多数!

大阪市の繁華街・天王寺から電車で約30分。「工房はんど」は、静かな住宅街の中にあります。ナチュラルな内装で、ショップも併設された居心地のいい雰囲気の工房では、現在12名の“アーティスト”が作品づくりを行っています。

ショップには、かわいいイラストの雑貨が並びます。

安野さんが「工房はんど」を設立したのは2016年12月のこと。まだ1年と少ししか経っていませんが、所属するアーティストの作品は、さまざまな企業・団体のカレンダーや年賀状に採用されるなど、活躍の場が広がっています。

工房内の壁に飾られているのは、ポストカードになった作品たち。その一点一点に秘められたエピソードを、安野さんは目を細めながら解説してくれました。

工房内の壁一面に貼られた、作品のポストカード。

ほとんどのアーティストが、最初は「自分に絵なんて描けない」と思っていました。「猫の顔は丸じゃないといけないのに私は丸く描けない」など、「こうあるべき」というのを強く持っていて、自分の絵に対してコンプレックスがあったのです。「その絵がいいんだよ」と、一人ひとりの絵の特徴を認めていくことからスタートしました。

本人たちがコンプレックスに感じていた“個性”を認め、自由に楽しく描いてもらうことで、作品がみるみる良くなっていったそう。指名で作品依頼が来るようになると、アーティストたちはますます自信をつけ、さらに腕をあげていきました。

「心が安定し、楽しく描ける場所があれば、彼らはプロのアーティストになれる」と断言する安野さん。「工房はんど」を設立した背景には、これまでに多くの障がいのある人と向き合ってきた経験がありました。安野さんはこれまで、どのように障がいのある人と関わり、何を感じてきたのでしょうか。

「工房はんど」では、絵を描くだけでなく、レジンのアクセサリーなどもつくっています。

障がいのある人と向き合って気づいた「心の安定」の必要性

化粧品会社の営業マンだった安野さん。事故でケガを負い、以前のように働けなくなったことをきっかけに、20代後半で福祉への転職を決意しました。当初は高齢者介護の職に就くつもりでしたが、資格取得のために通った専門学校の実習先で知的障がいのある人たちと出会い、考えが変わったそう。

僕はそこではじめて“知的障がい者”の枠を知ったんですよ。中学生の時は、養護学級にいてる子たちに“障がい者”という認識はなく、“変わった行動する養護の子”だったんです。僕の中で“障がい者”は、車いすに乗っているような人のことでした。

安野さんが実習で約2週間滞在したのは、重度の知的障がいがあり、要介護の人たちが暮らす入所施設。はじめこそ戸惑いもありましたが、慣れてくると「好きなものは好き、嫌なものは嫌」という純粋な彼らの姿勢に「この人らおもろいなぁ」と、興味が湧いてきたのだそう。「ここで働きたい!」と思い、中途採用試験を受けて施設の職員になりました。

ところが入社翌年、安野さんに下されたのはまさかの異動辞令。現場経験わずか1年の身で、「在宅者支援」の業務を担うことになりました。家から出られない、在宅状態の障がいのある人のための支援の仕事で、共に暮らす家族の困りごとの相談に乗り、改善のためのさまざまな提案を行う仕事でした。

当初は“相談員さん”という肩書きに対して構えてしまう人が多かったものの、やがて「お茶でも飲みがてらどうぞ」と自宅に招かれ、家族と世間話をしたり、引きこもりがちな本人とコミュニケーションをとったりするように。安野さんはその後、約16年ものあいだ相談員として働き、のべ1,000人近くもの障がいのある人や家族に出会いました。

ほとんどの人が小さい頃にいじめに遭い、不登校を経験していました。小学校4〜5年くらいからいじめなどがはじまり、中学校に入って勉強や遊びのスタイルが変わると不登校に。やがて表へ出られなくなり、学ぶこともできず自信のないまま成人し、働くことができなかったり、働いても途中でくじけてしまったり…、見事に同じパターンなんです。

相談員の頃、毎月開催していた知的障がいのある人を対象とした週末余暇支援活動の様子。大学生や高校生がボランティアで運営に携わり、障がい理解の機会にも。自信をなくしている障がいのある人が一歩を踏み出す機会として、安野さんは平成11年から運営に関わっています。

