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ローカル線、いすみ鉄道再興の秘密は、いかに“演出”するか、にあった。「主役は乗客と地域の人」と言い切る鳥塚亮社長インタビュー

「ローカル線」と聞いて思い浮かべるのは、どんな光景でしょうか。

いまだ残る懐かしい田舎の風景、もしくは閑散とした寂れた風景かもしれません。千葉県のいすみ市近郊を走るローカル線のいすみ鉄道も、過去には毎年1億円もの赤字を出していました。それが今では、ローカル線復活の成功例として全国的にも知られた存在となっています。

その成功を導いたのが、2009年に公募によって社長に就任した鳥塚亮さん。いすみ鉄道再興の秘密はいったいどこにあったのか、おうかがいしました。

鳥塚亮(とりづか・あきら)
1960年生まれ、東京都出身。幼い頃からの鉄道マニアで国鉄志望だったが、大学卒業時、国鉄の新規採用がなかったため、外資系航空会社に勤務。2009年に公募により、いすみ鉄道株式会社の代表取締役社長に就任すると、赤字路線だったいすみ鉄道の立て直しを図った。著書に、『いすみ鉄道公募社長―危機を乗り越える夢と戦略』(講談社)、『ローカル線で地域を元気にする方法―いすみ鉄道公募社長の昭和式ビジネス論』(晶文社)がある。

ローカル線が生き残る道

鳥塚さんは公募によって選ばれた社長です。社長を公募したのは、赤字続きのいすみ鉄道に外部の声を入れる必要があると考えられたからです。外資系航空会社に勤務していた鳥塚さんは、鉄道に対する強い憧れから、社長公募に応募します。その根底には、東京・板橋生まれという鳥塚さんの田舎への思い入れがありました。また、子どもの頃にSLブームがあったことも大きいと言います。

言葉のはしばしから、鉄道への熱い想いを感じさせる鳥塚社長

みんなが蒸気機関車を追いかけて、いろいろなところが名撮影地になっていたんですよ。何でもない場所に蒸気機関車が走ると、それだけで絵になるんですよね。

けれども、地方は高齢化で人の数は減る一方。さらにモータリゼーションに拍車はかかり、ローカル線が地元の足として活躍する機会もありません。

地元の人の利用だけを考えると、ローカル線よりバスなんですね。でも、実際にローカル線をなくして、バスを走らせた地方がどうなっているか、見ればわかるでしょう。

鉄道を失った地域は喪失感が漂ううえに、バスを走らせても人の数が増えるわけではないのです。

ただ、田舎は都会の人にとって憧れでもあります。何でもある都会で暮らす人にとっては、何もない田舎が魅力的に映るものです。そこに走るローカル線は、磨けば光る「宝石の原石」だったのです。鳥塚さんには、いすみ鉄道が莫大な赤字を生む状況にあっても、再興できるという確信がありました。

鳥塚さんが考えた、いすみ鉄道を磨く道は、「観光鉄道にすること」でした。つまり、地元の人たちの足ではなく、観光客が観光目当てで乗る鉄道に生まれ変わらせる、ということです。

今では観光は一大産業ですが、当初は「観光なんて遊びだ」と言われ、反対されたと言います。鳥塚さんは次々にアイデアを具現化して、実際に観光客が増えていくという結果で、自らの主張の正しさを示していきました。

地域の広告塔としてのローカル線

鳥塚さんが社長に就任して気づいたのが、いすみ鉄道が走る地域の中にも、鉄道に対する熱意に温度差があることでした。一般的にローカル線は、JRから分岐してさらに地方へ向かう路線。複数の市町村をまたがって走っています。いすみ鉄道も同様に、JRの駅があるいすみ市と、その先にある大多喜町をまたがっています。

大多喜駅の駅舎に掲げられた看板。駅ごとにネーミングライツも販売している。

大多喜町にとっていすみ鉄道は、陸の孤島にならないための大切な存在でした。しかし、いすみ市にとってはそうではありません。そのため、いすみ市と大多喜町の間に温度差が生じていたのです。「この差をなくせば面白いことになるかも」と、鳥塚さんは考えました。

いすみ市の市長にアプローチした鳥塚さんは、「ローカル線であるいすみ鉄道を存続させれば、いろんなことができるんですよ」と、ローカル線の持つ可能性を訴えたのです。さらに、鳥塚さんは市長に約束します。

いすみ鉄道を全国区にします。そうすると自然にいすみ市も全国区になりますよ。

当時、平成の町村合併によって生まれて間もない市であったため、いすみ市は全国的な知名度が低い状態が続いていました。そのため、「いすみ鉄道です、と言えばテレビだって呼べるし、観光客も来て、お金も使ってくれる。いすみ市もにぎわうんです」という鳥塚さんの話は魅力的でした。いすみ市のいすみ鉄道に対する期待は膨らみ、応援するムードが高まったといいます。

