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生き方の最先端は、石巻にある! “世界で一番面白いまち”を目指す「石巻2.0」飯田昭雄さんに聞く「東京にいてもできる、東北との関わり方」

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ソーシャルデザインの担い手を紹介する「マイプロSHOWCASE」スタートから約3年。greenz people(グリーンズ寄付会員)のみなさまの会費をもとに展開する新連載「マイプロものがたり」は、多くの共感を集めたマイプロジェクトの「今」を伝える、インタビュー企画です。

東日本大震災から、もうすぐ4年。あなたは、東北に対してどんな関わり方をしてきましたか?

「気になってはいたけど、忙しくて関われなかった」という人もいれば、「何度か通ったけど、そのうち足が遠のいてしまった」という人もいると思います。

仕事や家庭の状況は人それぞれ。関わっていないことを後ろめたく思う必要は全くありません。でも、東北に通いつづけている人の目にはいま、東北が、“日本の地域の希望”と見えているようです。一体、どういうことなのでしょうか?

石巻2.0」理事の飯田昭雄さんに、お話を伺いました。
 
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(photo: 中楯知宏)

飯田昭雄(いいだ・あきお)
石巻2.0理事。編集者、ギャラリーのキュレーター、広告会社のアートバイヤーと多彩なキャリアを積んだ後、石巻2.0の立ち上げに参画。フリーペーパー「石巻VOICE」の編集を担当した。現在は株式会社電通レイザーフィッシュに所属しながら、継続して石巻2.0の活動に関わっている。

石巻2.0のいま

石巻2.0は、東日本大震災で大きな被害を受けた石巻を、3.11前よりも面白いまちにしようとはじまったプロジェクト。

未曾有の困難に立ち向かう石巻人の声を集めたフリーペーパー「石巻VOICE」、被災したバーを改装した「復興バー」、DIYができる市民工房「石巻工房」、人々が集うビズカフェ「IRORI石巻」といった多彩な取り組みを次々と展開していき、世界中から注目を集めました。

greenz.jpでも、震災から半年後の2011年9月、1年後の2012年4月の2回にわたってその活動を紹介し、「立ち止まらない精神がすごくいい」「パワーあるなぁ」と、たくさんのコメントをいただきました。
 
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真ん中が飯田さん

記事を読んで、石巻のイメージが「大きな被害を受けたまち、支援を必要としているまち」から、「あんな大変なことがあったのに何やら面白いことが起こっているまち、行ってみたいまち」に変わった人も多いのではないかと思います。

前回の記事以降も、石巻2.0では続々と新しいプロジェクトや新たな団体が立ち上がっています。その中から、代表的なものを教えていただきました。
 
(1)若者にITを学ぶ機会を提供する「イトナブ石巻」

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石巻の次世代を担う若者に、ウェブデザインやソフトウエア開発を学ぶ機会と拠点を提供するプロジェクト。

イトナブとは「IT」×「イノベーション」×「営む」×「学ぶ」の造語です。「若者の地元離れ」をITの力で解決し、震災10年後の2021年までに石巻から1000人のIT技術者を育成することを目標にしています。
 
(2)石巻で活動したい人の拠点をつくる「石巻2.0不動産」

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石巻には、一部被災した物件や古い空き家がたくさんあります。建築家とのネットワークや石巻工房を利用して改修し、新しい使い方を提案するのが石巻2.0不動産の仕事。

石巻で新しいことにチャレンジしようとしている人の希望を大家さんと相談しながら調整していて、ここから「八十八夜」という名前のシェアハウスも誕生しました。
 
(3)まちで面白いイベントを仕掛ける謎のパーティー集団「寿DANCE HALL」

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石巻唯一のラッパー「楽団ひとり」が支配人となり、まちなかをディスコにしてしまうプロジェクト。大規模なハロウィンパーティーや忘年会を開いたり、女子高生たちの卒業記念プロムパーティーの企画をサポートしたりと、エッジの効いた企画を次々に打ち出し、石巻を盛り上げています。
 
(4)高校生のためのまちづくりゼミ「いしのまき学校」

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高校生を対象とした、あたらしい石巻を「つくる」ための学びの場。石巻のまちなかでフィールドワークをしながら、未来をつくるための企画を立案・実行しています。

どれも面白いプロジェクトばかり! ここで紹介したもの以外にも、小さなイベントはたくさん立ち上がっています。また、現在水面下で動いているプロジェクトもあるのだとか。「自分のまちにも、こんなプログラムがあったらいいなぁ」なんて思いませんか?

