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子どもを教えることは、未来のいつかに花咲く種を植えること。院内学級の“赤鼻のセンセイ”副島賢和さん × NPO法人「子どもデザイン教室」代表・和田隆博さん対談

特集「マイプロSHOWCASE関西編」は、「関西をもっと元気に!」をテーマに、関西を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、大阪ガスとの共同企画です。こちらの記事は、「NEXT STEP対談」。過去に登場していただいたみなさんが“人生の先輩”の胸を借りて次のステップを模索する場をgreenz.jpがプロデュースしました。

「子どもデザイン教室」の和田隆博さんは、親と暮らせない子たちが、社会で「生きていく力」を身につけてほしいと願い、デザインを教えています。以前、greenz.jpでご紹介した記事も大きな反響がありましたので、ご存知の読者さんも多いかもしれません。

子どもたちと向き合うなかで「子どもにとって、学ぶことは生きることそのものだなあ」と思っていたという和田さん。あるとき、副島賢和さんの著書『あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ』のページを開いて目を見張りました。

和田さん 「はじめに」の2ページ目に「学ぶことは、生きること」って書いてあって。「僕がずっと思っていたことがここに書いてあるやん!」ってビックリしました。

本を通して副島さんの広く大きな包容力を感じた和田さんは、「いつか副島さんとお話してみたい」と思い続けていたそう。そこで今回、greenz.jpが「マイプロSHOWCASE関西編」の企画として対談の場をご用意させていただくことになったのでした。

傷つきの深い子どもたちに向き合うおふたりが、子どもとの向き合い方、寄り添い方について重ねられた対話の内容を、ここでみなさんに共有します。

子どもを持つ・持たないに関わらず、かつては子どもであったすべての大人たちの心に届く言葉がたくさんあると思います。
 
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副島賢和(そえじま・まさかず)
1966年福岡県生まれ。89年、都留文科大学卒業。同年、東京都公立小学校教員として採用され、以後25年間、都立公立小学校普通学級担任として勤務。99年、東京都の派遣研修で、在職のまま東京学芸大学大学院にて心理学を学ぶ。2006年より品川区立清水台小学校さいかち学級(昭和大学病院内)担任。2014年より現職。学校心理士。小林正幸氏(東京学芸大学大学院教授)らと共に、「チーム仕事師」のメンバーとして「みどりの東北元気キャンプ」を行う。ホスピタル・クラウンとして、「パッチ・アダムス」として有名なハンター・キャンベル・アダムス氏(米国)の活動に参加している。09年、ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ)のモチーフに。11年『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK総合)にも出演。15年「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ ぼくが院内学級の教師として学んだこと」(学研教育みらい)を出版。

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和田隆博(わだ・たかひろ)
1961年大阪府生まれ。12年大阪市立大学卒業。「NPO法人子どもデザイン教室」代表理事。有限会社綿屋デザインファクトリー代表取締役として長年グラフィックデザイナーとして活躍。ある日、親と暮らせない子どもたちの存在を知り、2007年より「子どもデザイン教室」を立ち上げ、デザインを通して学習支援・学資支援・教育支援を展開。現在、里親として2人の子どもを育てながら、大阪市里親会理事も務めている。

一緒にいるうちに、子どもに何を伝えられるだろう?

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ホスピタルクラウンの赤い鼻をつけた副島さんと和田さん。子どもデザイン教室の前でぱちり!

和田さん はじめまして。やっとお会いできてうれしいです!

副島さん 僕も! それにしても、すてきなお部屋ですねえ。子どもデザイン教室では、どんな風にデザインを教えているんですか?

和田さん 例えば、自分で創造したゆるキャラを商品化して、最後には商品展示販売会をするという1年間のカリキュラムがあります。

18歳になって一人暮らしをしなければいけない子たちに、僕は将来を見通す力、習慣をつけておかなあかんと思うんです。だから一年先に商品を販売するためには、「今、何をしなければいけないか」を考えてもらうのはすごく大事だなと。

副島さん レッスンには、何歳くらいから参加していますか?

