日本各地に続々と増えているゲストハウス(素泊まりで交流スペースが多い宿)。わたしはゲストハウスこそが「日本のあたらしい旅のかたち」のモデルタイプであると思っています。
日本人のライフスタイル多様化とともに、単に宿泊するための安い宿から、地域になくてはならない新しいコミュニティスペースへ変化。それはまるで「泊まれるサードプレイス」のように見えます。実際、地方都市のゲストハウスは、地域と旅人をつなぐハブのような大切な存在になっているところもたくさんあるのです。
わたしは、ゲストハウスを運営している人たちが、どの方もとてもユニークで枠にはまらない素晴らしい人生を送られているなと感じ、設備やインテリアではなく「このゲストハウスをつくった人に会ってもらいたい!」と日本全国を旅して「ゲストハウスプレス」という媒体を運営してきました。
そんななか、2017年10月7日、「NIPPONの47人 2017 これからの暮らしかた –Off-Grid Life–」展覧会の一環で、トークイベント「宿がつくる、まちのグルーヴ」が開催されました。
(greenz.jpでの展示記事紹介はこちら)
そもそも「これからの暮らしかた –Off-Grid Life–」では、47都道府県を代表する「これからの暮らし」を体現している人や団体が選ばれていましたが、本展のキュレーターである「暮らしかた冒険家」伊藤菜衣子さん、みかんぐみ竹内昌義さんは、「偶然だけど、地方都市のゲストハウス運営者が多いね」と気づいたのだとか。そこで企画されたのが、そんなゲストハウスを運営する人々が一堂に会するトークイベントでした。
ゲストハウスのオーナー同士が集まる機会はなかなかありません。しかも3軒とも宿泊したことがあったり、行ってみたかった宿ばかり。是非この3人のトークを聞いてみたい! そんな思いで渋谷の会場に駆けつけたのでした。
大きな食卓をみんなで囲んで食事をするのが「Chus」の日常
イベントでは3人それぞれの宿紹介と、宿運営に至るまでのピープルヒストリー中心にトークが進んでいきました。まずトップバッターで登場したのが宮本吾一さんが営む栃木県那須塩原市の「Chus(チャウス)」。
「Chus」の特徴は、大きな食卓をみんなで囲んで食事をすること。地元産のものばかりを使った朝食も大好評です。
宮本さん 朝食を地元産にしているのはこだわりですけど、仲間内でぜんぶまかなえるんですよ。調理も不要で並べただけ。それでもクオリティ高くできるのは、地方のポテンシャルの高さだと思っています。
1978年、東京都生まれ。裏那須地域で直売所、飲食店、ゲストハウスを含む複合施設「Chus」を経営。 ポップアップレストランやパンマルシェ、ライブなどを企画・運営し、地方の一飲食店を通してできる文化づくりに挑戦中。
生まれも育ちも東京だった宮本さんは、18年前に黒磯に移り住みました。それまでの5年間ほど、半年海外へ行ってバックパッキングで旅をして、帰ってきたらリゾートホテルでバイトをして、という生活をしていた宮本さん。その自由なライフスタイルに満足していたはずが、ある時「この生活には生産性がない」と思い始めます。
宮本さん 自分が(海外にいて)いなかったときに、仲間がそこでつくり上げてきたものがうらやましいと感じました。それで、自分でもできそうなことを探して、コーヒー屋台をはじめたんです。
そうして、「できることをやろう」と謙虚な姿勢を保ちつつも、次々と事業をおこしていった宮本さんは、「ファストフードをスローにやる」というコンセプトを掲げ、ハンバーガー屋をオープンしました。調味料もオリジナルにこだわり、店舗の内装も自分たちで。お金がないから、その場で大工に電話をして「床を貼るのってどうするの?」と聞きながら。
その後、「ハンバーガーで使う野菜を直接生産者から買いたい」と始めたのがマルシェ。マーケットができ、その食材をつくったレストランができ、最後に今でき上がったのが、宿泊設備が併設されたレストランでした。少しずつ自分たちがほしいものをつくっていったら、どんどん大きな動きになっていたのです。
宿をやりたくてつくったのではなく、どんどん足し算していったら、まちに足りないものが「宿」だと気づいた。「Chusはゲストハウスというより、宿泊施設が付帯したレストランと考えるほうがわかりやすいよね」と宮本さんは話します。
そんな宮本さんの話を聞いていて、新しい事業をやりはじめる時期が早いことに驚きました! ご本人は意識していないかもしれないけれど、とにかくいつも時代の先端を行っているのです。「地方創生」や移住が注目を浴びる前の時代に那須に移住し、有名カフェと同じ街で手づくりコーヒー屋台を始めるなど、飄々とした語り口では計り知れない意志の強さを感じました。
その意思決定の速さは強さは、やはり世界各国を旅した経験があるからなのでしょうか? 竹内さんの質問に、宮本さんは「それは、ありますよね」と答えていました。やはり旅人は強いメンタルを持っている、いや、旅の中でメンタルを鍛えられるのかもしれません。
