今、いちばん大切なものは何ですか?
唐突ですが、そう聞かれたら、あなたは何と答えますか。家族、恋人、車、お金…幸せや豊かさなど、それぞれに守りたいものが何かしら思い浮かぶのではないでしょうか。
日本に暮らす私たちには、とくにここ数年、価値観を揺るがすような、さまざまなできごとが起こりました。その最たるものは3.11の震災といえるでしょう。地震と津波、そして原発事故を境にして、いのちの尊厳、エネルギーの問題や国のあり方、いろいろな変化が、目に見えるところで、または見えづらいところでも現在進行形で起こり続けているように感じます。
そして9月19日、安保関連法案が可決してから1年が経ちました。政治面でも、憲法改正の是非を問いかける問題が私たちの国のビッグイシューになってきているといっても過言ではありません。
意見は人それぞれあって当然ですが、大事なのは、それらのできごとが自分自身の「大切なもの」を脅かす可能性を秘めている、と気づくこと。そして、ひとりひとりが自分の問題としてそれについて考え、向き合ってみること。
日本における政治への関心の薄さに危機感を抱いて、意識的にそう呼びかける人たちも増えてきました。その中のひとりに、ライフワークである「写真」を通して、憲法9条の意味や平和について問いかける女性がいます。
写真集『9 憲法第9条』の出版をクラウドファンディングによって実現した、フォトグラファーの亀山ののこさんです。
今回は、亀山さんが『9 憲法第9条』をクラウドファンディングによってなぜ出版しようと思ったのか、資金を得たことでプロジェクトにどのような反響や変化があったのか、「クラウドファンディングのその後」をお伝えします。
東京生まれ。18歳から写真を撮り始め、人物写真を撮ることに夢中になる。2000年よりフリーフォトグラファーとしてポートレイトを軸に、雑誌、広告、写真集などで活動。 数多くの芸能人、ミュージシャン、スポーツ選手のポートレイトを撮影。 2010年、双子を出産。2011年夏、福岡県へ移住。 3.11以後、原発のない世界を願い、いのちを守りたい意志を表した母と子のポートレイト撮影を始め、2012年秋、写真集『100人の母たち』を南方新社より上梓。2016年には『9 憲法第9条』を出版し、同タイトルにて全国で写真展や関連イベントを開催中。他写真集に「The Springtime of Life―ひとりの少女の18歳からの5年間の記録」(2007年、ポイズンエディターズ刊)。3児の母。
「私の写真」とは社会へ物を言うためのもの
亀山さんは、東京生まれ。10代で写真に目覚め、独学で技術を学び、フォトグラファーとしての道を歩んできました。人を撮ることが好きで、雑誌、広告、ポートレイトなどの分野でカメラマンとして活躍。東京を拠点に仕事をしていましたが、双子の男の子を出産し、その半年後に起こった3.11の震災をきっかけに、家族と福岡への移住を決心します。
それと同時に、原発のない世界を願い、いのちを守りたいと意思表明した母と子のポートレイトを撮り始め、2012年に『100人の母たち』を出版。原発とエネルギーの問題、ひいては生き方について疑問を投げかけ、そのアクションは落とした小石によって水面に波紋が広がっていくように、多くの人たちの共感を呼び、今もなお写真展の開催が各地で広がっています。
2012年の秋に出版した写真集『100人の母たち』。第2版が増刷されました
『100人の母たち』より
『100人の母たち』より
移住して5年。現在は、福岡市内から福岡県の西方・糸島の地に移り住み、大好きな海の近くで暮らしている亀山さん。その間、男の子を出産し、三児の母になりました。
これまで写真って自分のために撮っていたんですね。それが出産後は、この子たちのために撮っていきたいし、育てていく糧にする術でもあったんだなって、地に足がついた感覚がありました。
3.11が起こってからは、さらに私の写真は「社会に物を言うためのもの」だったんだって気づかされたんです。
『100人の母たち』を出版してからは「第二章をつくりたい」と思っていたそうですが、安保関連法案、集団的自衛権、TPP、武器輸出、そして改憲へと向かう動きなどが次々と起こる中、亀山さんは今の政治に不安と息苦しさを感じるようになります。
原発の問題を扉にして、社会で同時に起こっているいろんな問題が見えてきたと思うんです。今、何よりもいちばん緊急的に伝えていかなきゃいけないのは、「戦争反対」の意思表示なんじゃないかと直感しました。