和田さん だいたい幼稚園の年長さんから高校3年生まで。一緒に同じことに取り組みます。遅れる子が出て来たら、みんなでその子を手伝うこともあります。

副島さん それ、すごいわかります。うちの学級もいろんな年齢の子が来ますが、図工の時間には同じ題材で、同じ素材を使ってその子に合うかたちでやっています。

和田さん 子どもデザイン教室の場合は、何年もつきあいがあるなかで、その子の問題もわかってくるので、いろいろなプログラムを組むことができます。

でも、副島さんのさいかち学級では、非常に短い日数で子どもたちに関わっておられます。短期間の関わりならではの難しさもあるのではないでしょうか。

副島さん 僕が担当する、さいかち学級に子どもたちが来る日数は平均4〜5日です。だから「この子に何を持って帰ってもらうか」を本当に削ぎ落としていきますね。

最初の一日の出会いで「この子が帰るまでに何をしようか」と考える。4日間、1週間でその子に、本当にちょっとでも「こういうオレもありかな?」「あ、そっか。先生に助けてと言っていいかもしれない」と思ってもらうにはどうしたらいいだろう? とか、そのぐらいまで削って、そのためにできることを考えていくんです。

その場で「助けて」と言えるようにはならないですよ。そんな簡単にできるようなことじゃない。「助けてと言ってもいいんだ」「言ってもいい大人がいる」と思ってもらえるようなプログラムをギュッとつくります。

そのために算数という教科を使うのか、お絵描きや手芸がいいのか、おしゃべりをしていたほうがいいのか。もちろん、時間割通りの学習もしますが、自分のなかのねらいはそこなんです。

学校は「わけのわからないことを一緒に考える場」でもある

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和田さん 教科学習を通して知識を積み重ねる教育の一方で、副島さんが今おっしゃったように「子どもに何を持って帰ってもらうか」をプログラムするような教育もあると思います。副島さんは、学校教育はどうあるべきだと考えておられますか?

副島さん 僕は、学校教育には二つの大きな柱があって、バランスよくやるべきだと思っています。

ひとつは「文化の継承」。教科学習などを通して、先人のやってきたことを文化として次の世代に引き継ぐために、自分のなかに受け継いでちゃんと身につける。だけど、今は教科指導が学校の大きな役割になりすぎているから、そこにいられない子たちがいっぱい発生しているのだと思っていて。

本来、学校にはもうひとつ、「わけのわからないことを一緒に考えて過ごす大事な場」という側面もあります。

「生きる」「死ぬ」「愛する」「家庭をつくる」とか、教師も答えを知らない、よくわかっていないことを「どうなんだろうね?」と一緒にやる。もしかしたら、子どもの方がよくわかっているかもしれないことを話し合う。

もっとそこを立ち上げてあげないと、いろんな人たちが一緒に生きていく世の中はつくれないだろうと思うんです。

和田さん 僕は子どもの頃、勉強がすごい苦手だったんです。副島さんは、子どもの頃どんな子どもだったんですか?

副島さん 小学校のときの先生に憧れて、教師になりたいと思っていたんです。だから、いろんな先生を観察してきましたが、大人だって間違っているときがあるって思ってましたね。

子どものほうが知識的に少なくても、子どもの方が正しいときもいっぱいある。大人になって、教員として関わるようになってからは、「子どもは小さい大人じゃない」と思うようにしています。

和田さん 僕も子どもデザイン教室を始めてから、子どもは「大人の未熟なもの」ではないと気がつきました。8歳の子は8歳の子、9歳の子は9歳の子として完成しているんやなあと。とにかく子どもは今を生きていて、「今」に関する知識をものすごくたくさん持っているし、今を生きる技術に長けているんです。

大人は過去の知識を持っていて、経験は多いけれど、人間としてどれだけできているかというと子どものほうがはるかにできています。約束はちゃんと守るし、嘘はつかないし、嘘ついても正直だからすぐにわかるしね(笑)

副島さん そうそう! 偉いなあと思います。嘘はついたらいけないって知っているし、できなかったときはちゃんとあやまりますしね。

わからないことにワクワクするのが「学び」の力

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和田さん 僕は、「学ぶ力」って、しょうもないことにでも面白がれる力やと思うんです。この教室でも、何かを教わるというよりは「これ何?」「どうなってるの?」と好奇心を持ってもらえるようになれたらいい。子どもたちが、「あ、ええこと思いついた!」って言うようになったら、もうオッケー!って感じです。

副島さん うんうん。学ぶということは、好奇心に尽きますよね。

和田さん やっぱり、そう思われますか!(ふたりでハイタッチ!)

