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子どもにしっかり愛を注いでいけば、世の中は浄化される。日本で最高齢の助産師・坂本フジヱさんに聞く“人生”のこと [STORY OF MY DOTS]

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特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために種まきをしている時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。

今回ご紹介するのは、90歳になる現在もなお現役として働く、日本で最高齢の助産師・坂本フジエさん。和歌山県田辺市にある坂本助産所で、70年間携わっている「助産師」という仕事のこと、そして90年という人生のお話を伺ってきました。
 
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坂本フジエ
大正13年に和歌山県に生まれる。14歳で働きはじめ、19歳のとき、看護婦免許を取得。20歳のときに助産婦免許を取得。23歳で和歌山県上芳養の自宅で「坂本助産所」を開業。これまでに4,000人以上のお産に関わる。今なお現役の助産師として、和歌山県田辺市の「坂本助産所」にて、地域の人たちの様々な相談にのっている。

「助産師」という仕事、知っていますか?

助産師は、妊娠から出産・その後の子育てもサポートする職業です。昔は、近所で出産があると呼ばれ、お手伝いをする「取り上げ婆さん」や「産婆さん」と呼ばれる人がいて、戦前までは、特別な資格は必要ありませんでした。

その後、母子保健の安全確保のために法律の整備が行われ、2002年の保健師・助産師・看護師法の適用により、助産婦から「助産師」という名称で呼ばれるようになりました。看護師と保健師は、男性の資格取得が認められていますが、助産師は今でも女性のみが取得できる資格です。

助産師は英語でいうと「midwife」。そこには「寄り添う・共にいる」という意味も込められています。地域に根ざして働き、お母さんや家族をサポートする大切な役割を担っています。
 
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坂本助産所の外観。黄色い象さんのマークはお孫さんのアイデアでつけたんだそう。

若い人は助産院を知っている人は少ないですよね。助産院はよ〜く面倒みてくれますよ。私ら夜中でも起こされれば、いつでも話聞きます(笑)

坂本さんが助産師として働きはじめて、70年。最近は病院で産む人が大半ですが、昔は多くの人が助産院や自宅で出産をしていました。

「そんなに長いこと助産師という仕事をしてきたんかな?」と思うくらい、短い期間に思いますね。あっという間の70年でした。

どのお産も、み〜んな忘れられないお産です。同じお産は、二度とないので飽きませんね。みんな子どもが別々のようにね、お産もみな別々です。「今度の赤ちゃんはどんな産まれ方して出てくんのかな?」と思って、いつも新鮮で楽しみです。

私が助産の勉強をしていた頃は、お医者さんでさえ、お医者さんの家で書生をして、資格を取りました。産婆もそうでした。産婆さんの家に住み込みで働いて、言葉だけではなしに、先生のすることをきっちり見ながら勉強して、資格を取ったんです。

私は幸いにして、緒方っていう看護学校と産婆学校と、それから大阪市立の保健学校を終戦ちょっきりに卒業したの。ほいで、戦争負けたから大阪におる必要なくなって、家(和歌山)帰ってきて、またじきに大阪戻ろうと思っていたんですけどね、そのまま和歌山におってしまったんです(笑)

妊娠・出産のことだけでなく、色んな相談も受けます。

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和歌山県は梅が満開でした。

戦争が終わり和歌山県上芳養村に帰ってきた坂本さんは、高齢のお医者さんの手伝いをしたり、国保の普及の仕事をしつつ、出張助産婦として頼まれればお産も取っていました。

23歳のとき自宅で「坂本助産院」を開業しながら、国保の仕事をする中で、旦那さんのお義母さんに気に入られて結婚することに。

自分で考えて、「どんなことがあっても、この人のことは私が支えていくんだ」という決心のつく人でないと、結婚できないですよね。

私は、親戚伝いに縁談が来ました。結婚する前に旦那さんとは何度か会ったことがあったんです。私は身長が145センチほどで、旦那さんは182センチ。「大きくて、頼りがいがありそうだなぁ。この人と一緒になったら穏やかな結婚生活が送れるかなぁ」と思って、24歳で結婚しました。子どもは二人。一人、流産の経験もあります。

29歳で一人産み、それから6年してからまた産んで、また6年後に妊娠しました。けど、もうそれは41歳のときの妊娠だったので、だめでした。

自分もお産するし、お産取るし、一家11人分の家事もしました。忙しい人間でした。旦那さんも農業をしながら銀行に勤めていて忙しかったです。私の子どもはみんなおとなしいんです。お嫁さんとケンカしたもことないらしいです。

坂本さんのところには、パートナーとの別れの相談をしにくるお母さんもいるようです。

「できたら、“今は一旦別れる”くらいにしとき」って言います。籍切ったり、そんなことせんといて、どうにか過ごして、ある程度の日にちを過ぎたら、そのうちにまた心がどう変わるかわからん。別れた人でもね、何年か置いたらやっぱり交流できるんです。別れても仲良く交流してる人たちを知ってます。

