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みなさんは、いまの働き方や労働時間に満足していますか? 「長時間労働大国」とも呼ばれる日本。「もう少し自分の時間がほしいな」と思っている方も多いのではないかと想像します。
個人の働き方は、社会のあり方と密接に関連し、相互に影響を及ぼすものです。いまの働き方をずっと続けていったとき、果たして日本の未来は明るいのでしょうか?
労働経済学や人的資源管理論を専門とする経済学者の松原光代さんに、2030年の日本が抱えるリスクについてお話を伺いました。
経済学博士。学習院大学経済経営研究所客員所員/東京大学ワークライフバランス推進研究プロジェクトメンバー。東京ガス株式会社を経て、2001年に学習院大学経済学研究科博士課程へ進学、2010年に博士号を取得。ダイバーシティやワークライフバランスに関する研究を行い、国や自治体による委員会の委員を歴任する。
優秀な女性たちに働き続けてもらうには、どうしたらいい?
グリーンズ まず、松原さんの経歴について伺いたいのですが、大学を卒業して東京ガスに就職された後、どうして研究の道に入ったのでしょうか?
松原さん 私が最初に就職したのは1992年で、1986年の男女雇用機会均等法の施行を受け、東京ガスが女性総合職を採用しはじめて5~6年経過した頃でした。ちょうど、女性総合職として入社した先輩たちが、「仕事と家庭をどう両立するか」という壁に直面し始めていて。
彼女たちは男性と同じように働きながら、妻、母の役割もこなそうと奮闘していました。しかも、部署によってはお茶汲みやコピー取りなども女性総合職に求められていた時代で、ひとり何役も果たして一人前と言われる状態だったんです。
「これではスーパー・スペシャル・ウルトラウーマンでなければ働き続けられない」と思いました。
グリーンズ 確かに。
松原さん 私は人事部に配属されたので、「優秀な女性たちが退職せずに、その能力を発揮しつづけるために企業は何をすべきか?」を考えるようになり、女性労働について学びはじめたんです。
それで大学の先生などにご相談していたのですが、次第に専念して学ぼうと考え、東京ガスを退職し研究の道に進むことにしました。
グリーンズ その後は、どんな研究をされてきたんですか?
松原さん いわゆる「ワークライフバランス」や「ダイバーシティ」と言われている分野が中心ですね。データ分析やヒアリングによる定性分析を行い、女性はもとより、多様な人材が活躍するためにはどのような制度や仕組みが必要かを提言しています。
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若者の4人に1人!増え続ける非正規雇用労働者
グリーンズ そんな松原さんが、「このままいくと2030年の日本は危ないのでは…」と感じていることはありますか?
松原さん 私が懸念しているリスクは、非正規雇用労働者の増加です。非正規雇用労働者とは、いわゆる”正社員”以外の、契約社員、派遣社員、パートタイマー、アルバイトといった方々を指します。
現在、全労働者の中の36.8%を非正規雇用労働者が占めています。特に25歳から35歳までの非正規化が顕著で、4人に1人は非正規という状態です。その割合は今後も高まると見込まれています。
グリーンズ 何が一番の問題なのでしょうか?
松原さん 正社員として入社すると、「何年後にどのような仕事しているか」といったキャリアビジョンが示され、そのために必要な経験や研修などを、所属している組織が自動的に用意してくれます。また、キャリアアップに伴い給料も上がるので、生活設計も立てやすくなりますよね。
一方、非正規の場合は、そういったキャリア形成の対象から外れているため、仕事は同じままで、新しい能力開発も難しいといえます。そうすると、給料も上がらないため充分な貯蓄ができず、生活設計を立てにくいことから結婚や子どもを持つことも難しくなる。
こうした状況が続くことで、少子化はさらに加速化し、国内総生産も低くなって経済が落ち込むことが予想されます。労働力人口も減少するので、生産性も低くなる。
グローバル化が進む中で企業は競争力を失い、グローバル経済の中で日本は埋没してしまうのではないか、という危機感をもっています。
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グリーンズ ただ、企業側としては、経費削減のために非正規雇用労働者を確保したいという思惑もありますよね。
松原さん そうですね。グローバル化の進展により競争はますます激化します。だからこそ企業は厳選して正社員を雇用し、それ以外は非正規労働者に仕事をまかせて事業を運営するという方法をとらざるを得ないと考えています。
とはいえ、”正社員”と”非正規”が、身分制度のように固定されてしまうと、さまざまな弊害が出てくるでしょう。たとえば、一部の正社員が安定した処遇に満足してしまって能力開発を怠ったり、非正規労働者は自分の将来に希望を持てず労働意欲やモラルの喪失に陥ってしまったり。
グリーンズ 最近、人間関係や社会的地位など失うものがないために、罪を犯すことに抵抗がない”無敵の人”が、話題になっていますね。それも「将来に希望を持てない」ことが要因のひとつかもしれません。
松原さん ええ。労働問題は、社会の治安に密接に関係しているんです。ですから治安の悪化も、日本がこれから直面する大きな問題のひとつでしょうね。EU諸国はいち早く危機意識を持って、処遇の見直しを進めています。
就職氷河期に当たってしまったために正社員として就職できなかったり、病気や家族の介護に直面して、働く意欲はあっても断念せざるを得ないという人はたくさんいます。そうした人たちにも機会が提供されたり、限られた時間の中でも能力を発揮できる社会的仕組みにしていかなければいけません。
「年齢が高いから/低いから」「男性だから/女性だから」「正社員だから/非正規だから」といった「属性」でなく、モチベーションや能力に応じて処遇を決める。そうした適正処遇を実現していかないといけないと思います。
「短時間正社員」が解決の鍵になる!?