「戦争を繰り返さない」と誓った憲法9条が危うい。「今」アクションを起こさないと取り返しがつかないことになるかもしれない、と。その気持ちにただ突き動かされたんです。
つながってくれる人たちと一緒につくる写真集
みんなにこの問題について考えてもらいたいという一心で、亀山さんは「クラウドファンディングで、戦争放棄を明言した憲法9条をテーマにした写真集をつくりたい」とプロジェクトを立ち上げます。そうして選んだのがMotionGalleryのクラウドファンディングでした。
「亀山ののこ写真集『9』出版プロジェクト ~平和を積極的につくっていくために~」と名付けたプロジェクトは、期間中の約60日間(2015年12月〜2016年1月)で、目標とした170万円を超える金額を達成。234人のコレクターがサポートしました。
亀山さんが挑戦したMotionGalleryでのチャレンジ
亀山さんは、クラウドファンディングにあたり、『100人の母たち』と同じく鹿児島の出版社・南方新社から『9』を出版すると決めていました。
南方新社の社長の向原祥隆さんは脱原発を願う人であり、鹿児島県知事選に立候補までした方なんです。尊敬していますし、世の中にこんな熱い人がいるんだということも伝えたかったんです。
クラウドファンディングにした理由のひとつには、その向原さんが「川内原発なくそう」の運動を頑張りすぎて出版業がおろそかになっているという話が耳に入ってきたんですね。だから、出資面で負担をかけずに出版したいという思いがありました。
2つ目の理由は、『100人の母たち』でつながった人、これからつながってくれる人と最初から一緒にかたちづくっていきたいなと思ったからです。
数あるクラウドファンディングの中から、「価値観が近いのでは」という直感でMotionGalleryを選んだという亀山さん。ユナイテッドピープルのガルトゥング博士招聘プロジェクトなど、共感するプロジェクトの紹介が数多くあったことも決め手となりました。
さっそくプロジェクトの呼びかけ文をつくりページを作成し始めますが、「思っていたよりも厳しくて大変だった」と話します。
コンテンツを仕上げるまで、担当者の方からきちんと指摘が入るんですね。例えば、ビデオメッセージをつくってアップすることだったり、私がこのプロジェクトに対して本気かどうか、どれだけそれを社会に伝えていきたいか、伝えた後の効果というものをどこまで見通しているか、全てきちんと精査されるんです。
だから、ページをつくるまでにけっこう時間がかかりました。でも、だからこそ自分の覚悟が決まってくるんですよね。頭の中の整理もついてくるし、初めて挑戦するには高いハードルだったけれど、トライして揉んでもらったからこそ、納得できる写真集がつくれたと思います。
なぜこのアクションを起こすのか。そのプロセスをどれだけ人に伝えられるかが写真集の本来の意義であると再認識したという亀山さん。さらに、クラウドファンディングはそのための有効な手段であるとともに、出版の前段階でどれだけの人に伝わって応援してもらえるか真価が問われるトライアルだとも実感したそうです。
ファンディングに参加してくれたサポーターから届く「ののこさんにいただく希望や勇気を、私は私の場所でかたちにしていきます」といったコメントも「みなさんが我が事にようにプロジェクトのことを思ってくれて、励まされた」と振り返ります。何より嬉しかったのは、「がんばってね」じゃなくて「一緒にがんばろう」というコメントが多かったことなのだとか。
それって、ここ数年、原発や戦争を問い直すデモや講演会などで知ることから始めた人たちが、一歩踏み出してアクションを起こしている証拠でもあるんですよね。クラウドファンディングを通して、そういう変化も感じました。
リアクションを越えたムーブメントを
2016年5月3日、憲法記念日に発行された写真集『9』
達成後、約8ヶ月の製作期間を経て、2016年5月に完成した『憲法9条 ~戦争をしない約束~』。3,000部の発行と同時に、書店やカフェ、ギャラリー、地域の公民館などで、写真展とお話会が始まり、今もその環は広がっています。
リターンの中のひとつに写真展の開催券があって、それを有効に使ってもらえているんですね。参院選の前に福島で開催してくれた方もいたり、今現在20カ所をまわりました。『100人の母たち』からつながりのある人たちの応援もあって、関わりが深いと思ってくれているから、出だしが早いですし、心強いです。
