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いま必要なのは、”ソフトのリノベーション”。寺井元一さん、新野圭二郎さんに聞いた、「まちづくり×不動産×アート」の可能性

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ここ最近、地域の空き家や空き店舗を活用して、新たな事業やイベントなどを生み出す試みが注目を浴びています。わかりやすい枠組みなので、きっと「自分のまちでもやってみたい」と思う人も多いのではないでしょうか。

とはいえ、まちづくりはさまざまな人が関わるもの。実際に何かを生み出しそれを継続していくにはかなりのエネルギーが必要です。

そこで今回は、数年前から「まちづくり×不動産×アート」の分野で活動している「まちづクリエイティブ」代表の寺井元一さんと、アーティストで「NICA」館長の新野圭二郎さんの対談記事をお届けしたいと思います。

活動をしていく中でぶちあたった壁やその乗り越え方とは、そして活動の根幹にある想いとは? 具体的な方法論からちょっとディープな思想・哲学まで、思う存分語っていただきました!
 
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寺井元一(てらい・もとかず)
1977年、兵庫県生まれ。2002年、NPO法人KOMPOSITION設立。渋谷を拠点に若いアーティストやアスリートに活動の場や機会を提供する活動を始める。2010年5月、株式会社まちづクリエイティブを設立し、千葉県松戸市にクリエイティブ層を誘致する「MAD Cityプロジェクト」を開始。

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新野圭二郎(にいの・けいじろう)
1975年生まれ。アーティスト/アートセンターNICA館長。2003年より日本橋大伝馬町を拠点として活動し、11年にアート・クリエイティブ拠点「Creative Hub 131」、2013年に新たなパブリックの実験場「PUBLICUS×Nihonbashi」をプロデュース。2015年1月にオープンしたPUBLICUS地下のアートセンター「NICA」の館長も務める。

既存の社会システムに不満があるから、新しいフレームをつくろうと思った

まずは簡単に、おふたりのことをご紹介しましょう。

グリーンズの読者ならご存知の方は多いかもしれませんが、寺井さんは松戸駅周辺の半径500メートル圏内を「MAD City」と呼び、“クリエイティブな自治区”をつくることを目指しています。

まちづクリエイティブ社が一手にリスクを負うことで、入居者が自発的に物件のセルフリノベをできる環境をつくり、地域の空き家にクリエイティブ層を誘致してまちを活性化させるという手法で、これまでに延べ200人近くのクリエイターを松戸に呼び込んできました。

また、リノベーションの施工や、空き店舗をリノベーションしたコワーキングバーの運営も行っています。
 
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クリエイターで賑わうMAD City。

対する新野さんは、グリーンズ初登場! アーティストとして、引きこもりの男性を部屋ごと展示した作品など、挑戦的な作品を発表しつづけています。

その一方で、2003年より日本橋エリアの空きビルを借りて「内田ビル」「Creative Hub 131」「PUBLICUS×Nihonbashi」といったシェアアトリエを運営し、多数のクリエイターを誘致。

「プライベートから始まるパブリック」をテーマに掲げ、ビル内にシェア食堂スペース「社員食堂Lab.」やアートセンター「NICA」といった公共性のある空間を設けています。
 
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誰でも参加できる食事会やアーティストトーク等のイベントが開かれる「社員食堂Lab.」

よく「活動が似ている」と言われ比較されるというおふたり。お互いの存在は気になっていたけれど、実際に会うのは今回がはじめてだそう。

まずは軽く自己紹介から…と思いきや、話をしたくてうずうずしていたらしい新野さんからいきなり、「僕、寺井さんに聞きたいことがあるんです」と質問が飛び出し、対談の口火が切られました。
 
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新野さん 何年か前に読んだ松岡正剛さんの本に、「世の中に必要なコンセプトはもう揃った。あとは方法論の問題だ」という主旨のことが書かれていました。僕は本当にその通りだと思っているんです。

“共生”とか“持続可能性”とか、そういうのが大事だというのはわかった。じゃあそれをどう実現するかっていう方法論が必要なんだと。

アーティストは、コンセプトを提案するだけになりがちです。でも僕は、それだとつまらないと思いました。

分かれ道は3.11でした。あの惨状を見て、それでも現実とは関係ないところで自分のアートを追求する人もいたけれど、僕自身は徹底的に現実社会に寄り添う側をとったんです。いわゆる社会彫刻の拡張です。

そうして活動してきたことがいまになってまちづくりだと呼ばれるようになっただけで、別にまちづくりをしようと思って行動してきたわけじゃないんですよ。

聞きたいのは、寺井さんも何か大きな枠を引き受けるために、その方法論としてまちづくりをしているんじゃないか、ということ。いかがでしょうか?

