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農家には家より大事なものがある。熊本地震で農家がどんな被害を受けたのか。益城町・南阿蘇村・熊本市で取材してきました!

突然ですが、みなさん、トマトは好きですか?

あなたが今日食べているそのトマト、もしかすると熊本県産かもしれません。

なぜなら、熊本県は阿蘇や天草に代表される自然や豊富な地下水に恵まれ、農業産出額が全国5位。トマトの収穫量は全国1位です。12月はちょうど出荷最盛期を迎えているはず(JAグループくまもとHPより)。


そんな農業が盛んな熊本を襲った2016年4月の大地震。熊本県では8,600ヘクタールの農地が被害を受け、水路や道路など農業用施設の損壊も5,000件以上。被災水田では米の作付けを断念した農家も多く、稲よりも水を必要としない大豆への転作が進みました。


2016年5~6月、私は日本財団の熊本地震支援活動の現地スタッフとして、熊本県益城町の農村集落である島田地区を担当しました。同地区は活断層の上に位置していたため、6割以上の家屋が倒壊。熊本地震でもとくに大きな被害を受けたエリアのひとつです。

※島田の詳しい被災状況については、8月10月に掲載した記事をご覧ください。

熊本地震で農家はどんな被害を受けたのか。11月中旬、益城町や南阿蘇村、熊本市の農家や支援団体の方々にお話しを伺うため、私は再び熊本を訪れました。農業の復興のために、私たちにできるこれからの支援は何なのか、レポートしたいと思います。

まだ倒壊した家屋が残る益城町島田地区(2016年11月)

まだ倒壊した家屋が残る益城町島田地区(2016年11月)

農家には、家より大事なものがある。

私が初めて益城町を訪れた5月頃、日本財団による重機の専門家チームがいち早く島田地区に入り、倉庫や小屋から農機具の取り出し作業を始めていました。

どうして家でなく、小屋から片付け始めるのかな。

その時、ふと感じた疑問です。島田は農業振興地域に指定され、昔から稲作が盛んな地域ですが、地震によって農地の給排水設備が損壊。田んぼに地割れができ、土手や水路が崩れるなど、すでに今年の作付けはむずかしい状態でした。

そんな島田地区に重機チームが迅速に入ることができたのは、住民のニーズをとりまとめ、支援団体と住民をつなぐ役割を果たしたボランティアがいたからでした。それが、島田在住農家の宮崎誠さんです。

©Funny!!平井慶祐 益城町島田地区の農家、宮崎誠さん

©Funny!!平井慶祐 益城町島田地区の農家、宮崎誠さん

まだ住民の多くが避難所やテント、車中泊を続けるなか、作付けの時期が迫り、農家の方々は焦っていました。

重機や農機具、収穫した作物の保管や作業を行う小屋は、農家にとって大事な仕事道具。一刻も早く倒壊した倉庫から農機具の取り出しを望む声が多かったそうです。宮崎さんがその一軒一軒のニーズを聞き取り、作業工程を作成したことで、支援団体が素早く現地に入ることができました。

宮崎さん めちゃくちゃきつかったよ。解体のプロじゃないし、どこに優先的に行けば効率がいいのかわからない。でもお願いするからには把握してないといけないから、ずっと悩みよった。

当時を振り返りながら笑う宮崎さん。13年前、結婚を機に島田地区に移り住み、家業の農家を継いで2年半。独学で勉強したり、周囲の方々に農業を教わっている段階でもあったため、恩返しをしたいという思いが強かったといいます。

宮崎さん 農家にとって、重機と小屋がなければ仕事ができんけん。家よりもずっと大事。

宮崎さんは米とニラを中心に、カボチャやキャベツなども作っていますが、今年は給排水設備が壊れてしまったため、稲作を断念。未だ状況は変わりませんが、二年三年寝かせると田んぼがだめになってしまうため、自分で水路や土手を直したり、管理を続けているそうです。

また、今年は米の代わりに地域の農家と共同で大豆の栽培にも挑戦。出来はとても良く、来年3月には収入になる見込みだそう。水害が多い島田地区では米以外に育てられる作物はごく限られています。

そんな宮崎さんと共に大豆を栽培した西村幸人さんは、島田でもっとも広い面積の田畑を所有する農家の一人です。

西村さん 大豆も5俵くらいとれれば、米と同じくらいの収入になるからね。みんなで頑張った価値はあったね。

©Funny!!平井慶祐 益城町島田地区の農家、西村幸人さん

©Funny!!平井慶祐 益城町島田地区の農家、西村幸人さん

©Funny!!平井慶祐 収穫間近の大豆、益城町島田地区(2016年11月)

©Funny!!平井慶祐 収穫間近の大豆、益城町島田地区(2016年11月)