若手と一緒に、ぶつかり合いながらチームを築く

とても順調に道を進んでいるように見える石巻2.0ですが、ここまで来るまでには、きっと大変なこともあったはず。一番の壁は、どんなことだったのでしょうか。

人の問題ですね。2013年頃までは限られたコアメンバーで2.0を回していて、そこに限界を感じていました。

地元に根を張ろうとする若者、やる気があって主体的に動ける若者が入ってこない限りは、動きは加速していかないだろうなと。でも、主体性があって自分で動ける若手とはなかなか出会えなくて、入っても定着しない。現地メンバーはそのことに頭を悩ませていました。

それが、2014年頃から目に見えて流れが変わったんです。たぶんそれは2.0だけの力じゃなくて、石巻工房とかイトナブ、日和キッチンなど2.0から派生したファミリー団体がどんどん成長して、若い子たちが出入りできる場が増えたのも大きいと思う。

全体が底上げされて、良いサイクルが生まれたというのかな。

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(photo: 中楯知宏)

ただ、全てがうまく回りはじめたというわけではないそう。前例のないことに挑戦している団体なので、ある意味それは当然のことかもしれません。メンバー同士で意見を言い合い、ぶつかり合いながらチームを築こうとしています。

若手は言いたいことがあっても上の人には言いづらいものでしょう、どこの組織でも。それを言いやすくするのが僕の役目かな、と思っています。

普段の広告の仕事の中で、僕がやっているアートバイヤーという役目はある意味とても特殊というか。ユースカルチャーやストリートカルチャーにどっぷり入り込んで、そこにいるアーティストや若手たちと気持ちの上でつながることがとても重要なんです。

その根底には純粋に彼等と仲良くなりたいという気持ちがあって、それは2.0の若手も同様だし、すごく尊敬もしているんです。だから、恋愛相談も普通にしちゃう。「こないださぁ…」って(笑)

そうすると彼らも恋愛の話、仕事の話をぶっちゃけてくれるんですよね。同じ目線で話していると、信頼関係ができていくんです。

石巻2.0全体でも、「若手を育てよう、良い方向に導こう」という意識が高まっているそう。そうした空気感は、しっかりと若手メンバーに伝わり、プロジェクトの成長にもつながっています。

2011年から「STAND UP WEEK」というイベントを行っているんですが、2014年はすごかった。

それまでは10から20のプログラムを回していたのが、去年は一気に50以上に増えたんですよ。プロジェクションマッピングとか、自然体験イベントとか。中心になって回していたのは、2.0の若手メンバーです。

僕ら大人チームがいなくても、主体的に動いて、大きなことができるんです。「すごいな、やるじゃん。できるじゃん、2.0の若手」って思いました。うれしかったな。ちょっと寂しかったけど(笑)

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飯田さんが最初に手がけたフリーペーパー「石巻VOICE」。これを参考にして、若手が山下地区を特集した「山下VOICE」を発行しました。(photo: 中楯知宏)

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STAND UP WEEK

東京にいながらでも、できることがある

飯田さんは現在、株式会社電通レイザーフィッシュでアートバイヤーとして働いています。拠点は東京ですが、2.0の活動にも変わらず関わりつづけているそう。

この2年半のあいだに、飯田さん自身にはどんな変化があったのでしょうか。

以前インタビューを受けた頃は、自分でも「なぜ、あそこまで踏み込めたんだろう」と首をかしげたくなるくらい、しょっちゅう石巻に行っていました。

自分の仕事そっちのけで、2.0の活動にのめりこんじゃって(笑)「行かなくちゃだめなんじゃないか」って肩に力が入っていたのもあったと思う。

いまはようやく自分の立ち位置がはっきりしてきたというか、東京にいながらでも役に立つ方法が少しずつわかったという感じです。

たとえばそのひとつが、東京と石巻をつなぐこと。昨年11月、オフィスがいまの東銀座に移転したときは、石巻工房に家具やウッドデッキ工事、カフェスペースの特注巨大AAAスツール等、大掛かりな工事を依頼したそう。「とてもいい感じに仕上がった」と飯田さんも満足げな表情で語ります。

前回のインタビューで、「企業を呼ぶことで経済や産業活動が起こることをサポートしたい」と話していた飯田さん。ちょっと形は違えど、その想いが実現したわけですね。
 
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もうひとつ変わったのは、考え方です。2011年は「目に見える成果を出していかないと」という使命感やプレッシャーがあった。

でもいまはフェーズが変わって、プロジェクトを立ち上げるのも大事だけど、個人というか、目の前の人たちが笑ったり楽しんだりしているだけでいいんじゃないかって思っています。

ほかのメンバーは大きなプロジェクトを動かしているけど、僕はただ石巻の人たちと夢を語っているだけ(笑)