グリーンズ 具体的には、どんな制度や政策が必要だと思いますか?
松原さん 私は「短時間正社員」が鍵だと考えています。短時間正社員とは、期間の定めのない労働契約を締結していて、時間あたりの基本給及び賞与・退職金などの算定方法が、フルタイムの正社員と同等である社員のことです。
簡単にいうと、「パートタイマー」と「正社員」の間にある雇用形態ですね。
グリーンズ なるほど。
松原さん たとえば優秀だけども、フルタイムでは働けないパートタイマーを短時間正社員として登用し、これまでの労働時間のまま、難易度の高い仕事を任せます。その後、責任ある仕事をやっていく中で、短時間正社員が「もっとキャリアアップしたい」と考え、会社側もその人に期待すれば、正社員に引き上げる。
EU諸国では、「同一労働同一賃金」という、「同じ仕事をしていれば、雇用形態に関わらず処遇は同じ」とする傾向がありますが、日本では「然るべき人の処遇やキャリアを段階的にあげていく」というシステムの方が、定着しやすいのではないかと考えています。
グリーンズ それはどうしてですか?
松原さん わが国には「育児短時間勤務制度」という類似する仕組みがあるからです。これは、3歳までのこどもを養育する労働者が短時間勤務を選べる制度で、どの事業所も必ず整備するように法律で義務づけられています(1日6時間勤務は必ず整備)。
これは、まさに「短時間正社員」なんですよね。そういった下地があるので、日本では短時間正社員制度を受け入れやすいのではないかと考えています。
グリーンズ ふとした疑問なのですが、「正社員になりたかったけどなれなかった」人は、いち早く正社員になりたいと思うのではないでしょうか?
松原さん もちろん、そういう人もいると思います。ただ、フルタイムの正社員には残業や全国転勤の可能性があります。それができないために非正規を選ぶ、という人も少なからず存在するんですよね。
たとえば、3歳以上の子どもを持つ方や、家族の介護をしている方は労働時間を限定しつつ、能力を上げる機会が得られる正社員でいることで、キャリアを諦めずにすむのではないかと思います。
問題の根本にあるのは、フルタイム正社員の長時間労働
松原さん 日本では、出産を機に6割の女性が離職します。「未だに6割も」と思いませんか? その人たちの大半が、労働市場に戻ってくるときはパートタイマーなんです。
能力もやる気もあるのに、適正な処遇やキャリアアップの機会が提供されない人たちが少なくありません。10年以上この問題に取り組んできて、進展の遅さには忸怩たる想いを抱いています。
グリーンズ 制度が整っていても、周囲の理解が得られないというケースもありますよね。大企業に勤める独身の友人が、「時短勤務中の同僚のトラブル処理を当然のように押しつけられる」と嘆いていました。その気持ちも分かるのですが…。
松原さん まず、育児中の母親・父親世代に伝えたいのは「家庭内ワークシェアリングをしましょう」ということですね。
たとえば、週に2日は父親が早く帰ってきて、子どもを保育園に迎えにいく。母親が週に2日フルタイムで働くことができれば、よりチャレンジングな仕事に取り組めるし、職場の人にも納得してもらいやすくなります。
こういうと、男性は耳を塞ぎたくなるかもしれません(笑)でも、安定した家計の維持には共働きが不可欠という時代となる中、「お互いのキャリアをサポートしあう」という意識がとても大事です。「自分がパートナーの最高のサポーターになるんだ」と思ってほしいですね。
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松原さん 一方で、正社員の働き方を変えていく必要もあります。育児短時間勤務制度は法律で整備されているにも関わらず、使いづらいという声は多数あります。その原因は、正社員の長時間労働にあるんです。
たとえば、1日8時間勤務が普通の職場で、6時間勤務を職場のひとりが取得した場合、他のメンバーがカバーする時間は2時間で済みます。しかし、1日12時間勤務が常態化している職場では、カバーする時間が6時間になります。そうなると周囲の負担感はずっと重くなりますよね。
短時間正社員制度を定着させていくにあたって一番の課題は、実はフルタイム正社員の働き方をいかに是正していくかということなんです。
グリーンズ 中には仕事が生きがいで、「ワーク=ライフだから分ける必要なんてない」と考える人もいますよね。
松原さん もちろん、「バリバリ働く」という価値観を否定はしません。私自身も、ワークライフバランスを専門にしていながら、研究に没頭して徹夜続きになってしまうなど、自己矛盾を抱えていますから(笑)
でも、昼も夜もなく働くことで出世してきた世代が管理職になり、若手社員にも同じ働き方を求めることには反対なんです。
彼らがそういう働き方をできたのは、右肩上がりの経済の中で、会社が一家を支えられるだけの給料を支給してくれ、妻が専業主婦としてサポートしてくれたから、というケースが少なくないのです。
今後、グローバル化がさらに進み、コスト競争が激化していけば、給与が右肩上がりになることは難しい。そうすると共働きをしないと家計を維持できないので、若い世代ほど共働きが一般化すると考えられます。だからこそ、「あなたたちの働き方を、若い世代に求めるのは酷ですよ」と伝えたいですね。
それに、家計が小さくなったら消費も落ち込み、製品やサービスも売れなくなります。企業も国も持続的に発展させるためには、若者たちの働き方やキャリア形成のあり方を考えないといけません。
管理職が介護問題に直面したとき、職場は変わる
グリーンズ 本当に経営者や管理職の意識が変わるには、何が必要だと思いますか?
