「仕事をする」というと、まだまだ履歴書を書いて、面接をして採用されて、というイメージが根強くあります。しかし次第に多様な働き方がクローズアップされ、「仕事=会社に採用されること」という価値観も、少しずつですが変化してきています。
例えば、地方に移住して仕事をつくるというのも、これからの働き方のひとつ。地方創生の流れで注目されている「地域おこし協力隊」は、2013年度には978人だったのに対し、2015度には2,625人と約3倍になりました。
その目的はひとくちに「地域の活性化を図るため」といっても、仕事の中身やその後の進路は本当に千差万別。総務省の調査(2015年2月)によると、5割が任地の自治体に、1割が任地の近隣自治体に定住しているほか、任地の自治体に定住した隊員のうち5割が就業、2割が就農または起業しているそうです。
そこで今回は、大阪から地域おこし協力隊として奈良県吉野町に移住し、2015年3月に卒業した渡會奈央さんのその後の働き方のストーリーをご紹介したいと思います。
渡會奈央(わたらいなお)
大阪生まれ。大学卒業後、沖縄のイベント企画会社で働き、大阪に戻った後に職場の人から教えてもらった「地域おこし協力隊」の募集を知り、応募。2012年に奈良県吉野町の地域おこし協力隊一期生として採用される。卒業後、地域の空き家をリノベーションしたゲストハウス「三奇楼」の管理人となる。
ひょんなことから立ち上がった、ゲストハウスの管理人の話。
奈良県中部に位置し、桜で有名な吉野山で知られる奈良県吉野町。渡會さんは現在、2015年秋にオープンしたゲストハウス「三奇楼」の管理人をしながら、町のフリーペーパーを製作したり、地域で活動する人たちの名刺をデザインしたり、さまざまなナリワイを持っています。
戦前、筏を利用して頻繁に木材が運ばれ、吉野林業で上市が一番輝いていた頃からの由緒ある料亭旅館として栄えた三奇楼。その後は住宅として改装されたものの、十数年前に空き家となっていました。
そして2年ほど前、地域の工務店の社長が屋根の修繕を頼まれた縁をきっかけに建物を購入することに。そして「上市まちづくりの会リターンズ」という地域の有志グループが立ち上がり、「三奇楼」をゲストハウスにする計画が持ち上がりました。
当時の渡會さんは地域おこし協力隊の卒業のタイミングで、「たまたま仕事を探していた」とき。そこで渡會さんが管理人として住み込みで暮らしはじめたのです。
初めて来たのにどこか懐かしい感じがする三奇楼。日当たりがよく、建物自体のたたずまいも素敵で、渡會さんも掃除をするたびに「きれいな空間だなあ」と感じているそう。
まわりは細い路地が入り組み、さらに高低差があることもあって、ぶらぶらと歩くのにうってつけ。泊まった方は朝の散歩を楽しむことが多いようです。どこを歩いていてもふと振り返るときらきら輝く吉野川が目に入って、しばらくその場に立ち尽くしてしまいます。
そうやって道行く人がふらりと立ち寄れるような気さくな朝市など、三奇楼では吉野の魅力を知ってもらうためにさまざまな催しも行っています。夏にはデッキからの花火大会見物も人気です。地元の方が喜んでくれたらいいなという思いは忘れません。
悩みながらも種を蒔いていたから、今がある
今でこそゲストハウスの管理人として、またフリーランスとして忙しい日々を送る渡會さんですが、管理人になったのは「思いがけないこと」と言います。
吉野町の地域おこし協力隊一期生として、同期の野口あすかさんとgreenz.jpでも紹介した「ねじまき堂」を立ち上げ、協力隊を卒業した後も、「知り合った人もたくさんいるし、もう少し吉野で生活してみたい」と吉野町に残ることにした渡會さん。
そのときは、「アルバイトとねじまき堂の仕事と組み合わせてどうにか生活できるかな」とぼんやり考えていたそう。
ゲストハウスの管理人になるなんてまったく予想していなかったし、私ができるのかなって少し不安もあったけれど、これも何かの縁かなあ、と。やらせてもらおう、挑戦してみようと思いました。
外部から移住した渡會さんがこうして地域の人といい関係を築けるようになったのも、3年間の地域おこし協力隊のときに蒔いた種があってこそ。町の観光協会の立ち上げに着手し、事務所の備品の選定から地域の人たちの巻き込みまで、あらゆることに一生懸命取り組み、悩んできた3年間でした。
会社勤めというものをしたことがなかったから、正直、仕事のやり方があんまり分からなくて。「これではだめ」って言われても、何がだめなのかもわからへんまま、がむしゃらにやってて…でも、もがいている中で話を聞いてくれる人や助けてくれる人がいつも周りにいてくれて。運がいいし、ありがたいなあって、思います。
大学卒業後に沖縄で住んでいたこともあり、「地方で働くことにはあまり抵抗はなかった」という渡會さん。職場の人の紹介で地域おこし協力隊の募集を知り、採用されました。
とはいえ地域おこし協力隊だからといって、なにか大きな目標があったわけではない、どうしてもこれがしたい、という目的もなかったそう。それでも大切にしてきたのは、目の前にやってきた仕事に真摯に向き合う姿勢です。
観光協会で仕事をしていたら、桜の時期はめっちゃ電話がかかってきて、電話に出てたら1日終わってしまうことも多くて。問い合わせで、どうやって行ったらいいのかとか、去年出ていたお店は出ていますかとか。