寺井さん 面白い問いですね。僕はもともと、大学で政治を学んでいたんです。政治に期待をしていたわけじゃなくて、自分みたいな政治に違和感を感じている奴が、むしろその世界に飛び込んで暴れたほうがいいんじゃないかと思って。

新野さん やっぱり、最初は政治ですか。政治も現実的なひとつの方法論ですよね。いまの活動もその延長線上にあるんじゃないですか。政治を自分なりに肯定しようとした結果、というか。

寺井さん 政治家になるつもりは全くないんですけどね。僕の原動力は、世の中に対する不満と、それを変えたいという気持ちですね。

これからどんな価値観の人が増えていくかは、世論調査などの統計を見ればわかります。一方で、どんな法律がつくられてどんな社会システムができるかも想像がつく。そのギャップが大きくて、すごく息苦しい社会が想像できて、僕は嫌だったし、そういう社会環境の変化に絶望したところがありまして。

じゃあどうするかというと、もう日本から独立するしかない。そのトライアルとして、知らない場所で自治区みたいに、まちを立ち上げようと思ってMAD Cityプロジェクトをはじめたんです。…これ、すごく怪しく聞こえますよね。一歩間違えるとテロ組織みたいな(笑)
 
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新野さん いや、すばらしいですよ。面白い。既存の国というフレームとは違った新しいフレームをつくろうということですよね。

僕も、この国の居心地が悪くて仕方なかったんです。アーティストなんて、完全に社会から排除される側の存在ですから(笑)社会に居場所がなくて、これはまずいな、自分でつくるしかないな、と思って、行政主導ではない新しい公共空間をつくろうとしてきました。

そこで面白いのが、日本橋というまちの歴史です。このまちは、町人がお上に頼らず自分たちで自治を行い、文化を創造してきたまちなんです。僕はいま、数百年前に日本橋で起こっていたことと同じこと、文化的なリノベーションを行っているんだなという気がしています。

地域って何かというと、元々は藩ですよね。江戸時代に大名が支配した領域で、そこから文化体系が生まれてきた。そこに現代性を持たせるのが文化のリノベーションです。

その地域の気候風土、歴史文化の延長線上に主体的な社会システムをつくれたらと思っています。

CETをどう受け継いでいく?

日本橋で空き家を使ったまちづくりといえば、避けては通れないのが「CET」の話。

CETとは、神田・日本橋の空きビルを利用し、まち全体を大きなギャラリーにしたアートイベントのこと。2002年から2010年まで8年に渡って開かれ、大きな反響を生みました。

CETをきっかけに若いクリエイターが古い物件をリノベーションしてアトリエやお店をオープンする動きが生まれ、それまであまり光が当たらなかった「東京の東側」に注目が集まるように。

新野さんも、CETの流れを汲んで131を立ち上げました。
 
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神田・日本橋で開かれたアートイベント・CET(セントラルイースト東京)。2006年のパフォーマンス風景。

寺井さん CETって、僕にとっては先輩的な存在なんですよ。まちづくりで起業するにあたって、いろいろと話を聞きに行ったりもしていましたし、今もちょくちょくCET関係の方とお付き合いもありますし。だから2010年にCETが終わったときは少し寂しく感じました。

でも、新野さんのようにCETから活動を継続している人もいるのがすばらしいなと思っていて。そのあたりのことを教えてもらえませんか。

新野さん 僕は2001年にロンドンから日本に戻ってきて、アーティストとして活動をするための拠点を探していたんです。調べていくうちに東京の東側のほうだと安く借りられるぞとわかり、CET以前の03年から内田ビルというビルをリノベしてシェアアトリエにしていました。

