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働き方も生き方ももっと面白くできる! 「福岡移住計画」が提案する、共に耕す未来

新連載「福岡移住カタログ」の1ページ目を飾るのは、プロジェクトパートナーである「福岡移住計画」。greenz.jpで2年前に紹介した活動内容からさらに前進した彼らの働き方や、移住者でもある自身の暮らし方をインタビュー。子育ての本音や苦い経験談まで、等身大でお届けします。

話をしてくれたのは、代表の須賀大介さんと経理を務める奥さんの理恵さん、そして、ディレクターの窪田司さんです。

左から、窪田司さん、須賀大介さん・理恵さん。桜の蕾膨らむ4月初旬。福岡移住計画のメンバーが集ったお花見バーベキューにて

須賀さんご夫婦は、2012年に東京から福岡へとIターン移住。福岡県糸島市と福岡市の両方に活動の拠点を置きながら、自らの経験を生かし、2013年から移住者をサポートする「福岡移住計画」を運営しています。

立ち上げから4年弱。移住者と地域とをつなぐ交流の場として糸島・芥屋につくった「RISE UP KEYA」を皮切りに、その後、福岡市西区・今宿の海辺に「SALT」、中心部の天神に「HOOD天神」というシェアオフィスをスタート。

現在は、それらを軸に新しい働き方を提案するサイト「+Wander」を立ち上げ、仕事や暮らし、コミュニティにまつわるさまざまな情報発信、イベントなどを企画・開催。人×人、人×企業をつなぐ役割を育んでいます。

福岡の拠点の1つ、シェアオフィス「SALT」がある長垂海岸から、遠くに福岡タワーやドームも見える

サポートから広がるネットワークづくり

では、実際に移住者に対してどんな風にサポートを行なってきたのでしょう? 

スタート当初は、須賀さんたちと同じく、移住して自分らしい暮らしや働き方を実現したい人たちの関心を高め、“居・職・住”の軸から展開してきた「福岡移住計画」の取り組みですが、現在はサポートの仕方に変化や幅が生まれ、そこから進化したネットワークづくり「+Wander」の発信が始まったといいます。

国内各地6カ所を拠点に結び、新しい働き方を提案する「+Wander」のトップページ

須賀さん 「福岡移住計画」を立ち上げた2013年当初は、私がそういう業種にいたことから、IT系など仕事のポータビリティが高い方からの相談が多かったんですね。

今は暮らし方や仕事の仕方も多岐にわたってきていて、移住以外にも、例えば、コミュニティ情報で人材募集のお手伝いをした糸島の「またいちの塩」や大木町の天然藍染め工房「宝島染工」など、より幅の広い人たちが自分を生かして地域に入って交わっていくことが増えてきています。

「福岡移住計画」のスタイルとしては情報の発信と、シェアオフィスなどの場を増やしていくことで、幅広い人たちの生業をつくるサポートが広がっていると感じています。今、オフィスをシェアしている人たちの7割はUターンや移住者の方だったりするんですけど、お互いに一緒に仕事をつくっていく感じの支援の仕方になってきたんですね。

そこからの展開で、より充実させたこれまでにない自由な働き方を提案するのが「+Wander」というプロジェクト。福岡の3カ所を拠点に、東京・下北沢と茨城県のシェアオフィスに加え、この春からは6カ所目になるシェアオフィス「Diagonal Run Tokyo(ダイアゴナル・ラン・トウキョウ)」も東京・八重洲でスタートします。

これは、ふくおかフィナンシャルグループ×西日本新聞社(他4社連携)という福岡2大企業との連携プロジェクト。このように、各地を結ぶシェアオフィスの点と線を増やしながら、地域の遊休資産を活用した場づくりなど、暮らしをコンセプトにさまざまなアイディアから仕事をつくり出しています。

利用者は、それらオフィスを行き来するだけでなく、海や森の気配を感じながら働く「Camp Work」、各地での宿泊、利用者同士がつながるワークシェアの部分まで共有でき、新しい働き方を体感できるのです。