たくさんの人が心惹かれる亀山さんの写真。その魅力はどこにあるのでしょう。ページをめくって目に映るのは、奔放に生きる子どもたちのきらきらした瞳、手仕事や料理をする女性たちの穏やかな眼差し、国会前や自然の中でデモクラシーを主張する人たちの意志ある笑顔…そして、光と風が交差する、包み込むような自然の美しさ。いつしか心が凪いで穏やかな気持ちになっていきます。
写真集『9』より
また、いのちを紡ぐ日常の風景を届けながら、同時に、福島をはじめとする原発の問題、水俣、広島・長崎、沖縄の現状もまたリアルな現実なのだということも、写真と言葉で明確に発信しています。
写真集『9』より
写真集『9』より。今もなお、基地問題や環境破壊が危惧される沖縄の高江・辺野古へも撮影へ
社会で起こっている問題の点は線でつながっていること、政治も暮らしも同じ線上にあるんだということ。そんなふうに思いを巡らせることが大事なんだよと、写真集が教えてくれているようです。
そんな感想を漏らすと「届くといいけどな」と、目を見てしっかり自分の想いを伝え、意思疎通を図ろうとする亀山さん。人なつこい笑顔とフラットな姿勢、写真を通じてそこに映る世界と愛をもって接する亀山さんの生き方そのものが、人の心を震わせ、惹き付けるのだと思わずにいられません。
『100人の母たち』で体感したように、写真集に留まらず、私の手を離れて生きもののように、どこかで平和や希望の芽を出したり、誰かの軸になったり、『9』もそうなってほしい。
“積極的平和”の提唱者・ガルトゥング博士が言うように、日本には「リアクションを越えたムーブメント」が必要だと思うんですね。だから、写真集を媒体にムーブメントを起こしたい。それが私の願いです。
国内を飛び出し、海外へ
「9条」を伝える写真の力
そんな中、この夏、『9』の出版を報じた新聞記事を目にしたベトナム平和友好連絡会議福岡事務所の方から、「憲法9条は日本の大事なひとつの文化だと思う。ぜひベトナムの若者たちに伝えたい」と、国立ハノイ大学での展示会の誘いを受けました。
8月の1週間、お子さんたちを連れて向かったハノイ大学での展示会。大学の正門前には大きな看板が立ち、展示会場には人だかりができたそうです。
大学構内に大きく設置された写真展の看板
会場にはたくさんの学生が!「これまでで最高の瞬間視聴率じゃないかっていうくらい、大勢の方が観に来てくれました」と亀山さん
はじまりの挨拶の時、こう話したんです。
日本では目の前で死ぬ人もいないし、一見すごく平和に見えます。でも、例えばシリアでは日本と同じ子どもたちが空爆で亡くなっているし、ベトナム戦争でも沖縄からたくさんの飛行機が飛んでいって、枯れ葉剤を落とした。そうしたことは決して私にとって無関係ではないと感じています。
だから、世界で起こっているさまざまなできごとも考えて行動していきたいと思うし、みなさんとこうしてつながって、9条をアジアとの架け橋にして平和の尊さを伝えていきたい、と。
それを受けて、現地の学生などからもさまざまな反応があったそうです。「平和を伝えてくれてありがとう」と言ってくれる人、「おじいちゃんがベトナム戦争で亡くなりました」と話しかけてくれる人、「世界中で虐げられている子どもたちのことが気になってしかたない」と涙する学生の姿も。
一点一点の写真を真剣に見つめる学生の姿
とくに水俣のことを話した時には、みんな心を動かされているようでした。ベトナムでも経済成長に合わせて、川の魚が死んでいったり公害問題が拡大しているんですね。
そして、日本に憲法9条があるということは、知らない人が多かったです。「絶対戦争をしないという憲法なんだよ」と話すとびっくりしていました。
「悲惨なドキュメンタリーだけじゃなくて、こういう温かな視点で社会の問題を伝えてくれるのっていいですね」と感想をくれた学生もいて、亀山さんの写真が海外の人の心にも届いた旅に。国外での写真展を経験したことで、気づかされたことがあると亀山さんはいいます。
滞在中に訪れた国立ツーズー病院では、そこに勤務するグエン・ドクさんと話す機会も。枯葉材の影響といわれ結合双生児として生まれたドクさんは、現在、双子のパパでもあるそうです
国内では、選挙をはじめ、沖縄の高江や辺野古で起こっている米軍基地の問題など、心が押しつぶされそうなことがいっぱいあります。でも、そうした問題は世界中にあって…。
