はじめて訪れたはずなのに、リラックスして落ち着くことのできる不思議な感覚を抱いたことってありませんか?その「居心地の良さ」は、一体どこからくるものなのでしょう。
自分自身が感じていることと日常をつなぐヒントは、感じていることのひとつひとつを少しずつ掘り下げて、想像していくことから発見できるのかもしれません。それが、自分だけの”暮らしのものさし”をみつける一歩になることも。
今回は、鎌倉で暮らしながら新しい「モノづくり」を描き続け、日本の「ファブラボ」や「ファブシティ」を推進する田中浩也さんにお話を伺いました。
鎌倉で暮らすことが長年の夢だった
鎌倉は山と海に囲まれ、自然豊かで古い町並が残る地域。都心からのアクセスも良いことから、働き方と暮らし方の両立を求めて移住を選択する人も少しずつ増えています。
JR鎌倉駅から、徒歩数分の古い蔵で暮らしている「ファブラボ鎌倉」発起人で、慶応義塾大学環境情報学部准教授の田中浩也さん。
ファブラボとは「ほぼあらゆるもの(”almost anything”)」をつくることを目標とした、3Dプリンタやカッティングマシンなど多様な機械を備えている実験的な市民工房のネットワークで、2011年5月に、鎌倉と筑波に日本で初めてできました。
田中さんは、2010年にアメリカ留学から日本へ帰国する際に「日本に帰ったら、日本らしさの溢れるファブラボをつくろう」と考えていたのだそう。当時、実現できる場所を探していたところ、インターネットで見つけることができたのは、現在のファブラボ鎌倉がある場所でした。
田中浩也さん
ここに住もうと思ったのは、長年の夢を実現するためでもありました。高校生のとき京都へ修学旅行に行った際に、日本の木造建築の魅力に深く触れて。いつか、文化を感じる場所に身を浸して暮らしたいと考えていました。
できることなら、デジタルからアナログまで、古いものから新しいものまで、どちらの良さも感じられる多様性のある場所でファブラボをはじめたいという思いもありました。鎌倉は、町を歩いているだけでいつも新鮮な刺激をもらうことのできる場所だと感じたのです。
田中さんは「住む場所と工作できる場所」がほしくて探していたと当時を振り返ります。ずっと思い描いていた場所は、「結の蔵」と名づけられた古い酒蔵にありました。
面接のある住宅。日本のいいものを伝えたい
田中浩也さんと渡辺ゆうかさん(photo by www.tonymcnicol.com)
実は、この家には面接というものがありました。当時はアメリカに住んでいたので、ファブラボ鎌倉現ディレクターの渡辺ゆうかさんにお願いして僕の代わりに「結の蔵」を見てもらったり。Skypeで「結の蔵」のオーナーと事前にお話をさせていただき、やりたいことを説明しました。
インターネットが普及した現代でなければ実現できなかった方法ですよね。アメリカに留学していた僕は、帰国してから初めて実物を見たんです。
鎌倉でも、古民家を購入することはなかなか難しいとされていますが、ここは賃貸なんです。なぜ賃貸で、わざわざ面接をして若い方に貸しているのかというと、日本のいいものを伝えたいという思いがあったんですね。
鎌倉に引っ越してきた当時を振り返ると、新しい場所や多くの出会いに恵まれたけど、本当の意味では「家がない状態だった」と田中さんは話します。
日本に戻ってきて最初の半年は、ファブラボに住んでいるという日々でした。これは特殊な状況だと思います。いろんな人が来てくれて嬉しい反面でプライベートが全くないことに気づきました。人間はプライベートな空間が必要なのだと初めて気がついたんです(笑)。
日々の暮らしって何でしょうね。僕にはなんだかわからなかったりします。いつも生活と仕事が混ざっているのだと思います。
僕の場合は、暮らしのある家の中も、家の周りも楽しいです。ただ歩いているだけでも楽しくて鎌倉の町が全体として好きで飽きない。何よりも鎌倉に来て、人との関わりがぐっと増えました。家族ではないけれど、新しいコミュニティ。家族のような関係性がここにはあります。
