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予期しないものが生まれるからおもしろい! 知的障がいを持つ人たちを含むアーティスト集団「音遊びの会」が生み出す、自由度の高い即興音楽とは?

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ある音楽に出会ったときの、激しく胸をつかれるような衝動。みなさんは音楽との出会いで、言葉に言い表せないほどの感動を経験したことはありませんか?

私には、あります。それが今回ご紹介する、「音遊びの会」の奏でる音を聞いたときでした。

「音遊びの会」は、知的な障がいを持つ人たちを含む神戸発のアーティスト集団。音楽療法やチャリティーとは異なる次元で音を追及し続け、「予定調和を許さない」即興的に生み出された彼らの音楽は、人々の心をとらえて離さない魅力に満ちています。

昨年2015年には結成から10周年を迎え、3月13日には記念公演を開催予定。現在も勢力的に音楽活動を続けている「音遊びの会」代表の沼田里衣さんにお話を伺いました。
 
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沼田里衣(ぬまた・りい)
音遊びの会代表。大阪市立大学博士研究員。誰でも参加可能な「おとあそび工房」をはじめ、知的障がい者、乳幼児、高齢者との即興ワークショップや公演活動を行い、価値観の違いをこえた音楽づくりの研究を続けている。日本音楽療法学会認定音楽療法士。学術博士。

音楽を通じたゆるやかなつながりから、活動スタート

「音遊びの会」が結成されたのは、2005年のこと。自身も、幼いころからピアノを弾いてきた沼田さんは、神戸大学の大学院生時代、さまざまなライブハウスに通ううちに、現代音楽や即興音楽に興味を持ち始めたといいます。

当時、ノイズ音楽などを中心に実験的な現代音楽を展開していた大友良英さんをはじめ、ライブハウスに出入りしていたミュージシャンたちに刺激され、即興音楽に没頭していったという沼田さん。

時を同じくして、大学院で音楽療法を学び始め、実践していくうちに、療法を通じて生まれる音楽がおもしろいと感じたのだとか。

いいセンスを持っている人たちなのに、音楽療法の領域ですから、外の人たちに知られることがない。すると私の中で、この素晴らしい音楽性をシェアできないことに違和感がでてきて。「どうにかできないのかな」と、当時抱いた疑問が、「音遊びの会」の出発点になりました。

そうした意識を持ち始めた頃、障がい者の芸術文化活動を支援する「エイブル・アート・ジャパン」の存在を知った沼田さん。

音楽仲間たちに声をかけて障がい者のメンバーを募集し、「エイブル・アート・ジャパン」助成金を受けられることに! このような音楽を通したゆるやかなつながりの中で、「音遊びの会」が生まれたのです。

予期しないモノが生まれるおもしろさ

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UKツアーにて。

現在「音遊びの会」には、障がい者16人と30名以上のミュージシャンやアーティスト、さらに保護者も含めた多くの人々が所属しています。活動は、月に2回開催されるワークショップを軸に展開。北海道、水戸、東京、山口、イギリスなど遠征公演も実現させ、彼らの楽曲が映画やドラマで使用されるなど、活動の幅は多岐にわたります。

月に2回のワークショップでは、決められた時間の中で、メンバー全員が歌や楽器演奏、ダンスなどを披露していきます。それぞれの持ち味を活かした舞台ですが、ステージで寝転がっていたり、ドラムのスティックを投げる子どもがいたり…一見、「ハプニング?」と思えることも起こります。けれど、その予想しない出来事こそが、「音遊びの会」が織りなす、素晴らしい音の要素でもあるのです。

予期しないモノをどういう風につくり出すのかということは、私の中でテーマになっていて。「こういうものをしよう」と企画しても、たいていはまったくちがうモノができるんです。

私の思い通りになってしまうと、それは企画の枠に中にはまってしまう。けれど、意図していたことと違うモノが見られたら、「それぞれがしたいことをできた」ということだと思うんです。

