今、宮崎県でひときわ賑わっている地域があります。それは、県の南部に位置する日南市。たった3年ほどで寂しかったシャッター商店街が劇的に蘇り、数々のベンチャー企業が進出するなど、行政と市民が一体となってまちづくりに大きく動き出しています。
その立役者は、4年間という期限付きで外部から﨑田恭平市長に選ばれた、木藤亮太(きとう・りょうた)さんと田鹿倫基(たじか・ともき)さん。彼らはまちづくりのプロ、日南市民の期待を一身に背負う「地域再生請負人」です。
木藤亮太さんは、日南市の中心にある油津(あぶらつ)商店街を再生するテナントミックスサポートマネージャー。近年すっかり元気をなくしてしまった商店街に「4年で20店舗をテナント誘致すること」がミッションです。
田鹿倫基さんは、日南市の「マーケティング専門官」。市外から外需を獲得し、日南に新しい雇用を生むことがミッションで、企業との協業事業、農林水産業の振興、日南市全体のPR、マーケティング業務など、多岐にわたって日南市のブランディングに奔走しています。
今回は、異なる役割を担う2人に、宮崎県日南市でいま一体何が起こっているのか、まちに“うねり”を生み出す仕掛けについて、話を聞きました。
市民と同じ目線で、市民とともにまちをつくる
元々は「よそ者」の立場だった2人ですが、着任とともに家族で日南へ移住。日南市に暮らしの根を張り、市民と同じ目線で活動をすることを第一に、商店街の経営者、地元の農家や職人、市役所職員などと会話を重ねています。
木藤さんは、市民が自発的に参加する商店街づくりに着手。市民の意見を取り入れながら次々とユニークなイベントを実行し、「商店街にきたらおもしろいことがある」という空気感をつくることで、あっという間に15店舗を新規オープンさせました。油津商店街にはかつての活気が戻り、今年5月には経済産業省が選定する全国の「はばたく商店街30選」に選ばれました。
その勢いは宮崎県中で噂となり、市外からわざわざ油津に足を運ぶ人もいるほど。今では、市民が目を輝かせて商店街の未来を語り、積極的にまちづくりに関わりはじめるという嬉しい連鎖がどんどん起こり始めています。
地元の若者たちと交流を深める木藤さん
そして田鹿さんは、情報発信力のある企業と次々と手を組み、市民を巻き込みながらネットを駆使したさまざまな企画にチャレンジ。行政のお金をなるべく使わないよう工夫して、これまでの行政の取り組みの枠を超えた、斬新なアイデアとスピード感で「新しい日南」を全国にアピールしていきました。
今では「日南市がおもしろいことをしている」と噂が広がり、日南の手腕を参考にしようと、政府や自治体からの視察、企業研修が相次いでいるほど。現在、IT企業11社の本社移転やサテライトオフィス開設の話が進むなど、将来的に市内の若者やUターン者も含めた新しい雇用が生まれることが期待されています。
東京の表参道で宮崎への移住検討者に向けてプレゼンを行う田鹿さん
商店街の新しい価値を生み出し、「自走できる商店街」をつくる
木藤さんが油津商店街の再生に関わることになったきっかけは、日南市の経済疲弊に危機感を募らせた﨑田市長が、商店街を再生する人材を全国から公募したことでした。
日南に移住することが条件で、委託料はなんと「月給90万円」。立ち見が出るほど市民の関心を集めた公開プレゼンテーションで「自走できる商店街づくり」を熱く語った木藤さんが、333人の中から見事選ばれたのです。
木藤さん さまざまな地域のコンサルティングをしてきましたが、仕事の期間だけ地域に入ってすぐ出て行くスタイルに限界を感じていました。地域に入って住民と同じ目線でじっくりまちづくりに関わりたい。そんな憧れを持っていたので、「移住する」という条件に可能性と希望を感じました。
公開プレゼンテーションでは、手書きの「商店街未来予想図」を披露。4年目の現在、ほぼその通りの展開になっています
着任初年は、地域での人脈づくりや信頼関係の構築に注力した木藤さん。市民とじっくり腹を割って話し、意識を変えていくことが、商店街の新しい価値をつくることにつながると確信していました。
商店街の店主だけでなく、地域の若者や主婦たちとも積極的に意見交換を図り、商店街再生のためのさまざまなアイデアを出し合っていきました。