子どもは今に生きているんだけど、それだけでなくもうちょっと前を見てほしい。もうちょっと、周りに誰かがいることに気がついてほしい。そう思っています。

副島さん 和田さんに「子どもは今を生きている」というフレーズをいただいて、「そっか、だからあの子たちは、大人よりもふっと動けるんだ」と、自分のなかでつながりました。

大人の場合は、否定的な自己イメージを持っている人は、過去もダメ、未来もダメ、ずっとダメだと思ってしまっています。でも、子どもは今を生きているから、自分はダメだと思っている子たちも、何かうまくいった瞬間やほめられたときに「よっしゃ!」って、肯定的なイメージにふっと行くことができるんですよね。

教育って、どんなに否定的なイメージに入る子たちにも「自分は自分のままでいいんだ」「自分は愛されているんだ」と思える瞬間を、仕組むことができるんですよ。子どもを見てて、僕はそれが面白くて、うれしくてしょうがないのかもしれないです。

和田さん よく、テレビなどの取材で「レッスンを通して子どもたちはどう変わりましたか?」と成果を求められるんです。でも、1年や2年で成果が出るようなものじゃないですよ、教育って。たぶん、大人になって気づく、わかってもらえると思います。

副島さん 種を植えるだけですよね。あとは、自分で花を咲かせる方法を伝えるしかないですよ。

教師の仕事は「仲人と通訳」です。

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和田さん 子どもデザイン教室の“裏コンセプト”は「子どもの居酒屋」なんです。子どもたちが怠そうに「こんちわ〜」と入って来て、ぐちを言うて笑顔で帰っていく。僕は、ぐちを全部受けとめてがっくりして、反省だらけで終わるっていう(笑)

副島さん ああ、同じですね。僕の教室を見に来てくれた東ちづるさんは「ここ、駄菓子屋ですね」って言ってくれました。

僕は、教師の仕事って仲人と通訳だと思っています。「仲人」として、いろんな人やことと結びつけたり、いろんな教材や本との出会いを体験してもらい、「通訳」として言語的に未熟な子どもたちの言葉を、他の子に伝えてあげるんですね。

たとえば、教室で「アイツを殴りたいんだ!」と暴言を吐く子がいて、他の子たちには「あの子は乱暴だ」というイメージがあったとして、先生が「お前はまたそんなことを言って!」と叱ると、その子の乱暴なイメージがうわーっと膨らみます。

でも「そうかあ、殴りたいなあってなるくらいにつらかったんだね」と、先生が通訳してあげるだけで他の子たちのその子に対するイメージがふわっと変わる。「あの子、イヤな思いをしたんだな」になるんですよね。こうして通訳してあげることも、子どもに関わる大人の大事な仕事だと思っているんです。

和田さん すごい、もう! むっちゃ涙出てきた……(笑) 今年一番の電撃チョップですね。

副島さん 教師に対しては「プロなんだからそれをできるようになろう」って思います。その子の持っている本当のメッセージを他の子に伝えてあげるために、そのアンテナをどれだけ高く、研ぎ澄まして持てるかです。

ケアする側のケア。「助けて」と言える場所を持つこと

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和田さん 本を読んでいても、こうしてお話していても、副島さんには大きな包み込みというか、平易な言い方をすると「愛」があるのを感じます。僕は失敗の繰り返しで、全然うまくいかないことばかりで……。