ワークショップ後半では、全員が参加するビッグバンドのステージが始まります。

ゲストアーティストが登場し、ミュージシャンが演奏しているところに、障がい者のメンバーが1人、また1人とステージに上がり、自然とセッションがスタート。すると気分が盛り上がって来るのでしょうか、その人数がじわじわと増え、徐々に大きなバンドになっていくのです。

その大きくなっていく様子や紡ぎ出される音を鑑賞していると、自由さに圧倒されるばかりか、「どこまでが演出されたもの?」「ゲストは誰だったっけ?」と境界線が分からなくなる瞬間があります。この心地よい混乱や独特の緊張感が、私たち、観るものを魅了してやみません。
 
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ワークショップにて、ゲストが歌い始める。この日のゲストはテニスコーツ

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どんどん人が増えて、最後はビッグバンドで演奏! この変化を眺めるだけでも、おもしろい。

このような即興性が高いステージを演出するコツは、あるのでしょうか。

活動初期の頃に、話しあったことがあって。その時に、サポートに徹して「上手に演奏しよう」とすると、逆に表現を弱めてしまうという声がありました。

だから、「もっと本気でぶつかってセッションしたい!」とミュージシャンたちが言い出したんですね。一方で、ぶつけてばかりいても音楽として成り立たない…

だから、状況に応じて自分の役割を変化させると言う人もいれば、もっと引いた視点で、「枠組みづくり」を重要視するメンバーもいたりして。いったいどこまでを、「音楽」と呼ぶのだろうという議論に結論はなかなか出ません。

知的な障がいを持つ人たちですから、ステージも一筋縄にはいきません。公演本番中に客席を動き回ったり、気分によっては演奏しない…なんてことも。けれど、その状況を、参加アーティストがトークでおもしろくする、という展開も起こります。

子どもたちの言動をどう捉えるかによって、舞台も大きく変わってくるんですよね。だから、「おーい、○○くんなにやってんだよー」とか言って笑いを誘うとか、音楽だけではなくて言葉で雰囲気をつくることもあるわけです。

「場の枠組み」を考えているといろんな変化は受け入れやすくて、型通りではないステージになっていくのでしょうね。

色めがねが外れる、フラットな関係

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神戸市にある旧グッゲンハイム邸にて行われたライブの様子。

「音遊びの会」のステージを見ていると、アーティストと障がい者の関係性がフラットであることに気づきます。誰が中心を担っているのかわからない状況が頻発し、観ている私たちの「有名アーティストである」「あの子は障がい者なんだ」という色めがねがなくなるのです。沼田さんが言葉を続けます。

静かにならない状況を無理に静かにさせるのではなく、静かにならないものを楽しむようにするとか、爆音でうるさいのならその爆音を楽しむとか。そういう風に「価値観を転換する」ことは重要です。

そして、もうひとつ大切なのは「役割を交代する」こと。ワークショップの仕切りも、今は私だけではなく、ミュージシャンや、学生が行うこともあります。

そうして空気を入れ替えていくと、いろんなものが循環して、場がどんどんおもしろくなっていくんです。「フラットな空気」って、そういうところから生まれているのかもしれませんね。

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2015年に成人を迎えたメンバーも。ライブ会場は、祝福するあたたかい空気に包まれました。

また、障がい者にはそれぞれの得意分野があります。けれど、それらも訓練して意図的に生まれたものばかりではないようです。

障がい者の子どもたちが、できなかったことをできるようになったときは「おおーっ」と歓声が上がるほど喜ぶ。しかし一方で、何かを会得しスタイルができていくことによって、型にはまりすぎてしまうという側面もあるようです。

ゲストアーティストが来ると、彼らは子どもたちの「前提」を知らないので、予想外のことが起こるんです。すると「あっ、この子のこういうところもいいじゃない!」という発見があったり。

けれど、ゲストと子どもたちとの関係は、はじめは上手くいかないように「見える」んです。

例えば、Aちゃんという障がい者の子どもは、いつも決まったパターンの歌を歌うんですよ。すごく素敵だから、公演の中では一つの目玉として扱われていて。けれど、先日のワークショップでは全然歌いださなくて、小さな声でずっと呟いてるような感じでした。