CETには基本アーティストとして参加し、キュレーションもやりました。当時はめちゃくちゃ楽しかった。こんなに空いている空間があるんだから、すごいことができるぞ、と。

実際にCETが盛り上がることで新しくカフェやギャラリーができ、まちはどんどん変わっていきました。ただ、そうすることでCETの会場も失われていくんですよね。アーティストとしては嬉しいような嬉しくないような気持ちで。

更に、このエリアに引っ越してきたいという人が増えたために坪単価が上がり、「西側に比べて家賃が安い」というメリットも少しずつなくなっていく。初期に越してきたアーティストやクリエイターからすると、一種のジェントリフィケーション(※)なんですよ。

実際に、CETムーブメントを受けてこのエリアにやってきたけれども、事業を継続できず撤退してしまった人も、残念ながらたくさんいます。

(※)ジェントリフィケーション:比較的貧しい層が住む地域に比較的豊かな人々が流入する人口移動現象。これにより家賃の相場があがり、それまで暮らしていた人々が暮らせなくなったり、地域特性が失われたりする等の問題もある。

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CETの流れを継承して生まれた「Creative Hub 131」と「Publicus×Nihonbashi」。建物はひとつですが、中でふたつに区切られています。

寺井さん ムーブメントのあと、どう日常に接続していくかという課題ですね。

新野さん 最近、「リノベスクール」(※)がすごく流行っていますよね。それ自体は素晴らしいことだと思います。ただ、盛り上がって何かをつくったあとに、当事者がちゃんと事業を継続できるようなケアが必要でしょうね。そうしないと持続可能なまちではなくなってしまうので。

どうやったら当事者がちゃんと持続的に経営できるのか、寺井さんはその辺り、どうされているんですか?

(※)リノベーションスクール:全国から集まった参加者たちが地域の遊休不動産を活用する事業プランを練り上げ、実事業化を目指す取り組み

寺井さん うちの収入源は、基本は転貸事業で、50部屋位を回しています。いわゆる不動産屋の仲介は常に売上が上下しますが、転貸事業は地道だけど安定性のある事業モデルなんです。

入居者の皆さんが来月も家賃を支払ってくれて、僕らを応援してくれると考えると、少しずつ安定してくるし、新しいことに挑戦できます。
 
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ラブホテルを改装したシェアアトリエなど、ユニークな施設も運営しています。

新野さん やっぱり寺井さんの様な家守は必要ですよね。転貸事業は、リノベまちづくりにおいて家守のような役目を担う人が、必ず押さえておかないといけない一つの柱だと思う。それがあるから、一発花火じゃない、継続した取り組みができる。

寺井さん 新野さんのところも同じ構造ですか。

新野さん そうですね。 僕は単なる不動産業がやりたいわけじゃないのでPUBLICUSの地下一階は、インデペンデントなアート&クリエイティブセンターにしています。Nihonbashi Institute of Contemporary Artsの略でNICA(二カ)。

10年かかって、地域のパブリックを担うアートの拠点がようやくできたという気がしています。

ここは家賃を生まなくても、1〜6階の収益があれば最低限やっていける仕組みにしているんです。その分、展示やプログラムのレベルはPUBLICUS(私達の公共)を象徴するような、常にパブリックで、ワールドクラスもしくは若手支援の場所にしたいという考えです。
 
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NICAで開かれた展示会の様子

寺井さん MAD Cityでも、アーティストやクリエイターと勉強会をしたりもしています。建築とかものづくりとか、アーティストの職能を活かしながら、新しく地場産業をつくれないかと思っているんです。

リノベーションの施工はまさにその挑戦なんですが、そういった実験をMAD Cityで重ねていきたいなと。

新野さん そういうことをしていけば、アーティストがジェントリフィケーションに絡めとられる側じゃなくなりますよね。まちに関わることで食える仕組みを自分たちでつくる、みたいな。日本橋と松戸で、何か一緒に企画をしたいですね。

まちに政府機能を取り戻す、ということ

新野さん 寺井さんはいままで取り組んできて、「これは厳しいぞ」と思ったことはありますか?