昨日、子どもが私のiPadのLINEを勝手に読んでいたので、「人のものを見たらあかんやん」と強めに言ってしまったんです。そしたら、その子はシューンとなってしまって。気にしてくれているんですよね。「ああ、しまったー!」と思いました。どんな言葉で、どこまで言えばよかったんだろうって。

副島さん たぶん、僕のキャラクターだったら、見られた瞬間に「あっ、エッチ!」て言うと思います。

その子に伝えたいのは「プライバシーに踏み込んではいけない」ということ。そのために、どういう声かけをすればいいかなって考えます。でも「見られるのはイヤだ」という自分の感情があることも伝えなければいけないし、そのバランスをとるのは難しいですね。

感情が先に出たことを伝える人は、世の中にたくさんモデルがいるので、そうじゃないモデルを見せたいなと思っています。そこが、がんばっているところかなあ。「わっ!」てなってしまって、後で「ごめんね」と言うこともいっぱいあります。

和田さん そういう際の、ケアする側のケアはどうなるんでしょうか?

副島さん いろんなところに「助けて」って言える場所を持っています。自分の汚い感情をちゃんと伝えられる場所を持っていないと、人のつらい感情を聞くのは無理です。苦しいので。

僕みたいな教師が学校にいることは、ある先生たちにとっては迷惑なんですよね。考え方が違って難しいことがいっぱいあったとき、「そういうあなたでいいよ」と言ってくれたのが、東京学芸大学教授で、日本カウンセリング協会認定スーパーバイザーの小林正幸先生でした。

だから、心理的に傷ついたり、苦しくなると会いにいきます。話をしないで握手だけして帰ってきたり、何か一緒に別なことをして過ごして「ありがとう、先生またね」と帰ったりね。あと、病院のなかのことは一緒にやってきた同僚に話しますし、家族の存在もありがたいですね。

そんな悲しみや怒りを捨てられない時は、すごくイヤな親父になっていますよ。満員電車のなかで「この戸袋のポジションを確保したのはオレだ!」みたいな(笑)

和田さん あははは(笑) そうなんだ。

副島さん あとは、キャンプに行って火に触れるのもいいですね。誰にも言えないことがいっぱいあるから、火を触りながら先に空へ行ってしまった子たちと会話する。「どうする?」「しんどいよぉ」っていうのはあるかなあ。和田さんはどうしていますか?

和田さん 脳性まひの障がいを持つ小児科医の熊谷晋一郎さんは、「自立とは依存先を増やすこと」だと言っておられましたが、なるほどなあと思っていて。

だから僕も、けっこう周りの人たちに「しんどい」と言います。子どもデザイン教室の監事をしてくださっている、アトリエインカーブの今中博之さんは、ときどき僕の溺れる心をレスキューしてくれる人です。話した後は「あれ? しんどくなくなってる」ってなるんです。そういう人って大事ですよね。

副島さん 本当にそう思います。和田さんとこうしてせっかくお会いできたので、何かあったらいつでも会いにきてください。

和田さん 今日は本当にお会いできてよかったです。ありがとうございました!
 

(対談ここまで)

 
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お別れのとき、笑顔でハグするふたり。「別れの握手は、ここに存在残して消えていかなければいけないんですよ」と副島さん。

対談の最後には、思わず涙があふれてしまった和田さん。「たぶん、今日から子どもデザイン教室の教え方は大きく変わります」と大きな笑顔を見せてくれました。

おふたりの対話を見ていると、「もし、子どもが大人の言葉を使えたら、こんな風に話し合うんじゃないか」と思えてしかたありませんでした。そして、子どもには子どもの、大人には大人の、それぞれの年齢にしかない可能性があるのだと思えてくるのです。

子どもが大人から学ぶのと同じくらい、大人が子どもから学べることはきっとたくさんあります。そして、大人と子どもが共有できること、一緒に考えるべきテーマもいっぱいあるに違いありません。

そのチャンスを持てるかどうかは、子どもと向き合うときの大人のあり方次第。子どもたちはきっと、大人が膝を落として自分たちと目線を合わせて、言葉を聴き取ってくれる瞬間を、待っていてくれるのではないでしょうか。

(撮影:浜田智則