「自分は何をしてあげられるのか?」と、自問自答を繰り返した安野さんは、まずは家から一歩出てもらうために、「心から笑える空間や、楽しめるものを見つけてあげよう」と考えました。一緒にドライブに行ったり、水族館に行ったり、家から出られない人とは家でプラモデルを一緒につくったりと、一人ひとりに適したやり方で“楽しみ”を提供していきました。

そうするうちに少しずつ自信がめばえ、作業所に通いだす人や、就職をする人が現れてきたのです。その様子を目の当たりにし、「情緒が不安定な状態をある程度“安定”させれば、社会に一歩踏み出せる」という仮説が、確信に変わります。

こうして、多くの障がいのある人と正面から向き合い、自分の目指す“あるべき福祉の像”が見えてきた安野さんでしたが、地域福祉の現実は、増え続ける福祉サービス利用者の対応で日々手一杯の状態。次第に安野さんの業務が軽視されるようになり、安野さんは、自分のスタイルで“あるべき福祉”に邁進するために、再び転職を決意しました。

就労支援団体へ転職するも、
突如訪れた経営者への転機

2014年から安野さんが働きはじめたのは、「障がい者就労継続支援B型」に取り組む団体。園芸や絵画、手芸などの作業を通し、障がいのある人のサポートを行いました。「一人ひとりの個性を認め、自信につなげて自立へのサポートを行いたい」という思いで利用者と向き合い、やりがいを感じていた安野さんでしたが、転職して2年も経たないうちに、急に法人が事業を整理することになったといいます。

しかし、「築き上げてきたスタッフと利用者との関係性をみすみす手放すわけにはいかない」と感じた安野さんは自身が代表となり、同じ場所で就労継続支援B型を行うことを決意。ついに合同会社「工房はんど」を設立するに至りました。急ピッチでしたが、2名のスタッフと数人の利用者と一緒に事業をスタートすることになりました。

2名の女性スタッフは、縫製やパソコンで行うデザインの色付け作業などの支援を行っています。

「工房はんど」では、作業内容を「アート」に絞り込みました。実はこれ、相談員の頃から安野さんが描いていた夢だったのです。

相談員の仕事をする中で、おもしろい絵を描く障がいのある人と出会いました。僕はその人の絵がすごく好きで。でも、楽しく絵を描いて過ごせる場所やそれを活かせる場所がなかったんです。なので、こういう場所にニーズがあることはわかっていました。「自信のなかった人が自分の強みを見つけてそれを商品にできる場所をつくろう」と決めました。

こうして2016年12月に事業がスタート。しかし、はじめは利用者も商品も少なく、財政的にとても苦しい状態が続きます。そこで安野さんはFacebookなどのSNSを使って広報を開始。すると次第に二つの大きな効果が得られるようになっていきました。

ひとつは、障がいのある人からの問い合わせが増えたこと。半年ほど経ったころから、Facebook経由で新たな利用者が1人、2人と増えていったといいます。清潔感があっておしゃれな工房の環境や、“アーティスト”として扱われ、自分の絵が商品化されていくことには、安野さんの読みどおり、ニーズがあったのです。

難病がきっかけで障がい者手帳を取得したアーティストの絵。引きこもり状態から一歩踏み出そうとして自分の居場所を探していたところ、Facebookや知り合いの情報から「工房はんど」を知り、見学したその日に通所を決めたそうです。この絵で絵本をつくるのが夢だそう。

施設は一人あたりの作業スペースが広く、清潔感もあり、おしゃれな空間です。

もうひとつは、障がい者アートと企業などの仲介を行う団体「パラリンアート」や「障がい者アート協会」との出会い。藁にもすがる思いで作品の登録や、コンペへの出品をはじめたところ、次第に企業や団体からの作品購入が相次ぐようになったのです。

大企業の2018年のカレンダーに採用された、所属アーティスト・TAKUOさんの作品「ひまわり」。TAKUOさんは売れっ子アーティストで、他にも多くの作品が採用されています。

