「働き方の多様化」ということがよく言われます。戦後日本の終身雇用制度が崩れて、非正規雇用の労働者が増えました。それは貧困や格差の問題を生み出すという負の側面もありますが、自分で自由に働き方を選べるというよい面も見出すことができます。
でも、自分で働き方を選んだ末、うまく行かずホームレスになってしまったらどうでしょう? 今日紹介する映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』は、ファッションモデルとフォトグラファーをしながらもニューヨークでホームレス生活を送るマーク・レイさんの生活を描いた物語です。
「ホームレス」とは何か
映画は、マークさんがニューヨークでファッションモデルのストリートフォトを撮るシーンから始まります。
ニューヨークでファッションウィークが開催される華やかな時期、主人公のマーク・レイさんはモデルやショーの写真を撮り、それを売り込むために忙しく働いています。マークさんは元モデルで、俳優としてチョイ役で映画に出たりもし、フォトグラファーとしても活動をしているのです。しかし彼には家がありません。彼の寝る場所はビルの屋上のちょっとした死角なのです。
細身のスーツに身を包み、いかにもモデル然としたマークさんが実はホームレス。この事実が「面白い」と感じられるのは、私たちが持つホームレスに対する先入観を彼の見た目や生活が裏切るからです。映画には、典型的なホームレスの人たちの映像も挿入されていて、彼の生き方と対比することで、「ホームレス」とは一体何なのかを考えさせます。
彼は家はないとはいえ、ある程度の収入を得ていて、フィットネスジムの会員になって、そこで運動をして体型を保ち、ロッカーを借りて持ち物を保管してます。仕事は行きつけのスターバックスやその他のカフェでやっていて、その生活はいわゆる「ノマドワーカー」と何ら変わるところはありません。むしろ家を借りるためのコストを抑えた合理的な生活をしているとも言えるのです。
彼が、それでもやはり「ホームレス」であるということから考えさせられるのは、「ホームレス」というレッテル貼りの意味です。ホームレスというのは人生の落伍者、社会からのはみ出し者、あるいは善意を施して救ってあげるべき弱者と考えられています。
マークさんは自分のことを「ホームレスではない」と言います。
マークさん 世間ではホームレスに対し同情すべきだと思ってるが、僕に同情する必要はない。だから僕はホームレスじゃない。ベッドと屋根がないだけだ。
と。
彼の暮らしは「働き方の多様化」を超えて「生き方の多様化」について私たちに疑問を投げかけているのではないでしょうか。
彼の働き方は多様な働き方の一つとして認められうる形のものです。だから彼はモデル業界の中で働けています。しかし、ホームレスという生き方は社会では認められていません。生き方の多様化の文脈において、ホームレスは多様な生き方の一つとして社会に認められていないのです。
彼はこうも言っています。
マークさん 僕の人生をさらけ出した。憐れむべき境遇を。僕を張り倒してこう言いたいだろうね。馬鹿野郎腰抜けめ、自分を憐れむ暇があれば仕事を探せ、部屋を借りろ。この映画を観てそう思ったら、いつでも僕のケツを蹴り上げに来てくれ。
そう、多くの人は彼の生き方を観て、もっとちゃんと働いて、部屋を借りて普通に暮らせと言いたくなるのです。
でも本当にそれが社会の取るべき態度なのでしょうか? 多様な生き方をこれからの社会が受け入れるべきなのだとしたら、他に彼を社会に受け入れる方法があるのではないかと思うのです。
多様化した社会における「ホームレス」
私は最近、もう1本ホームレスについての映画を観ました。それは『ホームレス理事長』(参考記事)という作品です。こちらの映画の主人公のホームレスは、高校を中退した球児たちに野球をやる場を提供するNPOの理事長で、NPO存続のための金策に行き詰まって家賃が払えなくなって、アパートを追い出され、車やインターネットカフェに寝泊まりしています。
彼も、一生懸命仕事をしながらも、十分な収入が得られずホームレスになっています。しかも、彼のやっていることは社会的に意味のあることなのです。彼がホームレスになってしまった理由は彼の不器用さや要領の悪さに負うところが大きいのですが、この不器用なゆえにホームレスになってしまうというところがマークと共通しているようにも思えます。
そして、もう一つ2人に共通しているのは、何かのためにホームレスでいることを受け入れているという点です。理事長は子供たちのために、マークさんはファッション業界で働き続けるために。
つまり、彼らは働き方を優先した結果、ホームレスという生き方を選ぶことになってしまったのです。そんな彼らの生き方を社会は受け入れることはできないのか? というのが私の疑問です。
「多様化」ということが盛んに言われますが、多様化というのが、これまで社会から疎外されていた人たちを尊重して社会に内包するようにすることだとするならば、彼らのような人たちもこの社会で生きていけるようにすることのほうが、本当の多様化だと言えると思うからです。
別に彼らを支援したり、応援したりしなければいけないと言っているわけではありません。ホームレスだったり高校中退者だという理由で駄目な人間だとレッテルを貼ったり、不利な扱いをしたりせず、同じ社会の一員として尊重するべきだというだけです。