そこで鳥塚さんは、いすみ鉄道を地域の広告塔とするべく、地元の特産品を用いることを決めます。そこで目をつけたのが、全国一の水揚げ量を誇る、千葉の伊勢海老でした。鳥塚さんは、地元の旅の宿の料理長が腕を振るった、伊勢海老、アワビ、サザエなどを舟盛りのように豪華に盛り付けた料理が食べられる列車を走らせたのです。けれども、鳥塚さんの口からは意外な言葉が飛び出しました。

でも、お刺身なんて切ってあるだけだから、鮮度のよさ以外は、どこで食べても一緒なんです。

改めて考えてみれば、そういう一面もあるかもしれません。では、お刺身列車の意味はどこにあるのでしょう。

のどかな光景の中を続くいすみ鉄道の線路。車窓からこんな風景を目にしつつ、伊勢海老が食べられる。

地元の国道沿いには、お刺身を出すレストランはいっぱいありますが、決して流行ってはいないんですね。でも、ローカル線の車内で伊勢海老のお刺身を食べられることにすると、その非日常体験が魅力になるんです。

確かに、列車の中で食べることで、駅弁もさらに美味しく感じられるもの。単に地元の特産品を出すことではなく、そこにローカル線という特別なスパイスがあることが重要なのです。そのねらいをメディアが見逃すはずもなく、テレビなどの取材が押しかけ、芸能人がいすみ鉄道で伊勢海老を食べるシーンが全国に流れることになりました。これは、いすみ市にとって大きな宣伝となりました。

このように地域のよさを知ってもらうきっかけをつくることで、いすみ鉄道は地域の広告塔として、地元の人にとってなくてはならないものとなっていくのです。

ただ走っているだけでビジネスとして成功する?

田んぼにたくさんの木々、その間を走り抜けるムーミン列車

同時に鳥塚さんは、いすみ鉄道そのものを魅力的な観光鉄道にすることも忘れていませんでした。そこで大切なのは、“演出”だと、鳥塚さんは断言します。

ローカル線は素材を提供するビジネス。私たちは演出する側で、主役はお客さまなんです。

いすみ鉄道は始発から終点までを、安全、正確、ローコストで行ったり来たりしているだけ。その列車に乗って、風景を楽しみ、ふらりと降りた無人駅で次の列車までの1時間を自由に楽しむのは、乗客自身なのです。

演出を考える一方で、鳥塚さんは週末にイベントをするといったことはおこなわないと決めています。

土日にイベントをすれば、そのときはお客様は来てくれると思います。でも、職員にしてみれば休日出勤が増えて負担も増えますよね。そうではなくて、ただ走っているだけで、お客様が楽しんでくれるようにしたかったんです。

演出の一環として用いたのが、日本でも大人気のキャラクター、ムーミン。ムーミン谷のような地元の雰囲気に合わせて採用した結果、いすみ鉄道=ムーミン列車と、多くの人に認知されるようになりました。

車体に描かれたムーミンのキャラクターたち。大人気のキャラクターを使用することで知名度は一気に上昇。

車窓や、列車の先頭についているヘッドマークにムーミンのイラストが描かれているだけでなく、西大原駅と上総東駅間の線路沿いではムーミンたちの人形が乗客を迎えてくれます。近くを走るときは車内アナウンスで案内もあるという、丁寧なサービスも。

また、駅のお土産店に貼ってある古い映画のポスターも、演出のひとつ。

昭和の香りいっぱいのポスターたち。たとえ知らなくても何となく懐かしい気がしてくるから不思議。

あのポスターを見ると、お客さまが、“あ、『セーラー服と機関銃』だ、薬師丸ひろ子だ”って思うわけです。ポスターがそこにあるだけで、“あの頃は高校生だったな、あの子と見に行ったな”とか、そこまで想いを膨らまして、そしておせんべいを買って帰ってくれるんです(笑)

このような演出を乗客は思い思いに楽しみ、いすみ鉄道は観光鉄道としてその名を馳せていったのです。

地域の魅力はそこに暮らす人が生み出す

これらの演出をさらに後押ししたのが、いすみ鉄道が走る地元に住む人々の人柄です。

旧夷隅郡だけで酒蔵が5つもあることからわかるように、この地域はもともと豊かなんです。お米を食べずに酒にするぐらいですから。だから住んでいる人たちものんびりしていて、温かいんですよね。