松原さん ご自身が介護問題に直面するときこそ、一つの機会になると思います。
2010年の東大の調査で、大企業6社で働く40代以降の社員に対して、「今後5年のうちに家族・親族を介護する可能性がありますか?」と質問したところ、「ある」又は「少しある」と答えた人が8割いました。
そのうち、「将来介護することになった場合の継続就業の可能性」について聞くと、「続けられると思う」と答えた男性は40.3%、女性は26.4%でした。「続けられる」と答えた男性の多くは、「親の介護が必要になったとしても、妻が面倒を見てくれるだろう」と考えています。
でも、奥さんの両親の介護が同時期に重なったら、自分の親は自分で見なければいけなくなるかもしれません。その可能性はとても高いのですが、想定していない方がまだまだ多いんですよね。非常に楽観的な数字だと思います。
介護を理由に仕事を辞めた人は、2012年度で487,000人に達します。50歳近くで介護のために退職した場合、現在の平均寿命が80歳以上であることを勘案すると、約30年間も続くんですよね。
その間、収入もなく、貯金だけで食べていくのは非常に厳しい。実は、貧困層に陥る介護離職者が増えているんです。
グリーンズ それは大きな問題ですね。
「手助け・介護を機に仕事を辞めてからの負担増加の割合」 出典:三菱UFJリサーチ&コンサルティング「平成24年度仕事と介護の両立に関する実態調査のための調査研究事業報告書」
松原さん 昨年、介護保険制度が改正されたんですが、それによって要介護度が高い人しか施設に入れない仕組みになりました。これからは、要介護度が軽度の人は、家や地域で面倒をみなければいけないのです。
その一方で、介護は育児に比べ、社会的サービスの柔軟性が低いといえます。たとえば、託児所では20時頃まで預かってくれるのが一般的となってきましたが、介護のデイケアなどは基本的に18時までです。長時間勤務が当たり前の職場で、自分も管理職として働いていて、18時までに帰宅できるでしょうか。難しいですよね。
介護離職者の退職理由は、「仕事と介護の両立が難しい職場だったため」が6割を超えます。自分たちが介護の問題に直面することで、労働状況を変える必要性を知る管理職は多いと思います。それが「正社員の長時間労働」を改善する大きな機運になると考えています。
グリーンズ そこでようやく、管理職にとっても”自分ごと”になるんですね。
松原さん 繰り返しになりますが、管理職の方には「自分の介護問題を想定していまの職場の労働環境を見直しましょう」と伝えたいですね。特に、短時間正社員制度は週の勤務日数を減らすこともできるので、仕事と介護の両立に有効な制度ですし、在宅勤務も進めるべきだと思います。
EU諸国は介護時代の到来を視野に入れ、在宅勤務制度を積極的に普及させていて、その導入率は3割になっています。一方、超・超・超高齢化社会に突入している日本では0.8%。法整備や運用が大変遅れています。
なぜEU諸国はできているのに、日本ではできないのか? それを棚卸しして解決していかないと、10年度20年後、企業は立ち行かなくなってしまうでしょう。
労働人口が減少していくこれからの時代だからこそ、あらゆる人材の能力を活用し労働力を確保していくよう、企業はリスクマネジメントの一端として取り組んでいただきたいですね。
松原さんのお話、みなさんはどう感じましたか? お話を伺っていて、今がまさに労働環境が大きく変化する過渡期であることを改めて感じましたし、だからこそ混乱も生じて、大変な想いをする方もいるでしょう。
とはいえ経営者として、管理職として、労働者として、それぞれの立場からできることはありそうです。2030年、「こんな風に暮らしていたいな」という未来のために、自分の働き方も見なおしてみませんか?
(撮影:山本恵太)