そして、アーケードをレーンに見立てた「商店街ボウリング」など、みんなで考えたアイデアを次々と実行に移し、人を呼び込むイベントを仕掛け、商店街を「人の集まる場所」へと変えていったのです。
アーケードをレーンに見立てた商店街ボウリング
親子で参加する子ども向け運動会
商店街内の空き地を耕し「アーケード農園」として活用。多くの子どもたちが商店街内での野菜づくりに関わりました
木藤さん これらのイベントは集客や経済効果という目的ではなく、商店街で若い人たちが面白いことをやっているという空気感をつくるためでした。その結果、市内の中高生や県内の大学生、在京の日南出身者などが商店街に興味を示し、以降、商店街の再生プロジェクトに主体的に参加してくれるようになりました。
また、商店街で日南の名産であるきんかんや鰹の初出荷を祝うイベントも開催。市民が自分たちのもつ資源の素晴らしさに気付くきっかけにもなりました。多くの人が自主的に商店街に関わることで、どこか他人ごとだった「商店街」が、自分ごとになっていったのです。
日南の名産「きんかん」の初出荷を祝うイベント「きんかんヌーボー」
日南市の取り組みで、市民総勢250名が参加しAKB48「恋するフォーチュンクッキー」日南バージョンを制作。ラストシーンは商店街で撮影されました
思わず足を踏み入れたくなる「ワクワク感」に溢れた商店街
老若男女で賑わうABURATSU CAFFEE
2014年11月には、商店街再生の口火をきる「ABURATSU COFFEE」がオープン。かつての名喫茶店をリノベーションし、昔を懐かしむ世代から若者まで多くの人が集う場所になりました。商店街を永続的に盛り上げていくために「株式会社油津応援団」も設立しました。
さらに翌年12月には、多世代交流モールをオープン。市民が使用できるスタジオ、スクール、フリースペースからなる「油津Yotten」、スイーツからベビー服、まつ毛美容まで多岐にわたる店舗が入る「ABURATSU GARDEN」、オーナー全員が宮崎県出身だという飲食店が並ぶ「あぶらつ食堂」、日南でキャンプをはる広島カープを応援する「油津カープ館」など、子どもからお年寄りまで楽しめる場所になりました。
多世代交流モールのオープニングセレモニー。各メディアが集まり盛大に行われました
油津商店街の多世代交流の拠点として生まれたスペース「油津Yotten」。Yotten(よってん)は宮崎弁で「寄ってよ」という意味
日南の地場産業「飫肥杉(おびすぎ)」をふんだんに使った屋台村「あぶらつ食堂」。雇用を生み、人を育てる場となるからこそ、地元の人が出店し働くことにこだわりを持っています
日南でキャンプを張る広島カープを応援する油津カープ館。市民が集まりパブリックビューイングで試合観戦をすることも
木藤さん 朝早くから商店街の人たちが談笑しながら開店準備をしている姿は、以前は見られない光景でした。店舗数が増えたことで若者の雇用も増え、世代を超えたコミュニケーションの刺激が生まれています。
市民からのさまざまな持込企画や商店街アイドルの誕生など、市民みんなが積極的にまちづくりに関わるようになり、見た目の環境の変化以上に、「人」という資源が輝きはじめました。市民の熱量ひとつひとつが、まちの活力となっています。
商店街のベテランの店主たちが自分たちにできることを話し合い、自発的に始まった「油津なおしぇるじぇ」。長年培ってきた修理修繕の技を活かした活動
商店街の「土曜朝市」でダンスを踊る市内のダンスグループ
「企業と協働しやすい日南市」をつくる
一方で田鹿さんは、全国のさまざまな企業とコラボし、矢継ぎ早に新しい企画を仕掛けて日南市の存在を知らしめてしてきました。
例えば、東京のIT企業やNPO法人、地域の職人、日南市役所職員たちと連携をとり、日南市の地場産業である飫肥杉(おびすぎ)の製品をニューヨークのギフトショーに出展。その活動資金は補助金に頼らずクラウドファンディングで公募し、325万円の調達に成功しました。
また、行政初の試みとして、写真を見て大喜利を投稿する人気お笑いウェブサイト「ボケて(bokete)」と連携し「日南でbokete」を企画。全国的に投稿を呼びかけ、1カ月で4500件もの投稿が集まりました。