その様子を見たレギュラーのメンバーは、マイクスタンドを調節したり、楽器を与えて、支援しようとしたんです。本人がどう思っているのか、私たちにはわからないですし、緊張していたのかもしれない。だから「助けてあげなきゃ」と思ってしまったんですね。

けれどゲストアーティストは、彼女の言動をじっと見守ったんです。すると、Aちゃんの新しい表現が生まれた。その時に、うまくいっていない状況も楽しめば、新しいものが生みだされていくのだと改めて気づきました。

ゆるやかに受け入れて、お互いが生きやすく

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音楽療法やチャリティーとは一線を画す、「音遊びの会」。最近では、「アーティスト集団」として認知されるようになりましたが、理解を得るのに数年はかかったのだと、沼田さんは話します。

活動を始めた頃は、障がい者と音楽をしているというだけで、チャリティーだと思われることが多くて。

取材を受けた際に「音楽療法とは違うんです」と言ってても記事には「音楽療法バンド」と書かれたり… 慈善活動とは違う、「アーティスト集団」の音楽活動なのだということを理解してもらうのに時間がかかりました。

常に実験を繰り返し、その一瞬にしか出会えない音を生み出すチカラ。それは、知的障がい者だからできるストレートな表現や状況を楽しむ能力があるからなのでしょう。結成当時は6歳から35歳だったメンバーたちも、今や成人メンバーがほとんど。それでも、メンバーの保護者と一緒に未だに彼らのことを「子どもたち」と言う沼田さんからは、家族のような愛情を感じます。

多くの方に支えられて10年も活動を続けてこれました。私の基本的な衝動には、「ぐちゃぐちゃにしたい」っていうのがあって。それは、単なる「混沌」とも違うんです。

例えばロンドンの街に行くと、色んなルーツの人がいて、バスに乗ると車内で色んな言葉が飛び交っている。普通の英語なんだけれど、一瞬わけのわからない状況が生まれるんです。

目的や価値観は違うんだけど、色んな人が一緒にいる。そんな状況が好きなんですよね。「障がいがあるからかわいそう」という価値観ではなくて、障がいの有無は一切関係なく、地域社会でもうちょっとゆるやかに受け入れられたなら、障がい者も受け入れる側もお互いに生きやすいのではないかな。そんな世界がつくれたらいいなと願っています。

社会側に求められる、「価値観の転換」とは?

これからも、障がいのある人たちと一緒に、新しい領域を開拓していきたいと語る沼田さん。

障がいのある人たちが音楽や文化を担う存在になってほしいなと、常々思っていて。

これまでなかったような表現形態や、「こんな表現もおもしろいんじゃないかな」というものを一緒に探り、つくっていきたいんです。音楽だけではなくて、コントなのかもしれないし、どんどん新しいやり方を取り入れていけたらいいですね。

障がい者が社会で活躍できるかどうかって、実は社会の方に問題があって、受け入れる社会の「価値観の転換」が求められているのだと思います。

障がい者が社会に出たときに、健常者の人々が彼らのことをちゃんと理解して、障がい者が生きやすいようにする。そんな社会側の変化を起こしていきたいです。

「音遊びの会」のワークショップや公演に訪れると、メンバーに突然話しかけられたりして、思わぬコミュニケーションが生まれることも多々あります。もしその彼が知的障がい者でなければ、こういう会話も生まれていなかったかもしれません。私たちの捉え方や感じ方を少し変えれば、これまで経験したことのないコミュニケーションや新しいコトがもっと起こるのではないでしょうか。

3月13日(日)には10周年記念公演「ほんもののたんじょう」が開催されます。「音遊びの会」が織りなす音、そしてライブでしか味わえない圧倒的なエネルギーや心地よい混乱を、ぜひ体感してみてください。他のライブとは違う、ここでしか得られない深い意義や感動にきっと出会えるはず。
 
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10周年記念公演は、神戸にて。随時、寄付の受付も。