もはや誰もがあきらめていた大きすぎるまちの課題を、想像もしなかった方法で解決してしまう人たちがいます。しかも、市民や事業者、行政など、あらゆる人を巻き込んでまるで課題解決を“楽しむ”状況を生み出してしまうのです。今回ご紹介する「ハートビートプラン」の泉英明さんもそのひとりです。
泉さんは、建設コンサルタントであり都市計画のプロフェッショナル。大阪府や大阪市、そして大阪の経済界などが主体となるシンボルプロジェクト「水都大阪」のプロデューサーとして大阪のまちに深く関わるほか、全国各地でまちづくりの“まち医者”として地域力をつける取組みを手掛けているのです。
まずはgreenz.jpでも紹介してきた「水都大阪」と泉さんの関わりについて、改めてご紹介するところからはじめたいと思います。
イベントから日常へ、“世界発信”へ! 「水都大阪」の新しいミッション
ハートビートプラン 泉英明さん
泉さんは水都大阪を通じて、ディープな大阪を案内する「OSAKA旅めがね」や、中之島沿いの店舗に川床をつくって水辺の景色を楽しんでもらう「北浜テラス」、”大阪のうまい”を舟ではしごする「大阪水辺バル」などを次々に仕掛けてきました。
いずれも、大阪のほんまもんのウリをさまざまな現状課題や規制を突破して実現したミラクルな企画です。
たとえば「北浜テラス」では、中之島の川辺にビルから突き出したテラスをつくるために、まず社会実験を行ってその後河川区域での占用許可を取得。行政と協力しながら少しずつ都市プロモーションをすすめてきました(「北浜テラス」については、ぜひ2年前の記事も併せて読んでください!)。
あれから2年が経ち、2013年からの水都大阪のミッションは次のステージに変わりつつあります。
2012年までの活動が評価され、大阪では水都大阪の推進を担う民間組織を公募して、さらにプロジェクトを進めようという流れになりました。ハートビートプランを含めた3社でこれに応募し、2013年4月、一般社団法人水都大阪パートナーズが設立されました。
2011年~2012年まで僕らが担当していたのは「水都大阪フェス」と呼ばれる秋の期間開催されるイベントだったんですが、これからのテーマは「イベントから日常へ」。今回は水都のにぎわいを年間を通じて生み出し、民間投資を進め世界発信していこうというミッションが加わりました。
今年の6月から約3ヵ月間、堂島川と土佐堀川に挟まれた水辺公園・中之島公園では、「水の都の夕涼み」が開催されています。
これは公園や道路を管理する大阪市や警察との交渉により、水都大阪パートナーズが中之島公園や道路空間を借りて運営しています。公共空間である場所を、これだけの期間一つの団体が使用することは非常に難しいことなのだそうです。
この期間は、マルシェやオープンテラス、ワークショップや音楽などの市民のプログラムで実際に賑わいを多くの人に体験してもらい、いずれは1年365日、いつ訪れても水辺がにぎわっている状態になることを目指しています。
大阪の水辺で愉しむ中之島公園 水の都の夕涼み
また中之島の西端にあり、大阪の開港地でもある「中之島GATE(ゲート)」では、昨年約1か月実施された社会実験が評価され、この秋、フィッシャーマンズマーケットがオープン、劇団維新派による野外演劇なども予定されています。
2013年の中之島GATEの様子
このプロジェクトは全国でも類を見ない仕組みです。通常、行政からは単年度の業務委託となっていて、毎年評価を受け継続の是非が審議されるのが一般的ですが、水都大阪パートナーズは、目的を実現する手段を提案でき、かつ4年という長いスパンでプロジェクトを進めることができるようになっています。
関わっているメンバーは20人以上いますが、そのうち7名は関西経済界の民間企業から出向しています。官民が連携をとり、一体となって水都大阪に取り組んでゆく体制が整えられたのです。
これらの仕組みも、これまでの水都大阪の取り組みを経て、大学や行政、経済界、泉さんをはじめとするメンバーが提案を重ねて実現したことでした。
とはいえ新しい体制で、様々な人たちと、一からプロジェクトを進めてゆくには労力と時間がかかります。そんな中、泉さんは大切にしている思いがあります。
「こんなことになったら面白い」という夢をかかげることですね。夢や目標がないと仲間ができない。実現できるかどうかわからないことも、仲間がやろうと画策しはじめるとできるようになります。
大事なのは小さくてもいいから、実現させて体感してもらうことです。ひとつ突破すると、とんとんと次に続いていきます。
泉さんがそんなふうに確信する根拠は、10年前、ちょうどハートビートプランを設立した頃に取り組んだ、高松市や東大阪市でのまちづくりの経験のなかで培われたものです。
市民とともに考えた提案が、まちのうねりをつくりだす
そもそも泉さんのお仕事は職業でいうと建設コンサルタント。大学を卒業後、都市計画事務所で10年間つとめ、都市計画のマスタープランや震災復興事業などのカタい仕事をしていたそうです。
しかし、1990年代に入るとバブル経済が崩壊。1995年には阪神・淡路大震災が起きたこともあり、「道路やダムをつくってまちを良くしていこう」というハードから「住民自らでまちを良くしていこう」というソフトへという時代にシフトしはじめていました。
僕のベースは都市計画です。ハードも経験しているラストの世代であるノウハウを活かして、事業の組み立て、合意形成、空間のコントロール、プラス面白いプログラムを組み込みます。
