トレックリングのお店の前にて。右がお話を聞いた沼倉さん。左はスタッフの大友さん
山ガールなんて言葉が流行ったように、トレッキングは多くの人の心を掴んで一種のブームのようになりましたよね。最近では“トレラン”といって、トレッキングとランニングを合わせたスポーツが生まれていますが、今回は更に新しい大自然での遊び“トレックリング”というものをご紹介します。
奥多摩地域でレンタサイクル・トレックリングの店「トレックリング」を開業し、地域と人を結ぶ沼倉正毅さんは、自転車の利点を存分に活かして、新しい観光と人のつながりをつくっています。
機械設計・製造が主の有限会社テクノムを経営しながら、トレックリングを開業し、同店の店長もつとめる。趣味は、自転車とウインドサーフィンという根っからのアウトドア派である。奥多摩・青梅地域で働き、暮らし、新しい人の流れを作っている。
トレッキング × サイクリング = トレックリング
トレックリングというのは、トレッキングとサイクリング、ふたつの言葉を掛けあわせてできた言葉で、それがそのまま店名になっています。自転車を使って、奥多摩・青梅の自然を楽しんでもらうことが目的です。
山登りに使う方、地域の観光名所めぐりをする方はもちろん、本格的に自転車を乗る方が、友人の初心者を連れてくるときに利用してくださる場合もあります。奥多摩は自転車の聖地のひとつなんです。東京で一番標高が高い道路があって、1000m以上の峠を走ることができます。
トレックリングとは、一言で言うと、レンタサイクル事業。大きな観光地でよく見かけますが、トレックリングには、他のレンタサイクルと違う特徴が3つあります。
1つ目は、スポーツバイクに特化していること。クロスバイク、マウンテンバイク、さらに驚きなのが電動のスポーツバイクまであります。2つ目は、山間部にて、レンタサイクルの事業をしていること。そして最後は、20kmほど東京方面に下り坂を進んで青梅市にある協力店に返却する、いわゆる乗り捨てができることです。
この乗り捨てにより、奥多摩から青梅までの長い下り坂を気軽にたのしむことができるのです。
私は現在、製造業の会社経営もしているのですが、製造業という仕事の浮き沈みをいっぱい見てきました。トレックリングを始めるタイミングは、私たちの会社が本当に落ち込んでいる時で、先代とも“いよいよまずいかもしれない”という話をしていました。
元々、自転車が趣味でよく走っていたのですが、この先、会社はどうなるんだろうという、大きな不安を少しの間でも忘れようと、奥多摩から青梅までおもいっきり自転車で走りました。
そのとき “風を切って山を自転車で下っていくこと” は、他の人にとっても楽しいことなんじゃないか、と思いついて。早速、その次の日の朝の打ち合わせでアイデアを提案してみました。
せっかくこんなに自然があって、昔からの観光地でもある奥多摩・青梅。土日を使って観光の仕事もしてみるというのはどうだろうか。こう提案した沼倉さんのアイデアはなんと二つ返事でOK! 早速開業に向けて動き出すことが決まりました。
しかし、まずは開業のための資金を調達する必要があります。自転車の購入、お店の確保と内装工事、返却を受け入れてくれるパートナーも含めて、何もかもが机上の空論な状況です。
初めての勝手に観光調査員
そこで挑戦したのが東京都の地域イノベーション事業への応募でした。地域の資源を有効に活用したビジネスモデルに対して助成金を出す、というこの仕組みに通ったら、実際にやってみようということになったんです。
まずは周りの人にどう思うか聞いてみたところ“自転車は危ないよね”というネガティブなご意見が7~8割。あまり賛成してくれる人はいなかったそうです。観光業ですから、地元の人が必要性を感じなければ、うまくいくはずもありません。
しかしながら、今は会社の危機でもある。こんなことで負けるわけにはいかない。そんなときに沼倉さんがとった行動は?