運営シェアオフィスとして新たに「Diagonal Run Tokyo」が加わり、九州は4拠点目、東京は2拠点目となる

窪田さん 僕はディレクターとして「福岡移住計画」のメディア管理を務めているんですが、相談者は地方でスローライフがしたいと希望する人より、積極的に自己実現を求めて移住する人が多いなと感じます。世代的には30代が一番多くて、続いて40代前半、20代後半といった感じです。結婚やお子さんが生まれたタイミングでという方が多いですね。

須賀さん そういう意味でも、移住者サポートの人口を増やしていくという感覚よりも、各地でその地域に深く入っていきたいという人たちを、僕たちも体現しながらサポートしてつながっている感じです。同じような価値観を持った人たちが自然に集まってこられるようなスタイルに変わってきていると感じています。

須賀さんご家族の福岡暮らし

須賀さん自身も働き方を変え、その実体験を生かしながら歩んできた福岡暮らし。2人目のお子さんを福岡で出産した理恵さん共々、子育ての環境として福岡はベストだといいます。

理恵さん 東京にいた時って、公園へ行くにもスーパーの中も人口密度が高かったりと、それが日常だったんですね。福岡では、すぐ近くにある海や山で遊べて、スーパーでも広々とした通路でゆっくり買い物ができる。おまけに地のものが安く買えて、店員さんも優しくて…というような東京ではなかった日常があって、日々楽しいです。

須賀さん 東京時代、庭でバーベキューをしようとしたことがあるんです。住宅街の中で煙がもくもく立って、こりゃいかん!って、すぐ止めました。今は会社自体もキャンプを事業にし始めたりもしているので、子どもとの遊び方も違うし、自分の趣味も自然の中に見出したりしながら、仕事は走って…という感じで、バランスが取れてきています。

理恵さん 上の子は温室育ちという感じで、東京にいる時は弱々しかったのが、福岡に来て別人のように強くなりました。私たちも育て方が変わったんですよ。それは周りの人たちが自分の子に対するように、悪いことは悪いと教えてくれたり、温かく接してくれるから。私たち自身うまく叱れなかったのが、ダメなことはダメって言えるようになりました。

今も忙しくはあるんですけど、空いた時間があれば海や山へ行けるので遊び方がダイナミックになって全然違います。福岡生まれの下の娘は彼にそっくりで、たくましいです(笑) 幼稚園も福岡だと自然と触れ合うことが当たり前のところばかりで、給食も地産地消。そういう点でもストレスフリーです。

一方で、移住した最初の頃は夫婦にとって大きな出来事もあったと振り返ります。

須賀さん 移住した当時、僕は36歳。これから40代、50代と会社を続けて行く上で、自己一致した仕事をつくっていきたい、社員や自分の家族を大事にしたいと思ったのが移住のきっかけでした。

でも、移住して最初の2年間くらいは、なかなか仕事がつくれずコミュニティにもとけ込んでいけない状況で、移住者が根を生やしていく畑のような場が必要だと思ったんです。それで、つながりの場を持とうと「RISE UP KEYA」をスタートさせたんですが、場所をつくった後も手探り状態で。

地元とつながる術として、地元で想いを持ってやっている人たちのサポートがしたいと思い、地元のカフェのホームページを破格値で、もしくは無料でつくるといったようなことをやったんです。

安定していればできていたんでしょうけれど、僕は丁寧に時間をかけてつくりたい、地元の方は生業なので早くつくってほしいということでギャップが生まれて、結果として期待に応えられないかたちになってしまって、そのひずみが地域コミュニティの中でも広がって…。

理恵さん 何よりも最優先で、なおかつスピードを持ってつくり上げることが大事だよって話していたんですね。だけど、なかなかエンジンがかからなくて、それに関しての夫婦ゲンカが毎日でした。私は私でコミュニティになじもうと必死でがんばっていたので、そういうひずみが起きてしまったことのショックは、今でもひきずってしまうほど、かなり大きくて。

