田舎で生まれ育ったみなさんに質問です。地元は好きですか?
「好きだけど、文化施設や新しい人との出会いがなくて物足りない」と都会で暮らしている人、「何か地元で面白いことができたらいいんだけどな」とモヤモヤしている人も多いのではないでしょうか。
実は私もそのひとりです。故郷の茨城はのどかで暮らしやすいなぁと思いながらも、刺激のなさに退屈して東京に出てきました。
それが最近、実家から車で30分程のところにある結城市で面白い動きが起こっているようなのです。結城は鎌倉時代から続く城下町の面影を残したまち。面積は65㎢、人口は5万人強と決して規模は大きくありませんが、まちの魅力を活かしたイベントを開き、広く注目を集めています。
その代表例が、まちなかの見世蔵や空き店舗、神社の境内を舞台にした「結い市」です。クリエイターが個性豊かな作品を展示したり、アーティストがパフォーマンスをしたり、親子で楽しめるワークショップが開かれたりと、まちを挙げての文化祭といった雰囲気。毎年10月の土日に2日間限定で行われていて、昨年は2万人が来場しました。
3月に開かれるのは、「結いのおと」という音楽祭。明治時代から続く老舗の紬問屋や情緒ある日本料理店がその日限りの特別なライブ会場になります。有名アーティストが結城の伝統素材である結城紬を着て歌うことも。
クリエイターが家主へのヒアリングを重ねて製作した「結い暖簾」も見どころのひとつ。イベント期間中は、こうした古さと新しさの融合があちこちで見られます。
一連の活動の名前は「結いプロジェクト」。どんなきっかけで始まり、どうやってここまで広がったのでしょうか。代表の飯野勝智さん、事務局の野口純一さんにお話を伺いました。
まちなかを出展会場にした理由、できた理由
飯野さんの家は、結城で7代続く左官屋です。地元の蔵や古民家の壁を塗る父親の背中を見て育った飯野さんは建物に興味を持つようになり、宇都宮大学で建築学を専攻。結城に戻り、NIDO一級建築士事務所を開業しました。
飯野さん 建築を学んでいろんなまちを回る中で、結城の魅力に気づいたんです。
結城は良くも悪くも、ずっと変化しなかったまちなんですね。昔と同じ細い路地や建物、神社仏閣が残っていて、コミュニティとして機能している。そうしてまちの人たちが代々残してきてくれたものを広く伝えていきたい、もっと人が交わる場にしたいと思いました。
飯野さん
「かまわぬ」とのコラボで製作した手ぬぐい。古い地図が元になっていますが、くねくねした路地もいまとほとんど変わっていないそう。
結城で何か新しいことができないか。同じ頃、同じ想いを持っていたのが野口さんです。
野口さんは結城の隣の古河出身。アパレル企業から結城市商工会議所に転職し、第三セクターの株式会社TMO結城でまちづくりを担当することになりました。TMOとは“タウンマネージメントオーガニゼーション”の略で、行政と民間をつなぎ、まちを総合的にプロデュースする機関です。
野口さん 自分の担当事業を立ち上げたいと思っていたときに飯野くんと出会い、同い年ということもあって意気投合したんです。もともと飯野くんが持っていた「結い市」の構想を役員会でプレゼンし、TMOの事業として行うことにしました。
野口さん
2010年、健田須賀神社の境内で第一回「結い市」が開かれました。しかし、天候には恵まれず、消化不良感があったそう。その悔しさをバネに、翌年は会場をまちなかに広げて開催しました。
飯野さん お店を点在させれば結城のまちを歩いてもらえるし、見世蔵を使わせてもらったらほかにはない情緒あるマルシェになるだろうと考えました。
“千年前から続く街に僕らの風が立つ” が「結い市」のキャッチコピー。
明治初期から大正期にかけて、結城では蔵造りの建物が数多く建てられました。現在でも31棟の見世蔵が残っていて、結城紬の卸問屋や味噌・酒の醸造蔵として使われているものもあります。
ただ、これらの建物は一階が店舗や工房、二階が住居になっているケースがほとんど。現役の店舗にしても空き店舗にしても、他人に貸すのを嫌がる人が多い気がしますが…。
