生活になくてはならないもの。その一つが電気ではないでしょうか。
今では、スイッチひとつ、コンセントひとつで自由に使うことのできる電気ですが、明治から昭和の初期まで川のある地域では多くの水力発電所がつくられ、地域の電気を賄っていたことはご存じでしょうか。
中には、地域の人々が力を合わせて発電会社を起こした例もあり、先人たちは住民自治のひとつとして発電を行っていた歴史があります。
紀伊半島の中部にある有田川町もそんな自治発電所の歴史を持つまちのひとつです。
町内には、棚田百選や国の重要文化的景観に指定されている「あらぎ島」をはじめ、豊かな自然景観が広がっており、全国的にも有名な有田みかんや近年欧州のシェフからも注目を集めているぶどう山椒といった特産物がある第一次産業を主産業としています。
地方創生が叫ばれ、全国で始まった多種多様なまちづくり。その中でも住民を中心とした住民主体のまちづくりの必要性が多く語られています。有田川町では住民を起点とした持続可能でエコなまちづくりが20年以上にわたって行われてきた歴史があります。
スタートはごみの資源化から
平成18年に吉備町・金屋町・清水町が合併し、誕生した有田川町ですが、現在の取り組みは、合併前に大きな礎が築かれています。特に環境面の取り組みが先進的であった旧吉備町では、平成4年頃からゴミ分別徹底とゴミ集積のステーション化に向けて、歩みを始めます。
吉備町でも、多くのまちで見られるようにゴミを露天で出していましたが、ゴミの資源化・減量を進めるにあたり、露天出しでは雨に濡れて資源価値が下がってしまったり、道路交通の妨げになってしまったりすることが課題となっていました。
そこで、行政と自治会はゴミ出し方法について何度も話し合いを重ねます。そして、住民・自治会の努力により露天から倉庫型やボックス型の自治会管理ステーションへのゴミ出しへと移行します。また、その間、行政は地道な広報活動やゴミ分別出前講座も行い、住民の分別意識向上に努めました。
そして合併後、これらの取り組みは資源ゴミ収集運搬処理業務のマイナス入札化として、結実します。
それまでは随意契約により、年間約3,200万円を支払い、委託していた業務ですが、先述のステーション化と住民のゴミ分別意識の高さにより、雨濡れが少なく再分別の必要がない高品質の資源ゴミが評価されるのではと考え、入札を行ったところ、委託費がマイナスに移行。
その結果、平成20年度から行政が業者からお金をいただいての資源ゴミ収集運搬処理業務が行われるようになり、現在では年間210万円の収入となっています。
これにより削減できた処理費用は、さらなる住民や行政によるエコ活動に充てるよう現行の基金の前身である「低炭素社会づくり推進基金」として、積み立てを始めました。その後、様々な環境政策の原資となるこの基金の誕生が大きな契機となり、まちのイメージと経済性の両面を併せ持つ、エコなまちづくりへと進んでいきます。
ゴミもエネルギーも地域資源
地域に降り注いでいる太陽光や集落を流れる水流といった再生可能エネルギーと成り得るもの、さらには地域から排出される資源ゴミ。有田川のエコなまちづくりはこれらを、特産物となっているみかんや山椒と同じような地域資源であると考えた取り組みです。
現在、年間約5,000万円の売電収入があり、エコなまちづくりに欠かせない存在である町営二川小水力発電所建設を提案し、稼働までこぎつけた有田川町役場環境衛生課長の中岡さんの発想も、スタートは“地域資源を利用せずにもったいない”からでした。
十数年前、ダムの維持放流水が勢いよく流れているのを見て、このエネルギーをなんとか利用できないかと考えたのが、発電所提案のきっかけでした。
ところが、二川ダムは合併前の旧清水町の管轄。当時、旧金屋町役場の職員であった私は、黙ってみていることしかできませんでした。
その後、先述のとおり3町が合併。有田川町が誕生したことで、中岡さんの想いはより一層強くなります。そして、独学で小水力発電について学び、水道課に所属していた平成20年度末に小水力発電を軸にした「有田川エコプロジェクト」を提案。町長からの特命を受け、翌年度より環境衛生課新エネルギー推進係長として、発電所建設に向けての取り組みが始まりました。
ですが、この計画は、県営多目的ダムの維持放流水を、権利を有さない町が利用して水力発電を行うという全国にも例のないものでした。県との交渉は難航を極め、とりわけ維持放流設備については、当初約3億5,000万円の持分負担額が求められていました。
しかし、平成23年に東日本大震災や紀伊半島大水害が発生し、水力をはじめとする再生可能エネルギーの重要性が見直されたことで潮目が変わります。
翌年8月には知事部局の判断により、持分負担額の大幅な減額が決定したことで、町は発電所計画を予算化。そして、平成28年2月、遂に発電所が稼働します。中岡さんの提案から、7年の歳月が経っていました。そのときの気持ちを中岡さんはこうおっしゃいます。
完成したときは、涙が出るほど嬉しかったです。
行政の努力により実現した発電所の建設ですが、完成に至るまでに新設した住宅用太陽光発電設備や太陽熱温水器への補助制度など再生可能エネルギーの広がりには、住民のゴミ分別の努力による基金の存在が欠くことのできないものでした。
そして、行政はさらなるエコなまちづくりを目指して、ソフト事業へも取り組みを広げます。
平成29年1月には、先進地である岐阜県石徹白地区から講師を招き、自然エネルギーで地域を興すというテーマで「有田川エコフェスタ」を開催します。これは、行政や事業者といった大きな団体が扱うテーマという先入観もある再生可能エネルギーの取り組みを、さらに住民へと浸透させていきたいというねらいのもと行われました。
すでに、有田川町ではみかん農家がソーラーシェアリングを行い、いわばエネルギー兼業農家とも言える取り組みが始まっています。また、コミュニティ団体の中にも、市民発電所建設を目指す動きがあるなど、環境面での取り組みが確実にまちの稼ぐ力に影響を及ぼし始めています。
地域資源を地域が活かす
有田川町のように、家庭から排出されるゴミや電気をはじめとする再生可能エネルギー利用など、生活で日常的に関わっていることを地域資源と捉えることでも、地域の魅力を増やすことが可能ではないでしょうか。
現状に環境面から少しの工夫を加えることにより、地球に優しいのはもちろん家庭の出費を抑える効果もあると思いますし、ひいては地域コミュニティの強靭化にもつながることと思います。
ゴミを徹底して分けることや家庭に太陽熱温水器を導入するといった家庭レベルからエコが集まり、地域資源の活用やエネルギー自立というまちレベルのエコへと進んでいけば、都市圏に頼ることのない自立した地域づくりへとつながり、人口減少時代を生き抜いていく持続可能なまちが実現されるのではないでしょうか。
上野山友之
2015年有田川町役場入庁。再生可能エネルギー発電事業ならびに次世代エネルギーパーク計画策定、COOL CHOICE事業実施などに関わる。
経済性とまちのイメージを両立した持続可能なまちづくりを目指す。