寺井さん ひとつは地域コミュニティとの向き合い方ですね。いま“地方”とか“コミュニティ”というものがもてはやされているけど、良い面しか見ていないで地域に入っていくのは危ないと思う。

地域には可能性がある一方でムラ社会的なしがらみもあるから、さまざまな側面をきちんと伝えたいですね。
 
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新野さん これはもう、地域に関わる人が一番ぶつかる点ですね。

寺井さん 「MAD」なんてネーミングも強烈なんで、地元の方にどう思われてるのかと外部で質問されることも多いんですが、「MAD Cityと旧来からの宿場町は繋がっている」というのが僕らの想いなんです。

松戸駅前は江戸時代に栄えた松戸宿が大元にあって、歴史文化的なルーツを持っている地。僕たちも、そういう歴史の上にMAD Cityを接続しようとしています。

意外にも、まちづくりや地域では保守的とされる70代以上の人たちも含めて、そのことを認めてくれるというか、やってみろという意見を言ってくださる人も地元にいるんですよ。そういう人たちと一緒に、町会・自治会の再構築みたいなことにも関わってきました。

新野さん 全く一緒(笑) 結局同じところに辿り着くんだなぁ。

寺井さん 町会・自治会のような地域団体がいま、全国どこでもすごく弱体化しているんですね。ところが役割は一層重要になっています。防犯や防災はもちろんとして、子どもの教育や老人の福祉だって、さらに公共空間の利活用といった日常生活まで、地域団体が鍵を握っている側面があります。

それで、江戸期から接点があったり、もしくは都市計画的に接点のある、そういう町会・自治会で集まって「横断組織をつくって改革して、新たな政府機能を作っていこう」っていうプロジェクトにしばらく取り組んでいました。

お金に絡むこととか法的な措置とか、かなり本格的にいろいろとやって、実現しなかった点もありましたが、自分なりにチャレンジでしたね。
 
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地元の人たちと対話を重ねる寺井さん

新野さん すごい、直球勝負ですね!

日本橋の場合は、68町会あるんですよ。さすがに多すぎるだろうということで7つの連合町会にブロック化されているんですけど、各々にもちろん個性がある。そういう地域の既存の仕組みを変革しようなんて、とてもじゃないけどできない。

だから、超町会フレームというか、新たなフレームをつくることが鍵だと思っています。

僕がとった方法は、まずは水辺を活用すること。川は複数の町会をまたいでいるから、既存の枠組みとは違った枠組みで参加してもらえるでしょう。それが狙いでした。
 
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隅田川の防災船着き場。民間利用はこのときがはじめて。

新野さん 具体的に何をしたかというと、隅田川の防災船着場を規制緩和してもらって、遊びの船を出航させたんです。初の民間利用で、地元の大旦那さんや区長が乗ってくれました。

日本橋はもともと水都だし、2020年のオリンピックで、隅田川を最大活用して、ロンドンオリンピックのテムズ川の様にキラーコンテンツにしたいと考えているんです。会場まで船で行けるようになればいい。そのトライアルができたと思います。

僕が投げる球はいつも変化球なんです。まちに関しては特に。NICAで最新の現代演劇を大旦那さんたちに見てもらって新たな価値観を共有するとか、あまり政治的になりすぎない動きをしている。その点、寺井さんは直球ですよね。真っ向からぶつかっている。

寺井さん そこはアーティストと起業家の違いみたいなところがあるかもしれないですね。大真面目に新しい社会システムをつくろうという想いがあったりしますし。

先ほど話した地域団体は「松戸まちづくり会議」という13の町会・自治会の関係者で構成されていて、いまはほぼ地元の方だけで自走していて、アーティスト・イン・レジデンスの運営などが行われています。

僕のほうは、地域のことも勉強させていただいている感じですが、MAD City限定のクラウドファンディングなど、自分たちにしかできない、まちの仕組みづくりに取り掛かっているところです。
 
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6月からスタートした「MAD City FUNDING」は、まちづクリエイティブ社と、MAD Cityの入居者が協力を募るツール。