野口さん 一軒一軒回ってコンセプトを説明しました。入り口として僕が商工会議所に属していたのは大きかったと思います。公共団体ということで信頼してくれて、話を聞いてもらえました。
飯野さん そこで僕の実家の話になると、「なんだ飯野さんとこの倅か、うちの蔵も飯野さんに塗ってもらったんだよ」と一気に距離が縮まるんですね。公共性と地元感と両方揃っていたから、「よくわからないけど、とりあえず協力するよ」と言ってもらえたんだと思います。
家主と出展者の関係づくりも丁寧に行いました。まずは出展者向けに、結城の歴史や物件の特徴を紹介するツアーを実施し、希望を聞きます。それを元に、事務局側で相性も加味してマッチングしました。顔合わせの後も出展者は何度か通って作品を家主に紹介し、掃除も手伝います。
一般的なマルシェに比べて出展者の手間は倍以上。面倒に感じる人もいるのでは…と思ってしまいますが、そうしたコミュニケーションを重ねることで出展者も結城に対して思い入れを持ってくれるそう。「結い市」が終わったあとも関係が続くといいます。
飯野さん 当日までに仲が深まっているから、家主さんが店番を手伝ってくれたりするんですね。「私が見ているから、いまのうちにお昼ごはん食べちゃいなさい」とか。「会場を貸している」というより、「一緒に出展している」という感じになるんです。
野口さん 出展者さんも何度も通うことで会場の特徴を掴んで、場の持ち味を活かした展示をしてくれます。去年も古びた倉庫がお洒落なカフェのように変身して周囲を驚かせました。自分の店や蔵がそんな風になったら家主さんも喜びますよね。それを見て隣の店が「来年はうちも貸したい」と言ってくれたりして、いい循環が生まれています。
「結い市」をきっかけに酒造や味噌醸造に興味を持ち、後日見学に訪れる人も。
結城というまちを次の世代につなぐ
「結い市」を通してできた市内外の人とのつながりから、新たなプロジェクトも派生していきました。そのひとつが、2014年から行っている「結いのおと」です。今年も3月20日に開催する予定で、七尾旅人や空気公団、ビューティフルハミングバードなど出演者も豪華な顔ぶれです。
野口さん 普段はかなり大きなコンサート会場やフェスで歌っている方々が、こんなローカルなお店をステージに歌ってくれるんです。結いのおとのコンセプトを汲んで、結城紬を着てくれる人もいます。本当にありがたいなぁと思います。
影響力のあるアーティストやクリエイターがやってくるということは、そのファンにも結城の名前が知られるということ。結城の知名度は少しずつ上がってきているようです。
マスキングテープを製作するカモ井加工紙が全国で「mtスクール」という教室を開いたときも、茨城会場として結城が選ばれました。
茨城で一カ所というと、普通は水戸やつくばが会場になるものです。SNSを通して「結い市」「結いのおと」の盛り上がりが広まり、「結城は面白いまちだ」と認識された結果ではないでしょうか。
昨年夏に開かれたmtスクール茨城教室。たくさんの人が訪れ、マスキングテープを使ってうちわやモビールを製作しました。
イベントだけでなく、普段の結城にも少しずつ変化が生まれています。たとえば2013年には、昭和初期に酒造蔵元の別荘として建てられた古民家を活用した「御料理屋kokyu.」という新しいお店が生まれました。
オーナー夫婦は前年の「結い市」にお店を出した方々です。趣ある佇まいと旬の素材を使った丁寧な料理で、瞬く間に人気店になりました。
また、100年の歴史を持つ結城紬の製造問屋・奥順は、新たな形態のお店として「結城 澤屋」をオープンしました。作家や他産地とコラボレートした帯や、結城紬と合わせて使いたいこだわりの小物などを展示販売し、結城紬の魅力をこれまでとは違った視点から伝えるお店です。
店長の薮谷さん曰く、「結いプロジェクトを通して結城の可能性を感じ、新たなチャレンジに踏み切ることができた」とのこと。地元の老舗店も、結いプロジェクトの活動に心を動かされているのですね。
