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大名を日本でいちばんイケてる街に! 福岡のファッションをリードする「BINGO BONGO」宮野秀二朗さんが、ローカル意識に出会うまで

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宮野さんが営むショップ&飲食店

特集「マイプロSHOWCASE福岡編」は、「“20年後の天神“を一緒につくろう!」をテーマに、福岡を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、西鉄天神委員会との共同企画です。

福岡最大の繁華街・天神の西隣に位置し、福岡のトレンド発信地として注目を集めているのが大名エリアです。

10代の頃からこの街に親しみ、20代でこの街に古着屋を開業。自称大名の広報部長として、勢力的に活動を行う宮野秀二朗さんの夢は「大名を日本でいちばんイケてる街にする」こと。今回は大名に懸けるその熱い想いを伺ってきました。
 
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宮野秀二朗(みやの・しゅうじろう)
1975年生まれ。2001年3月、アメリカから買い付けてきた古着やレアなビンテージを取り揃えた古着屋「BIONGO BONGO」を大名に開店。現在は福岡天神地区(大名・今泉)にアパレル2店舗、飲食店3店舗を展開する。音楽イベントやワークショップなどの運営や「FASHION WEEK FUKUOKA」大名地区代表など、幅広く活動中。

天神にも博多駅にもない、大名ならではの魅力とは

福岡には「天神」と「博多駅」という2つの大きな街があります。2011年3月、九州新幹線全線開業に伴い博多駅に巨大商業施設が誕生。以来、「天神」と「博多駅」が客を奪い合うという構図が生まれています。

ただ、それぞれの商業施設のテナントはほぼ同じようなラインナップで、街の個性が失われてきていると感じている人も多いようです。そんななか、「天神」の西隣にある「大名」は、その2つの街にはない独自の魅力を発信し続けています。
 
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「BINGO BONGO」がある大名・紺屋町通り

今回、お話を伺った宮野秀二朗さんは、この大名の街に古着屋を開いて13年。古くからこの街で商売をする先輩たちも、この街に魅力を感じて訪れる若い人たちも知る存在として、自らを”大名の広報部長”と位置づけています。

僕は10代の頃から大名で遊んでいて、修業時代を過ごしたのも、初めてお店を出したのも大名でした。

2000年頃までは全国展開のショップもなく、地元の個性的な人々が思い思いのショップを営んでいたものです。その後、資本力のあるショップがどんどん増えましたが、そのほとんどは現在、天神や博多駅の商業施設へと移っていきました。

大名は一国一城の主が集まる街。当時は、それぞれの店主の個性が強く、一緒に何かをするということはなかったけれど、近年、複数の店舗共同でイベントを立ち上げていこうという機運が高まっています。

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一国一城の主たちが集結した「アパレル大名会」

アメリカでの買い付けで古着の凄さを知る

宮野さんが、洋服屋を志したのは14歳のとき。お父様が50歳の若さで他界し、「人はいつ死ぬかわからないのだから、自分が好きなことをしなければ」と感じたのがきっかけでした。

当時から洋服と音楽が大好きで、新聞配達のアルバイトをして、そのお金で洋服やCDを買っていた宮野さん。高校、大学へと進学しましたが、その夢の実現だけを考えていて、就職活動を全くしなかったそうです。

大学3年の頃までは、友人たちも「就職しない」って言ってたのに、4年になると、みんな髪を切って、リクルートスーツを着て、就職活動を始めていました。僕はそれにしらけてしまって「俺はお前らと違う。初志貫徹だ!」と意気込み、卒業したら店を開くつもりでいたんです。

それを母に伝えたら「あなた、洋服屋がどうやって成り立っているのか解っているの? ただの洋服好きでしょ」と言われて(苦笑)

慌ててアルバイト情報誌を買って、オリジナルのデニムやビンテージを扱っている大名のショップに面接に行ったら、社長に気に入られて「宮野くん、明日から社員で来てくれ」と。運良く社員として働けることになったんです。

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アメリカで買い付けを行う20代の宮野さん(写真右)

入社1年目でアメリカへの仕入れに同行させてもらう機会があり、そこで宮野さんは、初めて古着に出合います。

当時、日本では古着=ファッションでした。でも、アメリカでは、どんな小さな街にもスリフトストア(リサイクル中古衣料雑貨店)があって、そこで売られる古着は、低所得者にとって必要不可欠なものとして存在していたんです。

黒人や貧困層が暮らすシカゴの南側のショップで、1枚99セントのTシャツを必死に選んでいる姿を目の当たりにしたとき、古着=安かろう悪かろうという自分の中でのイメージが消え、人によって価値観が違うことを改めて知りました。