離婚してそのまま縁を切ってしまった人はいますがね、ほんとに縁を切らなきゃいけないくらいの大変な人は、小さい時からお母さんに愛情もらってなかったりして、ほんとに心傷ついた人です。そういう風な人が奥さんを叩いたりしてしまう。そんな人だったら、子どもの前で別れなきゃ仕方ないです。

そやけど、そんなことでない限り、そのまま、しばらく、まぁまぁ堪えて、また自然と話をするようになったらいいなぁっていうのが私の考え方なんです。

「結婚は“我慢のし合い”」と言う坂本さん。違う家庭に育ってきて、形づくられた人たちがくっつくのだから、「“性格の一致”なんて考えてたら大間違い」と笑います。

違う同士の中で、どう折り合いをつけて、許していけるところは許し、直してもらうところは直し…というようにしていけるかどうかが大事なようです。
 
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これまでに関わったお産は4000人以上。坂本助産院でお産をした人と撮った写真は大切にアルバムに綴じている。

そんな坂本さんですが、「自分の旦那さんと言葉を使ってコミュニケーションを多く取らなかったこと」だけが心残りだと言います。

出会った人とね、上っ面のことだけやなしに、ほんとに心の底からぶっつけ合って話をすることが大事ですよ。「こういう風にあんた思ってるやろ?そうやけども、ここはこうやで。私はこう思うで」ってちゃんと伝える。

朝起きたら「おはよう」、ご飯をつくってくれたら「ありがとう」、会社に行くときは「いってきます」、帰ってきたら「ただいま」。そういう日々の言葉掛けを素直にちゃんと奥さんに言えるようになったら、「もうそれが大事な愛情です」と坂本さん。

元来の子どもというのは、天真爛漫に、すーっと伸びていくものです。3歳くらいまで、すーっと伸びていく子どもが増えたら、ギャンブルや家庭内暴力を浄化するくらいの力をもっていると考えています。だから、すーっと伸びるように接するんです。

一見何でもない男の人でも、結婚してみると、離婚するしかないっていうような人もいます。そういう人は、自分の心に傷を持っているんでしょうね。私たち結婚する側の女の人は見極めないとね。

見極めるときの基礎になる考え方は、「その人が自分の両親を尊敬して、いつも仲良くて親に感謝しているか」ですよ。そんな人だったら間違いないと思います。

子どもにしっかり愛を注いでいけば、世の中は浄化される。

近年は病院で出産をする人がほとんど。妊娠7ヶ月の早産の赤ちゃんでも助かるような時代になり、昔では考えられないことが増えました。人に聞かないとわからないことが増えたのに、産婦人科のお医者さんの数は少なくなってきています。

人出も不足してきているので、一人一人にじっくり関わることはとっても大変なこと。産科医は、妊娠してから、安全に出産までの期間に携わることが役目で、出産が終わると、次からお世話をするのは小児科医の先生です。

「妊娠・出産」と「子育て」が別れており、つながりを持って子育てをする人をサポートしてくれる人がいません。不安は大きくなってしまうでしょう。

私は今こそ助産師の存在が大事だと思うんです。病院で出産しても、助産院に来て子育ての相談したり、病院で産んで、産後入院しているたった5日間の間だけでも、助産師がどうお母さんに付き合うかが、今後のお母さんと赤ちゃんの関係に大きい影響を及ぼすと思っています。

産まれたての赤ちゃんをこれから育てていくお母さんというのは、人間の一生を左右するような、根性を入れなあかん大事な場面にあるんです。そやから、しっかりお母さんに「子どもの愛し方」を教えて、伝えていかなければならないんです。

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「赤ちゃんなっとうな(どうですか)気分ようしてるか」は坂本さんが赤ちゃんによく掛ける言葉

「色んな難しいことを思う必要はないんです。お母さんたちは、できたら一年間は子どもの傍にいて、大事に育てて、とにかく愛を与えきるくらいの生活をしてほしい」と坂本さん。

そういう生活を子どもにさせておくとね、この世の中は浄化されていくと思うんです。とにかく一年間、大事に愛を与える生活ができれば、50%くらいの育児は終わったのと同じなんです。

お母さんと0歳児の赤ちゃんが一年間向き合う。徹底してお母さんが愛情を注いでおくと、お母さんと赤ちゃんとの間に信頼関係が、強固に確立するわけです。

そしたら、その子どもは“自己肯定感”っていうのをしっかり身につけます。自分を尊び、自尊感情が育まれます。そして自立して、自分の力で何かをやるようになっていくわけです。この一年を大事にできないでいると、後が大変です。

それと、お母さんが子どもを徹底して大事にしているように見えても、支配しようとしてしまっている場合もあります。でも、子どもは支配されるのは喜びませんよね。

お腹の中から、もう子育ては始まっている。

遺伝子や、もちろん育て方も、諸々の条件が入り交じって関係して、子どもの性格が成し遂げられます。産んだ後のことはよく考えられていますが、「産む」まさにその時のことも、もうちょっと考えてほしい、と坂本さんは言います。

