モノがあふれた現代。お金を使った消費に飽きた人々の視点は、自分たちが生きる場所・暮らしそのものに再び向かっています。リノベーションした「古民家」の活用もそのひとつ。
古き良きものに回帰した人々の視線を熱心に集めている古民家ですが、家の数に比べて有効活用されているのはわずか。そんな古民家の活用アイデアを広め、より多くを次世代に受け継いでいこうと熱意を燃やす挑戦者が京都にいます。それが、今回ご紹介する水口貴之さんです。
水口さんは、素敵な取り組みが行われている全国の古民家を紹介するウェブサイト「COMINCA TIMES(コミンカタイムズ)」の編集長。大学卒業後の10年間、東京の企業でのキャリアを築いてきた水口さんですが、ある時故郷の京都に戻り、古民家を残していく活動に注力することを決めました。
そこまで彼を突き動かしたものとは一体…。
人生の道筋をたどって行くと、意を決して京都に戻ってきた裏には様々な「人」の影響がありました。
同志社大学卒業後、2005年より東京に移り、広告代理店営業とIT企業で営業職を担当した後、10年ぶりに京都に拠点を戻す。祖父の家が築数百年の茅葺き屋根の古民家であることから、古民家活用の不動産業界に転向。「COMINCA TIMES」編集長。
跡取りのおまえが、この家を守れ
京都市右京区。本当にここは観光客で混み合う京都駅前や金閣寺と同じ京都市内なのか…、と疑ってしまうような田園と山々。そんな風景の中に、その茅葺屋根の古民家はありました。
ここが、現代の生活の中で活用されている日本全国の古民家を紹介するウェブサイト「COMINCA TIMES」を運営する水口貴之さんの実家。
水口さんは京都生まれの京都育ち、水口家の29代目です。私たちが水口家に代々受け継がれる家を訪れたとき、水口さんはここを確かに「僕の実家です」と紹介しました。
しかしここは水口さんが育った家ではありません。この家は祖父母の住居で、水口さんは幼少期、父親に連れられて毎週末に訪れていました。そしてここは、水口さんが祖父に「跡取りのお前が、この家を守れ」と言われ続けていた場所なのです。
水口家の周辺には、田園風景のなかに茅葺屋根が未だ多く見られる。
みんな、”跡取り”っていう言葉になじみがないんですよね。僕は、小さい頃から言われ続けてきたので、普通に聞く言葉だと捉えていたんですけど。
水口さんの祖父は銀行に勤めながら、週末は畑を耕したり山の手入れをする兼業農家でした。厳格な祖父は幼い貴之少年を畑に連れて行き、農作業を一緒にする一方でこう言いました。「お前は”跡取り”だから、ゆくゆくはお前がこの家を守りなさい」と。
ゲームセンターで遊ぶことや髪を染めることが楽しくなる中学生の頃からは、その好奇心の方が勝って、貴之青年は徐々にこの茅葺屋根の家を訪れなくなっていきました。そうこうしているうちに大学生となり、忙しい生活を送っていた時、祖父が認知症を患い亡くなってしまいます。
祖父に言われた言葉が心の中に渦巻いていたものの決心がつかないままでいた水口さんは、祖父母の生きている間に、明確に自分の決意を伝えることができなかったことがずっと引っかかっていた、と言います。
銀行員兼農家だった水口さんの祖父。
そんな思いから、水口さんは学生時代からなにか古民家にまつわる活動をしたいとは考えていたものの、特に行動を起こすことなく卒業してすぐ東京で社会人としてのキャリアを始めます。
漠然といつか京都に戻ってくるイメージはありながらも、その時は生まれ育った土地を離れたかった水口さん。家族には東京勤務をみずから希望したのを隠して、「東京勤務しか選択肢がない」と嘘をつきました。
転機となった「なんで今やらないの?」
6年勤めた広告代理店からゲーム事業で成長著しい優良企業に転職し、マネージャーとして忙しくも充実した生活を送っていた水口さんに、2013年9月、転機が訪れます。友人に誘われたセミナーで、ある経営者に出会ったのです。
その経営者は、セミナーの参加者一人ひとりに「君は何をしたい?」と聞いて回りました。水口さんの答えは「古民家を残したい」。明確な回答をする水口さんに、経営者はさらに質問をかぶせました。
では、なんで今やらないの? 今できることはあるでしょ?