まずは、観光にいらっしゃるみなさんにニーズがあるかどうかを確かめなければいけないと思って“観光調査”と書かれた腕章を自分でつくり、奥多摩駅から降りてくるお客さんにアンケートを取ることにしたんです。
こんなこと当然初めですし、仕事が内勤ですから饒舌に話すこともできない。本当に勇気をふりしぼって駅前に立ちましたよ(笑)
結果、100名以上の方にアンケートにご協力いただきました。すると、85%の方が面白そうと言ってくれたんですね。これはやるしかないという自信がつきました。
このとってもポジティブな行動により、精神的にも、実質的にもはずみがついたという沼倉さん。地域への説明と同時進行で、助成金の確保に向け、ビジネスプランをより現実的に練っていきます。
電動のスポーツバイクをレンタルの対象に入れるアイデアも、事業を練っていくうちに盛り込んだそうです。老若男女、体力の違いにあまり影響されずトレックリングを楽しんでもらうため、無くてはならない重要な要素ですね。
こちらが電動のスポーツバイク。見た目もかっこよくて、機能的
奥多摩や青梅のいい思い出を持って帰ってもらう
お店としている物件は、3~4年くらい借り主がいなくて、空き店舗でした。大家さんが経営していた飲食のあと、数軒のお店が入ったそうですが長く続かず。もう貸さなくていいというような状態だったのです。
今まで何件か事業をやりたいと問い合わせがあったが、決まらなかったようです。私は積極的に足を運んで、何度もお話させてもらって、苦労の末、借りることができました。
店内には所狭しと自転車が並ぶ。現在、自転車の在庫は55台
無事、地域イノベーション事業の選考もくぐり抜け、助成金の認可がおりて、開業してから今年で4年目。オープン直後も苦労は続きます。
なかなか思った通りにはいかないですよね。自転車には限りがありますから、予約をしてもらってから、来店いただく必要があります。ですから、事前に知っていただくか、奥多摩で存在を知ってから、もう一度来てもらわなくてはなりません。
たくさんのお店に足を運んで、挨拶して、パンフレットを置かせてもらって。今までになかった事業なので、いろいろなメディアにとりあげていただいたことは大変助かりました。
開業して4年たった今でも常に不安はあるといいます。何よりも気を配っているのは “安全に乗っていただく” こと。雨が降れば、よっぽどのベテランさんでない限り、安全のために中止。また、雨であればお客様のご都合でのキャンセルをOKにしています。
せっかく遊びに来たのに怪我をしてしまったら、お客さまにとって奥多摩が嫌な思い出になってしまう。そんなことは絶対に避けたい。最近は、自転車の交通ルールが厳しくなったこともあり、安全に楽しく乗ってもらうためにルールをしっかり伝えています。
奥多摩駅までくる電車は本数が限られています。みなさん同じ電車でくることが多いので、同じタイミングでたくさんのお客様が来店されます。だからといって説明を省くわけにはいきませんので、適正なスタッフを配置して十分に説明ができる体制を整えています。
トレックリングと鉄道会社の共通点
最近では、うれしいことに、地元の人が乗ってくれることも増えたそうです。
地元の人でも、若い方は意外と地域のことを知らないんですよ。自転車で走ることで新たな発見をしてくれることも多いですね。
さらに、沼倉さんが最近注目しているのが、地域での横のつながりです。奥多摩地域に移住してきた方が新しいことを始めています。
たとえば、多摩山材をつかったものづくりや、森でのワークショップなどを企画している「東京・森と市庭」。奥多摩駅の目の前にある「VERTERE(バテレ)」というビアカフェ。ここは、奥多摩のホップを育てて、奥多摩の地ビールづくりにも挑戦しています。
他にも、陶芸やガラス、木工など、ものづくりをしている方もたくさんいて、そういった方のアトリエもあります。
でも、奥多摩地域の特徴として、こういったそれぞれの見どころスポットがちょっと遠いんです。歩いて回るのは難しい。バスは1時間に1本程度で非常に少ない。かといって、車でくると道もあまり広くないし、駐車場のスペースも十分とはいえない。なので、奥多摩を自転車で回るというのは、交通手段としても非常に便利なんです。
沼倉さんは、自転車を貸し出すだけでなく、こういった見どころを回るツアーや、カフェとコラボして自転車でのツアーとダッチオーブンを使ったピザづくりをセットにした企画なども実施しています。
一般的なレンタサイクルを思い浮かべると、ほとんどの場合、ノーケアですよね。自転車を受け取る、返すだけの関係性。
でも、トレックリングは違います。自転車に安全に乗るための乗り方や、交通ルール、オススメのトレックリングコースと、見どころの解説、そして、グループで楽しめるツアーやイベント。利用者と地域のコミュニティづくりを丁寧に行っています。
そういった取り組みを聞いているうちにふと結びついたのは鉄道会社による沿線開発。自転車というのは、鉄道と同じく乗り物です。A地点からB地点へのインフラ。その間にある様々な見どころを紹介し、また一緒に企画して盛り上げていく。これって、まさしく鉄道会社と一緒なのです。
トレックリングが、観光業において、どれだけ本質的なことをしているのかわかった気がします。
思わず“好きだ”と口に出るような地域にしたい
私は、ずっと青梅や奥多摩に住んで仕事をしてきました。私たちのような地域に住んでいる者が、自分の地域をどうにかしようと動くことが必要だと思います。
アイデアを実践していくには、本気でその地域を好きじゃないとなかなかできないですから。私はこの地域で、さまざまなアイデアを試していきたいと思います。
地元においしい地酒があって、山菜や川魚も採れたてを食べることができる。自然が豊かだと、食べるものがおいしいのです。そんな奥多摩・青梅エリアが大好きだという沼倉さん。最後に、このエリアの未来について聞いてみました。
地域に住む子どもたちが思わず“好きだ”と口に出してしまうような地域づくりをしていきたいです。自転車だったり、山登りだったり、普段から自然の中でおもいっきり遊んでもらって“父ちゃん、ぼくは奥多摩(青梅)好きだよ”って言ってくれたらいいですよね。
そうすれば、若い人が地元に残るとか、帰ってくるというようなことが増えると思うんです。もちろん前提として、大人がこの地域を好きでないといけないでしょう。自然を残しつつ、いろいろな人が仕事も含めて、ちゃんと生きていけるような環境がつくれるといいなと思います。
僕もインタビューの前にトレックリングを利用させていただいたのですが、風をきる気持ちよさ、紅葉の美しさにうっとり。そして、ちょっとした山道を走り抜けるのは、日常で忘れているワクワク感を思い起こしてくれます。気になる場所があれば自転車を降りて、疲れたら止まってと、気軽に一息つけるのもとても便利です。
このように、トレッキングとレンタサイクルを掛け合わせたら、利用者も地域もハッピーになる新しいビジネスが生まれました。コミュニティの輪を大きく、濃くしていきながら、奥多摩・青梅エリアの魅力をこれからもどんどん発信していってくれるはず。ぜひ、この新しいレジャーを体験してみてください。