中にはね、怒っている人もいたりして。最初はやっぱりうまく対応できなくて、余計に怒らせてしまって、ああ、人の話をきちんと聞くのは大事やねんなって。それでクレームが来ても、相手の要望を汲みつつ、どうしたら自分の思いを伝えられるのかを考えられるようになって。今、そのときの経験が活きているなって思います。
自分の思いを伝えることってあまり得意ではないし、今も克服はできていないかもしれないけれど、コミュニケーションを諦めずに、誠実に伝えられるようになった気がします。少しだけ。
あのときふんばっていたからこそ見える景色が、最近見えてきた
仕事のやり方が分からなかったり、人への頼り方が分からなかったり、本当に光が見えなくなったときもありました。身の丈以上のことを求められたり、人の評価に振り回されてしまい疲れてしまったことも。何度も「大阪に帰ろう」と思ったとき引き止めてくれたのは、仕事をするなかで出会った、吉野で知り合った人たちでした。
「悩んで、ふんばったその先にしか見えないものがある」とかけてもらったその時の言葉。その意味を「最近ようやくわかってきた」と渡會さんは言います。
つながりって全部、やってきたことから生まれるんやなあって感じてます。そういう中で仕事が貰えたりしていけたらいいなあって。声をかけやすくて、ちょっと役に立つぐらいの感じでいたい。ささいなことで思い出してもらえるっていうか。
「ちょっと役に立つ」。そのあり方はときに思わぬ喜びとなって、また新たなつながりを生み出します。
近所の方が「折り紙、うまく折れないから折って」と来てくれたとき、「あの子やったら、って思い出してくれたんやな」って嬉しかった、と微笑みながら話してくれました。こうしていま当たり前のようにある時間は、手の届く範囲の仕事を丁寧にやりきることで育まれてきたものなのです。
協力隊っていうと、「移住者が主役」って思われがちやけど、町中に素敵な人、ユニークな人がいっぱいいて、おもしろいやりとりが日常のいたるところにある。そういう人たちとお話することが楽しい。
こないだも「夕日が綺麗やから家に見においで」って、斜め向かいのおばちゃんと一緒に夕日見ながらお話して、ベランダから夕日見て帰ってんけど、なんかそういうのがいいなーって。愛すべき人がいっぱいおるなって。
地方に移住して、地域に溶け込んで暮らすというのは理想的ですが、実際にはその裏であれこれ悩んだり、後ろを振り返ることもたくさんあります。
だからこそ大切なのは、周りの力を借りながら、自分のできることは何なのかと真剣に向き合うこと。地味で目立たないことでも、コツコツ地道に取り組み、周りにも自分にも正直でいること。
そのときには光が見えなくても、気づかないうちに蒔かれた小さな種がやがて芽を出したときに、「自分がここに来た意味」が分かるのではないでしょうか。渡會さんの吉野での生き方は、地方で仕事をつくるためのひとつの道筋を示してくれたような気がします。
「三奇楼」という空気を通じて、人と人、人とものごとをつなぎたい
今も渡會さんは、「自分ができる仕事」に向き合い、丁寧に日々を過ごすことを大事にしています。
こうしていい経験ができているのは、周りの人の助けがあって、環境がそろっているから。だから、大事に過ごしたいなと思ってます。
管理人として「三奇楼」の建物自体が持つ魅力、居心地のいい空間を楽しんでほしいし、ゲストに快適に過ごしてもらうのが仕事。人が集まって風通しがよくなって、ゆるやかにこの先につないでいける場所になったらいいなあって思います。「三奇楼」を通じて、人と人、人とものごとをつなぐことができるといいなって。
昔、ここでよく遊んだっていう地域の方も来てくれてお話することもあります。近所の人にとっても思い入れがある場所なんです。オーナーも「昔のように人が集まる場所に」っていう思いがあるから、ちょっとずつそっちに向いていっているのかな。
ゆるくて親しみやすく、包み込んでくれるような三奇楼の居心地のよさ。どこかに余白やすきまがあるような、でもラフであったかい場所。風通しがいい、とはただ風が通り抜けるという意味だけではなく、人と人や、人とものごととの距離感を表す言葉なのかもしれません。そしてそれは、まさに管理人である渡會さんそのもののようです。
「今は悪くても、長い目で見て、いい方にいくように」ってものごとを考えられるようになったと思います。いろいろな人と付き合っていく中で、みんなそれぞれ悩みがあるし、自分だけが悩んでるんじゃないって気づくようにもなって。いちいち一喜一憂しなくなったかな。
自分が受け身だと、自分がやってることに焦りや不安も出てくるし、何をやってるのかわからなくなることもありました。今は、途中であってゴールではないし、毎日はこの先10年も20年も続いていく。だから「自分の仕事」をしっかりやれる人になりたい。
みなさんも自分に自信がなくなった時、ちょっと疲れた時、心を休めたい時があるはずです。そんなときは、ふらっと三奇楼を訪れてみませんか?「あなたはそのままでいいんだよ、無理せずにね」という声がどこかから聞こえてくるかもしれません。
(Text: 瀬戸山景香)
愛知県豊田市出身。2015年より地域おこし協力隊として奈良市在住。フリーペーパー制作などを通じて奈良市の里山のことを発信している。