西村さんの田んぼも地盤が波打ってしまい、米を作ることはできませんでした。今年は大豆、キュウリ、メロン、カボチャなどを栽培していますが、水路が壊れているため、雨が降らない日は1,000トンの水をダンプで運んでいるそうです。

©Funny!!平井慶祐 亀裂が入った農道を歩く子どもたち(2016年11月)

©Funny!!平井慶祐 亀裂が入った農道を歩く子どもたち(2016年11月)

島田の給排水設備の工事費は数億円かかるともいわれています。災害復旧事業の補助は出ますが、農家も自己負担しなければなりません。

未だ来年以降の水田復旧の見通しも立っておらず、稲作をやめる農家も出始めています。行政は小屋の建替え補助等を優先するため、どうしても田んぼの対応は遅れてしまうそうです。


宮崎さん 島田はもうボランティアは大丈夫。お金に困ってる人や仮設住宅に入って暇な人もいるから、それより地元の人を雇いたい。楽しく会話しながら働いてほしい。

はじめはおしゃべりばっかりになると思うけど、それでいいけん。これから復興住宅に入ることも想定して、村全体のことを考えたい。

ボランティアはもういらない。意外でしたが、宮崎さんは率直にそう語りました。

島田地区では、有志によって組織された復興委員会が11月から、“被災地ツアー”のガイドを始めました。視察に訪れる企業向けに被災地を案内し、地域の防災対策に貢献することが狙いです。

今後は、地元の米や特産物を収穫できる年3回ほどの体験農業も考えているそう。神社が被災し、遊び場を失った子どもたちのために、こうした事業の収益を積み立て、お宮の復興につなげたいと考えています。

今もきびしい状況が続く南阿蘇村

一方、益城町以外の農家はどんな状況にあるのでしょうか。私は初めて南阿蘇村を訪れました。阿蘇山の南に位置し、人口約11,000人が暮らす南阿蘇村。

地震で主要ルートのトンネルや橋が破損し、交通が寸断されたため、なかなか外部からの支援を受けることができませんでした。約1,500棟の家屋が倒壊し、今もなお断水している世帯が400軒以上。近隣の市町村に移り住んでいる人も多いと聞きます。

お話を伺ったのは、南阿蘇村公認ボランティア団体「ロハス南阿蘇たすけあい」理事長、井出順二さんです。井出さんは土砂や流木の撤去、ボランティアの受け入れなど、南阿蘇村で継続的な支援活動を続けています。

ロハス南阿蘇たすけあい  理事長、井出順二さん

ロハス南阿蘇たすけあい 理事長、井出順二さん

井出さんによると、被害が大きい南阿蘇村では、農家は日中だけ村に戻って、被災水田では大豆や蕎麦、ハウス農家はトマトやアスパラを育てているそうです。

以前は東海大学農学部の学生がアルバイトに来ていましたが、今はキャンパスが熊本市内に移転。人手不足解消のために、井出さんは優先的に農業ボランティアを組み、宿泊先や食事を提供しています。さらに12月には「南阿蘇村ボランティアセンター」を開設。できることをめいっぱいして、ボランティアに訪れる人たちを迎えています。

田畑での土砂の撤去作業、南阿蘇村川後田地区(2016年11月)

田畑での土砂の撤去作業、南阿蘇村川後田地区(2016年11月)

井出さん 農家さんも自立しないといけないけど、現実的にはムリ。農業はやらないといけないことにきりがなくて、被災した農地を使えるようにするためにも、ボランティアや活動資金がまだまだ不足しています。

井出さんの言葉には、私たちへの活動支援を募る思いが強くにじみ出ていました。

一度ボランティアに訪れた人たちは、物資の提供など継続した支援を続けてくれるそうですが、未だ活動に終わりが見えず、重機の燃料費、ボランティア宿泊施設の家賃や運営費など、「ロハス南阿蘇たすけあい」の支援活動は今、継続の危機に直面しています。

熊本市では、復興のシンボル「熊本ヒノデ米」発売!

南阿蘇村が未だきびしい状況にあるなか、熊本市に目を向けると明るいニュースがありました。地震の影響で作付けを断念した種もみと田んぼを復活させた「熊本ヒノデ米」が今年、発売されたのです。企画したのは、一般社団法人日本お米協会・代表理事で稲作農家の森賢太さんです。

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「熊本ヒノデ米」を発売した森賢太さん。収穫時期に雨が多く機械が入らなかった熊本市東区の田んぼ。手刈りして自家用のお米に(2016年11月)

「熊本ヒノデ米」を発売した森賢太さん。収穫時期に雨が多く機械が入らなかった熊本市東区の田んぼ。手刈りして自家用のお米に(2016年11月)

地震後、150件以上の農家に作付け状況の調査を行い、農業被害の大きさを目の当たりにした森さんは、倒壊した家の片付けと田植えシーズンが重なり、作付けを断念してしまった農家を支援することに。

