「私たちが被災地のためにできることは何だろう?」——2011年の東日本大震災で、こう自分たちに問いかけた企業はたくさんあったと思います。多額の義援金や物資を送ったり、社員をボランティアで派遣したり…企業だからこそ大きな影響力を持ってできることってありますよね。
でも、寄付やボランティアを行うのは、余裕があるときでなければなかなか難しいもの。また、大規模な災害では復興に長い時間がかかるので、継続的な支援が必要です。企業が長く安定して被災地と関わっていくには、どうしたらいいのでしょうか。
そのひとつの答えになるような、素敵な活動があります。それは、通販会社フェリシモが行う「東北花咲かお母さんプロジェクト」です。東日本大震災をきっかけに生まれ、3年半が過ぎたいまでも活動の幅を広げています。
可愛くて楽しい!「花咲かお母さん」がつくった素敵な商品たち
「東北花咲かお母さんプロジェクト」は、被災した女性たちに内職仕事をお願いし、商品価格の一部をお母さんたちの地元に花や緑を植えるための基金とするプロジェクトです。たとえばどんな商品があるのか、いくつか例をあげてご紹介しましょう。
これは、フランスを代表する手芸糸メーカーであるDMC社の糸を使って、福島のお母さんたちがつくったチェーンブレスレット。華やかで繊細で、とてもキュートですよね。
東北6県の花や形がペイントされた、「六葉琴」という名前の手回しオルゴール。ひとつひとつはゆったりとしたオリジナルメロディですが、6つ揃えて連結させるとNHKの復興支援ソング「花は咲く」のメロディを奏でる素敵な商品です。
仙台のお母さんたちがつくるこぎん刺しブックカバー。柄はこぎん刺しアーティストのkogin.netさんのオリジナル。素朴でぬくもりを感じるデザインですね。
そのほかにもアイデアやデザインが光る商品がいっぱい!値段もとてもお手頃で、通販会社としてさまざまな商品を開発してきたフェリシモの強みがいかんなく発揮されています。いかがでしょう、“復興支援”という冠がついていなくてもほしくなりませんか?
「支援されるべき被災者」から、「まちに花を咲かせるお母さん」へ
ではなぜ、フェリシモはこのプロジェクトをはじめたのでしょうか。
フェリシモの本社があるのは、兵庫県神戸市。そう、阪神大震災で被害を受けた都市です。避難所暮らしの辛さを知っている社員たちは、東日本大震災後すぐに物資を自発的に集め、東北へ送りました。また、東北を支援するためのプロジェクトにも取り組みはじめました。
そのうちのひとつが、海の仕事を失った石巻のお母さんたちにセーターをリメイクしてもらい、その商品を販売する企画です。
商品は好評でしたが、この企画に関わった児島永作さんは、「数人のお母さんたちに仕事を依頼し、お金を渡して終わるのではなく、その次につながっていく活動がしたい」と考えたそう。きっかけとなったのは、フェリシモの名誉会長が主催している勉強会でした。
児島永作さん
勉強会で、二宮尊徳が困窮した農村を次々と復興させていった話を学んだんです。なぜそんなことができたのか?いくつかのポイントがあるんですが、そのうちのひとつが「報徳金」という基金制度です。
農家は高利貸しへの借金の返済に苦しんでいました。利息が高いため、返しても返しても借金がなくならない悪循環に陥っていたんです。そこで尊徳はまず、農家に無利子でお金を貸して、高利貸しに全額お金を返させました。
希望を持った農家はがんばって働き、10か月かけて尊徳に借りたお金を返します。借金地獄から抜け出せた農家は尊徳に感謝して、「何かお礼がしたい」と申し出ます。
尊徳は、「それでは、あと2か月分だけ同じ金額を私に下さい。あなたのような人を5人集めれば、次の1人を救うことができるから」と答えたそうです。
誰かに救われた人が次の誰かを救う人になる、そういう仕組みなんですね。それを聞いたときに、「うわー、内職お願いしただけで満足してたらあかんわ」と思いました。
東北のお母さんたちにも、「支援される存在」ではなく、「地域や子どもたちのために何かを与える存在」になってもらうことが大事なんじゃないか。でも、何をしてもらうのがいいんだろう?——児島さんの脳裏に蘇ったのは、東北でボランティアをしたときに見た光景でした。
震災後に何度も東北へ通って泥かきや大工仕事をしていたんですが、あるとき「花壇にお花を植える」活動に参加したんです。震災の年の8月で、まだそこら中に瓦礫や泥がありました。そんな中で花を植えるのか、と不思議に思うでしょう?