次回の「結いのおと」の打ち合わせをする野口さんと薮谷さん。
2015年には、結いプロジェクトの新たな試みとして創業支援セミナー「城プロジェクト」を実施しました。結城の地域資源を活かして新業態や新規創業にチャレンジする若者を増やすための企画です。
ロールモデルとなる先輩起業家の事例を学び、結城の遊休不動産を見学し、講師と一緒に起業プランを練るという内容で、最後は結い市でプランをプレゼンテーションしてもらいました。
野口さん 講師のみなさんは自分の力で事業を立ち上げて成功してきた人たちなので厳しくて、参加者が考えたプランをバッサリ斬っていくんです(笑)
結果、実際に起業しようという人はいませんでした。逆に、すぐにでも脱サラして起業しようとしていたけれど、もう少しじっくり準備をしてからにしようと思いとどまった人がいたほどです。
でも、それもひとつの成果ですよね。やみくもに起業すればいいというものでもありませんから。僕たちはこれからも参加者を関わりを持って、サポートしていく予定です。「結い市」や「ゆいのわ」でテスト出店して経験を積んでもらい、ゆくゆくは本当にお店を出してもらえるといいなと思っています。
結いプロジェクトのメンバーが空き家をリノベーションしてつくったまちづくり拠点「ゆいのわ」。ギャラリーやショップ、打ち合わせ場所として活用されています。
全国の市町村と同じく、駅前商店街のシャッター通り化が進む結城。結いプロジェクトの最終目標は、活動を通してたくさんの人に結城の魅力を伝え、「結城でお店を開こう」と挑戦する人を増やすことだといいます。
飯野さん 結城というまちを次の世代につなぐ橋渡しができればと思っています。それが結局は、僕ら自身が結城で楽しく暮らせる環境をつくることにつながりますから。
自分たちがやりたいことをするために、借りられる力は全て借りる
昔を知らずにいまの結城の盛り上がりを見た人は、「結城は街並も綺麗だし、結城紬のような伝統産業も昔ながらの味噌醸造・酒造も残っているし、TMOのような組織もあるし、行政や地域の人の理解もあるし、条件的に恵まれていたからうまくいったんだ」と考えるかもしれません。確かにそうした側面もあると思います。
しかし、古いまちは豊かな文化資産がある一方で、住んでいる人が保守的になりがちです。結城でも、目立つことをすると叩かれる傾向があったよう。そうした中でこれだけまちの人が結いプロジェクトに協力してくれるのは、飯野さん・野口さんがまちの人の気持ちを敏感に感じ取り、トラブルには真摯に向き合い、丁寧に関係を築いてきたからではないでしょうか。
飯野さん 最初からこんな環境が整っていたわけじゃないし、本当にひとつひとつ積み重ねてきたことの結果だと思います。
地元のお店に一軒一軒足を運んで、出展してもらいたい人に一人ひとり声をかけて。顔合わせをした後も、相手には言いづらい不満が絶対に溜まっていくものなので、何度もヒアリングを重ねて。そこまでやっても何かしかのすったもんだは起こります。
でも、地道に対応して関わりを深めていったことで、徐々にまちの人の受け入れられるようになって、できることが大きくなってきたなと感じています。
また、TMOは1998年に施行された中心市街地活性化法を受けて全国で次々と設立されましたが、意思決定の遅さやマネジメント能力の不足、民間からの反発などからどこも充分に機能しておらず、“行政主導のまちづくりの失敗例”と言われることも多い存在です。
TMO結城もほかのTMOと比べて特別優れていたわけでもなく、形骸化していた部分もあったように見えます。しかし、野口さん・飯野さんは上手に行政を活用し、自分たちのやりたいことを実現しました。
野口さん 僕らとしてはあまり「行政」「民間」という括りにはこだわっていなくて、単純に自分たちが面白がれることをやるために、借りられる力は全部借りたという感じです。