ボランティアや機械の手配、販売のサポートなど、森さんが支援した農家は約20軒(東京ドーム10個分!)。自らも東京ドーム1個分の水田を引き継ぎ、県外ボランティアの方々の協力を得て、米作りに取り組みました。

また、農業技術を次世代へつなぐため、高齢者には引退せずに指導者として関わってもらうことを提案。すると、皆さんノリノリで教えてくれたんだとか。

森さんが支援した農家のお一人、南義徳さん。大工仕事もこなすベテラン農家。

森さんが支援した農家のお一人、南義徳さん。大工仕事もこなすベテラン農家。

60代以上の高齢の農家が震災後に廃業してしまう例は、かつて東北の沿岸部でも見られました。災害復旧事業の補助を受けるためには、10年以上の就農や黒字経営であることなど条件があるためです。

村上さん 今はひとつのルールで対応しているけど、日本の農家はほとんどが60代以上。そういう日本を支えている人たちこそ助けられるように、例えば、就農条件を5年にするとか、現実に見合った改革が必要だよね。

離農するとお酒を飲みすぎたり、病気になってしまう人もいる。家の再建も年金生活者には高額だし、直売所に売るだけでも、農業を続けてもらえたら。

熊本県内で幅広い支援活動を続けるグリーンコープ災害支援センター・統括責任者の村上省三さんは、ご自身の東北での経験をもとに、熊本の農家が直面する課題をそう説明してくれました。

そんな高齢の農家の方々を支援し、「熊本ヒノデ米」を実らせた森さんは、実は石川県出身。仕事で阿蘇を訪れたのをきっかけに熊本で暮らし始めて10年です。自宅はなんとか倒壊を免れましたが、事務所が入居していたビルは取り壊されてしまったそう。

自分自身も被災者である森さんは地震直後、物流が止まり、アルファ米も食べられるかわからないという状況のなか、すぐに炊き出しを始めました。

森さん こういうときだからこそ、温かくてほっとできるものを食べることは大事だと。地元産の米や野菜を引っこ抜いて、野菜たっぷりのおいしい炊き出しをしました。食と農が近くにあれば、そういうことができます。

“熊本地震を忘れない”と思っていただけるのであれば、他県のみなさんには地元の農家さんを大事にしてほしいです。農家は500人のファンがいれば、充分食べていけるんです。

熊本産のお米や野菜を購入して支援につなげる一方で、自分の地元の農業にも目を向けること。それは私たちにできる復興支援の形のひとつと言えそうです。

自分一人じゃない。周りは困っている人ばかりでみんな一緒

最後に、益城町の農家、宮崎さんに収穫間近のニラ畑を見せてもらいました。

©Funny!!平井慶祐

©Funny!!平井慶祐

宮崎さんは妻・子ども2人の4人家族。自宅は全壊し、9月からは仮設住宅で暮らしています。避難生活で大変な苦労を強いられながらも、“地震を経験した今だからこそ、農家で良かった”と感じているそうです。会社員だったら仕事があって家族のそばにいられないけど、農家は時間の都合をつければ家族と一緒にいることができるから、と。

©Funny!!平井慶祐

©Funny!!平井慶祐

地震直後は消防団として、今は復興委員会メンバーとして、宮崎さんは島田地区の復興に欠かせない存在の一人になっています。仮設住宅では地区外から引越してきた住民もいますが、積極的に声かけをする姿も。ボランティアをするなかで、これまでとはちがった感情が芽生えたといいます。

宮崎さん 地震の後は一人の時間がいやになった。以前は周りに対する不満もあったし、一人の時間が欲しいというのがすごくあって、自分の中で甘えるものがあったと思う。今はそれよりお年寄りと話して、少しでも安心させてあげたい。やっぱり若いけんがそういう気持ちになる。

自分一人だけじゃなくて、周りは困っている人ばかりでみんな一緒。自分たちはゼロじゃなく、実際はマイナスの地点にいるけど、どん底の人にもせめてゼロまできてほしい。これからも辛いことはあるし、ぷつんてなる人もおると思う。そのときに、助けを求められるようになってもらえたら。

もともと家族思いで働きものだった宮崎さん。益城町で知り合って半年、元気な顔や疲れた様子、さまざまな表情を見てきましたが、地震という究極の状況が否応なく宮崎さんを人として成長させたのだと気づき、私は宮崎さんの言葉を不思議な気持ちで聞いていました。

熊本地震をきっかけに、益城町に通うようになり、熊本をとても好きになりました。時折、熊本にいる時の方が、気持ちが落ち着いている自分に気づくことも。“米や野菜を作り、おいしいごはんを食べながら、家族と過ごし、身近な人と助け合う暮らし”。今でも熊本のことが頭から離れないのは、そこに生き方の本質があるかもしれないと感じ始めているからなのかもしれません。

(Text: 杉本有紀)