古ビルをリノベーションし開放的にしたら、人の関係性もオープンになった
次に登場したのが、山口県萩市で 萩ゲストハウス「ruco」を営む塩満直弘さん。
「ruco」があるのは元楽器店の4階建ての古いビル。萩の海の紺色をあてがった壁、床材は地元の酒屋が閉店するときに廃棄されようとしていたパレットを切断して使用。地元の大漁旗などを制作する染物屋さんにオーダーするなど、なるべく地元のものを利用し、スタイリッシュに仕上げた宿になりました。
1階のカフェ&バースペースは、中がわかりやすいように全面ガラス張り。よくミュージシャンを呼んでライブをするなど、開かれた場所として萩にあたらしい風を生んでいます。
塩満さん 萩は”陸の孤島”と言われることもある、日本海側に面してアクセスしづらい場所。住んでいる人も閉鎖的と言われるなかで、旅人にも住民にも風通しのよいオープンな場所にしたかったんです。
塩満さんがつくるオープンな雰囲気の場所があることで、まちも新しく若い経営者が美容院やカフェ、パン屋などを次々とオープンさせるなど、変化が生まれています。
塩満さん まちの新陳代謝を促すひとつのきっかけとして土地と関われているのがうれしい。そうしてできた灯りを消すことはしたくないですが、宿という形態にはとらわれていません。よいかたちでこれから萩と関わり続けたいです。
萩市街地を流れる水路のように、訪れる人と萩市、 山口県の日常をつなぐ場所にしたいと、2013年にゲストハウスをオープン。2016年より、山口・山梨・山 形それぞれの土地でモノ・コト・ヒトが行き交う人の 流れをつくる「さんてん」に参加。
greenz.jpでも紹介: 人とまちをつないで、ふるさと、萩をもっと気持ちのよい場所に。「萩ゲストハウスruco」塩満直弘さんに会いに行ってきました!
地元、萩出身の塩満さんは大学進学で上京し、その後アメリカ・カナダで生活したのち、都内で会社員として働きはじめます。その頃からどうしたら自分の生業として自分の望む生活ができるのか? と、ずっと考えていました。 そしてたどり着いた結論が、地元でのゲストハウス経営。「お客さんと従業員がフラットな関係」であることで、自分らしいライフスタイルが得られると考えたのです。
塩満さんは、その穏和な性格と笑顔で、男女年齢問わず一度会ったらみんなファンになってしまうというキャラクター。まさにゲストハウスオーナー向きといえるかもしれません。東京にいた時代も「萩にUターンすることだけを考えていた!」と熱く語っていましたが、そんな彼も、一度東京や海外に出て生活してきたからこそ、故郷の景色もより魅力的に見えたのではないでしょうか。
特に海外生活の中で培った「オープンでフラットな」ゲストとホストの関係性は、日本で未だに一般的な「お客様は神様」とは明らかに違っていて、そのムードが、「ruco」の魅力につながっているのではないかと感じました。
目の前のことを一生懸命やっているうちに、本当に道が開けてきた
最後に登場したのが福岡県北九州市の「Tanga Table(タンガテーブル)」遠矢弘毅さんです。
開口一番「初期投資、6,000万円かかったんですよね」といきなりお金の話からスタートした遠矢さん。「Tanga Table」は北九州市からスタートした「リノベーションスクール」の対象物件として選ばれた10年ほど使用されていなかったビルの4階部分、300坪のワンフロアを改装した50席のレストランと68床の大型ゲストハウスです。
1967年、鹿児島県生まれ。働くこと、暮らすことの あたらしい可能性を試しつつ「楽しく生きる」をつなぐ活動を続けている。起業支援カフェの運営、エリアマネジメント会社、社会起業家支援団体の設立を経て、 Hostel and Dining Tanga Table 設立。
greenz.jpでも紹介: 地元の魅力を探り出すには、まちへダイブ! ダイニング付きゲストハウス「Tanga Table」が伝えるのは、北九州市・小倉の”おいしさ”
隣には、古くからの市場「旦過(たんが)市場」があり、レストランの窓からは、まるでアジアの古い町の一角のような川辺の風景を見ることができます。
壁面にたくさんお皿が貼られていますが、これはプロジェクトメンバーや準備に加わってくれたたくさんの人たちが、使わなくなった皿を持ち込んで、みんなで貼ったもの。狙ってはいなかったそうですが、今これが「インスタ映えする」と、多くの方がここで撮影をするのだとか。
確かにとても印象的ですし、お皿を持ち込んだ人にとっても「マイお皿」がこうして有意義に残されるのは、気分もよいものです。
