不登校、貧困、虐待。
子どもをめぐる深刻な問題の多くは、その子自身の“問題”ではなく、家庭や学校、あるいは地域といった環境からはじまっています。
つまり、変わらなければいけないのは、子どもたちではなく環境のほうかもしれないのです。
ひとりぼっちで、辛い思いを抱えている子どもたちに対して “地元の大人”たちにできることはなんでしょうか?
京都にある「山科醍醐こどものひろば」は、子どもたちとその親たちの声に耳を傾けながら、子どもたちが育つ環境を少しずつ変えていく活動に取り組むNPO法人。
今回は、「山科醍醐こどものひろば」理事長の村井琢哉さんに子どもと大人が育ち合う“地元”をつくるためのヒントを伺いました。
1980年生まれ、京都出身。「NPO法人山科醍醐こどものひろば」理事長。関西学院大学人間福祉研究科修了、社会福祉士。子ども時代より「山科醍醐こどものひろば(当時は「山科醍醐親と子の劇場」)に参加。たくさんの“人間浴”をしながら育つ。学生時代には、キャンプリーダーや運営スタッフを経験し、常任理事へ。ボランティアの受け入れの仕組みの構築等も行う。副理事長、事務局長を歴任し、2013年より現職。公益財団法人あすのば副代表理事、京都子どもセンター理事、京都府子どもの貧困対策検討委員。「子どもたちとつくる貧困とひとりぼっちのないまち」(共著、かもがわ出版2013)
対象は0〜18歳まで。 “育ち合う”プログラムを提供する
「山科醍醐こどものひろば」が活動するのは、京都市の東側エリア(山科区と伏見区醍醐、滋賀県大津市の一部)。150〜200名のボランティアさんに支えられ、約3万人いる0〜18歳未満の子どもたちを対象に、さまざまなプログラムを提供しています。
その事業は大きく分けて3つ。体験・文化活動事業、子育て支援事業、子どもの貧困対策事業です。いくつか、「山科醍醐こどものひろば」のプログラムをご紹介しましょう。
・体験・文化活動事業「創作劇/町たんけん/Jr.キャンプ」など
「創作劇」は、小学生以上の子どもと大人が一緒になって劇をつくりあげていくプログラム。演じることを通して、自分をうまく表現できるようになる子どもたちもいるそうです。
「町たんけん」では、地域のいろんな小学校から集まる子どもたちが、地域の歴史や文化、伝統産業、自然などをテーマに、自分たちが暮らす町を探検。
「Jr.キャンプ」は、小学3年生〜中学3年生を対象とする2泊3日の夏のキャンプを中心としたプログラムです。高校生や大学生はスタッフとして1年間こどもたちと関係をつくりながらキャンプづくりに取り組んでいます。
・子育て支援事業「げんきスポット0−3」など
「げんきスポット0-3」は、未就園児(0〜3歳の子ども)とママ、パパさんが自由に遊びに行けるフリースペース。開館の日にあわせて、体操やお茶会、ベビーマッサージや子育て相談など、さまざまなイベントも実施。子育てを地域で支える「屋根のある公園」を目指しています。その他、未就園児親子を対象に、自然体験などを提供する「あそびっこクラブ」も。
・子どもの貧困対策事業「ほっとタイムえんぴつ/楽習サポートのびのび」
「ほっとタイムえんぴつ」は、小学校で行われている放課後事業。放課後の居場所として機能し、子どもたちは校内で学生サポーターと宿題やおしゃべりをしたり、校庭で遊んだりしながら過ごします。
「楽習サポートのびのび」では、集団活動が苦手な子どもや、経済的な事情などで学習や体験、交流の機会が少ない子どもに、ボランティアの大学生がマンツーマンで関わります。勉強だけではなく、食事、余暇活動など、子どものニーズに合わせてさまざまなバリエーションを生み出しています。
新しい問題が生まれるたびに、新しい解決の芽が出る装置を残そう
ここまでご紹介したのは、「山科醍醐こどものひろば」のプログラムのほんの一部。こんなにも多種多様なプログラムを、たくさん生み出せるのは「現場からのボトムアップ型」だから。学校や地域で出会う子どもたちのニーズに耳を傾けて、新しいプログラムをどんどんつくっていく方がいい――村井さんたちはそう考えています。
子どものときだけ、今だけよければいいっていうものでもないので、新しい問題が生まれるたびに、新しい解決の芽が出るような装置を残しておかないといけない。ふとした瞬間に、思い出して動かせる装置が地域には必要だと思うんです。