私はここ(坂本助産所)で赤ちゃんを受け取るでしょ。その経験の中で、「産まれてからではなくて、お腹の中から、もう子育ては始まっている」と思ってます。

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坂本助産所で出産をしたお母さんたちが自身の出産体験を綴る「お産ノート」

いらんことする必要はないんです。「ちょっと陣痛弱いから促進剤」とか、そういうことせずに、ずーっと見守っていく。子どもは賢いから、ゆっくりゆっくり頭小さくして、お母さんのたった10センチの骨盤をグッと越えてきます。越えて来られるか、来れんかを、ずっと自分で考えて頭蓋骨小さくして調整してるんです。

その間のこと「微弱陣痛」ってお医者さんは名前つけるんですが、お母さんの骨盤と自分の頭の形が合わん子どもはお産が長くかかります。それで「微弱陣痛」って言って、注射する。

そうすると、赤ちゃんは「もう、あんたの好きにしたらええわ。私はもうこの事業から撤退する」という風になります。これはかえって、えらい大変なんです。余計にお産が長引きます。

産まれる時から自分の意に反したことをされて出てくる赤ちゃんはどう思うんでしょうか。主体性なくしますよ。

だからこそ「初めてのお産がとっても大事」と坂本さん。時間は一番長くかかるけれど、ゆっくりゆっくり、お母さんを慰めながら、一緒に待つ。お産のプロセスを一度しっかり経験できるように助産師はサポートをします。

お産のプロセスをしっかり経験できることは、「地球上に生存する動物としての人間」を考えることのできる貴重な機会でもあるのです。

陣痛は、赤ちゃんの言葉。

坂本さんは70年にわたって助産師を務めてきましたが、ようやく最近になって「陣痛は、赤ちゃんの言葉だ」と悟ったと言います。

おなかの中にいるときから、赤ちゃんは言葉を発しています。赤ちゃんの言葉は、お産のときに陣痛を通して初めて外に出てくるんです。私たち助産師は、その言葉を受け止めながら、陣痛に忠実に対応して、受けてあげます。

産まれた赤ちゃんにも、ちゃんと言葉があります。泣き方の中でいろんなメッセージを発信してるので、あとは母親が静かな穏やかな気持ちで受け止めてやったら、そのまま通じるのが親子ですよね。

母親が穏やかな気持ちでいるためには父親のサポートが必要。そして子どもは、お母さんを通してお父さんを見ます。だから、「お母さんがお父さんのことをどう感じ、どう接しているか」が実は大事です。

お父さんとお母さんがいなかったら子どもはできてないんやから、やっぱりお父さんを恋いこがれるし、母親を思う心は強烈なんです。本能的に、子どもは父と母を両方求めているんやね。

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これからお父さんお母さんになる若い人たちへ。

坂本さんは学校で講演に呼ばれることもあります。先日もある高校の授業で話をしてきたそう。

昨日ちょうど感想が届いたので、読んでみたら、みなさん私が伝えたことを正しく受け止めてくれてるんです。高校生でも、伝えれば、ちゃんとわかるんですよね。

授業で感じた気持ちをずっと持ち続けて、わかったことを積み上げていってほしいです。そして、結婚するってなったときに、思い出してほしい。

「私は子どもが苦手で結婚はしても、子どもはいらないかなと思ってましたが、妊娠や子育てをすることで、自分も学べることがたくさんあるんだと感じました」という感想や、中には「私が出産をするときは、坂本助産所でしたいと思いました」という、うれしい一文も。
 
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感想文のお手紙

わたしがいろんなことに悩んでいる若い人に伝えられることは、大事なことはそんなに難しくないということ。両親を大切にし、感謝の気持ちをもつこと。言葉でコミュニケーションをとること。自然を大切にすることです。

若い人たちには、結婚して一人でも赤ちゃん産んでくれて、あとはもう夫婦仲良うしてくれてたら嬉しいなぁ。

90年という坂本さんの人生から学べることは実に多くありました。しかし、最終的に行き着いたのは、とてもシンプルなことでした。

「両親を大切にし、感謝をすること」「感謝を素直に言葉で伝えること」「自然を大切にすること」どれも当たり前のようですが、だからこそ、なかなか難しい。完璧な人などいません。90年も生きてきた坂本さんでさえ、旦那さんとコミュニケーションを取ってこなかったことを心残りに思っています。

何かに悩んだり、躓いたりしたとき、長く生きている人とたくさんの話をしてみるのはいかがでしょうか?話をしたり聞く中で、大切な場所に立ち返れたり、大切な道を示してもらったり、励まされることがあるかもしれません。

素晴らしい「生き様」に触れることが、レイブル期の種を蒔いた後の栄養になるのかもしれないですね。