ドミトリー部分は、居住性を高め、プライバシーを高めるため、上段下段の人が顔を合わせないよう新たにデザインされた特製の二段ベッドが置かれています。また、ゲストに寝心地よく過ごしてもらえるように、ゲストハウスにはそれまであまり採用されていなかった高級ブランドのマットレスを置くなど、設備にもこだわっています。
広告業やOA機器の営業職を経験したのち、ほぼ無職の状態で結婚するなど、フラフラしていたと語る遠矢さん。現在50歳の遠矢さんですが(見えない!)、35歳の頃に本気で自分の人生について考えはじめ、「眼の前のことを一生懸命やることでしか幸せなんてつかめない」という気づきに至ったそう。
その後、北九州市の100%出資の財団法人でインキュベーションマネージャーという起業家を支援する仕事に就いたときに「これは天職かもしれない」と思うほどに自分に合った仕事だと感じたといいます。
ただ、どうしても行政が絡む仕事だと制約もあり、自分の性格には合わないと感じた遠矢さんは、民間の会社でそれをするべく、小倉で1階がダイニングバー、2階が講義やライブができるフリースペースを併設した起業支援カフェをつくりました。
施設がオープンしてすぐに現在一緒に会社を運営している嶋田洋平さんなど、時代の先端を行くアンテナの立った人たちが「おもしろいことをやっている人がいるらしい」とやってきたのがこのプロジェクトのはじまり。
同時に、北九州のまちのプレーヤー予備軍も増え始めました。2009年頃、近くの九州工業大学に建築学科が、北九州市立大学に地方創生学科っていうのができて、まちの課題を学生が解決していきますよという動きも出てきたのです。
遠矢さん 僕が施設を出したのが2010年、嶋田が来て、北九州市が「家守構想」というプロジェクトをつくったのも全部同じ年でした。すべての偶然が一致して、家守会社が走り始めた。そういう波に乗る力は僕にはあるかもしれない。
その4年後ぐらいに立ち上がったのが「Tanga Table」のプロジェクト。「ビジネスホテルはあるけれど「北九州らしい」宿がないから、それがあったらおもしろいよね」という声が立ち上がり、今に至っています。そんな単純な思いから、こんなビッグプロジェクトが実現していくものなのか、と驚きですね。
宿の経営者として旅のあり方について考えると、ゲストの滞在時間の長さは大きな利点
単純にゲストハウスと言っても、3つの宿とも宿の規模や特徴、できるまでの経緯もバラバラで、個性豊かな宿とオーナーばかり。共通点は、京都や東京といった観光都市や大都市ではなく、比較的小さなまちで展開しているということでした。
それは観光客がその場所に来る予定があって宿を探すという、従来の宿泊施設予約のプロセスではない、独自の集客方法や宿に来てもらうための魅力の発信が必要ということ。そんなハードな環境のなかでまちの宿を経営する利点があるとすれば、それはいったいどんなことなのでしょう?
全員が共通して挙げていたのが、「滞在時間が長い」ことによる利点です。 たとえば1日のうちで朝食・ランチ・お買い物、夜と何度も来てくれる人がいたり、ゲストハウスは素泊まり提供が基本なので、宿のそとにあるお店や施設を紹介したりと、地元を巻き込んだ出会いの場も増えていきます。
「一般的な観光名所巡りではない視点を提供できる」と話したのは塩満さん。まちに密着した「ruco」のようなゲストハウスでは、地元で生活をしている若者の視点でおもしろいと思う場所を宿泊者にどんどん紹介しています。
たとえばバーで出しているジュースの直営販売店や、お店で使っている陶器の窯元。「夕方、海岸で見る日本海に沈む夕陽が最高!」など、時間帯の指定さえおすすめに加えてみたり。
そうしていくことで、まちに違う魅力が見えてきました。かつてリピーターがいないといわれがちだった萩に、地元の知人が増え、「おもしろい! あの人に会いにまた来たい!」と、言われるようになってきたのです。
観光名所を紹介するだけじゃもったいない、もっとまちの世界観を発信していく
ただ、逆を返すと、まちの魅力の発信を怠ると、不利な点にもなり得ます。「Tanga Table」がある北九州は通過地点で、広島や大分・熊本など別の場所に行く拠点として使われることが多いそう。
通常の観光名所としての知名度が少ないと、「見せる場所」を工夫する必要があります。その解決策として遠矢さんが行っているのは、場所ではなく人の紹介。
遠矢さん 北九州は濃いキャラの人が多い。ここは、福岡のようなリトルトーキョーにはならないぜという気概がある。そういうまちの匂いとか世界観みたいなものをもっと見せていきたいですね。
そのために新たにリノベーションした施設をつくり、地元の人とつながれるきっかけもつくっていく。それは従来の旅行のあり方や「観光」の概念とは違う考え方ともいえます。
宿という業態にこだわりはない。時代の波に乗りながら、これからも理想に向けて動き続ける
現在、まちの宿ーゲストハウスの運営を行われている3人ですが、これからどんな思いでどんなことをしていきたいと思っているのでしょう?