必要なのは、ソフトのリノベーション

話し足りない様子のおふたりですが、そろそろ終了の時間。最後に、これから「まちづくり×不動産×アート」の分野で新しい活動をはじめたいと考えている人に向けたメッセージを語っていただきました。
 
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寺井さん まちづくりがハードからソフトに転換するのは、まさに今からだと思うんです。森を切り開いて建物を建ててニュータウンをつくる、というハードの世界と逆。建物は余っていて、人がいない、産業がいない、そこに何を持ってくるか。

MAD Cityをはじめるにあたって、まちというものの役割を改めて考えたとき、まちは人生を支える、豊かにするためのものだと思ったんです。かつての渋谷が若者を応援するまちだったように、それぞれのまちが機能やアイデンティティを持っている。そしてそれは失われることもあるし、創ることもできる。

そのことを自覚して、まちに新しい価値をつくることが大事なんじゃないでしょうか?

新野さん 僕ももう、ハードのリノベーションは10年前に飽きちゃっているんです。それよりも、“人のポテンシャルのリノベーション”、“文化や歴史、行政のリノベーション”など、リノベーションの拡張領域が増えてほしいなと思っています。

日本橋の旦那衆は、自分たちの活動の成果を、孫の世代で刈り取ればいいと思っているんですよ。そういう粋な価値観でまちをつくってきた人たちの美意識を引き受けて、歴史に接続した形でリノベーションしていきたい。逆にそれがないままボトムアップで地域を変えようとするのは危険な気もします。

いま、近代日本がつくった社会システムが限界に来ているでしょう。ゆるやかに新しい社会に移行できるようなフレームを世界中にいっぱいつくって、気づいたらそっちに移行していた、みたいな流れになったらいいなと思っています。

近代美術があって現代美術がある様に、近代日本の先に、現代日本のフレームがある。
 
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寺井さん もうひとつ伝えたいのは、「まちづくりのやり方を教えるつもりがあるよ」ということですね。

まちづくりって、自分のまちだから活性化しようという事例も多いけれど、視察しても本質的なことがなかなかわからない。そのまちにしか当てはまらない特殊なことが多いんです。

それに多くの場合は事業じゃなくてボランティア的なもので、ややもすると趣味と事業の境がなくなりがちです。

その点、僕は松戸と何も縁がなくて、今も住んでなくて、それでまちづくりを事業化してるんですね。特殊なまちづくりだと言われることも多いんですが、実はどこに行ってもこうやったらいい、という蓄積が溜まってきているんです。

僕らにとっては松戸は大切な本拠地でもあり、でも実験場でもあって、そこで試した成果をもっと外に伝えたら、ほかのまちの役にも立てそうだなと思い始めているところです。

新野さん 僕は昔、師匠から「クリエイティブな世界は地獄だぞ」って言われたんですよ。でも、僕は羨ましかった。

アーリーリタイアしてリゾート暮らしをするよりも、何らかのミッションを引き受けて活動している人のほうがずっと輝いているし、楽しそうだと思った。やってみたら文字通り地獄でしたけど(笑)

でも、引き受けていった先にものすごい自由があると思っていて。だって、自分がこうであってほしいという方向に世の中を変えられるんですよ。それは最高に幸せです。半端なく大変だけど、幸せ。何かを享受する側からつくる側になったことによって、昔感じていたような疎外感はなくなりました。

だから、単純に引き受けることだと思います。地域とか地方とか、最高に面倒くさいものを引き受けようよ、と言いたいですね。

寺井さん 「引き受けていった先にものすごい自由がある」というのは、僕もそう思っていて共感します。夢や希望が詰まっていますよね。で、その結論が「最高の地獄へようこそ!」っていうことですね。

(対談ここまで)

 
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楽しい地獄へと誘う二人

寺井さん×新野さんの対談、いかがでしたか?「まちづくり×不動産×アート」の取り組みは、楽しそうだけど大変そうで、でもやっぱりすばらしい充実感や手応えを感じられるんだろうなと感じました。

もしあなたが、「引き受けたい何か」を持っているとしたら。おふたりに話を聞きながら、挑戦してみてはいかがでしょうか?その先に、“最高の地獄”が待っているかもしれませんよ。