ファッションという点でも魅力的だし、歴史的なものを今に伝えて行くことも興味がありました。そしてもうひとつ、日本で格差が広がったときに絶対に必要になると思ったんです。

ピンチから生まれた新しいスタイルの古着屋が注目を集めた

この体験から1年後、宮野さんは当時働いていたショップを退職。明太子工場や日雇いのアルバイトで資金を貯め、兄・貴夫さんとともに古着屋「BINGO BONGO」を大好きな街・大名に開業します。いよいよ14歳の頃から抱いていた夢を実現したのです。

しかし3回目の買い付けのとき、事件は起こりました。シカゴに到着し、買い付けをスタートさせようとした日の夕方。強盗に遭い、パスポートや免許証とともに買い付け資金300万円を奪われてしまったのです。

命は助かったものの、買い付けを全くできないまま、宮野さんは緊急帰国を余儀なくされました。

新しい商品はない。お金もない。売れ残りの商品をどうやって売るか、兄と一生懸命に考えて、「他の古着屋がやっていないことをやってみよう!」ということになりました。

当時の古着屋って、BGMはロックで女の子が入りづらい雰囲気でしたから、僕たちはボサノヴァをかけて女の子が入りやすくしてみたり、コーディネートを提案して積極的に接客してみたり。

目の前にあるものを売らなくては、次の買い付けに行けませんから、それはそれは必死でしたよ(笑)

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「BINGO BONGO」のブログより

ピンチから生まれた、宮野さんたちの新しい古着屋のスタイルは、一躍注目を集めます。そして、その噂を聞きつけた同業者たちが、こぞって「BINGO BONGO」を訪れるようになったそう。

こうして、他とは違う一歩先のことをやっていった結果、「BINGO BONGO」グループは大名ブーム、古着ブームの一端を担う存在として成長を続けます。スクラップ&ビルドを繰り返しながら、現在はアパレル2店舗と飲食店3店舗を運営するまでになりました。
 
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「BIONGO BONGO SOUNDS」

一方、洋服とともに音楽も大好きだった宮野さんは、創業当時からDJイベントやLIVEイベントを精力的に開催してきました。

創業当時から“アンチ東京=福岡発信”という考えを持っていて、その想いをカタチにしたのが「BINGO BONGO SOUNDS」という音楽イベントでした。

東京だったら2,500円で見ることのできるアーティストのLIVEが、福岡では交通費や宿泊費などの経費がかかるため、3,500円と割高になってしまいます。その状況を壊したくて、通常5,000〜6,000円はとれる内容のイベントを、身を削りながら3,000円で開催したんです。

ピーク時には3日で約2,000人を集めるほどの大イベントになりました。

古着屋「BINGO BONGO」へ足を運んだことのない人も、これらのイベントによって「BINGO BONGO」の存在は広く知られるようになっていきます。こうした活動から、2014年秋に誕生したのが「MUSIC GO AROUND」でした。

天神と大名を回遊するサーキットイベント「MUSIC GO AROUND」

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曽我部恵一さんやCINEMA gub MONKSなどのアーティストが大名に集結しました。

天神・大名エリアのカフェ、レストラン、バー、ライブハウス、コンサートホールなどを1つのチケットで結ぶサーキットイベント「MUSIC GO AROUND」は、13回目を迎えた「MUSIC CITY TENJIN」の一環として開催されました。

「MUSIC CITY TENJIN」の仕掛け人である、西日本鉄道の松尾伸也さんから、「今年はこれまでのやり方を少し変えて、街の人たちと一緒にイベントをつくりたい」と声がかかったのです。

このとき初めて、「西鉄天神委員会」の天神や街に掛ける熱い想いや使命感を知りました。

西鉄は企業なので、企業としての利益を追求していると思っていたのですが、「MUSIC CITY TENJIN」のイベントの日は、「西鉄の関連施設だけでなく、天神地区商業施設全体の売上が10%上がればいい」と思ってやっていると。

それを聞いて「街のことをちゃんと考えてくれているじゃん!」って、イメージが一変しました。

宮野さんが大名の仲間たちに声を掛けたところ、二つ返事で賛同者が集まり、7つの会場で同時多発的に音楽LIVEを開催。延べ1,000人の人々が訪れました。

反省すべき点はたくさんありますが、街に与えたインパクトやその後の余韻という観点から、とても素晴らしいイベントだったと思っています。

これは、日本で唯一の凄いイベントになる可能性を秘めていますし、「MUSIC CITY TENJIN」の中核を担うイベントに成長すると確信していますので、今秋以降も継続していきたいと思いますね。