宮本さん ゲームの「シムシティ」のように、誰かがつくったらまた次の何かが生まれると思っています。「暮らしの中で必要なことを、やれる範囲でやる」。地域の課題がそこにあるので、それを自分のやっている枠組みをつかって解消していくようなことがこれからもできたらいいですね。夢としては、社員の家を近所に一軒、来年には4棟できる予定。それを村にしたい。村的なコミュニティをつくっていけたら。
塩満さん 「Ruco」ができてから、近くにパン屋や美容室などが新しくできました。こうした「灯り」を消すようなことは絶対したくない。ただ、宿という業態そのものにはとらわれてはいない。執着はないです。
山口には回遊性が少なく、岩国、下関など都市同士の関わりがあまりないというのも課題として感じているので、山口の中で何かの枠組みをつくって、自分自身もそこでチャレンジするようなことができたらいいかなと思っています。
遠矢さん 自分も宿にとらわれていない。ただし、借り入れがあるので、10年はその場所で事業はやりたいけれど、それが宿であり続けるかどうかはわからない、現状維持は衰退だと思っているので。「Tanga Table」も英会話カフェを運営しているうちに、地元の人がお琴やフラの教室をはじめたりと勝手に盛り上がってきた。柔軟な変化が大事ですよね。
驚くのが、みなさん全員が宿というものに情熱を持っているにもかかわらず、その形態には固執していない、ということ。自分がやりたいこと、まちにとってもよきことと思うものが、今はたまたま宿という業態であるという認識なのでした。けれど、それはみなさん、時代とともに軽やかにさまざまなキャリアを積み重ねてきたからこその「波の乗り方」と言えるかもしれません。
まちの宿が教えてくれる地域の素顔。鍵をもらって扉を開けて、素顔のまちを見にいこう
まちの観光地を巡り、夜は旅館やホテルの中で過ごすのが当たり前だった以前の観光スタイル。けれど、3人のプレーヤーのみなさんのお話は、そこから一歩進んだ「人に出会って」「宿の外に出かけて」交流してもらうための仕掛けがたくさんありました。
では、わたしたちの旅のあり方、地域との関わり方は今後どんな風に変化していくのでしょうか?
わたしは、これからの観光は「会う」「話す」「体感する」というより深い体感覚と人とのコミュニケーションがもっと必要になってくるのだと思います。だって、たとえばgreenz.jpに掲載されているような地域のローカルヒーローたちに、現地で会って話してみたいと思いませんか?
まちのゲストハウスに行くと、そんな地域で輝く人たちに会うきっかけが生まれます。宿のオーナーやスタッフもそうですし、彼らが持つ情報がきっかけとなって、地元の人しか知らないお店やおもしろい人、雑誌や記事に出ていたあの人に会えるチャンスもぐっと増えます。
ゲストハウスという存在が媒介となって、まちが見せる表情が「よそいき」の顔だけだったのが、「ふだん着」の顔をちらりと見せてくれるようになる。すると、訪れた人にとっても、もっとそのまちが身近になり、また訪れる理由がひとつ増えていく。
わたしは、まちのゲストハウスとは、その地域を深く知り、かかわるための、最初にもらえる「鍵」のようなものだと思います。その鍵をもらって、開け方のヒントを宿のスタッフや同宿の旅人、そこに居合わせた地元の人から聞いて。
そうすればあとはその鍵を開けにいくだけ。今までちょっぴり化粧が濃いめだった?地域の扉が開いて、素顔のまちが見えてくる。その先にはもしかしたら、これからの自分が目指したい「これからの暮らし」が待っている可能性だってあるかもしれません。