それはまず、公募で選ばれ、いわば外からいすみ鉄道の社長にいきなりおさまった鳥塚さん自身を温かく迎え入れるところから始まりました。ひとつ間違えば、よそ者扱いされかねないところを、「地域の人たちにかわいがってもらいましたし、居心地いいですよ」と、鳥塚さんは笑顔で話します。

さらに鳥塚さんが社長に就任後、地元の人たちによる、いすみ鉄道の応援団ができました。いすみ市の西部にあり、過去には国吉村と呼ばれた、国吉の旅館の主人を団長とする応援団の人たちは、古くなった駅舎の壁のペンキを自発的に塗り替えてくれるなど、いすみ鉄道を自分たちの手で盛り立てようと協力を惜しまなかったといいます。

応援団以外の人たちのエピソードからも、地域が持つ温かい人柄や、地元やいすみ鉄道を大切に想う気持ちが感じられます。

駅のホームから手を振ってお見送り。列車の中から乗客も手を振る。温かい交流が生まれるひととき。

鉄道マニアの中でも、写真撮影をするのが好きな撮り鉄と呼ばれる人たちが、いい写真を撮ろうと思うあまり、線路内や個人の敷地に立ち入ってトラブルになったという報道を見かけることがあります。

この辺りでは、トラブルはないですね。“写真を撮影するのにあの竹が邪魔だろうから”って、地元の人が自らそれを切ってくれたりするぐらいですよ。

さらには、桜の名所で花見をする農家の人たちが、自分たちが映りこんでしまって電車撮影の邪魔になるだろうからと、お花見にも関わらず桜の木から離れたところで宴会をするといったことまであるそうです。

地域の人の温かい気持ちから素直に出た行動が、いすみ鉄道を乗りに来たお客さんに素敵な思い出を残してくれたなら。またもう一度来ようと考える人が生まれるのも当然のことでしょう。

人の交流が地域を元気にする

鳥塚さんが就任して8年以上が経ち、応援団も高齢化してきました。そこで次に加わった応援団は、なんと都会からやってくる鉄道ファン。

わざわざ自分で交通費を払って土日にやって来て、草刈りしたり、駅弁を売ったりとか、やり始めているんです。

乗客と言葉を交わす鳥塚社長。鉄道ファンにとっては憧れの存在かも

そこには応援団の団長をはじめとする、地域の人たちと都会からやって来た乗客とのつながりがありました。団長さんが、自分の旅館の居間に都会から来る若者たちを無料で泊めてくれるので、夜な夜な鉄道談義や、ときには会社で働く悩みや都会で暮らす寂しさを打ちあけたりといった光景が繰り広げられているのだそうです。

ローカル線にふらっとひとりで乗りに来るような人は、心に何かひとつふたつ抱えていたりするわけですよ。人間関係を求めているんですよね。

そんな都会の人たちの心を、地域の人たちが温かく受け止めてくれているからこそ、また来よう、いすみ鉄道に力を貸そうという人が後を絶たないのでしょう。このように、都会人の心に寄り添う何かがあるのが、いすみ鉄道、ひいてはこの地域の何よりの財産なのかもしれません。

いすみ鉄道の進んでいく未来

今では、鳥塚さんはいすみ鉄道以外のローカル線や地方の鉄道のために、いすみ鉄道再興の立役者としてアドバイスを求められて全国を飛び回る日々を送り、いすみ鉄道に出勤するのは週4日程度になっているそうです。けれども、その分、いすみ鉄道をはじめ、いすみ市の職員の人たちなども、自ら考え、行動するようになったといいます。

ただし、鳥塚さんは、現在の成功で決して満足はしていません。

鳥塚社長が見つめる先はまだまだ遠い。エネルギッシュな語り口はインタビュー最後まで続いた。

まだ観光鉄道としては始まったばかり。まだ観光客も少ないから、お刺身列車も土日しか走らせてないんですね。江ノ電だったら、平日でも人でいっぱいでしょ。そうならないといけない。

実は、鳥塚さんが子どもの頃は、江ノ電が廃止対象路線だったとか。今の江ノ電のにぎわいから考えると驚きの事実です。「だから、いすみ鉄道も20年経ったらどれだけにぎわっているかわからない」という言葉に説得力がありました。

いすみ鉄道という宝石の原石がピカピカと輝くに連れ、その魅力を放ち始めた地元。そして、遠くからくる観光客の人との交流を深めていく地域の人たち。ときには税金の無駄遣いと言われることさえあるローカル線が地元にとって頼りがいのある存在となれたのは、「あくまで主役は、お客さまと地域の人」という、原石の磨き方がわかっていたからこそ。そして、温かい人たちが集まる土地柄だったことも後押ししているはずです。

たくさんの人の温かく、熱い想いを乗せて、今日もいすみ鉄道は美しい風景の間を走り抜けて行きます。