ふるさとの砂を集めてつくったトンボ玉
宮城県中部の沿岸地域・七ヶ浜町の菖蒲田(しょうぶた)浜。8月のある日、東日本大震災の津波で被災したこの浜で、にぎやかに砂を手ですくっては集める人たちの姿がありました。
これはよく晴れた青い空の下、七ヶ浜町にある文化施設七ヶ浜国際村主催で行われた、ワークショップ「EARTH GRASS 七ヶ浜 大地を融かして」の一コマです。内容は浜辺の砂を集めて溶かし、ガラスの小さな玉・トンボ玉をつくろうというもの。
どうして身近な海の砂でトンボ玉をつくろうと思ったのでしょうか、そしてどんな作品が生まれたのでしょうか。今回は小さなトンボ玉をめぐる復興の物語を、お届けします。
七ヶ浜で砂を拾う人たち
日本で3番目にできた歴史ある海水浴場
七ヶ浜町は、太平洋に小さく突き出た半島状の地形。震災で津波の被害に遭う前、名前の通り7つある浜はそれぞれ漁港やヨットハーバー、海水浴場など個性的な顔を持っていました。
中でも菖蒲田浜は、1888(明治21)年に日本で3番目にできた歴史ある海水浴場で、多いときで1日3万人の人出がありました。現在は津波で破壊された防潮堤の建設のため遊泳禁止。跡形もなく流された周辺の住宅地は今も更地のままで、今後、防災林として整備される予定です。
震災で変わり果てた故郷の景色。大切な人や住まいの思い出のある町は、今後も復興の名のもとに大きく変わっていきます。今回のワークショップは、そうした故郷への思いを一握りの砂に込め、きらりと輝く思い出としてトンボ玉づくりを体験しようというものだったのです。
とはいえ津波で家を流された人の中には、写真1枚も残っていないという人も。一個のトンボ玉には、いろいろな思いが込められていきます。
「浜は生活の場だった。津波があったからといってもやっぱり私らは海から離れられない」と伊丹さん。右は聞き手の七ヶ浜国際村の鈴木さん
ワークショップに参加したのは、菖蒲田浜で生まれ育った人や被災して現在も仮設住宅に住む人だけでなく、「海砂でガラスをつくれるの?」と興味をもった人や夏休みの自由研究にという小学生も。
1回目のワークショップでは菖蒲田浜にまつわるお話の時間も。菖蒲田浜で生まれ育ち、震災時には民宿を営んでいた伊丹孝子さんによると、昔(波消しブロックが設置される前)は浜辺が広く、運動会や盆踊りが行われたり、ほっき貝やハマグリなどの貝がたくさんとれたのだそう。
会場にはガラスの起源や歴史、原料やつくり方の展示もあり、身近なようで実は知らないことだらけのガラスの世界をのぞくこともでき、参加者は興味津々。3日間の日程で浜辺で砂を採集し、炉に砂を入れ、溶けたガラスでトンボ玉をつくっていきました。
サハラ砂漠で気が付いた自分にできること
ガラス作家の村山耕二さん
このワークショップの講師を務めたのが、仙台市で「ガラス工房海馬」を構えるガラス作家の村山耕二さんです。村山さんはこれまでもサハラ砂漠の砂をはじめ、宮城県を中心とした河川の川砂を溶かしたガラス作品を生み出してきました。
サハラの砂は風と太陽、川砂は水によって大地が削られ磨かれてできたもの。自然の砂をそのまま生かしたガラスは緑や茶色などの色がつき、採取した場所によって色合いも変わります。
ガラスは透明であることが高品質とされますが、僕は大地の記憶を宿した素材としての土壌(砂)の方にひかれるんですよね。
トンボ玉をつくり始めたきっかけは、2001年のモロッコ旅行でした。
モロッコ政府観光局が主催するエコツーリズムで、干ばつや人口の増加による貧困など砂漠化問題について知った村山さん。ツアーの最中に環境問題に取り組むNPOの方から「あなたはアーティストとして何ができるのか」と問われたそうです。
突然のことでその場ですぐに答えることはできませんでしたが、その言葉は胸に刺さりました。後日砂丘を段ボールのソリで滑って遊んで砂にまみれているうちに、ふと自分はこの砂を溶かしてガラスにできるなと思い立ったんです。
ガラスに宿る大地の記憶
帰国してからサンプルとして採取した砂を溶かすと、サハラの赤い砂は、かつて大地に草木が生えていた記憶を映すかのような淡い緑色のガラスになりました。
イスラム社会で緑色は高貴な色。ときにやっかいものになることもある”負の遺産”である砂漠の砂から、緑色の美しいガラスが生まれたことは現地の人に大変喜ばれます。