さらにはJALと組んで、世界の100万人以上にFacebookで観光PRを展開したり、遊休スペースを貸借するウェブサイトで市長室を時間貸しできるような企画を立てたりと、話題性のある仕掛けによって、日南市が企業と協働しやすい自治体であることを印象づけていきました。
クラウドファンディングで241名の支援者から325万円の資金を調達。達成時には、市長とともに大々的に会見を開きました
飫肥杉商品「obisugi-design」を世界最大規模のギフトショー「NY NOW」に出展。世界各国のバイヤーが日南市の飫肥杉商品を手にしました。
他にも、日南市の登録有形文化財である赤レンガ館をコワーキングスペースにリノベーション。現在は2社のIT会社が契約しており、市民も自由に使うことができるほか、油津港に大型客船が来た際には、世界中の乗組員が利用しています。
行政初の公設コワーキングスペースには、全国から多くの視察が訪れます。日本で唯一の「仕事ができる登録文化財」になりました
コワーキングスペースで仕事をしたり、母国の家族とテレビ電話を行う外国船の乗組員
アジア最大16万トン級の大型客船が油津港に入港。約5000人の観光客を相手に、市役所職員が着物を着たり学生がブラスバンドを演奏したりして、まちをあげておもてなしをしています
また、田鹿さんは全国各地を飛びまわり、官僚や企業、移住検討者、全国の市町村職員などを相手に、数々のイベントやシンポジウムなどで講演を行い、日南の魅力を広くアピールしています。
地元の高校で地方創生についての講義をする田鹿さん
さらには市内の農家や漁師、地場産業の職人たちと密にコミュニケーションをとり、特産品を売り出す施策を次々と発信していきました。現在は、慶応大学、理化学研究所と手を組み、日南の名産品であるマンゴーの糖度を高くして収益を伸ばす研究を進めています。
無農薬スターフルーツの農家が飲食系企業に取材を受けたときの一枚。数々のメディア対応を仲介したり、地元の農家と全国規模の居酒屋の商品開発担当者をつないだりもしています
日南市漁協女性部加工グループ「うみっこかあちゃん」。IT企業と組んでホームページを作成したり、クラウドソーシングを活用して全国からカメラマン、ライター、デザイナーを募ってwebカタログを作成しました
東京都葛飾区のイベントブースで日南産の焼酎を宣伝する田鹿さん
生産者と消費者が直接触れ合えるイベント「にちなん暮らし体験フェスタ」。日南の名産品をその場で調理して食べます
「ベンチャー×地方自治体=日南市」の幕開け
田鹿さんのこれらの取り組みは、全国のメディアや記事に取り上げられ、昨年夏にはテレビ東京「ガイアの夜明け」で紹介されるまでに広がりました。
「面白いことをしている日南市」というイメージが少しずつ定着していき、日南市が企業と協働しやすい自治体であるというブランドができることで、企業誘致などのアクションにつなげやすい土壌ができたのです。
こうした日南市のスピード感溢れる政策と柔軟性は、同じくスピード感を持って新しいことにチャレンジしているベンチャー企業と相性がいいのだとか。田鹿さんは、自治体と企業が手を携えることで、双方にメリットを及ぼす未来を構想しています。
田鹿さん ベンチャーは意思決定のスピードを持っていますが、資源や信頼性はまだこれから蓄積していく段階。逆に自治体は意思決定に時間がかかりがちですが、地域にはたくさんの資源があるし、行政という一定の信頼性もあります。
互いに持っていないものをそれぞれが持っている。企業にとってはビジネスチャンスの提供を、自治体にとっては地域の問題解決への施策を行うことになるんです。」
東京の広告、IT、マーケティング関連企業を招いた「宮崎視察ツアー」。﨑田市長も参加して総力をあげて日南をPR
東京から来た不動産会社の企業研修で日南のまちづくりについてプレゼン
企業と地域が、ともに新しい価値を生みだしていく
現在、IT企業の本社移転1件、創業3件、出張拠点2件、サテライトオフィス5件の話が進展。企業誘致にあたっては、行政のコストを抑える工夫をしていることも、田鹿さんの施策の大きな特徴です。
