スタンドアップ亘理のメンバー(前列)とフェスの応援団、関係者のみなさん
みなさんは自分自身に物足りなさや後ろめたさを感じ、モヤモヤすることってありませんか? それでも日常生活に紛れて「仕方がないか」と自分を納得させる人も少なくないでしょう。
宮城県亘理町の加藤正純さんは震災以降、ずっと抱えてきたそんな葛藤を振り払い、被災した町を仲間と一緒に盛り上げる活動を始めました。今は8月に手づくりのロックフェスを開こうと、毎日準備に奔走しています。
スタンドアップ亘理の加藤正純さん
「つながっている人々」でつくるフェス
フェスは8月9日、亘理町の海岸沿いにある荒浜地区で開かれます。題して「荒浜ロックフェス」。加藤さんが仲間とつくった団体「スタンドアップ亘理」が今年初めて企画しました。
当日は地元で活躍しているアーティストを中心に10組以上が出演し、来場者は入場無料で楽しめます。
荒浜は震災前、人気の海水浴場があり、多くの人でにぎわっていました。だからこそ海開きのシーズンにフェスを開催し、海水浴に来ていた人たちをもう一度呼び込みたいんです。
ここには広告代理店やイベント会社は入っていません。スケジュール調整や出演アーティストとの交渉、行政や警察署との連絡などすべての準備を加藤さんと数人の仲間が進めています。
初めてのイベントで、何もかも手探りです。仕事が終わった後に関係機関と打ち合わせしたり、資料をつくったり。仲間とフェイスブックのメッセージなどを使って、連絡し合って進めています。
フェス開催に向けて仲間と打ち合わせする加藤さん(右)
出演者側のスタッフも打ち合わせに参加した
とにかくみんな手弁当で一生懸命。加藤さんたちの熱意に応えて、地元の協力者も増えてきました。商店街が露店を出したり、大学生がボランティアをしたり。アーティストも亘理町出身者や応援してくれる方々に出演をお願いしたそうです。
最初はメジャーな人物を呼んでお客さんを入れたいと考えました。ですが議論するうちに、それじゃ、そのアーティストのライブになってしまうよねと。
私たちは亘理、荒浜の復興を目指しているのであって、音楽イベントを開きたいわけじゃない。そこで亘理と何かしら縁のある方にお願いしました。つくる人、観る人、出る人・・・すべてがつながっているフェスです。
亘理町は、宮城県の沿岸南部に位置する人口約3万4000人の町です。東日本大震災で津波の被害を受け、町全体で306人が亡くなりました。
加藤さんたちがフェスを企画している荒浜は海に面し、町内で最も大きな被害を受けた地区。現在は被災した漁港や温泉施設が復活し、自宅を再建する人も増えて少しずつ人が戻りつつありますが、震災前には及びません。海水浴場も再開されないままです。
2015年3月、亘理町荒浜。奥に見える温泉施設が再開されたが、周辺は更地が広がっている(写真提供・下枝長年さん)
「亘理が本当の意味で復興するには、海水浴場と漁港を盛り上げ、荒浜ににぎわいを戻すことが絶対に必要です」と加藤さん。
荒浜ロックフェスの”ロック”は音楽のジャンルという意味ではありません。前に進もうとする力強さ、町を盛り上げたいという強い意志。盆踊りとかのイメージが強い地域の夏祭りなどとは対極にあります。
荒浜のイメージを良い意味でぶっ壊す。そんな意味を込めています。今までからは想像できないフェスを開催し、変わろうとしていることを発信したいんです。
「何かしなくちゃ。でも、何を?」 葛藤の日々
加藤さんは亘理町で生まれ育ちました。仙台の専門学校を卒業し、就職した後も、ずっと実家で暮らしています。幼馴染や学生時代の友人とアウトドアサークルをつくり、楽しんでいましたが、地元を好きではなかったそうです。
地元愛なんて全然なかった。田舎であることが恥ずかしく、都会に憧れる普通の若者でした。
しかし、震災が起き、環境は大きく変わりました。内陸側にある加藤さんの実家は被災を免れたものの、サークルの友人が被害に遭ったのです。
サークルの活動は休止。友人は半年ほど経ってもふさぎ込んだ様子で、「気晴らしを」という加藤さんの誘いには乗ってきませんでした。
どこかに行こうと声を掛けても「まだそんな気分になれない」と断られる。被災した友人と自分に、気持ちの温度差があったんですね。
良かれと思ってすることが迷惑になるのではと不安になり、自分には何もできないと思うようになりました。