その後、村山さんはモロッコ大使館の後援を得て砂を仕入れ、研究を重ねて2004年にサハラの砂だけでつくったガラス器のシリーズをつくり始めました。
日本と世界の砂、砂
また、日本の河川にも関心を持ち、宮城県の広瀬川や名取川、鳴瀬川、阿武隈川、山形県の最上川などの川砂をガラス化していきます。
例えば広瀬川改修工事で排出される残土を使った「仙台ガラスコレクション」では、デザインとディレクションを担当。工業ガラス製品として商品化され、新しい仙台土産として発売されました。
仙台ガラスコレクション(グッドデザイン賞ウェブサイトより)
その土地の風土や時間を映し流れる川の砂を使ったものづくりがもつ新しい地域産業の可能性が認められ、2013年にはグッドデザイン賞も受賞。
モロッコ政府とはソーラーパワーを使った電気炉を使ってガラス製品をつくり、ツーリズムも含めて産業化する計画が話し合われているなど、スケールの大きな活動は目白押しです。
そんな村山さんが被災地の砂を使ってガラスにするワークショップを考え始めたきっかけは、東日本大震災の津波の被害状況や復興の様子などを間近で見聞きしていたことでした。
震災から3年が過ぎ、町の復興が進む中、当事者である住民の気持ちが置き去りにされていると感じることも多いんです。
ワークショップの実現まで時間が掛かりましたが、今のタイミングなら自分の目指すアートで、その土地を離れられない被災者の気持ち、新しい土地で生活を始めながらも故郷を思う人の気持ちを汲んだ支援ができる。
故郷の土壌をガラスの玉にしてそばに置くことがせめて癒しになれば。
2014年3月に初めて、津波の被害の大きかった宮城県南三陸町の住民を対象にワークショップを開催。家の基礎だけが残った自分の土地から砂を集め、トンボ玉をつくりました。
折しもワークショップのすぐ後に、住宅地として再建するために地域全体をかさ上げする工事が始まり、家の痕跡さえも無くなったそう。きっとそのトンボ玉は特別なものとなったに違いありません。
菖蒲田浜の砂はどんな色?
この日は親子連れなど100人余りの人が参加
場面変わって、こちらは七ヶ浜でのワークショップ3日目。この日のために特設したガラス窯に、みんなで集めた砂を投入します。3日前から火を入れて温度を上げた窯のなかで、24時間掛けてトロトロに溶かしてゆきます。
溶けたガラスを村山さんが吹きガラスにしてぷっと薄くのばすと、緑掛かった薄い茶色のガラスに。「菖蒲田浜の砂はどんな色だろう」と興味津々だった参加者のみなさんから、「ほぉ~」と歓声が上がります。
ガラス窯の中からガラスをすくい、ステンレスの芯棒に移したら流れ落ちないよう、くるくると巻いて丸い形に整えていきます。冷めた後に芯からはずすと、ひもを通す穴のあいたトンボ玉のでき上がり!
小さな子どもも自分の手でつくることができました
でき上がったトンボ玉は、菖蒲田浜の砂と一緒に小瓶に詰めて参加者の手に渡されました。
子どものころから菖蒲田浜を目の前に親しみ、ワークショップにも4人のお子さんと参加した吉田玲名さんは、「津波で家もすっかり流されて今は仮設住宅暮らしですが、家族みんなでひとつずつ持って思い出にしたい」と感想を話してくれました。
小さくてもそれぞれができることで、被災者に寄り添う
ワークショップを通して被災地で感じたのは、新たなスタートを切ろうという前向きな視線を持っている人たちが多いということ。震災直後はがんばろうという掛け声にせかされている感じがあったけど、現実を見つめ、時間が過ぎたことで、それぞれに歩みだしている。
アートはほんの癒しにしかならない。けど、それでいい。直後は役に立てることがあるか分からなかったけど、僕たちは僕たちのできることで、これからの被災地の復興を見守りながらゆるーくつながっていけばいいと思っています。
次の日、村山さんたちは1000個を超えるトンボ玉をつくり、町内の仮設住宅やみなし仮設に住む被災者のみなさんに、配って歩きました。今後も3年間、七ヶ浜をはじめさまざまな場所でトンボ玉づくりをしていくそうです。
故郷への思いを胸に歩き出す小さな支えになりますように。手の平の上できらきらと輝く小さなガラスの玉に思いを託します。