長く関わっていると、かつて関わっていた子どもが大人になって、しんどい状況に陥っていることもあるわけですよね。「子どものときだけ良かった」というよりは、死ぬときに幸せと思える人生を送るための土壌をつくるほうが大事なんだろうな、と。
現在、理事長を務める村井さんは、これまで生み出されてきた「新しい解決の芽」を「必要な場所に届けること」を自身の役割だと考えています。
僕は新しい看板メニューをつくるよりも、「今あるメニューをどう届けるか」のほうが重要だと思っていて。今までやってきたことを「学校でやってください」「地域でやってください」という方向に舵を切っています。
地元に足をしっかりつけて地域を俯瞰する。村井さんの言葉はとても説得力があります。それもそのはず、村井さん自身もまた、「山科醍醐こどものひろば」を通じて育ってきたひとりだからです。
あくまで僕たちは、子どもをどう「変えるか」という視点ではなく、子どもの育つ環境側にアプローチして、子どもの「どう変わりたいか」「何がしたいか」に応えようと活動の幅を広げていきました。
言うならば、子どもは“種”です。どういう土地に根を生やすのか、いつ芽を出すのか、どのくらい水を与えるのか、日照時間はどのくらいなのか、種によって必要な環境は違いますよね。種ごとに適した土地、環境をつくることが、僕たちの役目のひとつだと思うんです。
「山科醍醐こどものひろば」が誕生したのは、今から37年も前のこと。
奇しくも、村井さんがこの世に生を受けたのも同じ年のことでした。
学校以外のつながりが子ども時代の支えになる
1980年、「山科醍醐こどものひろば」は「山科醍醐親と子の劇場」として始まりました。
「親と子の劇場」は、テレビが普及し核家族化が進む高度経済成長期のなかで、文化・芸術を子どもたちに届けようとする活動。1966年に福岡で生まれ、やがて全国にも広がったものです。
村井さんが「山科醍醐親と子の劇場」に参加したときはまだ小学生。ここで、友だちと一緒に演劇を見たり、キャンプに行ったりする子ども時代を過ごしたそうです。いわゆる「3rdプレイス」として、その存在が自分の支えになっていることを意識したのは、地域内での引っ越しを経験した小学4年生のときでした。
転校先の小学校にも会員の友だちがいたんです。引っ越しても初めから知り合いがいるのは安心材料でしたし、元の学校の友だちともつながっていられる。学校の友だちと、学校の外でも会うことでいろんなことが消化されていく部分もあって、子ども同士のつながりをつくるうえでいい機能を果たしていたと思います。
中学時代は部活に忙しかったため、活動への参加頻度は減ったものの「幼なじみもいたし、特に辞める理由もなかった」という村井さん。つかず離れずの距離感で関わりは続き、大学生時代にはキャンプリーダーなど運営スタッフも経験しました。
子どもの頃の感覚としては「変なお兄ちゃん、お姉ちゃんがいたな」というぐらいですよね。ただ、そういう人たちと過ごすことで、いろんな出会いがあり、環境が変わっても支えてくれる人がいたという経験はしていたので、こういう場の必要性は感じていました。
そこで、村井さんは大学では社会福祉学を専攻。当時取り組んだボランティアを受け入れる仕組みづくりは、その後の活動の大きな礎になっています。大学卒業後、一般企業に就職をしてからも、村井さんは「山科醍醐こどものひろば」の活動を支え続けました。
2013年に、理事長に就任した理由を聞くと、「世代交代は必要なので、単に順番ですよ」とさらりとした答えが返ってきました。
僕は「ただの地元の人」なんです。このまちに生まれて、子どものときに参加していた活動のなかで育って、そのまま手伝うことになってもうすぐ30年。僕にとって「山科醍醐こどものひろば」はずっと自分の横にある活動ですから。
「地域の課題はいくらでもわき上がってくるので、完璧な社会ができあがることはないですよね」と話す村井さんには、「社会課題を解決する」という肩肘を張ったようなところが一切ありません。村井さんが目指すのは、どんな課題が現れても「子どもと一緒に向き合える地域」であること。「今だけ」ではない安心こそ、子どもたちに必要なのだと考えているのです。
地域全体が子どもの安全な居場所になるために