「受け身でなくまちにアイデアを提案していく仕事をしていかなければ、世の中は変わらない」と考えた泉さんは2004年に独立。一番はじめに取り組んだのは、前の事務所から引き継いだ高松市での中心市街地再生の仕事でした。
高松市には中心市街地再生のためのさまざまな計画がありましたが、商店街の力が強く、その他の担い手が現れにくい状況でした。また商店街同士だけでなく、商店街と利用者の意識にもギャップがある。そこでコアメンバー数人と始めたのが「まちラボ」でした。
純粋にまちを面白がりたい人が肩書なしで集まることで、新たな担い手やプロジェクトが生まれ問題解決につながるのではと考えたのです。やがてこのネットワークは200人ぐらいに増え多くのプロジェクトが生まれました。さらにその有志メンバーでオリジナルの「高松まちなかビジョン」をつくろうと画策しました。
各種企業やメディアなど、各分野の若手精鋭20名程度が集まってまちの未来を練り上げ、香川県や高松市、大学や四国経済同好会などあらゆるところにおしかけ提案してまわったそうです。
最後の発表会で「このプランはとてもいいですね。ここに高松市役所の方がいないのは残念ですね」とおっしゃった方がいたのですが、その方が次の年に市長に当選されたんです。
その後、関係者の熱意による推進や、県・市や大学からコラボの話をいただき、ビジョンの提案プロジェクトの多くは具現化しました。こういうふうにやれば”まち”は動くんだ、ということを実感しました。
この時の提案から発展し、瀬戸内海の移住交流や瀬戸内国際芸術祭などが実現され、当時のまちラボのメンバーもさまざまな場で活躍しています。
「次世代に残したい」まちの思いを、プロジェクトや地域ルールに落とし込む
泉さんは東大阪市の町工場地域の課題解決にも取り組んでいました。
高井田という日本で一番町工場が集まっている地域です。工場跡地に、あとから住宅が入ってくると騒音などの苦情やトラブルが起こりやすいものなんです。
住宅と町工場が混在する地域での課題解決は30年前からうまくいっておらず、成功事例がないので前の会社の所長には「やめておけ」と言われたそうです。しかし大阪の都市計画の中では、今後の重要な課題だと感じた泉さんは、あえて挑戦することにしました。
全部の工場をまわり、どんな問題があるかヒアリングしました。ときには「10年前から言うとるやろ!」と怒られることもあり、内心「その通り!」と思いながら、同時進行で次世代を担う若い人や、不動産屋やモノづくり業界にもヒアリングしていきました。
ヒアリングの結果、この問題は単純な工場と住宅のトラブルではないということに泉さんは気がつきます。
工業地域なのにいつ隣に住宅が建つかどうかわからない不安定な状況のため、元気な工場ほど安心して操業できる郊外へ移転する、または投資をひかえている現実がありました。
様々な業種の町工場が集まり、何でもつくれる“モノづくり”の拠点の高井田から、企業が新しく技術を導入したり、投資したりする環境が失われつつあったのです。
この課題に対して、泉さんは土地利用のルールをつくり、工場の操業環境と住環境の双方を守ることで、工場地としての高井田の価値はより高くなるだろうと考え、地域としてこの問題に取り組むため、その体制づくりを進めていきました。
自治会などの既存のコミュニティから話し合いを始め、若手も巻き込みながら住民や事業者からなる協議会を設立。協議会のメンバーや地域住民、土地建物オーナー、行政との話し合いを重ね、土地利用のルールをつくって市長に提案しました。
プロジェクトのスタートから市長への提案まで約6年。ルールづくりの合意形成は簡単ではありませんでしたが、この間根気強くまちに関わりつづけたのです。
その結果、泉さんは日本都市計画家協会から「第二回楠本洋二賞最優秀賞」、日本都市計画学会関西支部から「2010年度関西のまちづくり賞」を受け取ることになります。東京の大田区や板橋区など町工場の多い地域とのつながりもでき、これがきっかけで都市計画系の仲間が増えたそうです。
地域が行政に対して工場を守るルールを提案することはきわめてまれです。まちの伝統を次の世代に残したいという想いが集まれば、地域や行政が動くのだと改めて感じました。
エキマチ下関のオープニングで坂本龍馬に扮した泉さんとスタッフのゆりさん
泉さんはプロジェクトにのぞむ時、高松市での例のように、さまざまな分野の人たちとチームを組んで進めることを大切にしています。同じ分野の人ばかりが集まると偏った方法にとらわれてしまうからです。
最先端の現場の状況は書籍やインターネットだけでは情報が入ってこないのですが、その現場で課題に向き合っている仲間からはたくさんの経験と知恵が入ってきます。彼らがチームにいることで判断を間違わないことが強みになります。
まちの問題は課題設定の仕方が勝負だと言います。今起きている事象の理解や今後のシミュレーションのため、いろんな人の経験をもとにメカニズムを理解し課題設定の仮説を練り上げていく。そうすることで最初の想定を上回るアイデアが生まれてくるそうです。
取材前の泉さんの印象は地域のまち医者というよりも、まちを舞台に住民や事業者を踊らせ、いっしょに踊る演出家というイメージでしたが、その根底には実に明快に課題におそれずに楽しく向き合っていこう!という思いがあることがわかりました。
泉さんはピンチのときこそニヤニヤしている、という話をよく聞きます。課題が困難であればあるほど楽しそうな泉さんだからこそ、この人とならいっしょに困難に立ち向かいたいという気持ちになるのではないかと思いました。