「でもそれも意義のあること」と、飯田さんは続けます。

いま僕は石巻中央地区の橋通り商店街に、「橋通りコモン」というコンテナを使った屋台村を設立する準備をしているんですよ。

こういうのは、外の人だけががんばっていてもだめですよね。そこに地元の人がいないと。そういうとき、普段から付き合いがあるから声をかけやすいんです。

いま、地元の人たちと「どういう場であるべきか」って話し合っているところで、3月のプレオープンに向けて色々と動きはじめています。文化的なスパークが起きる場所になると思いますよ。

東京にいながら東北に関わりつづけるために大事なのは、バランス感覚。気負いすぎると息切れしてしまいます。飯田さんは、無理なく自分を活かせるちょうど良い距離感やポジションを見つけたようです。

民間から行政へ、地方から中央へ

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そして石巻2.0の活動は、今や震災前から石巻が抱えていた諸問題にも、少しずつ変化の兆しをもたらしています。

シャッター商店街、若者の地方離れ、高齢化。震災前の石巻は、ほかの地方都市と同じ問題を抱えていました。

地方には「出る杭は打たれる」っていう悪しき習慣が多かれ少なかれありますよね。石巻でも、意見やアイデアがあっても、行動を起こせずにいる若者がたくさんいたんです。

それが震災でひっくり返った。家にヘドロが溜って、車や船がつっこんでいて、どこから手をつけたらいいのか誰もわからない。

そういうとき頼りになったのは、行政じゃなくて民間の力。ボランティアが泥かきをして、綺麗にしてくれた。

「自分が無理だと思っていたものが、外から来た人の力で解決できる」っていう経験をしたことで、いろんな意見を取り入れる空気が生まれたんじゃないかな。

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震災はもちろん悲しい出来事でしたが、ある意味では、まちが変わるトリガーとなりました。水面に石を投げると波紋が広がるように、石巻のまちで始まった変化は今や大きなうねりとなろうとしています。

たとえばイトナブでは、地元の小学生がアプリを実際につくったりしてるんですよ。

学校では教えてくれない最先端の考え方を、最先端の技術を持っている人が惜しげもなく子どもたちに教えてくれる。この動きにはぼく自身が夢をもらったというか、わくわくしちゃってるんです。

この前は、アメリカからハーバードビジネススクール学生が石巻工房を訪問して、事業化計画を考えていました。センスのある人、嗅覚の鋭い人は、もはや東京を飛び越して東北へ行っちゃうんだよね。

Iターンで石巻に来た人も、どんどん根付いていっています。自分の居場所を見つけて、夢を叶えて。

東京は、何をするにもお金が必要だし、やりたいことがある人には適さない場所になっているのかもしれません。逆転現象だよね。働き方や生き方、考え方の最先端は、石巻にあるんじゃないかと思います。

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行政から民間へ、中央から地方へ、といった既存の流れが逆流し、石巻から始まったグラスルーツ(草の根)的な動きが、日本の地域の未来を変えていくひとつの原動力になる。飯田さんはそう考えています。

オリンピックで公共事業が始まればこの国も少しは潤うかもしれないけど、そのときだけでしょう。それよりも、石巻で起こっている一連の変化のほうが、ずっと日本の地域の未来に、希望を与えてくれる。そう思いませんか?

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(photo: 中楯知宏)

目をきらきらさせながら、そう話す飯田さん。きっとこれまでの歩みを誇りに感じているんだろうな、と思いつつ、最後に「2年半前の自分にアドバイスをするとしたら?」と聞いてみました。

当時は、自分にできることは”編集”だったから、それに全力を尽くしていただけでした。

ボランティアをすることもまちや商店街にコミットすることも初めてで、それがどう作用するかはわからなかった。何かにつながるだろうなという期待はあったんですけどね。

だから、「そのままでいいぞ」って言いたいですね。そのままやっていけば、予想し得ないようなすごくいい未来が来るから、って。

そう言って飯田さんが見せてくれたのが、こちらの「石巻2.0」の年賀ムービーでした。みんなとても楽しそうで、いい表情をしています。
 

「復興の手伝いをしているという気負いや義務感は全くなくて、石巻の人たちと一緒にいるのが楽しいし、関われるのが誇らしいんです」と笑う飯田さん。石巻が特別なものではなく、日常生活の延長にあることが伝わってきます。

3年半続けてきて辿りついたのは、「好きだから、面白いから、関わる」というシンプルで力強い結論。自然体で無理がなくて、素敵だなと思いました。そして、飯田さんのこれまでの軌跡は私たちに、「東北から離れていても、できることはある」と教えてくれます。

もしあなたが「東北に関わりたいけど、もう遅いよね?」と思っていたとしたら、そんなことはありません。

石巻2.0のコンセプトは、「世界で一番面白いまちをつくろう」。変わりつづける石巻に触れることで、これからの時代に必要なヒントが手に入るかもしれません。