私たちの身の回りにある“製品”。これらは、最初からその形で存在しているのではなく、原材料を加工して部品にし、それらを組み合わせて初めて“製品”としての形を成しています。つまり、部品がつくれなかったとしたら、製品の多くは存在できないわけです。
さて、製造業の根幹とも言える部品たち、どこでどのようにつくられているのか、あなたはイメージすることができますか?
大きな機械のベルトコンベアーに乗せられて、全自動でモノができあがってくる大きな工場を想像する人も多いかもしれませんが、大半はそうではなく、中小企業が集まった”ものづくりの町“で働く人々の“奇跡のような職人技”によってつくられています。
今回の記事の舞台は、その “ものづくりの町”のひとつ、大阪府八尾市。ここも、東大阪や東京の大田区と並ぶ、世界に誇る匠の技術が集まっている地域なのです。
にも関わらず、この町で暮らす人の多くが、そのことを知りません。そして職人の方々も、わざわざ声高に訴えるようなことはしません。
でも、“当たり前のよう良いものをつくる”という、私たちが誇るべき営みがそこには確かにあるのです。今回は、そんな魅力に目を向け、八尾の人々と対話しながら町の宝物を見つめ直していこうとする「YAOLA(やおら)」というチームをご紹介したいと思います。
「YAOLA(やおら)」とは?
「YAOLA(やおら)」という名前には、4つの意味が隠れています。それは、八尾市という地名の“YAO”と、「ゆっくり◯◯するさま」という意味の“やおら”。そして「OLA」はポルトガル語で“こんにちは”、スペイン語では“波”という意味。
活動を通じて、八尾の「当たり前のように良いものをつくる」という、ゆっくりとした営みに光を当て、その光が波紋のように広がっていく。
そして「YAOLA」という名前が“こんにちは”という挨拶のように、この町で認知されていくようになりたい、そんな願いが込められているそうです。
左から安川さん、枡谷さん、古島さん。性格も得意技も、見事に三者三様のチーム。
この「YAOLA」として活動しているのが、デザイン事務所「ことばとデザイン」を主催する古島佑起さん、空間づくりとコトづくりを生業とする「アトリエカフエ」の安川雄基さん、そして以前greenz.jpで紹介した、八尾市の印刷会社「シーズクリエイト」に所属する桝谷郷史さんの3人。
現在、彼らは活動のひとつとして八尾市からの委託を受け、商店街やお寺のイベント、お祭り会場など、さまざまな場所に出没して「ものづくりマーケット」を開催しています。
この企画は、普段から何気なく使われている八尾生まれの商品たちを“Made in YAO”として再編集し、展示販売していくというもの。
まず、枡谷さんが市と連携して協力企業から商品や展示品を提供してもらうよう要請し、その商品たちを安川さんが廃材パレットや木材で陳列棚をつくってディスプレイ。
古島さんがロゴや張り紙などをグラフィックデザインやコピーワークで伝わりやすく表現するなど、見事な役割分担によって展示ブースが完成します。
安川さんが、廃棄予定パレットで組み立てた展示ブースに、“Made in YAO”の商品たちが並びます。
ブース横では、大人から子供まで自由に参加できる「ものづくり教室」も実施。参加者は、安川さんの助言を受けながら“つくりたいもの”を考え、工事現場や家具製作の工房から出る廃材を使って、その場で制作します。
「自ら考えつくる」というアクションを後押しすることで、モノへの愛着を生み、ものを大事に使う心を育む取り組みです。
子どもと一緒につくっていたお父さんの方が本気になってしまうこともあるのだとか。
そして最近、「ものづくりマーケット」を開催するために訪問し、関係性のできた企業のみなさんと協力して、八尾の得意技を集めたギフトボックス「やおのオハコ」を自主的に制作。一般販売を開始しました。
中身は「大阪人であれば知らない人はいないのでは?」と思うほど人気な「旭ポンズ」に、小学校のときに誰もが手にしたであろう「フエキノリ」など。「YAOLA」のホームページまたは八尾市観光協会で買うことができます。
こちらがシーズクリエイトの枡谷さん。
桝谷さん このオハコをつくるにあたり、市内のパッケージ会社「高田紙器」さんに相談に行ったのですが、快くサンプルづくりを引き受けてくださって、本当にありがたかったです。
