タイニーハウスビルダーの竹内友一さんが講師となり、昨年10月から3か月間開催された日本初のタイニーハウスワークショップ。
12人の受講生とつくり上げたタイニーハウスは12月に見事完成、お披露目を経て広島のキャンプ場へと運ばれていきました。
この日本初のワークショップに参加した方々はワークショップから何を得たのでしょうか。その話から、彼らがこれからその中心となっていくであろう日本のタイニーハウスムーブメントのこれからを展望します。
ワークショップが行われたのは、山中湖の湖畔のキャンプ場「PICA山中湖」。隔週で参加者が集まり、様々な講師による講義と、実際にタイニーハウスを制作する作業を行いました。
ゲスト講師も初回にはムーブメントの第一人者であるDee Williams(以下、ディー・ウィリアムス)さんをアメリカから招き、その後もmore treesの水谷伸吉さん、藤野電力の小田嶋電哲さんなどを招くなど、タイニーハウスをさまざまな側面から考えました。
3か月の作業の末に完成したタイニーハウスは、幅2.5m、長さ4m、高さ3.7m。外壁は御殿場の丸太を皮付きのまま挽いてもらったものということで、キャンプ場の自然にマッチした雰囲気になりました。
屋根は杉板で、いろいろな色の防腐剤を塗ることでカラフルな屋根になっています。中に入ってみると、ものが無いせいか、意外に広く感じられます。
内装は天竜のスギ、建具も木製(仲間がつくってくれたそうです)なので、木の香りに包まれてとても和みます。シャーシはディー・ウィリアムスさんがポートランドで一緒に開発したというIron Eagle社製のものだそうです。
完成したタイニーハウス
わずか5回のワークショップで、ただの素人が集まって小さいとはいえ家をつくってしまう。
そんな経験をした参加者たちの幾人かに、ライブやフリーマーケットも行われたお披露目会でお話を聞いてきました。
技術ではなく生き方
ワークショップの目的であるタイニーハウスと同時進行で自身の「軽トラモバイルハウス」もつくってしまった手塚純子さんは「20代以来の大きな影響を受けた」といいます。
手塚さん 今までいろんなワークショップをやって来て、失敗やミスコミュニケーションが原因で人間関係がギクシャクしてしまうような事があって、その空気が嫌いだったんです。
講師の皆さんはすごく優しくて、「どんどん失敗して」と言ってくれて、時間に間に合わなくてもちゃんとフォローしてくれるし、その中で仲間とものをつくっていくことの楽しさも感じることができた。
それで私自身もっと優しく人を受け入れようと思えたんです。今回みんなの協力で軽トラモバイルハウスもつくることができましたけど、「いいなぁ」と言われるものをつくって恩返ししていきたいと思います。
手塚純子さんの軽トラモバイルハウス
ワークショップの一番の目的は技術を身につけて自分でタイニーハウスをつくれるようになることで、ほとんどの方がまずはそれ目的に参加していました。
しかし参加した結果、考え方や生き方に影響を受けたということをほとんどの方が言っていました。
丹野香里さんは「タイニーハウスに住みたい」と思って参加したそうですが、ワークショップを通じて解決しなければいけないさまざまな課題に気づき、すぐに住むというよりは、「自分の家や部屋をいじったり、ものを減らしてシンプルに暮らすということをまず“実践”したい」と思うようになったといいます。
「ワークショップを通して、家を建てて住むというのはひとつの表れであって、ムーブメントの核心は生き方そのものにあるんじゃないかと思った」というのです。
田中猛之さんは技術を身につけることから生き方について考えます。
田中さん 実家が農家で、そのリノベーションを自分でしたいと思って参加したんですが、いろいろな機械を使えば素人でもやればできることがわかりました。
昔の百姓は何でも自分でできたのに、今はそれが分断されてしまっている。まずは軽トラモバイルハウスをつくってみたいけど、そこから家に手を加えたりしながら自然のものをもっと取り込んでいく生き方をしたいです。
夜の語らいもワークショップの楽しみ
仲間とつくるということ
そして、もう実際に動き始めている方もいます。
高知で設計などの仕事に携わる中宏文さんは、ワークショップに参加する前にシャーシを購入し、ワークショップ中から家をつくり始めました。
もともと、耐震リフォームなどを手がけていた中さんは「東日本大震災の避難所の生活の映像を見て、オフグリッドの生活は保険として持っておいた方がいい」と感じたそうです。
そして完成させたタイニーハウスは「体験したい人に泊まってもらったり、イベントなんかに運んでいって、オフグリッドの一つの手段としてタイニーハウスがあるということを高知から広げていきたい」といいます。
この時は「2015年1月完成が目標」といっていた家はまだ完成していませんが、ビッグイシューやイケダハヤトさんのブログでも紹介され、じわじわと話題になっているようです。