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「MUSIC GO AROUND」の1会場として「cafe dining bar 7」で開催されたコトリンゴさんのLIVEの様子

人とつながっていくことで、新たな方向性が見えてきた

大名という街を舞台に、さまざまなアクションを仕掛けている宮野さんですが、当初は「ついてきてくれるスタッフのために、とにかく会社を大きくしていこう」という想いの方が強かったそう。

スタッフたちが喜ぶ姿を見ると、その子たちのために、もっとこんな店をつくろう、こんな場所をつくろうと、思っていました。

でも、ある時期から、10年以上一緒に頑張ってきてくれた子たちが、さまざまな理由で退職しなくちゃいけなくなることが続き、壁にぶつかってしまったんです。

「自分は何をしたいんだろう?」と、自分自身を見つめ直したとき、方向性を変えていこうと思いました。

それまでの宮野さんは、人付き合いが苦手で、様々な誘いを何かしら理由をつけて断っていたのだそう。それによって、特に上の世代の人たちから勘違いをされていたこともあったとか。

以前は、「自分たちが全て正しい」と思っていて、自分たちのことを悪く言う人がいても気にしていませんでした。

でも、自分が知らない世界をたくさん見て、見識を高めようと、一人ひとりと会って話をしていくうちに、「いかに自分が小さかったか」を思い知らされたんです。

それからというもの、宮野さんの目標は「会社を大きくすること」ではなく、「やりがいを感じながら何かに貢献すること」になりました。

そして面白いことに、そう意識するようになった途端、様々な人とつながるようになり、「MUSIC GO AROUND」などの相談がくるようになったそうです。

そんな宮野さんの最新の動きは、福岡市といった行政とも連携して、福岡を、大名を、ファッションの街としてさらに注目を集める街にしていくこと。

福岡では2012年より「FASHION WEEK FUKUOKA」というファッションイベントが開催されています。

昨年までは、天神や博多駅の商業施設が中心でしたが、それでは地元で頑張る人たちに行政から落ちている予算が殆ど還元されていません。

そこに大名という街が関わることで、もっと地元に根ざしたイベントになると考え、大名地区代表として「FASHION WEEK FUKUOKA」のワーキンググループに参加しています。

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台湾視察で見つけた感度の高いショップの一つ

その活動の一環として取り組んでいるのが、台湾と大名の交流です。「かつて販売員は憧れの職業でしたが、今は夢がなくなってきているように感じる」と宮野さん。人を募集しても、なかなか集まらないのが現状だそう。

一方、台湾の販売員たちはモチベーションが高くて、あの時代のワクワク感があるんです。そこで思いついたのが、台湾と大名の販売員交換制度でした。

台湾の若い子たちは日本に憧れを持ってくれていて、日本の店に立つことは彼らにとって魅力的なこと。逆に日本の販売員が台湾に行くと、現地の販売員から憧れの眼差しで見られ、モチベーションも高まるはず。

それに、「大名のショップの販売員になったら海外研修あるらしいよ!」という付加価値も付けることができますし。

こうした交流を通して、台湾の若い子たちに「大名って素敵な街がある」ことが伝わり、台湾からの旅行者たちが大名にやってくるかもしれません。

また、感度の高いショップ同士が友好関係を結んで、一緒にイベントを開催したり、商品を委託し合って商圏を拡げたりと、大名という街の露出を高めることで、日本に知れ渡る“District”に成長させることで、人であふれる大名を描いています。

イケてる街にするための「手段」として店がある

そんな宮野さんの夢は、「大名を日本でいちばんイケてる街にする」ことです。

宮野さんにとってイケてる街とは、ローカル意識の高い街。大名を訪れる人たち、大名に暮らす人たちが意識的に地元の店を利用することで、ナショナルチェーンのショップが必要ではなくなり、より魅力的な街になると、宮野さんは考えています。

これまでは自分の会社を大きくすることが目標だったけど、今は大名の街をイケてる街にコーディネートしたいという思いが強くなってきています。

例えば、今までだったら、「自分たちがやりたいからこの店を出す」という感じだったけれど、今は、この街を魅力的にするための手段として僕たちのお店があるという感じ。

5年後には大名に自社ビルを建てて、「大名にあればハマるな」というお店を誘致して、より魅力的な街にしていけるといいですね。

全国各地に同じようなラインナップの店が並ぶよりも、地元らしさを感じられる街の方が断然面白いはず。地元にあるそんな街に足を運び、街に関わり、誇りの持てる街に育てていくと、街に出ることが、もっともっと楽しくなるのかもしれません。

ぜひみなさんも、変わりつつある大名を訪れてみませんか?

(Text: 寺脇あゆ子)