でも、お花を植えてみると、風景の中にぱっと彩りが生まれたんです。道行く人の顔がほころんで、車の窓越しにじっと見ている方もいました。
お花を植えるという行為は、“すぐに必要なこと”ではないかもしれないけど、人の心を和ませるんだな。そんな風に思いました。
ここからヒントを得て、児島さんは「東北のお母さんたちに、“花咲かじいさん”ならぬ“花咲かお母さん”になってもらい、自分たちのまちを美しい花や緑で彩ってもらおう!」と思いついたのだといいます。
一緒に価値を生み出し、分かち合う
被災地を巡って手仕事をしたいと考えているお母さんたちと仲良くなり、企画開発した商品を児島さん自ら(!)手づくりしてみて、お母さんたちにつくり方を教える。そんな地道な行動の積み重ねで、「花咲かお母さん」の人数も、商品の数もどんどん増えていきました。
仙台の花咲かお母さんたちと
児島さんが商品を企画するとき苦労するのが、商品の品質とコストのバランスをとること。可愛いけれどお手頃で、フェリシモのお客さまに納得してもらえる価格帯に落とし込むよう、試行錯誤をしています。
フェリシモは元々、「社会性・事業性・独創性の3つの円が重なるところで仕事をする」ことをポリシーとしています。だから、東北を応援する為の製品であっても、求められる品質や利益率はほかの製品と同じなんです。
厳しいようですが、だからこそ緊張感が出て、売れる製品が生まれるんだと思います。
東北の人たちを一方的に支援するのではなく、東北の人たちと一緒に価値を生み出し分かち合う。いわゆるCSV(Creating Shared Value/共通価値の創造)という考え方です。
「フェリシモにできることはなんだろう?」ではなくて、「フェリシモがお客さまと一緒にできることはなんだろう?」「東北の人たちと一緒にできることはなんだろう?」といつも考えています。そのほうが、関わる人たちにとっても楽しい企画になり、長続きするんじゃないでしょうか。
活動を通して生まれた、たくさんの絆
2014年10月現在、基金は300万円以上貯まり、岩手・宮城・福島の3県で合計5回の花植えを実施しました。
道沿いに八重桜や陽光桜を植樹したり、パンジーやビオラなど色とりどりの花をプランターに植えて仮設住宅に置いたり、植える場所や花の種類は地域によってさまざまです。中学校の校庭に植えることもありました。
自分が頑張った手仕事によって、かつて通っていた学校や、将来子どもや孫が通る道が花でいっぱいになっていく。お母さんたちにとってそれは、自分のお小遣いが増えるよりずっと嬉しいに違いありません。花植えのとき、お母さんたちはとびきりの笑顔を見せてくれるそうです。
そんなお母さんたちの姿は、全国の人々に元気を与えているようす。闘病中の方から「励まされた」と手紙が届いたこともあるのだとか。児島さんは、「花だけじゃなく、笑顔も咲かせるお母さんになってくれましたね」と嬉しそうに微笑みます。
花植えイベントには商品を買ってくれたお客様も参加してくれて、いままで手紙でしかやりとりしていなかったつくり手と買い手がつながったんです。手を取り合って喜んでいる光景を見て、このプロジェクトをやってきてよかったと思いました。
ひとりのつくり手さんが、「津波でいろんなもの流されたけど、フェリシモさんを通じて出会ったたくさんの人との絆は一生流されない」って言っていて、じーんとしました。
児島さんは、今後もさまざまな団体とコラボしながら「東北花咲かお母さんプロジェクト」を続けていきたいと考えているそうです。
自社の強みを活かした活動を考え、お互いにとって価値となるものを生み出していく。「東北花咲かお母さんプロジェクト」の事例からは、たくさんの学びを得ることができそうです。
「支援したくても、余裕がなくてできない…」という企業のみなさん、「東北のために自社ができること」ではなくて、「お客さまと一緒にできること」や「東北の人たちと一緒にできること」を探してみませんか?そのほうが、一方的に支援するよりも大きな価値を生み出せるかもしれませんよ。
(編集協力:東北マニュファクチュール・ストーリー)