3年前には「結の蔵」のメンテナンスのため、壁面に柿渋を塗るために集まった人たちと一緒に作業をしたりもしました。ちょうどコミュニティデザイナーの山崎亮さんも訪れてくれていた日で。このように、「結の蔵」を通じて新しい出会いがあり、そこで妻にも出会えました。
多くの人に「この場の良さ」を伝える
ファブラボ鎌倉を設立した後、半年ほどして同じ蔵内の住居スペースに引っ越すことに決めた田中さん。「結の蔵」のオーナーからは、改めて住宅を借りる条件がありました。それは「なるべく多くの人に、この場所の持つ良さを見せてあげてください。そういう暮らし方ができますか?」というものでした。
住宅としては、暮らしながらそこを開放して見せるというのは無茶なことかもしれません。しかし、僕は学生をはじめ海外からのゲストに、パーティーなど多目的に活用しながら、この場所の良さを共有しています。僕にとっては、ここで暮らすことはすごく丁度よかったんだと思います。
「結の蔵」のオーナーは「日本の技や文化のある場所に身をひたしていると、気持ちが磨かれて人間的にも成長できる」とも言ってくれました。僕自身、ここにいると気持ちが落ち着いて心が浄化されていくのを感じています。僕は夜、この木の机で執筆するのが好きなんです。深く考えることを促してくれるというか。
普段は大学の准教授として働いていますが、学校やオフィスに書斎を持っていなくて。この家で何かを考えたり過ごすことがとても仕事にも良い影響をもたらしてくれているように感じています。
田中さんは、誰かと場所や時間を共有するうちに、自然と人と人の間にコミュニケーションが生まれていることに気づきました。訪れてくれた人の反応で、「結の蔵」という場がもつ魅力を再発見することも多いのだそう。
他の人の視点を元に、場所の良さを改めて認識することで、住みはじめた頃の気持ちに何度も立ち返る機会にもなっていると話します。
ものづくりがつなぐ、地域のコミュニティ
鎌倉に暮らすことになって4年。田中さんの1日は、リュックサックを背負い「いってきます!」と鎌倉の街並を歩いて散歩をすることから始まります。この地域で生まれている新しいコミュニティの姿にも、とても興味があるのだそう。
結の蔵は、その名の通り鎌倉のコミュニティを育んでいる
「ファブラボ鎌倉」についていえば、今では運営を渡辺ゆうかさんに託しました。それは、僕が1歩引いてみることで、また別の広がりがあるんじゃないかと考えたんですね。今、ファブラボアジアの大きなネットワークづくりのため、僕はあちこちを訪問しているんです。
一方、ファブラボ鎌倉では渡辺さんを中心として、「朝ファブ」という月曜の朝に地域の人が集まってものづくりができるオープンデーができました。そこには地域の人が参加している姿があり活気もあって、楽しそうな時間が流れています。僕もたまに顔をのぞかせて、地域にあるコミュニティの良さを感じています。
田中さん愛用のスーツケース
ファブラボがあることで生まれる地域のコミュニティは、国内で少しずつ広がり、2014年8月の時点では国内10カ所にファブラボがオープンしています。
今、日本国内で新しいファブラボが生まれています。特に最近、浜松にできた『ファブラボ浜松』は畑の真ん中にあるんです。これまでのラボのような利便性はありませんし、なかなか気軽に行けない場所だとも思います。
だけど県外から行く僕はすごく魅力的に感じます。 自然とデジタルが共存している姿も面白いです。こういう唐突感や、不思議な組み合わせがいいんです。
そこに暮らしていると見えない魅力も確かにあって。外から見つめてみるからこそわかることなのかもしれません。よく地方に行くと、地域の皆さんは「何もないところですよ」と言ったりしますから。でも僕からみると宝の宝庫なんですよ。
実際に暮らしながらつくることは、都会の人が理想とするロハスライフのようなものや、憧れのツーリズムとは次元が違いますよね。しかし、そういった環境に身を置いてみることや、自然豊かな場所と都会を行き来することの大切さを感じています。
コミュニティを複数もつという暮らしかた