その経営者の言葉に感銘をうけた水口さんは、今できることをやろう、とすぐさま活動を開始しました。
休日は京都に帰って古民家巡り。ファミリーレストランで一人作戦会議も繰り返しました。そして、インターネットを通じて古民家にまつわる活動をしている方に連絡を取ったり、起業家に会いに行ったりするうちに徐々に人とのつながりもできていきます。
活動開始から半年で独立しようと思っていた水口さんでしたが、半年という期間、しかも本業のすきま時間では思うように準備が進みませんでした。
目標が高すぎて、かつ期限が近すぎたんですよね。なにかを実行するにしても自分にあるのは営業のスキルだけで。デザインや写真撮影などの知識は全くありませんでしたから。
理念や事業計画は明確になりきってないし、すでに妻もいたので、そう無謀には進められる計画ではなかったんですよ。
お話を伺ったのは、水口さんが子どもの頃よく遊び場にしており、鮎などを獲ったという川のほとり。川のせせらぎが聞こえる中の和やかなインタビューとなった。
そこで水口さんが取った行動は、「Startup Weekend」という起業を志す人々が集まるイベントに応募するというもの。そこで自分の古民家紹介ウェブサイトの計画をプレゼンし、3人の仲間を得ることになります。
「それまで、こんなにかけがえがないと思える仲間に出会ったことがなかった」と水口さんがいうほどに、行動力があり自分の考えを言葉にできるメンバーたち。そうしてそれぞれが企業勤めの傍ら集まりつくり上げたウェブサイト「COMINCA TIMES」は、2014年の10月にオープンしました。
「COMINCA TIMES」が紡ぐのは、人の営みを持った家の物語
「COMINCA TIMES」の記事のトップ画像にはかならず人物が写っています。「COMINCA TIMES」の主役は、古民家と、そこに集う「人」。それは、人の営みと共にある家こそ魅力がある、と水口さんたちが考えているからです。
それを表すのが「COMINCA TIMES」という名前。なぜスペルの最初をローマ字読みに応じて“K”とするのではなく “C” とつづるかというと、 それは水口さんたちの伝えていきたい古民家が、“Com”munication (コミュニケーション)を生む場所だから。
COMINCA TIMESをただの物件紹介サイトにはしたくなかった。古民家ならなんでも紹介するサイトじゃないんです。だからトップ画像には必ず人が写っています。家には人がいて、ストーリーがある、というのが僕たちの伝えたいことなので。
熱意の源流は「やっぱり古民家が好き」ということ
水口家の威厳ある屋根の向こうに青々とした山を臨む
2015年3月、水口さんは京都に戻ってきました。拠点を京都に移してからは、古民家保全のための技術や資格の勉強をしながら全国の古民家を見て回り、そこに存在する物語を伝える日々を送っています。さらに今は新メディアをオープンするため目下準備中なのだとか。
古民家を守るため様々な活動に駆け回る水口さんですが、どうしてそんなにもモチベーションが持続するのでしょうか。水口さん本人が語ったエピソードがその理由を教えてくれます。
もう住人のいない古民家を見に行った時に、ふとした”人”の痕跡を見つけると嬉しくなるんです。古民家に入ったとき、もう何年も人が住んでいないから床なんて抜けているんですけど、床の間の柱に、背比べの印が入ってた。あるいは、ご先祖さまの写真がでてきた。
そうすると、あぁうちの家と一緒なんだなぁと思うんです。手入れされていない建物の、不穏で嫌な感じはなくなって、むしろ親近感がわく。ボロボロの古民家は、どこから手をつけようかむしろわくわくしますね。そこを楽しめないとやっていけないですよ。
熱い思いが持続する根底には、古民家と、そこにある人の営みを「好き」だという気持ちがあるのですね。
手入れされた水口家の裏庭。雨に濡れてつややかな岩石と椿の葉、手水鉢で踊る水滴が美しい
「住む」ことで古民家を保存する
水口さんは古民家を残していくための「使用の保全」の重要性について説きます。古民家は、イベントスペース・カフェ・オフィスとして活用されることも多いですが、水口さんが思う一番理想の活用法は、やはり「住む」こと。
なるべく長い時間いた方が家にとって良いに決まってますからね。古民家は、3年くらい無人だと、湿気と入り込んだ動物で建物が傷み、屋根も落ちたりします。
それに対して、人が住んで出入りするというだけで荒れないんです。お金かけて置いておくよりも、使うことで300年も、もたせることができるんですよ。住むことが、家を保全することなんです。
祖父母のアルバムを見せてくださった水口さん。慎重な手つきが印象的だった。
それに、家そのものを残すと同時に文化や生活習慣も残りやすいというのも大事な理由。
家のつくりひとつひとつに訳があるんです。(自身の家の洋間を指して)古民家に残る南向きの洋間は、もともと牛を飼っていた場所だったんですよ。牛によって農業が成り立っていたから、家の一番良い場所に置いて大事にしてたんです。