それから2年かかったんですけど、本人もすごく反省して、そこから「RISE UP KEYA」が動いたり、それがあったから今があるとは思います。もう戻れはしないけれど、だからこそ約束をしたら、どんなことも絶対に守らなくてはいけないということが、ふたりのルールになっています。

焦りから生じた失敗と向き合いながら、子どもたちの存在を支えに前に進んできたご夫婦。そこから学んだことは大きかったといいます。

ディレクター窪田さんの福岡暮らし

3年前に「福岡移住計画」にジョインした窪田さんは、宮崎県出身。東京で働いた後、単身で福岡へ。移住のきっかけや実際の暮らしぶりを伺いました。

窪田さん 須賀さんとは東京時代に僕が雑誌制作に関わっていた頃、下北沢であった京都移住計画×福岡移住計画のイベントで知り合いました。ちょうど須賀さんが福岡へ移住されたタイミングで、移住自体がまだブームではなかった中で、社長なのに社員を東京に残して福岡に行っちゃうんだ!って、その新しい働き方に衝撃を受けたんです。

その後、厚労省の「九州ちくご元気計画」という県南(筑後地域)の雇用創出プロジェクトを経て、同じ福岡という舞台にいる中で、糸島や福岡の西の方で積極的に活動されているパワフルさを外から見ていてすごいなと感じていて。自分もその一員になりたいと素直に思ってプロジェクト終了と同時にジョインしました。

現在は、天神に近い福岡市内で暮らす窪田さん。シェアオフィス「HOOD天神」までは歩いて通勤しているそうです。

コミュニティ・ワークスペースとして、西鉄との連携で運営する福岡のシェアオフィス「HOOD天神」

窪田さん オフィスまでは歩いて20分。週一回はSALTへ行って、普段は取材でいろんな場所に飛んでいます。福岡は、めっちゃ人がいいですね。よく自分の地元に対して”何もないところ”とかネガティブな言葉がでてくることが多いけれど、福岡人は地元愛をポジティブに語る人が多くて、気持ちがいいです。

その良さを体感しているから、こっちもそうだよねって仲よくなれる。こういう心地よさや気持ちを移住希望者へ伝えたいと思って、発信しています。

11人のメンバーとつくるサッカーチームのような会社

紆余曲折、苦い失敗や経験を経て、リスタートを切った須賀さんと「福岡移住計画」。窪田さんやコアメンバーとの出会いが、現在の「福岡移住計画」の原動力になっています。

須賀さん 僕はすごくマイペースで鈍感力がありすぎて(笑)、人に迷惑をかけてしまうこともあるなって40歳になってまたわかってきたんです。雇用に対する恐怖心もあったけれど、会社って一人じゃできなかったんだって気付いたし、あの事件が起きた時にもすごく痛感したんです。

窪田くんとの出会いは「SALT」が生まれる頃で。ものすごく正直で、まっすぐなパワーを感じたんですね。彼とならもう一回、新しい会社をつくっていくことができるんじゃないかなって思って。それからコアメンバーが増えていって、今ちょうど11人。サッカーみたいな。彼女がキーパーで、Iターンで福岡に来た鎌苅くんと僕が前線で…

窪田さん 僕は中盤あたり。ITチームが守っているディフェンスラインと須賀さんたちオフェンスをつないだりする役目ですね。

須賀さん そうだね。窪田くんはHOOD天神を守ってくれていて、ITチームは波音を聴きながらプログラム作業をしてストレスを改善して…。朝9時45分には全国の拠点をオンラインでつないで、それぞれにやることを共有しています。