ベトナムでは、写真展の開催だけでなく、枯れ葉剤の被害者支援をしている病院を訪ねたんですが、今も100人に1人の赤ちゃんが障がいをもって生まれてきているそうです。重い水頭症の子どもたちと対面した時には戸惑いもありましたが、「この子が生きてるってことを撮りたい」という思いで、ただシャッターを切りました。
いろんな角度から物事を見つめ、共有する機会を持つこと。互いに知り合って、何かを分かち合うことの尊さ。それが自分や他者にとって力や愛の原動力になることを亀山さんは実感します。
さらにこの夏は、40年間バングラデシュとネパールのサポート活動を行っているNGOシャプラニールの依頼で、大地震のあったネパールへ現状視察と撮影のため現地へ赴きました。
ネパールでは、亀山さんのお子さんたちも現地の人たちの優しさに触れました
地震で被災されて困ってる人、弱い立場の人、ひとりひとりに話を聞きに行ったんですね。だけど、みなさん、驚くことにこんなに大変な状況の中でも、人を信頼することや愛すること、自分の世界に対する態度が大切だということを話してくれるんです。自分が元気でいることが家族にとって大事だとも。精神性がとても高くて尊敬の念を抱きました。
知ることで深刻さはもちろん増すけれど、リアルに思いを通わせて、「私たちはこれまでもこれからも平和な世界をつくることを望んでいくんだ」ってつながっていくことができる。閉塞感を救ってくれるというか、力をもらってそれを持ち帰ったことで、またがんばれる。そう、感じました。
自分とつながる海の向こうを想像して
外の世界から戻って、右傾化しているように見える日本の状況を見ると、改めて感じることがあるともいいます。
私たちがダイレクトに目の前に今ある感動や幸せを感じていても、海の向こうではいのちの危険にさらされている人たちがいるということを想像してみてほしいんです。そして、それを自分にたぐり寄せ、自分にできる言葉やアクションで平和に対する意思や想いを発していってほしいです。
また亀山さんは、いろんなニュースが起こり過ぎて、私たちはどんどん言葉に慣らされてきてしまっていると危惧します。
「戦争は魂の浄化」なんていうとんでもない発言を聞くと疲れちゃうけれど、それに1回1回反応して「おかしいよ」って発信していかないと、世界はどんどんおかしな方向へといってしまう。
慣れというものが戦争につながっていくんじゃないかと思うから、私たちは慣れて鈍化してはいけないなと強く感じています。きっと道のりは長いから、小さくても続けていくことが必要だとも。
その反面、今回のクラウドファンディングで最初からこれだけの人が協力して応援してくれたということも時代の変化かなって思うんですね。いろんな表現方法で、あきらめずに意思を伝えていく仲間が増えていっているとも実感しています。
インタビューの合間、案内してもらったのは、リフレッシュしたい時にいつも飛び込んでいるという彼女が大好きな糸島の海。愛用のカメラを手にシャッターを切る横顔には、この海のようによどみのない愛情や慈しみの気持ちがあふれていて、見つめる世界に対して誠実でありたいという写真家としての意志が伝わってくるようです。
亀山さんとお子さんたちが好きな糸島の海
写真集でも伝えていますが、自分の中にも戦争と平和とがありますよね。同じ方向を向いている人たちの中でも対立が生まれたりすることもあるし。ときに感情がほころびるのもしょうがないけれど、自分の精神性や成長が問われているとも思うんです。
焦りや瞬間的な怒りで言葉や態度を見失うこともあるけど、自分に向き合って自分を深めることが何より大事なことかなって。そして、「もっともっと、思ったことを発言していいし、みんなのびのび生きていいんだ」ということを、9条の意義と同時に私の写真集で伝えられたら嬉しいです。
いきなり大きな山を崩すことはできないけれど、「ハチドリのひとしずく」や「一羽の鳥」のように、小さなアクションはやがてムーブメントという大きなうねりを起こす可能性を生みだせる第一歩。
そのためには、憲法9条にあるように、ひとりひとりが平和とは何か、今、その意味を問い直すことが必要になってきていると感じます。そして、亀山さんの行動が示すように、平和とは結果やゴールではなく、意思表示や表現を積み重ね、維持や解決に向けて努力するプロセスにほかならないのではないでしょうか。
あなたにとって、日本にとって、沖縄にとって平和とは?
あなたとつながる世界の平和とは?
写真集『9』を手に、一緒に考えてみませんか。