「フィールドスタディin大阪・箕面」自らの《アタリマエ》とは異なる教育観に触れることを通して、自らの教育観を見つめ直し、再構築することを目的とした、教育に関わる大人達のための研修プログラム
みなさんは先生との出会いで、自分の世界が広がった経験はありませんか?いろいろなことを教えてくれる先生たちだって人間。私たちと同じように悩んだり、誰かに教えてほしくなったりすることもあります。
現役の先生やこれから先生になりたいと志す学生たちが、自分とは違うものに出会い、自分をつくり直していく。そんな教育に関わる多様な人たちのための場づくりをしているのが、一般社団法人「CORE+(コアプラス)」です。
今回は代表の武田緑さんに、「自分をつくりなおす学び方」についてお話を伺いました。
大阪を拠点に、日本全国、海外へと自身も学び、新しい教育の世界を広げ続ける武田さん
ユニークな公教育を集めたフォーラムを開催
コアプラスの活動の一つが、5月24日に開催した「公教育の未来フォーラム in 関西」です。昨今マスメディアで批判の対象になりがちである公教育の現場は、実はユニークな実践の宝庫!
貧困による教育格差などで、教育的に厳しい環境のもとにある子どもたちの基礎学力の底上げに成功している学校=「効果のある学校」を、長年研究してきた教育学者の志水宏吉さんの基調講演やメディアでも取り上げられているさまざまな「学び合い」の紹介、アーティストによる授業の実践報告とディスカッションなどなど…
子どもたちの学びと育ちを支えようと奮闘する現場の人たちの思いと実践にたくさん触れることで、これからの学校教育のあるべき姿と、それを実現していくための道のりを、ともに考えていきました。
教員、保護者、地域住民、企業やNPOなど、多様な立場から「公教育」に関心を寄せる人たちが一堂に
大阪大学教授、志水宏吉さんの基調講演
「誰一人見捨てない」〜みんなができる・分かる授業〜
アーティストによる授業の実践報告とディスカッション
コアプラスがつくる交流の場づくりに参加した人たちは、自分と異なる教育観に触れることで自分自身の見方をリフレクション(内省)していきます。これこそコアプラスの活動の一番のポイントなのですが、それは代表の武田さん自身が、「自分のあり方はどうなのだろう?」と疑問に思ったことがあったから。
その都度、「今の状況ってどうだろうね?」「最近何に問題意識を持っている?」ということを話ながら、「私たちが持っている共通の問題意識ってここだね」と確認して「じゃあ何をしていく?」と一緒に考えていくんです。
教育に関わる先生に何かを教えてあげるのではなく、自分も考えたいし、一緒に学び合いたい。そのスタンスを何より大切にしているのです。
イベントの最後には一日を通して学んだことを振り返りました
コアプラスは生き物みたいな団体
コアプラスのイメージの絵
武田さんは「コアプラスは生き物みたいな団体」と表現します。この絵の中にいるすべての人たちがお互いに影響しながら、自分たちが成長するための栄養となっているのです。
関わる人たちが無理をせず、自分でいれる場であることが大事だと思います。「私はこう考えている」「私はこういう風に生きていきたい」ってことが人それぞれありますよね。
弱いところを出してみたり、しゃべったりしているうちにお互い大事にしていることに触れることがある。そうやって自分でいていいんだと思えたら、みんな凄く元気になるんです。
地元大阪で学んだ人権教育
武田さんの教育観に大きく影響を与えたのは、中学生時代の原体験でした。中学校の頃から先生が大好きで、いつか「保健室の先生になりたかった」と武田さんは言いますが、それは保健室の先生が、優等生として振る舞っていた彼女の愚痴を聞いてくれたり、いろいろと相談に乗ったりしてくれたからでした。
保健室の先生にかぎらず、先生のことをみんなあだ名で呼びあう仲。みんなが休み時間に職員室にいくような、先生と生徒の距離がとても近い環境だったそうです。
そこはいわゆる部落を校区に含む地域。授業で社会問題として学ぶだけでなく、クラスメートに当事者がいる。いろんな家庭背景を抱えている子をみんなで支えていくなかで、自己開示できるようにするための「仲間づくり」や、今思っていることを文章にしてみんなの前で発表する「立ち場宣言」といった授業に、彼女は積極的に取り組んでいました。