確かに形だけになっていた部分もあるかもしれませんが、TMOは地域に入り込んでいくいい足がかりになったし、好き勝手やらせてもらえました。応援してもらえたし、何かあったときは楯になってもらえたし、本当にありがたかったです。
行政は火を使うイベントに厳しいものですが、昨年の「結い市」では神社でファイアーパフォーマンスも行われていました。
ただ、今後は結いプロジェクトの組織形態も変わっていく見込みです。これまではTMOの事業のひとつとして活動してきましたが、今後はNPOとして独立しようと考えているそう。
野口さん 実は、「城プロジェクト」のプレゼンテーションの日、講師たちから「まずは結いプロが覚悟を決めて起業しろ」と詰められ、その場で独立宣言しちゃったんです(笑)
でも、僕らも以前から、事業の成長に合わせて結いプロ自体も変化させていかなければ、という想いは持っていました。まちとしてもひとつのところにずっと補助金を出すのは望ましくないだろうし、事業そのものの売上で回せるようにならないといけません。
また、いままでは人件費ゼロで、基本的にみんなボランティアで関わってきました。でも、いつまでもこの体制でいくのは厳しいとも感じています。そういう意味で、長く続けていくために背中を押してもらったのかな、と思います。
行政の制度や補助金を活用して始まった事業が軌道に乗り、民間で回せるようになる。理想的な流れですね。既に、「結いのおと」はチケットの売上で運営費が賄える仕組みになっているといいます。
最後に、結いプロジェクトのように地元で何かしたいと思っている人に向けて、アドバイスをお願いしました。
飯野さん 僕も20代の頃はどうやったら結城で面白いことができるだろうと悶々としているだけでした。でも、動き出すのってちょっとしたきっかけなんですよね。結局は人なのかなと思います。想いを共有してくれる仲間が集まることで、1+1が2以上になるんだ、と実感しています。
結いプロも、学生に会社員にデザイナーに…と多様なメンバーがいるから成り立っています。最初は数人だったのが、10人、20人、30人と増えていき、活動の幅も広がっていきました。最近はJCやロータリークラブといった少し上の世代の人も興味を持ってくれていて、可能性を感じています。
いまはSNSもあるし、同じ想いを持っている人とつながりやすい時代ですよね。まずは想いを発信して、集まってきた仲間と一緒に形にしていくのがいいんじゃないでしょうか。
市内外から集まった結いプロジェクトのメンバー。商人の証・前掛けがトレードマークです。
建築の勉強で白川郷に行ったとき、住民が共同で屋根の葺き替えや田植えを行うことを“結い”というと知った飯野さん。「そんな風にみんなの力を合わせることでまちを盛り上げられたら」という想いを込め、活動を結いプロジェクトと名づけたといいます。まさに名前の通りの展開になったというわけですね。
飯野さん 1年目は天気が味方してくれなくて、2年目もだめで、「次こそは」と思っているうちに協力者が増えて規模も大きくなっていきました。最初から成功していたら満足しちゃったかもしれません。
4年目はテレビに取り上げられて来場者数が一気に3万人になったんですが、人でごった返す結城を見て「ただ人が来ればいいのか、もっと丁寧なコミュニケーションをつくりたいんじゃないか」と自分たちがやりたいことを考え直すきっかけになりました。一方で、その混乱を経験したから「次は何が来ても大丈夫」という自信がついたし、翌年からは道路を歩行者天国にすることができたんです。
振り返ってみると、活動を続けさせてくれる出来事が毎年用意されていたなと思います。だいぶ都合良く解釈しちゃってますけどね(笑)
逆境もトラブルも都合良く解釈して今後の糧にする。予想外のことが起こるまちづくりでは、そんな姿勢も大事なのでしょうね。
結城のまちで大きなうねりになろうとしている結いプロジェクトも、最初はたったふたりの「結城で何かしたい」という想いから始まりました。まちを変えるのは、小さな挑戦の積み重ね。そう考えると、「自分もできることから始めてみよう」と、勇気が湧いてきませんか?