ボランティア活動も「自己満足で終わるのでは」と考えてしまい、参加することができなかったそう。それでも、「何かしなくちゃいけないんじゃないかとずっと思ってた」という加藤さん。地元に大切なものがたくさんあったと気付いたのも震災の後でした。
子どものころに遊んだ海水浴場や海釣りのポイント、海辺の花火大会。イチゴ狩りのできる農園。防風林や沿岸地域の住宅が浜から吹く風を防いでくれていたこと。
当たり前にあったものを失くして初めて、いろいろなものに守られていたと思うようになりました。
被災して変わってしまった町で暮らし、「何かしなければ」という思いはどんどん強まります。一方で何をしたらいいか分からないままでした。
葛藤を抱え悶々としていた2013年の秋ごろ、加藤さんは中学時代の恩師に再会します。隣町の宮城県山元町出身で、地元の復興支援活動とネットワークづくりに取り組んでいる渡邉修次さんでした。
「自分に何ができるのか」。そう打ち明ける加藤さんに、渡邉さんは自分たちの活動を見学に来るよう誘いました。
行ってみると、地元だけでなく県外からもたくさんの人が訪れていました。ピエロになって子どもたちに笑顔を届ける男性、被災した田んぼの生物を調べている団体、農作物の加工品をつくって雇用をつくろうとしている団体。
たくさんの人が地域のことを真剣に考えて動いていることを知り、驚きました。支援の形もさまざまです。何をしたらいいか分からなかったけれど、何をしてもいいんだと思えました。
加藤さんはサークルの仲間に相談しました。「地元を元気にするようなことをしたい」。仲間はすぐに「あなたならそう言うと思ってた」「ずっと前からやりたかったんでしょ」と、認めてくれたそうです。
何もしなくても、復興は進んだかもしれない。ただ、地域で暮らし、仲間もいる私たちがただその様子を眺めているのは、何か違うよねって。みんな共感してくれました。
加藤さんは活動に集中したいと、勤めていた会社を退職しました。2014年4月にサークルの名称を「スタンドアップ亘理」に変更し、活動をスタート。
親子を対象にした無料の映画鑑賞会や花火イベント、仮設住宅でのクリスマス会などを開いて地域を盛り上げてきました。家庭を持つ仲間が増えたこともあって、子どもたちが安心して楽しく暮らせるまちを目指しています。
2014年7月に開催した線香花火ナイトの様子
ロックフェスでは、再開されていない海水浴場の代わりに人工ビーチをつくりたかったんです。お金がないので今年は断念しましたが、いつかは(笑)
海をはじめ、亘理町にはこんな魅力的なものがあったんだよと、次の世代や他地域の方に伝えたい。今はこんなふうに復興が進んでいて、みんなが魅力を取り戻そうと頑張っている、と。ポジティブに発信したいですね。
そして、子どもたちが大きくなった時、親世代のように面白いことをしたいと思ってもらえたら。
「やりたいことや思い、言葉にしてみて」
加藤さんは今後、スタンドアップ亘理の活動を事業として成り立たせ、仕事にしていきたいと考えています。イベント開催のほか、災害公営住宅のコミュニティー構築支援など地域づくり活動を視野に入れ、今年中の法人化を目標にしています。
地元の若者は「出る杭(くい)は打たれる」という空気を感じ、諦めているところがあります。習うべきリーダーに出会っていないから、後に続く人がいない。
ただ、何かを始めるなら今です。良い意味で今はゼロの状態。後は上がるだけですから。出る杭も、出切ってしまえば打たれない。まずは自分が打たれて見せて、地域の起爆剤になれればと思っています。
周囲の若者にも、一歩を踏み出してほしいと願う加藤さん。そのためには「勇気も覚悟も要らない」と言います。では、何が必要なのでしょうか?
声に出すこと。やりたいことがあったら、誰かに話してみることです。私も、バカにされるのではと怖かった。でも、考えているだけでは実現しません。
私が恩師や仲間にポロっと漏らしたように、周囲に話してみれば、面白いと感じてくれ、力や知恵を貸してくれる人が出てきます。1人ではできないことも、みんなの力を借りれば形になっていきます。
フェスの開催まであとわずかです。忙しさで目が回る状況のはずですが、それでも「今がめちゃくちゃ楽しい」。加藤さんのとびきりの笑顔が、充実した毎日を物語っていました。
被災地に住んでいてもそうでなくても、「何かを変えたい」「変わりたい」と考えている人は少なくないはず。そのタイミングはいつでもいいし、どんなささいなことから始まってもいい。まずは思いを表現してみよう。加藤さんの経験や言葉は、そう教えてくれている気がします。