田鹿さん 互いの利益をイーブンにしているので、これまでの連携にもほとんど予算はかかっていません。決して東京の補完的な意味合いではなく、企業が独自に持っている資源と日南市の地域資源を融合させ、新たな化学反応を生み出していきたい。
そうすることで、日南市の魅力が高まり、企業には永続的に日南市に腰を据えてもらい、若者だけでなくUIターンの人材も取り込みながら雇用をつくりだすことが可能になるんです。
日南に支社を構えたIT企業「ポート株式会社」の調印式。マスコミを呼んで大々的に行われました
「ポート株式会社」のウェルカムパーティー。約60名の市民が参加し、移住してきた社員と市民との交流の場も設けられるなど盛大に行われました
雇用が生まれることは、日南市の人口流出を防ぐことに直結します。希望の業種に就きたい若者が地元に残ること、地元で子育てや介護をしながら働けること、日南に帰りたくても仕事がないと悩んでいた人たちの受け皿ができること…。ベンチャー企業進出による雇用創出には、さまざまなまちの未来が託されているのです。
「応援の連鎖」で持続可能なまちづくりを
2人の着任以降、市民だけではなく日南市役所の職員たちの動きも変わっていったといいます。2人が外部から行政に入ったことで、部署の違う職員同士の横軸をつなぐ役割も担ってきました。
田鹿さん 市役所職員たちは、みんな日南市のことが大好きで、まちのために何かしたいと思っている方ばかり。企業誘致の際は、職員が密に企業と話をして、どんな条件設定ならうんと言ってくれるか、文字面や仕組みだけでは把握できない部分を積極的にリサーチしてくれました。
総務省主催の「地域情報化大賞2015」で特別賞を受賞
木藤さんと田鹿さんの任期は残り一年。これまでそれぞれのミッションのもと個々に活動していた2人ですが、商店街のテナントの中に、東京から進出した企業のオフィスが入り、商店街の空き店舗にも「オフィス利用」という新たな手段ができるなど、ここにきて大きな一つの動きとして現場で連携をとる機会も増えました。
2人の活動は、次のステージへ進もうとしています。
木藤さん 商店街の店舗が増えたことは、ひとつの通過点にすぎません。次の世代にどうやってまちを継承していくのか、商店街が持続的に歩める仕組みをつくることが大切です。
これからこの商店街の中で人と人がどう関わっていくか、世代が違う人たちをどう結びつけていくか、ここからが本当の勝負です。互いに応援したいという気持ちさえあれば、どんなにきつい状況でもみんなで乗り越えることができる。市民同士が支え合う『応援の連鎖』のきっかけになれたらと思います。
そして先日行われた、木藤さんと田鹿さんから日南市民への経過報告会には、120人もの市民が参加。2人の話に真剣に耳を傾け、まちの未来に期待を膨らませていました。
熱気を帯びた、市民への経過報告会。市民からの質問なども積極的に発言されました
10年後、100年後に日南市の「資源」を残す
心身ともに日南に根を張り「市民」となった木藤さんと田鹿さん。まちの可能性を信じ、長所を活かし、そして誰よりも楽しみながら、市民と同じ目線でつくるという、ぶれない姿勢を貫いてきました。
木藤さんの商店街再生と、田鹿さんのマーケティング活動により、市民が自分たちの可能性に気付き、自発的に動き出し、人々がつながった今、日南市は言葉にできない「ワクワク感」と、思わず「何か一緒にしたい!」と思ってしまうような高揚感で溢れています。
2人が口をそろえて言うことは「ここがゴールではない」ということ。劇的に活気を取り戻し勢いづいている日南市ですが、常に10年後、100年後の未来を見据え、持続可能なまちづくりを摸索し続けています。
見事に蘇った油津商店街
あちこちで地方創生が叫ばれる今、地域の経済特徴を活かした戦略的なマーケティングやPR、人を主体にしたまちづくりが全国の自治体に必要とされてきています。
市民主導のまちづくりにおいて、宮崎県日南市は、間違いなくその先端を行く自治体のひとつ。木藤さんと田鹿さんが生んだ市民の熱量は、これからも周りをまきこみ、ますます大きなうねりをつくることでしょう。
商店街がどんなふうに息を吹き返したのか、日南市がどんなふうに元気になっているのか。気になったら、ぜひみなさんも日南市へ足を運んでみませんか?
(Text: 齋藤めぐみ)