今年5月に公開された映画『スーパーローカルヒーロー』は、尾道にあるCDショップのような店「れいこう堂」の“信恵さん”の日常を追ったドキュメンタリー作品です。
より多くの人に見てもらうため、東京を皮切りに全国での上映を実現するためのクラウドファンディングが現在行われています。
信恵勝彦さん
作品はライブステージの荒い映像で始まり、早朝の新聞配達、町の人たちが「れいこう堂」と“信恵さん”についていろいろ話す映像と続きます。
そこではまだ何者か分からない“信恵さん”がこの映画の主人公なわけですが、実際に登場してみるとただのおじさんです。監督は、東日本大震災のあと尾道に移り住み、信恵さんの手伝いをするようになった田中トシノリさん。
信恵さんの日常を追い、昔の信恵さんを知る人たちの話を聞いて、そのただのおじさんが実は「ローカルヒーロー」であるということを明らかにしていきます。
信恵さんがこの映画で取り組んでいる一番大きな活動は、福島の子どもたちや原発事故から自主避難してきた人たちのサポートです。福島の子どもたちを受け入れるためカンパを募り、空き家を手入れし、受け入れ体制を整えようと奔走します。
同時に、自主避難してきた人たちの相談相手にもなり、困ったことはないかといつも気を配ります。
広島で伊方原発再稼働反対のキャンペーンに参加する、信恵さん
そしてもうひとつ、原発事故以前から取り組んでいるのは「音楽」にまつわる活動です。
長年、尾道でCDショップを営み、この街の音楽の「先生」であったという信恵さんは、自費でインディーズ時代のEGO-WRAPPIN’を呼び、ライブイベントを開催するするなど、アーティストのサポートも行ってきました。
今は有名になったアーティストたちが今も信恵さんを慕い、証言者として映画にも登場します。
れいこう堂の店内
さて、この信恵さんのどこが“ヒーロー”なのか。映画の中で、関東から避難してきた女性が「月光仮面のよう」と信恵さんを評します。
「月光仮面」という表現がどれくらい通じるのかはわかりませんが、困ったときにさっとやってきて、問題を解決していつの間にかいなくなっている、そういう存在だということです。
簡単にいえば信恵さんは「とにかく人の役に立つことをする」のです。ただ、その大部分は些細な事です。トナカイの格好をして子どもにプレゼントを届けるとか、草刈りをするとか、かまどを直すとか。
彼は一体なぜそのようなことをしているんでしょうか。映画の中でも信恵さんは、必要なこと以外はほとんど喋らないので、どのように考えてそうしているのかを知ることはできません。
だから、そこに映しだされた信恵さんの行動を見るしかないわけですが、それを見る限り、信恵さんは、目の前の自分ができることだったり、自分に求められていること、それを淡々とやっているだけのように見えます。
そして、それを積み重ねることによっていつの間にか周囲から特別な存在として評価されるようになったのだと。なので、信恵さん自身には「人の役に立ちたい」という強い思いがあったわけではないのではないでしょうか。
ただ自分のやるべきこと、やりたいことをやっていたら自然とそうなってた、そのように思えるのです。
信恵さんがそのようにして自然に周りに評価されるようになっていったのは、信恵さんがローカルな存在で在り続けたからであり、「れいこう堂」という場があったからではないでしょうか。
信恵さんのような人は、そこらじゅうにごろごろいるとは思えませんが、「困ったときにあの人に聞けばなんとかなる」という人はあなたの周りにもいるかもしれません。あるいは昔は、近所にそういう、落語でいうところの“ご隠居さん”のような人がいたのではないでしょうか。
そして、そういう人にはだいたい「行けば会える」場所というものがあります。その人の家なのか、行きつけの飲み屋なのかはいろいろですが、困ったことがあったらそこに行ってその人に相談すれば、それで解決するかもしれないし、解決できそうな人を教えてくれたりする、そんな場所があったように思えます。
軒先でのライヴを楽しむ信恵さん
この映画は最初「れいこう堂」という仮タイトルが付けられていました。信恵さんの映画というよりは、れいこう堂の映画だったのです。
町の人たちは信恵さんという名前はあまり知らず、“店長”と呼んでいたそうなので、れいこう堂と信恵さんはほぼイコールであり、どちらでもあまり変わりはないといえばないのですが、それが意味するのは、信恵さんは常にれいこう堂という場と結び付けられて人々に記憶されていたということです。
そして、それが実は信恵さんが「ローカルヒーロー」になり得た大きな要素だったのです。
今はインターネットやSNSが普及し、地域的なまとまりがなくともコミュニティが存立しえる時代になってきて、反対に地域コミュニティの崩壊がささやかれています。
しかし、そうであってもどこかでコミュニティには中心となるリアルな「場」が必要であるようにも感じるのです。コミュニティというのは人間のつながりとしては中心を持つとは限らないものですが、放って置くと希薄化してしまう人と人との関係をつなぎとめる「何か」は必要とします。
れいこう堂の店前で、アーティストたちとともに
この映画を見て思ったのは、信恵さんはれいこう堂という場を中心に、自然とできたゆるやかなコミュニティに人々をつなぎとめる役割を果たす存在だということです。
それは普段は別にそこに属しているとは意識しないかもしれないけれど、どこかでつながっている感覚がある、そんなコミュニティ、その象徴としてれいこう堂は存在し続けているのではないかと思うのです。
この映画は、信恵さんとれいこう堂を通した人と人とのつながりを描いた映画であり、「自分にできることってなんだろう」と考えさせてくれる映画であると思います。
だから、画面のサイズがコロコロ変わったり、ライブ映像が見づらかったりという映画として不完全に感じられるところも、監督が「自分としてできるだけのことをやった」結果なんだと考えたくなってしまうのかもしれません。
「世の中をなんとかしなくちゃ」と気負わなくても、信恵さんのようににこにこしながらやれることをやっていく、それが本当に世の中のためになることなんだということを、この映画はわたしたちに伝えたいのではないでしょうか。
みなさんもぜひ映画を見て、信恵さんとれいこう堂から世の中との向き合い方について考えてみてください。