「外ものだからできる光みたいなかたちを生み出していこうとつくった「SALT」。宝もののような場所です」と須賀さん

須賀さん あとは月に1回合宿をやっているんですよ。東京のメンバーも福岡に来て、事業やプライベートのことを話す時間を持つようにしているんですね。それが自分たちにとって大きいです。それぞれの考えを持ち寄って、どういう風に組み立てていこうか、サッカーの作戦会議みたいにワイワイやってます。

昔はビジネスの先に何があるのかが見えなかった。今は、そんなに給料は高くないけれど、経済的なものの先にある、自分たちがどうやって世の中を豊かにしていくのかとか、子育てだったり結婚の先に、暮らしていく場所をつくっていくことが大切なんだろうって、みんなで共有できているからこそ、走り続けられているんだと思います。

自己一致した働き方・生き方

頼もしいメンバーが増え、チームとして次のフェーズへと…難しくも面白い波を乗りこなしているような印象を受ける「福岡移住計画」の活躍ですが、今抱えている課題はあるのでしょうか。

須賀さん 高齢化が進んで日本の産業自体が失われるような危機感を抱く時代に、だからこそ、開いていく、つながっていく、働き方をしないとだめなんじゃないかって危機感がつよいんです。

今まで分かれていた日本企業と地域の課題、両者をつなぎ合わせることが重要になってきて、それらをつなぐ役割が求められていると感じています。そういう意味でも、その地域にあるもっと深い、人、お店、体験とかを深堀していきたいというのが今年のテーマであり、僕たちの課題です。

そうやって今、将来的にありたい状態を意識して、課題に対して自己一致して働けていて、それを妻やチームが支えてくれているという気持ちが大きいです。

理恵さん キーパーとして見ると、数字的にはまだまだ安泰ではないし、日々、点を入れられたりもあるけれど、でも、仲間ができて今の場があること、それぞれの場が生きてきているので前向きな状態になってきていると思います。今後「+Wander」の利用者も増えて、もっと人と人がつながりやすい環境をつくれたらいいなって。

須賀さん 自分がそこに暮らして楽しい、よかったって思う人たちがつながって、人生をつくっていく仲間が増えていけばいいなと思っています。福岡という場所に限らず、仕事も暮らしも、子どもたちの教育や食べ物とかも、一緒に考えてつくっていけたらいいですね。

窪田さん そう思えば、ハードルは高くないんですよね。もやもやしてるなら、悩んでいる時間がもったいない。僕自身は、収入が減るとか友だちができるかなという不安も最初はありましたけど、今思うとたいしたことなかったって。来てみれば、なんとかなる。移住して大正解だったと感じています。

須賀さん 助けてくれる人が多いのが福岡かもしれません。今も周りに支えてもらっていると感じますし、移住を経験した僕たちが、今度は新たに移住される方々をサポートする番だと思うんです。

仕事と暮らしがとけ合った、ライフワークという言葉がしっくりくるチームは、羨ましくなるほど、仲間愛にあふれていました!

移住者である自身の実体験を糧に、続く人たちへ向けて、地域と混じり合う努力を惜しまずに専心してきた「福岡移住計画」。課題を克服し、1つ1つ体現することによって経験値を高めたからこそ、自然と説得力や共感が生まれ、移住者も人や企業といった地域もつながり合えて、循環していく。そこに感じるのは「分かち合う心」でした。

移住を軸に多岐にわたる「福岡移住計画」の魅力的な活動は伝えきれませんが、希望者に向けて、ショートステイや各拠点でのシェアオフィスの見学などを行なっています。

いきなり移住というと「ハードルが高い」で終わってしまいがちですが、まずは惹かれる場所や人との出会いを通じて、あなたがどう感じるか。旅するように、現地の風に触れてみてはどうでしょう。そして、「ここなら」と思える巡り合いや気持ちが芽生えたら。今よりもっと、自分らしい働き方・生き方が見つかるかもしれません。

続く「福岡移住カタログ」では、福岡移住計画のメンバーとつながって、新しい扉を開けた人たちの顔を続々、紹介していきます。