映画から飛び出す
というように、ホームレスという生き方を通じて多様性について考えさせられる映画だったわけですが、映画のテーマと別にもう一つ気になったところがありました。
それは終盤で、マークさんが突然カメラに向かって語りかけるシーンです。このシーンで彼はカメラマンや監督に向かってではなく、わたしたち観客に向かって語りかけています。
そこでマークさんは「お宅に泊まらせてもらいに行くよ」「あんな屋上で寝るのはもううんざりなんだ」といい、映画のラストでは「数ドルでも支援して欲しい」と私たちに寄付を募るのです。
このように映画の中から観客に直接、語りかけるということはあまりありません。制作者が活動の支援をお願いするようなことはあっても、被写体となった人物が自分を支援してくれという事を言うのは、他に記憶にないくらいです。
このことによって気づかされるのは、観客にとってこの映画は描かれている問題を自分にひきつけて考える材料であるわけですが、当のマークさんにとっては自分の存在を世界に知らしめる機会なのではないかということです。
ドキュメンタリー映画をきっかけにそこに取り上げられた人が有名になるということも少なくありません。マークさんがそれを狙ったとは思いませんが、長く密着される中で、撮影されること自体が彼の人生の一部となり、それを通じて自分の上手くいかない人生をなんとかできないかと考えたということは想像できます。
彼は、様々な可能性を試しているのだろうと思うのです。
そんな考えをさらに強くしたのが、彼が、クラウドファンディングを利用して、この映画の公開に合わせて来日し、日本で職探しをするということを聞いたことです。
自由であることについて考える
関係者が公開に合わせて来日するということはよくありますが、マークさんはその機会に仕事を探そうというのです。これは映画の中で起きていることが、そのままこっちまで延びてきたような印象があります。
「MotionGallery」で現在行われているこのクラウドファンディングは、マーク・レイさんが映画のプロモーションと、就職活動のために来日する費用を募るというもの。
この映画でギャラを貰ったわけでもないマークさんは、映画内の寄付の呼びかけも実らず、しかも映画が話題になったことで寝床を失い、今はニューヨークで友人の家を渡り歩くなどしながら活動しているとのこと。
しかも、そのような提案をしたのは、昨年来日した際に日本を気に入ってしまったマークさん自身だというのです。
この映画の日本での配給を手がける「ミモザフィルムズ」で宣伝を担当する豊岡温子さんは
豊岡さん クラウドファンディングのアイデアを最初に出したのはマーク・レイ本人なんです。
昨年11月に一度プロモーションで来日したときに事前に日本のいくつかのモデルエージェンシーに履歴書などを送っていたらしいんですが、どこからも返事はなかったそうです。映画公開のタイミングにももう一度日本に来たい、との本人の希望に、予算を捻出できない旨伝えたところ、本人の口からクラウドファンディングをしたらどうかという言葉が出てきました。
映画を見てもらうと感じるかと思いますが、マーク・レイはまだ自分の道を模索しているようなところがあります。ただ、家を持たないことは、どこにでもチャンスを掴みに行ける身軽さがあると思うのです。なので、映画の公開を機に、マーク・レイに興味をもっていただいた方から、日本で何か仕事のチャンスがいただけるといいな、と思っております。
と言います。
面白いのは、クラウドファンディングの主役はマーク・レイさん自身で、映画の宣伝という機会を利用して、自分の人生を切り開こうとしていることです。
このことから思ったのは、彼の魅力は、その自由さにあるのではないかということです。彼は、既存の映画やクラウドファンディングの文法のようなものを無視して、新たな挑戦をします。彼にとっては映画やクラウドファンディングにおける常識などに意味はなく、模索している「自分の道」にとってそれをどのように使えるか、あるいはどう意味づけるかしか意味が無いのです。
そう考えると、映画で描かれている彼の生き方自体、究極的な「自由」を探求してるようにも思えます。彼の今の生活は不自由極まりないですが、場所にもお金にも仕事にも縛られてはおらず、自分の感覚に従って生きる自由を手にしている、そのように感じられるのです。
日本で職を探そうというのも、前回の来日で日本が気に入ったからというマークさん、そんな彼の生き方は多くの常識的な人たちにとっては眉をひそめるようなものなのでしょうが、私は応援したいなと思いました。
みなさんも、映画を観てマーク・レイさんのような人生について考えてみてはどうでしょうか?
– INFORMATION –
『ホームレス ニューヨークと寝た男』
2014年/オーストリア、アメリカ/83分
監督:トーマス・ヴィルテンゾーン
出演:マーク・レイ
音楽:カイル・イーストウッド/マット・マクガイア
配給:ミモザフィルムズ
2017年1月28日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
http://www.homme-less.jp