自分の出身を含め、認めてくれる仲間をつくることで、ポジティブなアイデンティティを形成できると思うんです。社会の中で、マイナスの烙印を押されてしまう可能性がある子たちと、一緒のクラスで学んだ経験はとても大きいと思っています。
世界一周がきっかけで、つくり直してきた自分
大学に入学後、武田さんはNGOピースボートに乗船し、世界一周をします。この経験も、さらに人生のターニングポイントとなりました。
ピースボートでは、国内外問わず、たくさんの人たちと紛争問題から差別のことまで、社会問題について話す場が用意されています。人権教育が盛んな学校で学んできた自負もあった武田さんは、自分の意見を伝えてみることにしました。
でも、自分よりはるかに年齢が上の人生の先輩たちと意見交換したとき、「前提の知識が偏ってない?」と指摘され、いろんなことを知っているつもりでいたけれど、反論できない自分に気づいたのです。
今まで自分で考えてきたつもりだったことって、結局周りの大人が言っていたことを鵜呑みにしただけだったんだなって。周りの大人が期待していたことを、自分の価値観だと信じてしまっていたんです。
こんなガタガタ崩れていくものを持っていても仕方ない。もう一度、自分の頭で考えて、自分の意見をつくり直さないといけない。そう強く感じた彼女は、いろんな人と対話をしながら、「自分を確かにしていく」ための教育を模索しはじめます。
「自分をつくるということ」と「他者と生きるということ」
評価の目が気になることは誰でもあることだし、同一歩調を求められて自分を見失いそうになることもある。そこで大切なのは「私はこういう人間だと自分を肯定できる場」だと武田さんは繰り返します。
それは自分だけで考えていても難しくて、肯定感は人と対話することから生まるものなんです。自分がわかってやっと他人と一緒に生きていける。その両方が成立すれば人間幸せになれると思っています。
とはいえ、今の学校の環境が必ずしもそうなっていないと感じている武田さん。だからこそ学校にもっと対話の場が浸透することを願っています。
方法はなんでもいいんです。プロジェクト学習で自分を出せる人もいるだろうし、哲学の時間をつくって、まずは一人一人じっくり向き合うことがきっかけになる子もいます。
コアプラスのターゲットは主に教育に関わる大人たち
さまざまな教育現場をみてきた武田さんが、もっとも印象的な授業のひとつとして挙げてくれたのが、埼玉にある自由の森学園の「批評」という授業でした。それは高校生20人くらいで村上春樹の『象の消滅』という短編小説を読み、意見を出し合うというもの。
ある街で象を飼っていて、その象が街のシンボルになっています。ところがある日、象と飼育員がこつ然とその街から姿を消します。ニュースにもなるけど、どこに行ったかサッパリわかりません。主人公が実はその飼育員と象が消える瞬間を見ていたのですが、何で象と飼育員がいなくなったのか誰も分からないというストーリーです。
先生から「これってどういう意味だと思う?」と質問を投げかけたとき、例えば一人の生徒は「この小説には、サングラスをかけたり、メガネをかけたり、コンタクトをしていたり、裸眼の人がいない。ということは何かフィルターを通して世界を見ているという意味では?」と意見を言います。
他にも、この小説には「便宜的」という言葉がよく出てくるので、ある生徒は「この小説には個人名が一切出て来ない。AさんBさんという固有名詞や名前がなく、彼とか彼女とか何々会社の社長さん。代名詞もしくは社会的な役割だけで語られる」と指摘。
そこから、みんなで「便宜的な世界」というのは固有名詞が必要ないような世界のこと?」「その人がその人じゃなくてもよくて、入れ替え可能な役割でしかないような世界のこと?」と、どんどん問いを掘り下げていったのです。
そして、その便宜的な世界の中にあって、「象と飼育員はお互い名前で呼び合うような関係になったからこそ、この世界から消えたんだ」という読みに至ります。
50分くらいその授業を見ていたんですが、実は沈黙の時間も長かったんですよね。意見がまとまっていくというよりも、対話を通じてそこにはなかった新しい発見が生まれていく授業こそ面白いのではないかなって。
自分とは異なる人と関わることで、むしろ自分がわかってくる。それは教育に限らず、どこの現場でも言えることなのかもしれません。みなさんもアタリマエとは違う世界に飛び込んで、新しい自分をつくり直してみませんか?
(Text: 門田表)