そんな「地域にわき上がってくる課題」に、子どもたちと一緒に向き合ってきた代表的なプログラムのひとつが「楽習サポートのびのび」。
学校や家庭に居場所がなく困難を抱えているけれど、行政のサービスが介入するほどの“重度の課題”を抱えているわけではないと思われている、グレーゾーンにある子どもたちを学生ボランティアがマンツーマンでサポートするプログラムです。
2005年の立ち上げ当時は家庭教師型のプログラムとして始まりましたが、まさに現場のニーズに応えるなかで多様化。
現在は夕方から夜の子育てを支援する生活支援プログラム「のびのび@らいふ」、学習支援プログラム「のびのび@ら〜にんぐ」、家庭を訪問する「のびのび@ほーむ」、余暇支援プログラム「のびのび@ひろば」……。さらには、「のびのび」の利用を終えた高校生の居場所とボランティア推進事業をかけあわせた「のびのび@タイム」も実施しています。
余暇活動をしていると「ひろば」には来られるけれど、学校に行けていない子がいることもわかってきました。また、個別支援をしていると、子どもとの関係がよくなるので、学生ボランティアはいろんな話を聞くようになります。活動を通じて、保護者さんと話す機会も増えていくなかで「実は、不登校になった頃に、家庭でこんなことが起きて……」と、背景となる事情を聞くことも増えていきました。
子どもを心配しながら仕事に行くお母さんの「よかったら、子どもと一緒にごはんを食べてもらえませんか?」という声から始まったのが、夜ごはんやお風呂(銭湯)の時間までを一緒に過ごす「トワイライトステイ」、そして一泊二日で子どもと過ごす「ナイトステイ(通学合宿)」でした。
子どもが心配な状態になっているにも関わらず、仕事を優先しなければいけない。家にお金がない状態に陥って、子どもが困っていることに誰も手を差し伸べられない。貧困とは、お金がないことだけでなく周囲とのつながりが失われていくことなんです。
現在、「楽習サポートのびのび」に参加する小中学生は約25人。その多くは、地域の小学校などとの連携を進めるなかで、出会ってきた子どもたちでした。さらにご相談をいただいている子どもが20人以上もいる状況です。
いいソリューションをつくれても、参加してもらえなかったら意味がありません。しんどい子どもが数十人単位でいる、学校や保育所ともつながろうとするスタイルが必要だと思います。
先生たちも、子どものしんどさに気づいていながら、手を差し伸べられないケースがあります。僕たちから「困っていることはありませんか」と向かっていくと、「実はこの子は放課後に家に帰ってからしんどいのでサポートしてくれませんか」と、一緒にやれることがある。僕たちは制度のすき間を埋める存在でもあるんです。
「山科醍醐こどものひろば」は、教育機関、社会福祉協議会、行政や商店街などとも柔軟に連携しています。多様な連携を可能にするのは、地域のなかで37年に渡って活動してきた団体としての信用、そして「どうすれば子どもが救われるのか?」「子どもがより良く生きられるのか」と子どもを真ん中に置いて話し合う姿勢です。
うちに来ているときだけが過ごしやすければいいかというと、そうではない。子どもは、圧倒的にうち以外の場所で過ごす時間が長いですから。となると、今、子どもに関わっている方々と一緒に子どもたちの居場所をつくっていく方が、お互いにとって学ぶことも多いですし、結果として僕らも共に育ち合えると思います。そういうスタイルでやっていくのが、僕なりの広報戦略でもあります。
子どもが安心していられる家、安心して出かけられる学校、安心して遊びに行ける公園。
その安心を支えているのは、実のところ地元で暮らす私たち大人だと思います。
そして、支える力は点であるよりも、つながりあって面となる方が強くなれます。
もし、この記事で、村井さんの言葉に触れるなかで、「自分にできることは?」という問いが生まれたなら。
まずは、子どもを真ん中に置いて地域を見渡してみて、自分なりの関わり方を考えてみる。
まずは、そんな一歩から始めてみませんか?
地域での子どもたちの活動、参加できるイベントや勉強会に参加したり。
あるいは「山科醍醐こどものひろば」のような活動への寄付をしたり。
ひとつのアクションは必ず、次のアクションへの扉を開けてくれるはずです。