こういうことって、取り立てて歴史として残らないですけど、家からせっかくそういうのが見えて来るんだから、残せたらいいなと思います。
しかし水口さんは、同時に古民家も現代風の生活の中で活きる必要がある、といいます。
古民家を古民家っぽく直すより、自分たちの今の生活習慣にあった様式にリノベーションして住むのがいいと思います。昔のものをそのまま使うのはやはり、しんどい。例えば、うちの妻は古民家にあまり興味がないんですよ。むしろ便利なマンションの方がいいって言います。
住みやすい「現代式インフラ付き」の古民家なら、古民家にこだわって住みたい人も、あまり興味がない人も快適に住めるのですから、むしろ長く古民家を残したいと思ったときの生存戦略としては良いのかもしれません。
「古民家をどうしていいのか分からない人」を無くしたい
水口家にある蔵には、鎧兜をはじめ、由緒ある品々が今でも残る。
水口さんが今後、新事業を進めていく中で特に目指すのは、「古民家を持っているものの、どうしていいのか分からない人」のサポートです。貸すのか、改修して住むのか、売るのか、はたまた壊すのか。
物件そのものに資産価値が無い古民家は、買う時に銀行でローンを組むのがとても難しいんですよね。だから売主の希望価格を一括で支払える買主が見つからないことが多くて。その結果、安すぎる値段では踏ん切りが付かないので、古民家を売るに売れない人がたくさんいます。
マッチングがうまくできていない現状を解決するには、古民家を適正価格で流通させる仕組みをつくらなきゃならない。これからは、それを一所懸命にやります。
さらに、「COMINCA TIMES」の今後の展望についても聞きました。
一人でいいから、ものすごく熱狂的なファンをつくりたいです。自分の思いを伝えるには、一人でいいから「まさにこんなサービスが欲しかったんだ!」という人に向けてサイトをつくらなければならない、でないと結局誰にも刺さらないと思うから。
インタビューを通して、幼少期に祖父母と時間を共有したこの愛する茅葺屋根の古民家を守りたい、住人の人生を一緒に経験してきた全国の古民家も受け継いで行きたい、というまっすぐな水口さんの想いが伝わってきました。
キャリアを変えたことで収入が下がっても、丸1日の休日がなくなっても、なお活動を続けられるほど水口さん自身が熱狂的に古民家好きであることを考えると、ものすごく熱狂的な一人のファンがつく日はそう遠くはなさそうに見えます。
肝心の自分の実家は?「…今後どうするか、まだ分からない」
セピア色の水口家集合写真。今も変わらない水口家の正門の姿が見える
京都の旧家で育ち、東京の激流のなかで職務経験を積んできた水口さん。幼い頃から身近だった古民家も、「いい意味でアクシデントだらけ」の東京も、どちらも好きでどちらの場所でも生きていたいという彼は、まさに温故知新の人と言えます。
そんな人が純粋に心のよりどころとし、キャリアを変えてまで守ろうとする古民家は、徐々に消えゆく大事なものを目の前に立ち上らせてくれる貴重な「生き証人」なのでしょう。
人口減少著しい日本で、先祖から受け継いだ古民家を残したいがどうすればいいかわからない、そういう思いをしている人は少なくないはず。そんな人の抱える問題を解決する仕組みを、そしてより多くの古民家が活用される未来を、水口さんは追求しています。
最後に、水口家の茅葺屋根の家を今後どうするかについてお伺いしました。
…痛い質問ですね(笑) ひいおじいちゃんがこの家で農業をしていて、おじいちゃんは兼業農家、お父さんが会社員として大阪に出て行き、息子の自分は東京へ、と世代を経るごとにどんどん遠ざかってしまっていました。
それに、自分は子どもができた時に「ここはお前の家だから、お前が絶対守っていくんだ」とは言えないかもしれない。むしろ「どんどん世界にでていけ」と言うでしょう。だから、この家をどうするかは、まだ決められないんです。
全国の古民家の活用・保存という水口貴之さんの挑戦は、水口さんの家族と300年の茅葺屋根の家にとっての将来を見つめる、答え探しでもあるようです。
(Text&photos: tonegawa haruka)
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「地方で書いて暮らすを学ぶ4日間」
この記事は、greenz.jpライター磯木淳寛による、日本初のライターインレジデンス「地方で書いて暮らすを学ぶ4日間」の講座の一環として制作されました。このプログラムは、【未来の書き手の感性を育み、「善いことば」を増やすことで、地域と社会に貢献する】ことを目的として、0円からのドネーションでおこなっています。詳細はこちらよりご覧下さい→ http://isokiatsuhiro.com/WRITER_IN_RESIDENCE.html