安野さんが当初から理想としていたのは、一人ひとりを“アーティスト”として立て、店頭での雑貨販売だけでなく外部に“デザイン”として売り出していく、まさにこのスタイル。可能な限り作品に名前を入れることで、各アーティストのファンも生まれ、指名で制作の依頼を受けることもあるそう。

「工房はんどの雑貨」ではなく、「工房はんどのアーティスト・○○さんの作品」として売るのが、工房はんどのスタイル。ポストカードには必ずネームが入っています。

“アーティスト”としてその個性を認められることで、利用者の様子がみるみる変わってきているようです。

体調に勝てず休む日もありますが、来所すればもう、“アーティスト”ですよ(笑) パソコンでの色づけ作業にもすごくこだわっています。それに最近は、制作の依頼を断らないですね。前は「そんな自信ないわ」って感じだったけど、「やってみようかしら」って、作業中の刺繍を止めてでも依頼された絵を描いてくれるようになりました。

手で描いた絵をトレースし、スタッフの協力を得ながらパソコンで色づけ作業を行います。

ライバル意識が生まれたり、指名のオファーがあった場合には報酬も入るため、経済的な概念も生まれたりしているそうです。「この人の売上はこの人だけのものではないよ」と、売上の分配についてもしっかりと説明をしている安野さんは、アーティストが自立して活動ができる状況を目指しています。

ずっとここにいてほしいと思ってしまいますが(笑)、やっぱり一人ひとりが自立できるのが理想です。デザインの世界が難しいのは承知ですけど、そこは福祉という枠で勝負できるんちゃうかと。お金にするのは大変ですが、本人の弱い部分を克服するためのサポートが、僕の役割だと思っています。

最近新たに取り組み出したのは、イラストを組み合わせたテキスタイル。プリントした生地を縫製し、ポーチなどのファブリック商品の製作もはじめています。

そもそも大事なのは、“障がい”への理解。

“心の安定”を図り社会復帰をサポートする、という「工房はんど」の活動コンセプトは、安野さんが長年培った経験から得た“福祉のあり方”のひとつの答え。しかしそもそも、日本で心が不安定な状態の障がいのある人が増え続けている原因の一つに、安野さんは「障がいへの理解不足」があると考えています。

現状として、家族や支援者が障がいについて学べる機会が少ないために、きちんと理解できていないケースもあるのではないでしょうか。基本的なことを知っていれば絶対にやってはいけない“叱る指導”をするなど、自立のための場所なのに精神的に追いつめてしまうこともあります。

日々これだけ描き方が進化しているということは、成育歴の中でいろんな経験をし、もっと自信をつけていれば、社会への適応の仕方も変わっていたのだろうと思うことがあります。結局、「心が安定すれば、障がいのある人は力を発揮できる」ということを知る機会がないんですよね。いろんな人が理解をするのは本当に大事で。理解があれば、いじめや虐待が1件でも減るかもしれないと思ってやっています。

地域の高校や大学で知的障がいについての講演を定期的に行うなど、啓蒙活動も行なっている安野さん。“理解”を通して、障がいのある人が自信を失ってしまうような環境を改善し、自分の個性を活かしながらのびのびと活躍できる社会を夢見ています。

アーティスト一人ひとりに対し、日々コミュニケーションを取りながら「次はこれを描いてみない?」と提案し、すっかりやる気にさせる安野さんは、名プロデューサーさながら。

あなたは、障がいについて、どのくらい理解をしていますか?
“アーティスト”として積極的に活動する「工房はんど」のみなさんと接し、「自信を持つことで、こんな風に輝くことができるのだなあ」と、これまでの“障がい者支援”のイメージとは違うアプローチに気づくことができました。

福祉職や家族ではなくても、この気づきは活かせるはず。ちょっと生きづらさを感じている人が周りにいたら、その人の個性を活かしたり、自信を取り戻したりできるような道を提案してみてはどうでしょう。理解の上にある一人ひとりの言動が積み重なることで、みんなが生きやすい社会に近づくのではないでしょうか。

特集「マイプロSHOWCASE関西編」は、「関西をもっと元気に!」をテーマに、関西を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、大阪ガスとの共同企画です。