中さんも「DIYをみんなで楽しみながらつくる人が増えてきて、他の人がつくるときは助けるという形でさらにこれから増えていく」というように、タイニーハウスをDIYの延長にあるDIO(Do It Ourselves)の一つと捉えている方も多く、誰もが「誰かがつくるときには必ず手伝いに行く」と話していたのが印象的でした。
実際に伊藤佳美さんは、高知まで行き、中さんのタイニーハウス制作を手伝ったそうで、タイニーハウスムーブメントの一つの潮流であるコミュニティビルドがここで始まっているのだと感じることができました。
その伊藤さんですが、「絵を描く仕事とハイキングガイドをしているんですが家を持つのをやめてしまったんです」というなかなか興味深い生活をおくる方。
ワークショップも「一人一つタイニーハウスをつくると思って」参加したそうで、あとはタイニーハウスさえあればまさしく「シンプルな暮らし」が実践できてしまう生き方をしているんだそうです。
ワークショップを経験して「3か月間ほんとうに楽しくて、「楽しい」が持ってる力はすごいと改めて実感しました。建てるのは知識も力もいるので、一人じゃ無理だということもわかったけれど、いいタイミングの時にみんなでつくることができるとも思えました」と話してくれました。
日本のタイニーハウスムーブメントの今後
YADOKARIの小屋部の部員でもあるという村上健太さんは「参加する前からタイニーハウスを仕事にできないか」と考えていたそうで、実際にそのためにワークショップは非常に参考になったといいます。
ここで学んだのは、タイニーハウスは単なるプロダクトではないということです。暮らすことを含めて人の生き方が具現化したものだということをより強く感じました。
タイニーハウスにとっては建てる過程も重要で、それを「仕事にするなら、ただつくって売るだけじゃなくて、ワークショップをやってみんなでつくるというやり方も参考になりました。
少し前までシェアハウスで暮らしていたんですが、シェアハウスとタイニーハウスは相性がいいと思うので、自分で住むタイニーハウスをつくりつつ、タイニーハウスの母屋となるシェアハウスのネットワークをつくって行けたらと考えています。
村上さんは他の参加者たちと「Tinyhouse Network Japan」という、日本のタイニーハウス・ムーブメントをつなぐ活動を開始。3月28日には竹内さんも招いて設立記念イベントも開催したそうです。
モバイルハウスではシャーシも重要
中さんや村上さんのように実際にタイニーハウスをつくって、ある意味ではそこからムーブメントを起こしていくことへ進んでいこうとしている人もいますが、他方で丹野さんや田中さんのようにここで得た技術や知識で生活を少しずつ変えていくという活かし方をする人もいます。
どちらもタイニーハウスムーブメントの精神を生き方に反映する在り方だとは思うのですが、日本でムーブメントと呼べる動きが生まれてくるにはまだまだ時間がかかりそうにも思えます。
最後に竹内さんに、1回目のワークショップを経て、今後どのような活動をしていくのか、そして参加した人たちに何を期待するのかを聞いてみました。
竹内さん ワークショップを開催して、いろいろな人と話をしていると、タイニーハウスに興味がある人もいろいろな理由があることに気付きました。シンプルな暮らし、コミュニティーファーム、ゲストハウス、二地域居住、地域振興、災害時のシェルターなどなど。
聞くとどれひとつ同じ答えがないくらい多様な使い方と、その可能性があることにワクワクしました。ここで出会った人たちは、もう既にお互いに連絡を取りながら実際の暮らしや活動に影響を与えあっています。どんな風に日本のタイニーハウスムーブメントが広がっていくのか割と客観的に楽しみなんです。
あと、「実際の暮らしはどうなのか」と心配する声も多かったです。ぼくも自分自身でタイニーハウスに暮らしているわけではないので、それなら「実際に観に行こう!」と。
今年は4月にポートランドで開催されるタイニーハウス・カンファレンスがあるので、それに合わせて渡米して、興味ある人に会いに行きます。自分だけで楽しむにはもったいないので、みんなが見れるようにクラウドファンディングで資金を集めて、ロードムービーをつくろうかと企んでいます。
竹内さんも参加者も、実際に「つくる」ワークショップをやってみて、「暮らす」ことを実践するためには、今の生活からいかにシフトしていくかが課題であると認識したようです。
その課題に取り組むにはまず、ムーブメントで日本の先を行く世界の事例から学ぶことだというわけで、竹内さんはクラウドファンディングを立ち上げ、先駆者たちへのインタビューを映画にしようと行動を起こしたのです。
日本で最初のワークショップでそれぞれが得た学びや課題をいかにムーブメントへとつなげていくことができるのか、今後も面白い動きが色々起きそうですね。