「FAB」の世界では、言葉で伝える方法だけでなく、手触りや素材を感じてつくることを大切にしています。物語ることと、モノをつくることの両方をやっていきたいと考えていることの表れでもあります。それはコミュニティづくりにもつながる話なのだと田中さんは話してくれました。
言語でいうと、2カ国語を勉強しようとすることに似ているかもしれません。
世の中を変えるというのは、世の中の大多数の人に影響を与えていくことだと考えられているのですけれど、ある1人の人に対して劇的に影響を与えて、その人の人生が大きく変わるというのが重要であるようにも感じています。量より質、広がりよりも「深さ」を大切にしようという価値観です。
今ある情報化社会では、ネットライフとリアルライフのふたつを両立するような暮らしが重要なのではないかと思います。言わば「陰陽」の関係性で、どちらかひとつにしないという選択です。ネットでつながっているコミュニティと地域に根ざしたコミュニティ。
僕はこの2つのコミュニティをもつことが大切だと考えています。「どちらか1つではなく、2つ持とうよ」という考え方です。「ファブラボ」の魅力も、結局は各コミュニティに存在するコミュニケーションや、人のネットワークの良さだと思います。
最初は、3Dプリンターなどのデジタル工作機械に興味を持ってきてくれる方々も、来てみると結果として別の魅力に気づくことが多い。その場に集まっている人々との出会いや交流の楽しさに触れて、ネットワークの本当の良さを知るというか。
3Dプリンタなどの「機械」は、すぐにコモディティ化していきます。でも、人との出会いやネットワークやコモディティ化しないし、そもそもお金で買えない。こういう価値を蓄えていきたいですね。
必要なものを、必要なだけ、自分たちでつくる
今年の5月に、田中さんの新書『SFを実現する-3Dプリンタの想像力』(講談社現代新書)が出版されました。いま、メディアでは「3Dプリンタ」の報道が大流行しています。性能や、価格や、どれくらいの市場規模になるか、といった具体的な情報が流れ書籍もたくさん出版されています。その中で、田中さんはずっと違和感を感じていたのだそう。
僕としては2冊目の単著となります。この本では、3Dプリンタに関する書籍がたくさん出版されているけれど、どれも何か大切なことを忘れている、と思っていたんです。それは「想像力」。
どんなに便利な機械ができても、想像する力がなければただの箱ですし、実は単に機械に操られているに過ぎない。3Dプリンタを有意味に利活用するためには、機械の性能などではなく、それを越えるための新しい「想像力」が必要なんです。それを渾身の力で書きとめたつもりです。
僕が3Dプリンタを「暮らし」にどう役立てているかも書きました。家の洗濯機を修理した話、かばんのフックをつくった話。鎌倉のライフスタイルは、きちんと「新しいもの」と「古いもの」を共存させていくだけの包容力を持ち合わせていると思うんです。
そして、必要なものを、必要なだけ、自分たちでつくる、という活動には本当に適していると思っています。まちの雰囲気自体がそれを後押ししてくれているようにも感じるんですよ。
あなたはどんな暮らしをつくりたいですか?
インタビュー中、3Dプリンターは「あなたは何をつくりたいですか?」とわたしたちに問いかけていると話す田中さんの姿が印象的でした。
つくりたいものが自分の中になければ、いずれ機械は何の役にも立たないことに誰もが気づく。そして実は人と人のコミュニケーションやネットワークとの出会いの中に楽しさがあることが自然とわかる。暮らしもまた、「どんな暮らしをしたいか」を想像してみることで、自分自身の本当の思いに気づくかもしれません。
“理想の暮らし”との出会いを思い返してみると、これまで歩んできた道のりとつながっていることも。価値観や「好き・嫌い」の感じ方もひとりひとり違う社会で、自分で考えて何を選びとっていくのかも重要なのではないか。そう感じました。
もしも今「あなたはどんな暮らしをつくりたいですか?」と問いかけられたなら、みなさんはどう答えるでしょうか。ひとりひとり違うけれど、きっと明日が楽しみになる「暮らしのものさし」をつくってみませんか?