社長さんがたまたま、僕らが「ものづくりマーケット」を開催している「八尾河内音頭祭」の実行委員長をしていらっしゃって、「立場上断れんやろ!」って。粋でしたね(笑)
また、そうやっていろんなところに顔を出しているうちに、市内の商店街や観光協会から「YAOLA」に “困りごと”の相談が入るようになってきます。
内容は、チラシ印刷の相談からお祭りの広報ツールの制作、産業観光のコンテンツ企画、「うちでもなんかおもろいことできへんやろか」というざっくりとしたものも。そんなふわっとした相談がくる状況が、3人はうれしいのだと言います。
取材は八尾の人気店「ダイドコ貼」にて
こちらが「アトリエカフエ」の安川さん。実は3人の中で最年少。
安川さん 枡谷さんは印刷会社の人、古島さんはデザインができて、僕が家具をつくったりできる。
間違いなく僕らは“ものがつくれる集団”なんですが、結局のところ「YAOLA」が何をしているのか、何ができるのかよくわからないまま相談してくれている人も多いと思うんです。でも、それでいいんじゃないかと思っていて。
「YAOLA」は“◯◯を解決します”ってコンセプトみたいなものをあえて掲げていないのですが、仕事ってそもそも“人の困りごとを解決して対価を得ること”だという思いがあって。
その町のいろんなニーズに良い意味で流されていって、一つ一つ応えていったら結果として仕事になって、おもしろくなっていくんじゃないかと。
例えば「中小企業を応援します」って、逆に言えば「中小企業の応援しかしません」って聞こえてしまう。そうではなくて、いろんな相談ができる“近所の兄ちゃん”たちになれたらいいなと。
“家具をつくれる兄ちゃん”じゃなくて、“雑談する兄ちゃんが実は家具をつくれた”、みたいな順番がいいですね。
こちらが「ことばとデザイン」の古島さん。本人曰く、3人の中で一番理屈っぽいそう。
古島さん 八尾に「見過ごせない問題がある」という見方はしていないんですよね。僕らは八尾出身ではないし、住んでもいない。八尾がどうなっていくべきかは正直わかりません。
でも、縁あって八尾に寄せてもらって、あまり知られていない魅力的なものがあることを知った。
その見え方を変えることができたら、みんな喜んでくれるかもしれない、そう思って活動していたら、商店街にコミットできたり、関係性も相談される内容も広がってきている。
僕は仕事柄、目的やコンセプトを明確に決めたがる方なんですけど、「YAOLA」に関しては、そういうご縁やアイデアに流されていくのが良いのかなと思っていますね。
“地域のためにできること”を考え続けた3年間
そもそも八尾での活動を始めたのは枡谷さん。シーズクリエイトの本社がある八尾で、「地域のためにできること」はないか、探しまわることからのスタートだったそう。
枡谷さん 僕は会社のCSR室に所属しているのですが、部署の立ち上げが3年前ほど前、2011年のことでした。
当初はやることが決まっておらず、僕らが何をするべきなのか、何ができるのかを探して、ひたすら町をぶらぶらしていました。
まちづくり協議会や地元の集会など、人が集まるところに行っては「勉強させてください」って言って回っていましたね。
半年ほどその状態が続いた後、転機となったのは意外にも商工会議所の産業PRパンフレット制作のコンペでした。
枡谷さん コンペは運良く取ることができたのですが、その際に出会った、八尾市役所の担当の方が、僕らの部署のことをおもしろがってくれたんです。
冊子をつくる過程で、八尾のさまざまな情報をくれたり、取り組みに対してのアドバイスをしてくれたり。
そしてある日、「八尾河内音頭祭で、八尾の商業と工業を紹介するブースをつくりたいんだけど、プロデュースしてみないか?」と。これが「ものづくりマーケット」の原型です。
一回目の「ものづくりマーケット」。この頃は「八尾もの展」という名前でした。
ここから枡谷さんが八尾市内の企業回りを始め、企業との関係性が深まっていきます。
枡谷さん 「勉強させてください」だけでは、なかなか企業側も受け入れづらいですよね。「八尾市でこういう取り組みをするから協力してくれませんか?」と話せるようになったのは、とても大きなことでした。
20数社の企業訪問を繰り返す中で、職人さんの技やその姿勢に感銘を受けた枡谷さんは、クリエーターが思い思いに町を紹介する「わたしのマチオモイ帖」の八尾版をつくることを決意。
当時「八尾バル」という市民活動で顔を合わせていた古島さんに話を持ちかけます。
八尾の企業4社を取り上げたマチオモイ貼「八尾貼」。
古島さん 枡谷さんと一緒に取材に行かせていただいたんですが、そのパフォーマンスのすごさに圧倒されました。
「その人がいなくなったらどうするの?」という、その人しかできない技術の連続で製品がつくられていて、しかもそれが“日常”になっている。「これはすごいぞ」と。
また、第一回目の「ものづくりマーケット」の際に、八尾に点在する商店街の魅力をまとめたマップを作成するため、各商店街の会長さんを訪問。商店街組合の会合にも顔を出していたそう。
このことが、後に八尾市商業協同組合が管理する「ファミリーロード」からのチラシのデザイン依頼や、「北本町中央通商店会」のイベントへの出展依頼につながっていきます。
商店街の魅力を伝えるマップ。そこで暮らす人の顔が見えてきます。
その後、八尾市から年4回の「ものづくりマーケット」の出展依頼が入り、古島さんが合流。一回目のミーティングの際に、「適任がいる」と古島さんが安川さんに声をかけ、「YAOLA」が結成されます。2013年夏のことでした。
見え方を変えるための媒介になりたい
そんな風に集まった3人に、今後どのようなあり方を目指しているのか問うと、「まだわからないんですが…」と前置きがあった後、それぞれが思いを語ってくれました。
枡谷さん 簡単に言えば、八尾を元気にしたいんです。
でも、その方法が、昔からそこにあるものを無視して新しくつくるのは違うだろうと思っていて、見え方を変えるようなやり方で八尾に目を向けてもらいたい。そのための媒介になりたいなと。
見え方についても、僕らがこうだと思っても、地元の人からすれば違うかもしれない。目的を一つにしぼらずに、一緒に考え続けていきたいんです。
古島さん 僕たちはそれぞれ仕事を持っていて、「YAOLA」にすがって生きていこうとは思っていないんですね。自立しながら関わっていることが大前提で、そうでないとやることが歪曲してくると思うんです。仕事であろうとなかろうと、ご縁で間借りさせてもらっている八尾に、ある程度余力のある状態でやってきて、困りごとに応えていく。そんなスタンスであれば、長い距離を伴走できるんじゃないかって思っています。
安川さん 便利屋になりすぎてはいけないと思うんですが、僕らが何であるというよりも、「こういう人たちなんだ」という“掴まれ方”を大事にしたいですね。流されていくってことなんですけど(笑)
また、枡谷さんには、八尾という町に「自分の居場所をつくってもらった」という思いがあるそうです。
枡谷さん 八尾で活動を始めたのは、もちろん会社が八尾にあるからというのが一番のきっかけです。
でも、通っているうちに知っている人が、一人また一人と増え、挨拶をしたり言葉を交わしたり。住んでいるあたりよりも関係性が深くなって、思い入れもあります。
さっき安川さんからもありましたが、困ったらとりあえず相談できる“近所の兄ちゃん”のような距離感のチームになっていきたいですね。
3人は、当面の「八尾の日常に根づく」という目標のために、商店街の中に拠点づくりを計画中。
そのほか、「やおのオハコ」の利用拡大や工場見学ツアー、協力企業さんと一緒に行うワークショップ、八尾の商品の価値が伝わるパッケージデザインなどにも取り組んでいきたいのだとか。
そんな彼らが思い描く“ほしい未来”はどんな姿なのでしょう。発起人の枡谷さんに聞いてみました。
枡谷さん 自分たちの地域に、こんなに楽しい日常があるってことを皆が感じている、“日常を誇れる未来”ですかね。
まわりを見渡せば、自然がたくさん残っている、おいしいものがたくさんある。一生懸命つくって、日本を支えている商売がある。これってやっぱり、すごいことだと思うんですよね。
誰かの困りごとに出会ったとき、「解決しなければいけない」という発想で考え過ぎるあまり、ゴールや目的を押しつけてしまったなんてことはありませんか?
もしかすると、課題解決のためのゴールや目的を決めることよりも、肩の力を少しだけ抜いて「その困りごとに耳を傾けてみよう」とすることから、自然と相手を元気にする方法が見つかるのかもしれません。
もし、あなたが関わりのある地域で困りごとを抱えている人に出会ったら、まずはじっくりと耳を傾けることから始めてみてはいかがでしょうか?